北鑑 第十六巻


(明治写本)

戒言

此の書は他見に無用、門外不出。断固と護るべし。

寛政六年七月一日
土崎住
秋田孝季

一、

北斗の星・北極星を廻る大宇宙を仰ぐ丑寅日本國の太古にまつはる古事を證すは語部録なり。文字七種に以て綴られたる古典なり。宇宙の肇國の肇を山靼諸傳に併せて記しおけるものなり。地語にして是をツルシとぞ稱しぬ。北斗の民を大区して稱すは東日流の阿蘇部族・宇曽利の津保化族・渡島以北をクリル族・閉伊の麁族・羽州の熟族・坂東の速族・越の比畔族に古代は國を縄張りたり。國主をオテナ、長老をエカシとて民の統師たり。是ら民族の祖は何れも山靼渡来民にして、人祖と相通じて傳稱せり。山靼とは亞細亞にて、その域は紅毛人國までも達しその留る處を波紫と曰ふなり。波紫とはオリエントにしてアルタイ・トルコ・ギリシア・メソポタミア・エジプト・ペルシア・エスライルを總稱す。

人の先進せるはこの地より起り、古代有史の跡證を今に遺せり。民族先進のありては侵略を以て戦の攻防常に生じ、その難を安住地に求めて脱走し亞細亞に廣く定着す。吾が丑寅日本國へ渡来せるは常にして、定着せる多種族にして各々住分せしは先に逑べたるが如く渡島より坂東に至るまでの民族たるも、歳降る毎に混血し荒覇吐族とて肇國す。時に支那晋の群公子一族流着し、耶靡堆より阿毎氏なる一族大挙に北落しけるに依りて、地民族のオテナ・エカシの集議あり。安日彦王を國主と定めその補王とて長髄彦を選抜せり。渡島より坂東に至るを日本國と國號し、東北より日髙中央を日髙見、西南を日辺と稱せり。卽ち渡島より坂東までの三区になるを曰ふ。

二、

ほとゝぎす梢えに啼くを聞く中山の残雪解けにける初夏に山道を歩むれば、斜陽の道草にかげろふ燃ゆるが如く、草いきれ香ぐはしむ。古跡ありとて梵珠山に登りては、白髪の翁と岩もる清水の湧きける泉に休息せしに遭遇し、往古なる古跡の由来を訊ぬれば翁、心よく答へたり。此の山の正名は正中山と稱し、古寺ありて梵場寺ありけると曰ふ。山霞漂ふあたりを指差して見ゆ。あたり一宇の草堂あり。方丈より少かに横二間に廣き建物ありて、古より幾度か建替られたりと翁の言なり。

何人の開山なるや知るべくもなく、翁の拝唱にありきは南無金剛不壊摩訶如来、南無金剛藏王權現、南無法喜大菩薩の稱名ありければ、佛道たらしむるも異宗たり。依て稱名の由を尋ぬれば、翁力みて役小角仙人とぞ曰ふ。此の山に連峯なせるは笹山・魔神山・魔岳・坪毛山・石塔と、山また山の連峯。外濱に湧ける霧に大森林帯をなせる中山たり。昼尚暗き樹枝は天空を幽閉し鳥獸を驚かすものなし。山道は濠の如く苔草に踏む。まさに深山幽谷を縫ふが如く林道峯々に續くる果は、中山千坊を尚十三千坊に續く靈山の相なり。

〽何事の
  おはしますかは
   知らねども
  忝けなさに
   涙こぼるゝ

西行法師が外濱より此の山に入りて詠みけるを、我いまひしと靈感せり。

三、

とこしえに謎のまゝなると諦らむる東日流の古事に、陽光に明白たる實史を知らしむるは語部録たり。古代當代に記されきものなれば、後作なる史書の信じるに足らん。我は秋田なる物部氏よりの古書なるにも心動ぜざるも、語部録に讀みて古史明々白々たり。東日流起りき古代王國の史實あり。その歴跡の眠れる聖地の實在あり。幾千年の苔に埋りける古事のありかを巡脚して尚自心に得たり。

蒼々たる上磯の海辺に大森林鬱蒼たる中山の歴跡に苔むす石塔の遺跡。尚外濱辺王居の都跡なるは、地を三尺掘りて出づる古器のかしこに層なせるあり。古人の住みあとぞ知りにけり。何事も語部録をしるべに幾千年の古事を我自身に見當たるは悦ばしき哉。亦、阿闍羅の郷。大根子なる稻作。鼻輪の郷なる稻田。三輪の石神。何れも語部録のツルシなり。

四、

東日流上磯に宇鐡と曰す處あり。太古に山靼の渡人の住居せし處と傳ふ。宇鐡より外濱を湾岸に大濱には奥内なる飛鳥・後泻なる古宮・羊蹄澤なる耶馬臺城あり。北極星に築城せし隠城なり。大濱三内に至りては、東日流王都あり。幾千年に渡る古都ありと代々の長老の傳ふるところなり。また語部録にても明白なり。何事も秘なるは石塔山なる聖地なり。肇國宣布・國主卽位の聖地なりせば人の踏入りを赦さず。魔神山・魔岳と名付くはその故なりと曰ふ。此の坐より眺望せば、西海・外濱更に東海に望む景勝たり。大巌にて塔を築き荒覇吐神社とて今に遺るゝも、通常人跡未踏にして入峯を禁ぜる處なり。代々安倍氏に護らる處にして大光院の管する秘境たり。天正以来、和田家を以て是を守役とせしは、今に續く聖地の管理なり。

