北鑑 第十三巻

戒言之事
此之書は門外不出、他見無用にして、一書も失ふべからず。

秋田孝季

一、

歴史の事は昔より奇談、怪談、神話を混じて記逑せる多し。まして神社、佛閣の由来にてはその逑あるも、世になけることは記非らざるなり。

太古にして宇宙の創まれるカオスの聖火より銀河に星の生死あり。その子孫星、宇宙を満たす中に、日輪を廻る地球星に生れし、吾らが人類をして、その生々に爭ふるは、神への反きたるも、その歴史をくりかえしぬ。

神の造らざる大王そして權力、是ぞ生々平等の理りを神の法則に欠く救ひざる輩なり。人の安住を犯し、征者は是を正統なる行爲とて歴史に遺し、尚、死して尚威權を誇る大陵を造り、自からを神とて遺さるゝ世界の大陵に何事の眞理やあらん。

来世も王たるの出生に臨むる行爲ぞ、死して救ひなき愚考なり。生々は萬物にして、生死のなかに新生に甦るを説くは、荒覇吐神なり。死して魂は神の平等なる天秤に裁かれて甦るは果して人間なるか、神は生々の業報に裁きて世に甦えす。例へ人間に生れき前世にありとも、その新生に受く生命は再度にして人間とは限らざるなり。

萬物生命の類は菌、藻、草木、虫、貝、魚、鳥、獸、人とて類萬物なり。是の萬物の何れに生れしかは、神の裁きに決せるなり。生々何れも安しき事なかりけり。

生れては、死への一刻もとどめ難し。依て、生々のうちに人間と生ずるの善行にありて、己れの膽に銘じべし。權に悪に歴史に遺す邪道は、再度の人體をして世に甦える事やなかりける。

荒覇吐神を信仰せし古代人は、子々孫々にかく教へを遺したるものなれば、能く心得て善道に外るべからざるを戒む。

二、

荒覇吐神の創めて像とて造りきは、土版十安の如きものより、陰陽を前後面に造り、胎内に神像せるは、やがて死す後、新生に甦る願をこめにして造りたるものなり。

写眞No.1

右の如く造られたり。是れ荒覇吐神社由来なり。

三、

古来より荒覇吐神を信仰せる丑寅日本国の民は、一途にして神の稱名を念じて、心身を天命に安じ、安心立命の誠を神に祈りける。生々とは神より六根の人體を授かりて、己が魂をその人體と曰ふ衣を着せられたるものなり。依て、心と人體とは互に生々の間に求めたるものありぬ。

心は體を左右に從せるとも、體は體を保つが故に、心に寒さ暑さを傳ふなり。亦、勞撈しては、そのつかれを傳へ、美食や子孫を遺す雌雄の結ぶる生涯の妹背と結びぬ。

また心に體は眠りを傳へて、眠るは、心より體の解かるゝ故なり。依て、心は知らずとも體は常に呼吸せる息と寝返り、血脈は常に鼓動せり。心は常に體を通ぜざるして何事もならざるなり。依て、心は常に體を己れのまゝに左右し、その生涯を、死に至るまで從がはしむるも、酷使をするは、體に病及び傷を負はしむなり。依て、體はその心を制ふるために、心に、善にあれ悪にあれ體の欲すまゝに惑はしむなり。依て、人は心の弱き者は悪道に、強き者は善にして惑はざるなり。

荒覇吐神の信仰の一義は、先づ以て、己が心身にその調和を保ち、己れに勝つことを要とし、生々の間、能くつとめよと説きぬ。

大光院導念説法より

四、

心空なる心にて、私なく綴り写すも、丑寅日本国史を永世に保つ故の信念なり。とかく東北の事は、倭史につゞつまの合難く、世代の相違、雲泥の如し。

東北をして、その浅き倭史の記逑に遺るを讀みつるに、蝦夷たる支那書物に基きて北日本を稱す權圧に以て、名付たるものなり。日本国とは、もとより東北の国號なり。倭史に曰ふ如き神州とは異なる歴史の遡れる国なり。人祖の渡り、神と信仰を人祖のまゝに成ませる国なり。永きに渡り蝦夷と稱され、まつろはぬ民とて、忌む作傳を代々に造られたり。然るにや、もとより日本国大王の成りませる国なれば、その歴史の実相を照らす眞理の證灯、今に猶、消ゆなく丑寅の大地に眠りぬ。