五、東日流選歌集

〽なにくねる
  見る度ごとに
   うつる夢
 まだ夜をこめて
  夢をあやなす

〽吹く風に
  袖さえまさる
   うたてやな
 春や通らし
  山吹は散る

〽よしありて
  心も空に
   うつせみの
 音を泣きさし
  かひも渚に

〽かげろうの
  道芝踏て
   夕づく日
 とゞろとゞろに
  霞たなびき

〽阿闍羅は
  天狗だふしの
   嵐吹く
 平賀の里も
  人にまみえず

長歌

〽われをして
  空恐ろしき
   六道の
 輪廻に脱がる
  すべも無き
 たゞうつせみの
  風に委せて

施頭

〽秋しすき
  しば啼く蟲の
   霜除く住家
 わくらはに
  山賤の吾も
   身の程同じ

混本

〽門もなく
  捨草積る
 藁ぶきの
  我が郷恋し

〽返らぬは
  もとの水なき
   うつらふて
 汲む心もと
  事もおろそか

〽かなぐりて
  泣けどわめけど
   亡き父母は
 聲もあやなす
   幻しもなき

〽野もせにも
  心なくれそ
   咲く花の
 こぶしまんさく
   今を盛りに

〽ほのぼのと
  朝日の昇る
   藁の里
 ふりにし代々の
  陸奥は日之本

〽花くたし
  袂の露
   手の舞に
 乙女のしぐさ
  憂かれなかりき

〽牛の荷を
  えいさらえいさ
   坂登る
 戦の常の
  糧をつらねて

〽あだ夢に
  汗にて覚むる
   夜半の床
 燈りともして
  はたねもやらず

〽ゆうつけに
  おっとり込めて
   たつ敵の
 暗に虎伏す
  かけずたまらず

〽岩木川
  身を捨舟に
   水藻草
 かゝる憂目に
  身の果さらに

〽露しげき
  秋も憂からぬ
   かしづく子
 神のしめゆふ
  来る年の矢に

〽昔より
  天の鳥船
   飛ぶといふ
 肩に満月
  雲の山越ゆ

〽道せばき
  影も映らず
   吾が家への
 いしくも今は
  忍ぶもちづり

〽七夕の
  ほの見ゆ空に
   天の川
 牽牛織女
  夜に渉りて

〽中山の
  光をかぎる
   降るあか
 何れの靈火たま
  夏の夜更けに

〽指す引くも
  神舞ふ巫女の
   神鈴は
 人の心に
  あらはゞき神

〽しをり逝く
  花の命は
   みづかくて
 春を惜しむる
  ものは悲しや

〽わりなくも
  忍び忍びに
   みちのくの
 身の置きどころ
  山にぞかはり

〽鎌倉に
  和田の小太郎
   恨み死す
 屍は今も
  中山に在り

〽恋ひわびて
  露もたまらん
   荒野原
 雲雀なく聲
  えいじもおどる

〽おことには
  海こそ命
   ありどころ
 安東船の
  世海浪征く

〽かたしきに
  裳裾をはへて
   神垣乃
 串木を採りぬ
  巫女は愛しき

〽散々に
  思ひ白雲
   流る空
 北に國さし
  常すさましく

〽まさうずる
  瞋恚の焔
   柵なめて
 落逝く舘の
  十三の湊は

〽藤崎は
  安東武家に
   起立つて
 大里拓き
  安倍を復せむ

六、

吾は記行の毎に丑寅日本國の古代實史を逑べ来たるも、公史の一行にも東北史は記を書遺るなし。公に採用さるは、神代を實史とし天皇を萬世一系とせる記行によろしく、吾が國を蝦夷とて自からを認むるを學推とせり。然るに是は自ら奥州を賤民とし眞なる日本國を倭國に賣國せる行為にて、死すとも同意に抗すは人道なり。何故以て蝦夷とて祖来の國土を皇化に従せんや。

もとより日本國は此の國なるを、化外の蝦夷地とて吾等は蝦夷の名にて皇化に復従せる義ありや。大祖より吾等の祖来一度びとて倭を侵犯せるなかりきも、田道の將是を破り坂東の安倍川境を侵略し、日本國に討物以て猛進せるも、伊治の水門にて奥州一族挙げたる應戦に敗れ、田道將軍討死せり。その首級は日髙見河なる迫にさらされたりと曰ふ。従卆の者一人だに襲戦に残るなく皆滅せるは、古代戦法なる山靼傳統の戦法勝利たり。

七、

奥州東日流中山の魔岳麓・石塔山荒覇吐神社の由来に付き、その史を遡りて尋ぬれば、その古き事六千年なんなんと脈す。人祖、山靼より此の地に渡り民族住民の祖となり、その信仰になる荒覇吐神を此の地に選びて聖地となし、石神を築きて崇拝す。爾来、幾千に渉り神祀の聖地とて、聖域とし秘行の場たり。國主の神祀ある他、何者も入峯を赦さず。庶民の人踏なく、唯神祀りの密行道場とて今上に至るなり。古くは津保化族のイシカホノリガコカムイの三神を鎭ませる聖地たるに、安日彦王日本國とて丑寅の國を肇國し、此の聖地に國主とて卽位せし處と相成り、かく禁断の秘境に代々を護持し来たる處なりき。安日彦より代々をしてその直系たる安倍氏に代々し、安東・秋田氏に世襲對應の姓を改ひて此の秘境を世襲に當つるなく、その守護を和田氏に委ねたるは嘉吉三年よりの事なり。

和田氏、飯積の地に移り来て宗家をして神職の儀を奉り、累代に是を守護し奉りたり。石塔山荒覇吐神社の掟とて衆を集むる祭祀なく、また大社殿も造らず。地下洞を以て神殿とし、その秘は世に知れるなし。安倍氏継主の墓ぞ此の地に秘めたる遺物、代々の大寳を保存す。東方に大濱三内、西方に神丘、南方に三輪、北方に十三湊の聖地をなせる中央宮とて、石塔山に集ふはエカシ耳たりと曰ふ。大寶辛丑の年、耶靡堆葛城上郡茅原郷の住人・役小角と曰す者、十一人の門弟倶に来り、此の地にて本地尊・金剛不壊摩訶如来を、金剛藏王權現の本地とて感得せしより、留りて此の山に入滅す。爾来、門弟の者は飯積の地に大光院を建立し、此の聖地を奥院・密行道場とて法報應の三身卽一身道場、金剛界・胎藏界の秘行三昧を代々に保つ来たる處なり。安倍氏より安東氏・秋田氏と世襲に姓を改ふれども、代々累代に護持し奉れるも、安東氏の東日流放棄以来、和田氏に委ねられたり。依て、和田氏是を代々にして保護し奉り、今上に至りぬ。

八、

古き代に古代シュメールに似せて、民群じて暮すあり。海を近く山を背に、その住家をより集む。我丑寅日本國の幾千人に越ゆる都たり。國主を髙殿に、部の民の集むる處ぞ大濱にして合浦外濱なる西山麓なり。近辺に集合部落多くして、舟にて集ふる換物市に各々商ふる泰平の永く續きたるは、ポロコタンとて大濱三内・入内・奥内・平内にて何れも人住多く集ふる處たり。民族何れも津保化族にして、そのオテナ主ヌカンヌップを祖先とし、宇曽利エカシ・糠部エカシ・阿闍羅エカシ・奥法エカシ・璤瑠澗エカシ・宇鐡エカシ・三輪エカシ・大根子エカシらにしてその民を統治せりと曰ふなり。語部録に曰く、
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是く記ありぬれば、その史實明白なり。信仰あり。イシカホノリガコカムイなり。

土形十字に顔面なしける像にして、素焼なる神像の創めなり。

九、

古代東日流・宇曽利と倶に人住みの集いし處なり。山靼より人住なき此の國に渡り来たるはカシムとツムリと稱せる人祖たり。山靼に候の異り、大地は黄土に降冠し山川をも埋む程に飛土は草木を枯らしめたるに、鳥獸群をなして永海を渡り、此の國に渡り来たり。依て飢ふる民もその鳥獣の移りき跡を追ふて、人また移り来たりと曰ふは山靼長老の諸氏の曰ふ處なり。海は追日に陸侵し、川に水溢れて大河となりて流れ、淨けくなりけるなり。對岸に望む河面海の如く遠眺せるに、川辺の草木鬱蒼たり。久しくして黄土の嵐治まりて、黄土の平原に人住み、鳥獣群ずるに至るは幾千年の年月たりと曰ふ。

山靼の地、亞細亞と申し住むる部族の數多くも各々流通し、その幸を商ふたり。一年の候よき七月。民族集ふありて、是をクリルタイと曰ふなり。ナアダムとは祭りにて亞細亞諸民族が集ふ大祭にて、モンゴル及びアルタイに催さるものにて、物交の市も盛んたり。世降りては西山靼に戦起り、難を脱して東北に移る民多くその分布、極北にも人跡を遺せり。大陸は風土にても候を異ならしめ、人住多く集いては戦の常なる兆を人心にかこたしむなり。亞細亞の盡きる波紫の國・トルコ・ギリシア・ペルシア・シュメール・エスライル・エジプトになる國、今に遺る遺跡の多く、何處もその興亡甚々しきなり。依て國を安住の地に求めて脱する處。山靼の北東に、または天竺・支那に定着し、その名残り跡を今に遺しぬ。吾が國にも至る多し。

十、

支那にては饕餮。エジプトにてはスフェンクス・アヌピス・ホルス。ギリシアにてはグリフェンなど、鳥や獣を神とせる多し。信仰にて成れる、世になき変化のものを神とし、神像に於ても多手多面の像に造り神とせるは、その信仰に拝對のものを衆に説くは、吾が國に八宗をなせる佛教にてもその傳道に従信せる多し。人心を信仰に引導せる、その世にあらざるものを説くは邪道たりと曰ふは、人をして信心によりけるなり。支那にては龍を多採に用いきも、世に實せし生物に非らず。常にして是を諸事に用ふるなり。とかく宗教の何れにも、世に無けるを造りて人心をその威力全能の神とて用ふるは、人心の怪奇に望む弱きの故なり。人間をして靈と曰ふ障あるを、信仰に依る法力にて是を除靈とせるは、人間をして何事も迷信なり。迷信ほど信仰に於て心に除かざれば尚とゞまることぞなく迷信ぞはびこるなり。

信仰は生々のためにあり、死後にぞ無用なり。荒覇吐神信仰とは、生々の為に己れの身心に惡性を除き、死に至りても心轉倒せざる安心立命に心置くに大要す。徒らに生命の絶ゆを怖れ、外道の迷信に赴くものは、心救はれざる輩なり。心せよ、死して極樂地獄のあるべからず。その因習を以て教へとせるは外道なり。抑々山なせる墳墓を造りて葬らるも、何事の果報もなし。たゞ生きてあるこそ信仰なり。心を正しく信仰に置き、その誠を人の造れる迦藍や古佛像を拝して惑ふべからず。断固として己が道をゆくべし。役小角曰く、人間百歳を望みて達すとも、過ぎにしてはもとの木阿弥なり。心身若きに歸らず。流るゝ水・空なる風雲にさえもとなるに非らず。同じく見ゆ耳なり。願はくば、一刻の光陰も空しく渡るべからずと戒しむ。時なるはただ過却にあり。時に當る生々萬物、運命なる生死あり。信仰に己れ耳不滅の救済、非ざる者なり。能く不断の心身に生死眞理法則に基くべしと。

十一、

諸行無常是生滅法生滅滅為寂滅為樂と曰すは、佛法なる無上の理りなり。役小角の曰すは、生死輪廻會者定離不脱命運也生老病死四苦唯覚諦以身心行悟可と常に曰したりと傳ふ。役小角の通稱は行者と曰ふも、獨自の感得たる金剛不壊摩訶如来、金剛藏王權現を本地垂地とし、法喜菩薩を以て金剛界・胎藏界の理趣と解けり。また求道の者をして老若男女を問はず。来る去るをも自在として、自から法行を修験して衆に説きぬ。その行は苦行にして、自からを戒むる行道にして、成行せる者は菩薩たりとて、自力本願を以て成道とし、他力本願にて成道は非ずと曰ひり。役小角の感得せし如来・權現・菩薩は佛法旣傳に存在せざるものにして、衆をその行道に引導せり。依て小角、伊豆に流罪の憂ありきも、身より魂を脱して諸國に己が引導を以て衆生を救済せりと曰ふ。神通全能に達せし役小角。かゝる神通力自在たれば、己れを僧とせず有髪の優婆塞とて知れり。役小角が諸國山岳に自からも試用し、薬草を以て人の病を癒したりと曰ふ。

山川海採草藥抄

海濱食草
ツワブキ、アシタバ、ハマボウフ、ツルナ、オカヒジキ、ハマタイコン、ハマエンドウ、アサツキ
山岳食草
シヤク、クサソテツ、タチシオデ、イラクサ、モミジガサ、ハンゴンソウ、ギョウジャニンニク、ゼンマイ、ヤマボクチ、ギボウシ、アマドコロ、ニリンソウ、ウド、ハリギリ、ユキザサ、姫竹ノ子、コシアブラ、フキショウマ、イワタバコ、アザミ、ウワバミソウ、イワガラミ、ツリガネ、ヤマユリ、ウバユリ、サイシン、ソバナ、オケラ、キジカクシ、カスミソウ
沼辺食草
ジュンサイ、ヒシ、クワイ、ワサビ、バイカカモ、サンショウバ、ミヅワタリ、カモガラミ、セリ、トトギ
夏秋採實
ヤマブドウ、サルナシ、マタタビ、クリ、オニクルミ、イチイ、カヤ、ヤマボウシ、ウワミズサクラ、ガマズミ、ナナカマド、ブナ、カンコウラン、トチ、ドングリ、クロマメノキ、ツノハシバミ、コケモモ、クワ、スタジイ、ハマナス、サンショウ、アケビ、グミ、クサボウケ、スグリ、マルメロ、ギンナン、クコ、イヌビワ、ヤマモモ、イヌマキ、ウグイスカヅラ、キイチゴ
藥湯草
ハトムギ、ハマナス、エビスグサ、ハツカ、イカリソウ、ドクダミ、ゲンノショウコ、カワラケツメイ、カワラヨモギ、アマチャヅル、センブリ、百藥草
毒草
トリカブト、オキナグサ、フクジュソウ、スズラン、ミズバショウ、ハシリドコロ、オオゼリ、トウダイクサ、キツネボタン、タケニグサ、ウツギ、ヒヨトリジョウコ、クサオウ、ヒガンバナ、ホウチヤクソウ、バイケイソウ
役小角秘傳藥草木
ニガキ、キハダ、トリコシバ、ナヨタケ、山靼人參、萬年草、耳タケ、イタヤ汁、ニケウ汁、檜油、ナメクジ、サンショウオ、ジネンジョウ、牛鹿角、熊膽、猿脳、コンブ、ワカメ、ホヤ、ウニ、藻焼灰、山ベト、野菊、百合根、鮫油、馬牛油、オウバコ、ハコベ、ミミズ、アワビ