〽くりかえし まことのことの 強けくは
 北に動かぬ 里こそあらめ

いつ世にか顯はれん。
丑寅日本国の大王の治めしたる往古の事、我等の国を愛しむるべし、此の地にありきすべてをも。

五、

古来、宇曽利の地に馬の放たれしは、東海の海より大筏に乗せて六頭の駒をつれ来たる津保化族の祖になる古人の、つれきたるものなりと曰ふ。山靼馬と異なり背高く、駆くるに速く、名馬たりと曰ふ。

古来、丑寅日本国の地に馬の渡り来たるは、古老に曰はしむれば、三渡来に曰ふ。

一は馬の氷雪渡り。
二は山靼船渡り。
三は東海筏渡り。

と曰ふ。是れ何れも実なりと、幾古老何れに聞くも同意たり。

されば、古に渡来せし馬の着地にては、人の古に用ひし石鏃あり、一の渡来地になるサガリイ、二の渡来地なる秋田、三の渡来地なる宇曽利を順に、地に遺れるは、 に異なりぬ。一は石槍、二は石鏃、三もまた石鏃なり。一はウデゲ族、二はモンゴル、三はなんとアメリカなるインディアン族のものなり。依て、一は追れ馬にて、二は船来に、三は筏渡りと相成れり。

古代なるは、気の候、潮流の流度ぞ今代と異なりて、その可能ありけると曰ふなり。

アメリカン国の北に大森林国ありて、その巨木を筏とせるは、吾が国の及ばざる大木なりと曰ふ。亦、サガリイ、渡島との海なす峽も冬至りては馬の渡れる結氷となりて可能たりと曰ふ。さればウデゲ族の古老の曰ふは眞なり。

六、

夕づけの旅ゆきに宿隔つれば、心は野宿と決めて、あたりにこゝぞとなりき露忍ぶ處を一宇の草堂ありて、脚留どむ。先宿より持参ありき餘食のにぎりめし、火處に火焚きて、塩を肴に夕食す。

春なれば、蚊のなやみ是れなく、夜明くるを早々に旅立つは、みちのく路なり。岩手山麓在に、澁民の貧邑ありて、稗三升を買ひたる農屋の老婆に、此の地の古になる由来を聞取り、刻を昼に盡して長話と相成れり。

その由は、岩手山とは荒覇吐神の山とぞ曰ふ由来なり。此の地より姿よき山あり、これぞ姫神山と曰ふなり。依て、岩手の山ぞ男神と奉りぬ。古話あり、老婆の曰く。

岩手の山は、西も東も黄金の産ずる山々を從ひて、湯湧き處を當なむるなり。古来より湯湧く處になりき跡ぞ、湧き湯ぞ絶ゆとも、その地層に黄金を遺すと曰ふなり。岩手山に連らなむ嶺々に金のただら今に盛んたるあり。安倍一族、丑寅日本国の神とて、岩手山の頂に荒覇吐神を祀りき。以来、黄金各處に産鑛ありて、国富めり。

安倍国東と曰ふ大王の継君日本將軍と相成り、和賀岳より鹿角岳に至る金山六十ヶ處を秘山とし、その産金を得たり。是、みな荒覇吐神なる導きとて、岩手山登山参詣來迎に、その信仰しきりたり。

話、ようやく聞書に、昼を過すにして、いとまいでしに、禮、一朱を老婆に施しぬ。道辺にかげろう燃ゆが如く、草いきれ鼻を突く。その夕は、空、灰色とばりて雨とならむ。道に暗きに至る春の日長に、六ツを過ぎにして、ようやく二戸に至り、小笠はたごに宿りぬ。

客、六人同宿し、いづれ東日流の人達らとて、明日は道中同じうせる鹿角への旅なりき。我が旅は東日流に入りせば終りぬ。

さながら諸国を巡りて書綴る百八巻にて了れるに、未だ至らぬ里ぞありきも、既に三十年の歳月、道中旅暮したり。省りみれば、永くもあり、短くもありぬ。

丑寅日本国史の事は能く記に遺すを得たるは、我もまた満足たりぬ。

日記より。

七、

旅の景、筆執り写すも、画の心得なければ紙面に著すこと難し、まして、墨一色なれば猶のことなり。名もなき山渓に入りて見付くる秋の紅葉も、價千金の絶景あり。なかんずく丑寅日本国の西海浜、東海浜、山脈、山渓。人の工築なきはまったく幸いなり。

天然の造景ほど、人の及ばざる壮大さ、風雨に、水波に、そして年月に彫刻さるゝ自然の創造こそ、二つ無き美なり。まして、余の旅は、尋跡の旅なれば諸国の景に見取らるゝなり。

はるか先の世に死せる者になる墓の苔むせる程に、草むす程に、土に埋むる程に、自然に歸りなん。美しきを見ゆは、我れのみか、今こそ石塔山に見ゆかしむ安倍氏重代の陵、今、外浜に湧く霧に繁るあすなろの香に苔に草に、土に埋む古陵のほどに、天照らす北極星の不動なるを、天然の美に無上たるは、はるか宇宙の星間に美を見ゆこそ、類なき大天然と覚えたり。

旅の數々に見つ来たる諸国に心なく、此の地にぞありぬ。

日記より。

八、

久しくして黑龍の流れに降る船に乗りて、故郷へと心ぞおどりぬ。山靼の旅はさるほどに久しく、年月を経て、吾が年歳をも重ねたり。頭髪霜に満つ異土の語言しきりに混話せるを、今更にその歳月の永きを旅にかきくらせり。

水に渡り、陸に歩き、果なき地平の砂漠にさまよひてたどるカナアトの水も、今は生命ある己が身の今にあるを覚つなり。砂漠にて人とあふるはまれなり。それぞ商隊なり。商隊何れの者とて、旅に難あるを救ふるは掟なり。

月の美しきは砂漠ならではの青さにして、神々しきなり。夏の暑さを避けて、夜、旅する商隊、砂嵐に急設せるゲール、常に北極星に計る定木にて途あやまるなし。商にこそ、人の種を問はざるなり。亦、国を境に通れざるなし。まさに空を渡る鳥の如く、死すともそこなるは墓なり。

人の渡りかくなれば、その信仰なる神も各々異なるとも、荒覇吐神の墓にありきは、吾等シュメールにて知りぬ。信仰になる神の肇めは、宇宙にして、人を世に産ましむ大地と大海に神を相に造り、名に造るとも、その哲理は皆同じなり。

九、

安東一族とは、もとなる大祖は、阿毎氏にして耶靡堆の大王たり。故地は加州犀川の三輪山にして、倭の蘇我郷に移り、地の豪族を降し、耶靡堆大王とて君臨せり。

地の箸香山を三輪山と稱し、耶靡堆大王とて、倭国の地に群ぐる王族を從ひて成せる大王たり。その次代たるに二子ありて、長子を三輪山に、次子を胆駒山に知行を委ねたり。時に築紫に一統せる佐怒王ありて、玆に山陰、山陽、南海道、の諸氏族と勢を併せ東征し、来襲しけるを難波の堀江に向ひ討けるは、胆駒山富雄郡白谷にありき長髄彦王、是れ撃退せしむ。然るに、執拗にもこの勢、東に熊野よりその背後に狹討を画策し、三年の戦を以て遂には此の国を征伐を叶へたり。