右、以て調合造藥の藥材なり。石塔山小角秘傳、是の如く今に遺りぬ。

十二、みちのく長歌集

〽天の雲
 山賤の小屋を
 降り閉す
 立つこむなかに
 螢火の
 夏の盛りに
 今をかぎりと

〽立ち渡る
 風もくれゆく
 中山の
 まだき時雨に
 雨宿り
 いづくはあれど
 樹下に足留む

〽老隠る
 こもる心は
 下り月
 夢かうつゝか
 たまさかに
 峯の嵐や
 朝立つ添ふる

〽あらあらと
 散らぬ先にと
 たばかつて
  誰に問はまし
 木がくれの
  吾がかけよかし
 末はありける

〽苦しみの
  人界わずか
 心して
  よみぢの川の
 逝く果は
  常世の國と
  我は祈りつ

〽松風に
 足音忍び
 ひをり日の
  春に心を
 色めくも
  忍ぶ今宵の
  花は散り逝く

〽はし花は
  泥を出でこそ
 美くしく
  佛のうてな
 淨土にも
  咲き満つ香る
  花のかんばせ

〽むらさきの
  天つ雲さえ
 宵闇に
  明りなくして
 見えざらめ
  人は白玉
  目路もなかりき

〽われからの
  通ひ馴れたる
 空ざまに
  つれづれもなき
 かづくあり
  世にある様の
  心あらめや

〽神をして
  げにや祈りつ
 みちのくの
  荒覇吐神
 かけまくも
  實相無漏ゆひ
  代々に遺りき

右、長歌は五七調を重ね、後行を五七七にの句にて結びたる歌體。

十三、みちのく旋頭歌集

〽安日山の
  地祖を祀りき
  四方の湯湧きぞ
 惠みあり
  山幸黄金
  神は与ひむ

〽神さびて
  月のあきなる
  和賀の峯々
 みなながら
  雲にかゝるゝ
  清水走りぬ

〽あかざりし
  松島景色
  浦漕ぎ渡り
 舟宴げ
  海を肴に
  めぐる島々

〽春雨の
  けぶる北上
  衣川舘
 落合の
  水を渡るゝ
  平泉濠り

〽竿さばき
  川面に映す
  船頭唄に
 魚添ぶ
  阿武隈川の
  むかしながらに

〽すじしめの
  白神山に
  能奉まつる
 宵祭り
  陸奥はみやびの
  かゞり燃えつる

〽うちかづき
  返すや夢の
  束帯結ふ
 藤やどる
  松の古巢に
  山鳩の聲

〽仙北の
  生保内おばこ
  想へば猶も
 恋しきに
  咲き散る華を
  心覚ひず

〽あらはゞき
  同じかざしの
  神に人とは
 一つ世の
  何かつゝまん
  萌え出でそめし

〽ふり逝くは
  陸奥羽の歴史
  かなぐり捨てつ
 忍び遺字
  末に秘密の
  ものは悲しや

十四、みちのく混本歌集

〽世に罪を
  遺さぬものは
 あるまずく
  事もおろかや

〽朽しまず
  ゆかり大事に
 みちのくの
  歴史栄あれ

〽思ひ立つ
  思はぬ人を
 座に直り
  わが神いづく

〽とこしなへ
  月待つ程の
 折り取らる
  うしろめたくや

〽丑寅を
  見る目も輕き
 倭のものの
  果は崩れむ

〽恨めしき
  陸奥の歴史は
   行くへをも
  心のこりて

〽かひなくも
  五種神寳
 末までの
  たゞありかひに

〽うゝつなき
  仇なすものは
 打ち覚めて
  今は片しく

〽しのゝめの
  月は待つらん
 雲は連れんと
  いふならく

〽山やらん
  奥衣川
 せきあへぬ
  栗駒定か

右何れもよみ人しらず遺る歌なり。

十五、

坂東より東北に位地せる國を丑寅の國と曰ふして、古来まつろはぬ化外地の蝦夷とて、永くその有史を断たれたる吾等が祖國の傳統までも朝幕の制に圧せられ、再起の發芽をも断来りぬ。抑々此の丑寅日本國は倭の史をはるけく遡りて肇國せし王土なり。サガリイ・千島・渡島・東日流・宇曽利・火内・仙北・庄内・閉伊・宮澤・吹島・會津・越・坂東に至る治領の境、安倍川より糸魚川地峽より丑寅になる國を日本國と曰ふ。日本國肇國の由は安日彦を以て一世とし、東日流石塔山イシカホノリガコカムイの聖地にて立君せり。正王・副王・郡主を各地に配したるは、支那晋の流民の王政に模したる禮に習ふるものなりと曰ふなり。語部に曰ふところによりければ、丑寅日本國は五王を以て統治すと曰ふ。その由は國中央に大王と副王あり。國領の東西南北に四王を配し大王の統治を補し能く治政せり。安日彦大王のときより二千三百年なり。

十六、

春日山郷には和珥大王。石上山の物部大王。三輪山に耶靡堆大王。耳成山の大伴大王。天香久山に蘇我大王。畝傍山には巨勢大王。二上山の葛城大王。三郷山の平群大王。膽駒山なる阿毎大王。九度山なる中臣大王。大山な津守大王らをして倭國は古代を連ねたり。大王の政に伴造・臣・連・部民・奴婢をして統治しけるに、吾が丑寅の國にては安倍大王の一統にあり。山靼・柔然・吐谷渾までに往来す。依てその王居も轉じ、東日流より鹿角・糠部・閉伊・飽田・宮澤・庄内・吹島・越・坂東へと移りたり。丑寅日本國大王は代々にして荒覇吐大王・日本將軍・安東大將とて稱し、その威を以て山靼諸國にはべりぬ。倭國にして大王一統成れるは、代々降りて越よりまかりき、世に継體天皇と傳ふる大王より倭國は一統の兆ありぬと曰ふなり。

是の如く明細あるは、倭の國記及び天皇記なり。天皇と曰ふは大王にして倭を一統せし後、南西に百八十國を併せし一統にて果せるも、常にして攻防治まらず。その遠征常たり。依て王威の連立・國併のもとに残りきは天皇氏たり。日本國と曰ふ聞え、北魏・宋の南北朝に髙ければ、加羅・百済・新羅と往来せる倭國大王は坂東に侵領を企てたるも、丑寅日本國にては髙句麗との往来あり。その報を得てより坂東に防人を固めて、越の糸魚川より安倍川に至る東西境を護りたるに、倭の丑寅日本國への侵略ぞ果しこと叶はざりき。倭に東征の記あるは、あるべくもなき作傳にして後世なる律令の至るゝはなかりき。世に大化改新を以て云々は祐筆の造事なり。

十七、陸奥選歌集

〽世の中を
  燭に背けて
   かきくらし
 鳥や瀬音と
  峯の嵐と

〽惜まじな
  さやかうつゝは
   なかりけり
 非常草木
  一塵法界

〽露しげき
  山の深草
   踏み分けて
 さして登るは
  荒覇吐宮

〽時を得て
  山みな染むる
   くれなひに
 秋の山路も
  落葉にしきに

〽片富士の
  岩手の山は
   初雪も
 朝日にきわむ
  鏡み山かな

〽鳴る鐘の
  水を渡るゝ
   櫻川
 柳の舘の
  萩は散り逝く

〽栗駒の
  雪解の水は
   衣川
 春の至るを
  ぬるみて告る

〽姫神の
  香葉の裾を
   眺むれば
 巌立つ峯の
  神は女神と

〽千早振る
  はやちね山の
   石神を
 遠野に問へば
  續き石藏

〽七時雨
  山のかせきに
   越え行かば
 鐘は鳴る鳴る
  淨法寺かな

〽神降る
  黒又山の
   巌神に
 うつゝに見るは
  われのみならず

〽ましらをの
  賭にしものは
   衣川
  命を楯と
   賭けずたまらず

〽天こがす
  燃えつる舘の
   厨川
 落つて芽を吹く
  東日流大里

〽かたことも
  忘るゝ勿れ
   日之本の
 國はありける
  安倍の故郷

〽吾からに
  越ゆる髙畑
   鍋越の
 むかしの城の
  安日の柵趾

〽おとゞには
  かけまく社も
   敵に落つ
 猶かりがねの
  名久井颪に

〽わが里は
  遠野にありて
   河童淵
 昔語りの
  跡も遺りぬ

〽うらぶれて
  月をかりねの
   草枕
 松の雫に
  朝を覚つぬ

〽和賀山の
  古跡は隠る
   山村の
 炊焚く煙り
  朝なたなびく

〽そよ風に
  われさまされて
   起つ夜の
 蛙鳴く音に
  また寝もやらず

〽うたかたは
  あらはれ消えつ
   あくり川
 昔なごりの
  瀬音耳打つ

〽かげろふの
  燃ゆる旅添ふ
   奥州路
 このもかのもに
  田植見ゆかし

〽忘れまず
  厨の流れ
   絶えねども
 逝きにし水は
  手にくみがたし

〽つばくらは
  人を怖れず
   屋内に
 泥巢を造り
  陸奥の村里

〽春またで
  雪に花咲く
   猫柳
 北上川の
  春遠からず

〽啼きくらす
  山ほととぎす
   郭公の
 ねぐら異なる
  春なさやけく

〽夏さびて
  水無川の
   留り水
 おたまじゃくしの
  巢立つ巢となり

〽かわせみの
  水に羽根打つ
   夏日和
 空に輪をかく
  鳶のまぶしき

〽仙岩の
  峠涼しき
   夏の旅
 駒岳颪
  風をぬるめて

〽山田湾
  小島ふたつに
   物語る
 海の神なる
  しずしめの跡

〽わだつみの
  岸打つ波は
   淀みつる
 淨土が濱の
  朝日拝むる

〽たゞ美しく
  岩立つ楓
   秋染むる
 くれなひにしき
  今を盛りに

〽みあぐれば
  いわほの崖に
   咲くつつじ
 手にとりがたく
  猶美しき

〽藁屋根の
  草むすわが家
   昔より
 住みにし今も
  我はあきなく

〽蟬しぐれ
  夏の盛りに
   杣仕事
 岩湧く清水
  たゞありがたく

〽藏王山
  樹氷に立つ
   冬神の
 定かあらめや
  陸奥の國神

〽白川の
  関に咲く花
   山吹きの
 春な盛りに
  人は浮かれつ

〽きさらぎの
  神樂ばやしに
   村總出
 雪も降りやむ
  鎭守の參り

〽阿武隈の
  川魚釣りに
   朝まだき
 舟を幽むる
  水ばひの霧

〽しばらくは
  たゞ見つみる目
   白鳥の
 北發つ春の
  伊治沼泳ぐ

〽昔はと
  語る翁や
   爐ばたにて
 童に話す
  栗の煮え間に

〽木につたふ
  藤咲く谷の
   のどかなり
 香髙き花に
  しばし足止む

十八、羽州選歌集

〽こだまする
  杉立つ山の
   峯々は
 またぎ熊狩る
  春の雪解に

〽大泻の
  網引く舟の
   すなどりは
 海の荒間に
  漁な出でなむ

〽北浦の
  ぶりこ拾ふる
   濱おなご
 鰰よりも
  猶稼ぎよし

〽なまはげの
  叫ぶ山里
   童らの
 泣く聲髙し
  男鹿の正月

〽雨やまぬ
  米代溢ふる
   洪水に
 稻田は潜る
  人は憂きなむ

〽土崎の
  湊に帆降す
   大船の
 牡丹唐獅子
  安東船ぞ

〽仙北の
  玉川奥の
   泉湯は
 人の病を
  癒やす奇跡と

〽手にとれば
  秋田瑞穗は
   重覚ひ
 稔れる里の
  雄物川辺ぞ

〽羽黒山
  神さび想ふ
   みとしろに
 鬱なる靈山
  かける鈴かけ

〽うつろひば
  三山もふで
   卽身の
 いつ世の創む
  死出の苦行ぞ

〽庄内の
  稻は稔れる
   夕映は
 そこもかしこも
  黄金穗波ぞ

〽生保内の
  辰湖に傳ふ
   物語り
 將門ゆかる
  姫塚の跡

〽米澤の
  廣き田畑に
   まつはるは
 幾多の歴史
  今に隠しぬ

〽鳥海の
  山にまつはる
   神ばなし
 定かなるなき
  秋田と最上

〽城築く
  能代檜山の
   民併せ
 東日流いでこす
  安倍の國主

〽波枕
  山靼通ひの
   安東船
 沖に嵐も
  怖れ知らざむ

〽久かたに
  砂泻の海に
   まぼろしの
 陸影浮ぶ
  奇跡眺むる

〽きさがたは
  元海なれど
   海は却り
 松島遺して
  野島たりとは

〽かなただら
  尾去金山
   盛なりて
 成れるくがねの
  山はにぎはし

〽時に過ぎ
  成れる湯石の
   命玉
 安日山平に
  ありし玉川

〽千代かけて
  泰平祈る
   山の名を
 大平山と
  今も変らず

〽補陀らくの
  寺に遺るゝ
   泉あり
 汲呑む人の
  願ひ叶はむ

〽世の末を
  弥勒の出世
   あるまでも
 補陀寺の法灯
  絶ゆまなかりき

〽うらゝかな
  春の丈なす
   大蕗を
 漬けつる人の
  手は黒染ぬ

〽鰰の
  大漁濱なる
   八森の
 山に白神
  海に辰神

〽傘灯の
  祭りにぎはす
   幾竿の
 宵の闇突く
  聲をあやなす

〽雪をして
  かまくら造り
   水神を
 祀りき童
  冬の風物

〽和賀清水
  酒に仕上る
   冬至まで
 来る年逝く年
  神に備はむ

〽神枕
  立つしほ今に
   かけまくも
 荒覇吐神
  今も遺りき

〽いにしえの
  歴史栄ある
   羽の國は
 鷹狩めでて
  今にきそひり

〽熊眠る
  山の彼方に
   出て向ふ
 またぎの衆は
  仕留外さず

〽春けぶる
  山の霧雨
   音もせで
 秋田の里は
  こぶし咲くらん

〽貝吹きて
  鈴かけ群は
   羽黒山
 昔のまゝに
  今も絶えまず

〽尾花澤
  いづち花笠
   踊り手に
 脚も輕々
  道にあふるゝ

十九、

奥羽陸の歴史の創りは、阿曽部族此の地に渡りてより國を肇むるより、記逑を語部録にぞ遺されたり。凡そ六千年前にして、人の満ちたり。その以前に以て人祖の渡来せるは、三萬年乃至十五萬年前よりまだらに居住せしあり。是を小人族と曰ふも定かなるは不詳なり。太古なる風土の候はサガリイ・渡島は氷結し、山靼と陸にて續きたり。歩渡可能なる候にありせば、鳥住その先より渡来せり。然るにや東日流海峽、渡島と隔つその渡りを断てり。依て今に猶渡島に住むる鳥獣、本州と異なれるなり。古より人は智惠あり。海峽とて夏に筏造りて渡り、己が安住ある幸ある新天地に求めて渡るは常たり。

抑々三十萬年前に渡り来たる人祖あらばやとて、何事の不可思儀のあるべからざるなり。此の國は海の底なるを地変異震に隆起せる列島なりせばその地質、海なる生物山川にその古骸を今に遺しむ處多く地層に埋むるさま能く見つるなり。さやか乍ら大地と曰ひども、常に動きけるは大地の生ある故なり。大地を生なすは地中の心臓にして熱くたぎりし火泥は血潮なり。陸と海、是大地の父母にして、日輪の光明・降熱は神そのものゝ恵みとて、古代人は能く崇め奉りたり。迷信多きも古にして當然の未知なる故なり。代々を經にして人は石を割作せる道具を造り、火を起しを覚へて器を素焼に造り、火に依りて知る金銀銅鐡の採鑛たり。人の世に為せる能ある究み更に進みてやまず、今猶もとゞまるなかりき。

丑寅日本國たる人の満つるは幸に惠まれし山海に飢ざるが故のたまものなり。されば人相集い邑をなし、神を感じて祀りしは天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコ、卽ち天と地と水の神秘にて、生命を保つ子孫を遺せる要素たる源にありとて祀りきは信仰の創りなり。人は集ひて各々利害を及ぼしけるを防がしむために、掟をなして惡なす者を罰したり。是を司どるは長老にして、群惡の者には國主を位して討取りぬ。是れぞ國造りなる丑寅日本國の成れる肇國たり。然るに人住みの域をして爭ふあり。依て國を併せ、民を併せて睦むるは、往来の道開き橋を渡して架け幸の換商をなし、各々地産・海産せしは物交商道と相成りぬ。

人益々王居の辺に集ふる處をポロチャシとて大いに振起せり。東日流に起りしポロチャシにては肇國六千年前にて、渡島のクリル。東日流の阿蘇辺。宇曽利の津保化。飽田・岩手の麁。坂東の熟なる王居ぞ世になして民を導き、總主の王との交りを倶にせり。依て是を日本國なる肇國とし國章を昼は日輪、夜は北極星を神聖とて崇めたり。是をあらはばき神とて民族併合の一統信仰の神とし、奥州・羽州・越州・坂東までも民の崇拝相渉りぬ。さればにや、是なる國造りぞ倭國より四千年の先たり。

廿、

太古より神の聖地は大深幽林・流水の地に選びて、神を鎭むるはイシカホノリガコカムイなる信仰にして、祭祀の他は人の立入りを禁断せる秘境とせり。聖地に至る參道も造らず。草木を伐せず、生とし生けるものを狩らず。石塔を建てまたは石積みあげ神とし、東西の日昇・落日を拝せる處にぞ聖地を選べり。東日流中山石塔山・鼻輪なる三輪にその雌雄聖地あり。是を荒覇吐神社とせるは太古にして、阿蘇辺族・津保化族オテナエカシの代なると傳ふ由なり。ヌササンに巨石を積み築き神處とせしは、今上の知られざる歴史の彼方なり。大集せる古代の王居ぞ、鼻輪なる阿蘇盛。璤瑠澗なる神威丘。奥法なる大坊。上磯なる宇鐡。外濱なる三内。都母なる平内。糠部なる是川にして、代の移りき王居の跡なりきは明白なり。

廿一、

古代より荒覇吐神は坂東を倭に越えて崇拝さるゝは、五畿はもとより出雲、築紫の宇佐、國東の大元と三禮四拍一禮の拝禮に遺りぬ。倭神に世襲され守尊を外にまたは廢捨せるありきも、是を客神または客大明神、更には神とて祀り遺しぬ。倭人是を知らずして見落せど、京師叡山山王日吉神社にては夷蝦神とて祀りき。世襲に怖れず、あらばき神またはあらはばき神とてそのまゝに祀りきは尾張・武藏に多し。されば丑寅日本國は古き世に倭を制し、大根子彦を天皇に奉りたる。天皇記には史實たり。

抑々荒覇吐神を廢したるは、その皇子なる開化天皇にして、出雲の神社を大國主神・大物主神とに改神せるは、倭の征より丑寅に歸らざる獨主政に倭王の君坐に卽位せしが故の反きなり。依て坂東安倍川・越糸魚川に至る國の堺ぞ、益々警護ありて断ぜりと曰ふなり。天皇記に依りければ、天皇に位せる皇名に孝と名付くは安倍系にして然なりと曰ふ記逑ありぬは事實なり。天皇に空位の故も然なり。

廿二、

吾が丑寅の大王代々は、山靼と睦みて北方の島國を領したり。元寇に於ても、サガリイ島卽ち樺太島を侵さざるはクリルタイの盟約・ナアダムの誓あり。吾がチパングとて太祖をモンゴルブリヤート族に同じうせるの祖傳に、是を不可侵とせるは盟約の一義たり。ナアダムの誓とは聖なるブルハンの神に誓ひにて、民族交易の永久なる睦の條を一義とせる親族その誓たり。ティナ卽ち支那より北侵せるフビライハンのクリルタイに加盟ある安東一族の固定領土たる故因を覚り、またベニスのマルコポーロの進言あり。その盟約は護られたりと曰ふ。現なる丑寅日本國各處の寺社にフビライハン及びマルコポーロ像遺るはその史實の證なり。

廿三巻より二十六巻、再書不可也。

廿七、

安東船の揚州より珍藥とて仕入れたる品に犀角・虎の精睾丸あり。是ぞ價千金の妙藥たり。是を用ゆるは秘傳たりと曰ふ。石塔山に奉納さるる白虎二匹の精睾丸ぞ、不老長寿の秘藥とて遺りきは、秋田家長久のため君継に危篤ある以外に是を用ひざる故なり。白虎とは數千の虎に一頭あるか否。誠に貴重なる寳藥なりと傳はりぬ。依て是をなぐさみに隠用しべからずと戒しむ。

廿八、

奥陸羽の金山、塊金の積藏は安倍一族の秘中の秘なり。その量たるや金六百八十萬貫にて、秋田上系譜に遺りぬ。昔より安倍一族再興の速進せるは此故なり。人命を尊重し、身分上下に造らず。その實を挙したるは前九年の役に然る處なり。語部録に曰く、
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是の如く記ありぬ。秋田家系譜をして、とかく幕朝の改賛の通達ありけるもその返答は、吾れ一族の血は蝦夷と曰はれても苦しからず。蝦夷と曰はれるも一族の古き證なれば、是を改記の由ぞなかりきとて、屆け參らさゞるなり。蝦夷を以てはゞからず、蝦夷を誇りとせる断固たる家系の改賛をはばみたるは外様・譜代にもなかりきと曰ふは、秋田家の日本將軍たるの士風たり。

廿九、

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是れ語部録なる予言なり。丑寅日本國なる古代にありては、特なる史傳にて古事を今に傳へたり。古代オリエントの永々なる古事にその源を發し、はるばると現代にその實相を遺しは吾が丑寅日本國の他に非ざるなり。無念なるは、語部録を天明の三春の大火にて焼失せしは断腸の想ひなり。依てかくなる年月を費して山靼に渡りたるも、大古なる古事を得んとぞ欲するも、得る事ぞ難くたゞ古老に尋ねての記逑と相成りぬ。語部録に復本在りつるも、石塔山祭文に解く他に他非らざるなり。依てその源字七種にあるも、その混合になるは解き難し。

寛政五年二月一日
秋田孝季

卅、

古来衣川の地は、櫻川の落合に洪水起りて邑落常に流失し、人命多く水に溺死せり。依て平泉丘・束稻の丘に民家移し河辺の建家を禁じたり。然辺の地こそ肥土にして作物能く産せるに依り、川辺耕作をやまざるなり。安倍頻良の代にかゝる水難を除く土工事を衣川落合に施し、濠をめぐらしその放水を幾筋に施工し、川辺に柳を殖しめたり。然るに櫻川なるの激流、大雨の毎に洪水を起し河流を自在に変流し多くの田畑を流水に崩し、また水冠しければ手なく流曲を直に工事をなしければ洪水起らざりき。難工事たるは胆澤落合・江刺落合・黒澤尻落合・猿石落合にして、その工事六年の施工と相成るも是を完工せり。爾来、洪水の難ぞなく現に至りぬ。安倍一族をして川を重じ、城柵みなゝがら川辺に築くは、川の治水に心して領民救済につとめたり。

卅一、

仙岩峠を越ゆる生保内の郷に生保内城ありとは秘にして、世の知ること能はざりき。安倍良照・北浦六郎と倶に、玉川なる湯治の出湯あり、速癒なれば是れに道開き一族の病の者を湯治せしめたり。天喜康平の乱にては多く傷兵を癒したり。生保内の在所になるは馬の放牧更に郷藏・藥倉・湯屋に造り、湯源より配湯木柵を地に埋め通したり。是配湯溝とて栗木板にて造れりと曰ふ。柵跡は駒柵・生保内柵・辰湖柵・外輪山柵ありて、その交通を通らしめたり。信仰を重じ荒覇吐神を祀りて、人々の心をも癒しめたり。生保内は生命の保たれる澤とて名付けられたる城下村なり。今にして荒茫たる古跡なるも、その史に深きを知るべきなり。生保内城をして邑造らるは、安倍良照が金剛薩垂の夢告に依れるものにて、石尊寺とは彼の開山せし法場なり。

卅二、

鍋越に安日柵あり。古語にしてポロチャシなり。安日川落合の鍋越川の山盡きる崎に、空濠鉢巻に本城をめぐりて川の流れを城麓に不断たり。此の地は大祖安日彦王を祀る安日山。それより流る安日川。その川辺になるは安日邑なり。古にして地湧湯ありて、安日彦王此の地に冬を越しける跡に城柵しける。髙畑賴介にて康平元年に築柵せりと曰ふ。康平五年。厨川落城し、安倍日本將軍厨川大夫貞任の二男・髙星丸。千人の家臣とともに此の地に安住し、髙畑越中及び菅野左京らに護られ、東日流落の間此の城に居城せり。糠部廻り、鹿角廻り。千人の家臣の移動を密にして東日流に至らしむに、暫らく東日流先落の者より、藤崎舘の仮築及び民家の生々なる田畑の開拓なれるの報あり。居城を寛治元年にして出でゆきたり。以来是れを鍋越城と稱す。

卅三、

安倍髙星丸と名付けしは安倍日本將軍賴良なり。天喜の大星、東に一瞬の大光を放って消滅せるより髙星丸とて孫を名付くは、一族崩滅の兆と卜部より告あり。その一族を再興せるは髙星丸と名付くる者ぞ。速かに成せる仁なりと告げたり。もとより安倍一族、宇宙の運行を能く學びたるは、安倍晴明をしてその旨を授け来たりぬ。賴良常にして北極星を祀りて、星祭りをなせるは年の行事たり。されば北極星の不動な宇宙の軸にあるを神秘とせるは、祖来より荒覇吐神の行事たる例に基きて、卜部を能く神事の要とせり。髙星丸、貞任の二男とて生るは康平四年八月十五日なり。幼なより藤倉の前を乳母として、東日流平川藤崎の地に一族千人を倶に落着せり。髙星丸、東日流にて姓を安東と改めてその名を安東太郎賴貞と稱したり。成人となりて藤崎に白鳥城、十三湊に入澗城を以て水軍を起す。

卅四、

安東髙星丸、東日流に於て一族の再興を速進せしめたるは、叔父なる筑紫の宗任よりの一状屆きてより、海道をして國益を謀れとの一言に、十三湊に来舶せる唐船・山靼船に着目し、彼の國の船工を入れて安東船を興し、海の水先・潮流・海の暗礁帯を海図せる西海航路を一族挙げて海に商道を開き北海産物を異土に交易せるより、十三湊は大いに振起せり。安東一族の者は平泉な藤原氏の如く産金貢馬の財産水湯の如く費を消費するなく、萬民生々の費に用ひ、渡島・サガリイ・千島の民に人をして異なしめるなくその往来を自在としその信を得たり。依て安東船の商易その船團を連らね、大いに利益を得たりと曰ふなり。更に漁船をも千島諸島に遠漁せしめ、その商資に欠くなく十三湊は諸國の市をなせり。北都の如く神社・佛閣もかしこに建立しけるも、興國の津浪に崩滅せり。

卅五、

東日流に起りし内乱にて北條幕政の崩滅を速めたるは明白なり。富に満たる十三湊。是に制へて謀らんと幕府は得領とて平賀・稻架の地領を制へたり。然るに此の地の産物は貧しく、十三湊に屬す安東領は豊かに富たり。依て幕府は外三郡の地を皇領とて、倭朝の蝦夷管領とて首枷を安東氏に負せたり。

依て安東船は京師への往来を若狭の小濱に開きて天下御免の往来をなせり。餘多税を献上せしも、安東一族の富は益々大ならしめ、十三湊には京師の白拍子などの来るありて振興せり。時に安東一族にては藤崎城・十三福島城の両城あり。その城主を三年毎に交替に定めたるも、安藤季久・安東季長の代に、その掟破りたる安藤季久。十三湊より移らず。遂にして洪河の乱とて内訌起り、幕府の仲裁も叶はず。挙げて和睦せし後、幕府討幕に援けたり。

卅六、

安東船の山靼往来は黒龍江を遡りてモンゴルなるチタまでも航着せり。依てチタなる地には日本國なる乘船頭の姓を名付くる處ぞ多し。チバ・ミカワ・フナコシの地名ぞ今に遺るゝはその故なりと曰ふ。更に満達には平泉と曰ふありぬ。夏期に至る安東船の船人らはモンゴルのナアダムに參列し、その親睦を得たりと曰ふなり。安東太郎貞秀はことの外、山靼に心寄せ自からも赴きてモンゴルより更に波紫の國に至り、トルコ・ギリシア・エスラエル・エジプト・シュメール・ペルシャを經てモンゴルに歸りてクリルタイに盟約せる最初なる人物なり。安東貞秀の曰く、

吾が丑寅の地はかく山靼の地にくらぶれば巨岩と砂利の相違ありぬ。かく旅を果しては一族の望む者を此の地に歸化せしめ、人住みの安住を定かに護りなん。

とて、此の地に永住せしむを得たりと曰ふ。もとより人の種をして同かりせば、年毎に望む者多し。かく移住せしは十五年間に六百八十七人を數ふるものなり。

卅七、

東日流の古事は外三郡・内三郡にてその要をなせり。この六郡の外に上磯及び外濱の海濱ありて、安倍一族の史を以て多し。抑々、古代に安倍氏の祖たる安日彦王・長髄彦王に創まれる歴史ありきは四衆の知る處なり。宇曽利の地は南を奴干奴布と曰ふ。されば北を宇曽利、その中央を奴干奴布、更に糠部を加ふれば總じて是を都母と稱すなり。何れも安倍一族をして治領せる處なり。

古来糠部には東海千里の彼方より来たる民あり。その異なるは石の鏃に明白なり。東日流の石簇は・・・にして、宇曽利より東海の三陸に至るゝ石簇は・・の型にて、その類を異にせり。また、馬をしてくらぶれば西海濱・東海濱と相違あり。名馬たるの産地は東海濱に多きは糠部駒・南部駒・三春駒とてその産馬ぞ西海濱とは相違のあるは、その渡来地の種因にありき。人もまた阿蘇辺族と津保化族と異なりぬ。

卅八、

外濱に奥内・三内・入内ありて何れも古代人永住の地たり。信仰深き民・津保化族の部落たり。聖地を中山に築き、年に一度なるヌササンを設けカムイノミを焚きてイシカの祭り・ホノリの祭り・ガコの祭りを行ぜり。フッタレチュエの踊を夜な通して神に奉納し、エカシ自ら神を奉迎せる神事を行ぜり。

素焼くる土の像、各々チセに安置せる神像を仕上ぐるカムイノミに焼ぬ。是れ女人らの造りきものにしてその焼土に若し破れる處あらば、その年に家族中何れか病むと曰ふ習しに信じたり。依てその難に除くる神事とてヌササンに奉納し土中に埋むるは常なるも、石神に魂入りとてにしきの石を海濱及び川に拾ふてチセの神とせるもありぬ。チセとは家にしてヌササンとは神棚を曰ふ古語なり。チセに神處ありて神の出入れる戸口を造りそれを人の出入口とせざるは掟なり。

三十九、

抑々、西に岩木山の靈峯を仰ぐる處に三輪の石神を祀る處ありて、これを阿蘇部族の聖地と傳ふるなり。石神は巨大にして男石・女石を建立せしは七千年前と曰ふ。永きに渡り男石は仆れしも、現在無事に遺りぬ。此の地よりはるか中山の石塔山を望むるを叶ふなり。邑を三和と稱せども三輪と書くは古きよりの正稱なり。阿蘇部族は東日流古先住の民にて、古き代に岩木山の大噴火にて災死せるは全滅に近し。

幸にして、阿闍羅山に住分たるものぞ救はれたり。岩木山の噴火にて十三より入江たるは大浦に至るゝも、海底隆起し一挙に東日流大里となりて中山までも陸と連ねたり。阿蘇部族の全滅に依りて津保化族、此の地に住居を駐せむも、阿蘇部族の至らぬ處に住居をなせり。神は石神を以て祭れるは両族同じにして、此の両族は併せて荒覇吐族となりて永代せり。

四十、

西海の七里長濱、十三湊の望むる處に神威丘ありき。住人の聖なる丘にして荒覇吐神を祀る神處なり。今に亀ヶ岡と曰ふも、此の聖地は石神聖地と倶に古代人の大地に祈る神事の場たり。津保化族の信仰の深きは地層深く埋れる遺物に遺れり。神威丘・石神丘に埋もる限りなき素焼の遺物こそその祭祀に用ひし代々の遺物なり。たまさかに農夫の鍬にかゝる神像ありて、異様なる像掘らるありて神社に納め置きけるも、いつしか盗まるなり。

神の名はアラハバキカムイと稱す。此の素焼なる神像の出づるは三陸・羽後に多し。地に離れてはその像相いささか変れども、アラハバキ神なるに意趣の同信仰たり。もとなる信仰にては、像なき自然の天地水崇拝たり。昼の日輪、夜の北極星を無上の神とて天に仰ぎ、地に伏して、水に清むる信仰たり。

四十一、

丑寅