安日彦王、耶靡堆を東に落ち行きたり。坂東より東北に大挙して遁ぐるが如く落忍びたり。安日彦王、地の住民と併せて、玆に丑寅日本国を肇国したりと、語部録に記ありぬ。是れ丑寅日本国の創めなりとも曰ふ。

然るに、丑寅日本国は、その以前に以て、渡島族、宇曽利族、東日流族とて阿曽部族、津保化族、麁族、熟族らの先住の民は、既にしてそれぞれに国を創り居りたり、と曰ふなり。古歌に曰く。

〽国榮ゆ 東の北の 民四ぞく
 わが日の本の 王つ造りて

十、

東日流大里、岩木山の靈峯を中央に三方に海をなす幸ある国とて、人の古き世に山靼より人祖の渡来あり。その子孫集ひて国を肇め、王を立て、賊ありせば是を討ちてしやまむ。民飢ゆあらば、是れに當りて相互の救済に人命を一義に、民を新天地に移しめ安住を先とせり。

ましてや、丑寅日本国の地は、飢えを忍ぶる海幸あり、命脈ありせば、いつしか立命の地を開くとて、古来より阿蘇辺族、津保化族、麁族、熟族、のいづれかの地に民移り、また住居にあるとも、これを因にして爭ふる事、露もなかりき。

丑寅の民は、かく睦みありてこそ代々に命脈を保ち来たりぬ。飢ある年に備へてぞ、常に保食の郷藏ありその急を救済、能く渡れり。山海常にして人の生々に継ぐる幸ありて、不断に保存の糧を保つぬ。干物はかくして作られたる智慧になせる民の習ひたり。飢ありせば一汁のものさえ相分つは、古来よりの睦みたり。

丑寅日本国大王第一世安日彦王が肇国以来、人命の尊重を一義に民一人とて軽んぜず、凶作、飢饉に、亦は侵略の敵に兵挙せる戦にも、利ありて進軍し、利非らずしては退くと曰ふ戦法たり。依て、北斗や山靼の地に、その安住地を事の前に地理を知りて、民の安泰を常に備ひて憂あるべからずと、渡島、千島、及び樺太との住民と睦みたり。

倭国の如く民を下敷きて国勢とせるはなかりけり。死を以て国を護る先に以て、人命の避難を先とせるは国治の基たり。

人命ありてこそ国を復し、侵魔の輩に報復の叶ふありとて、民との睦みを常に欠かざるこそ、丑寅日本国代々に成りませる政の誠たり。

十一、

古来より丑寅の地を忌み、住み人を夷衆とて、人の種を異にせし倭人の史になるを讀むる限りに、丑寅は倭国の鬼門に當れる忌むる地とて、住むる民をまつろはざる蝦夷とて記逑あり、永きに渡りて民に説き、国賊意識に洗腦せしめ来たりぬ。

征夷大將軍とて、無上の賜位を軍を司る將に賜るは、倭の大王がなせる代々の治勢にて、今も保たれり。かくある限り丑寅日本国は、遺恨久遠に遺す報復の機に幾千年に過しとも子孫に遺り傳ふる一義の要を欠くことなかりける。

人の種、国の連らね、海の連らねを同じうして、是の如く對せる倭宮の謀事こそ、僞にぞ作れる古事記や日本書紀なり。彼の書中にある如きは、世に無かりける非実にして、夢幻空想の書程なり。

抑々、歴史の要は世にある事の実を以て記すこそよけれ。如何に故事の史実丑寅に在りきを消滅せんも、永遠に葬り去るは難く、実證は必ず顯はるゝなり。是れ、報復の軍挙に非らず、民心なり。

王ありとて民、是に從がはざれば、王に非らず、漂浪民なり。史を造るとも実證に敗り難し、その世遠からず民の意にまかり通る世とならむも、近からんや、今にぞ必ならず至るなり。

心して荒覇吐神に安らぎなき現世の窮りを断固として討破り、民に安らぎある安心立命の国たる国造り、人造りに祈りあるべし。もとより日本国は丑寅なる国號なりき。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku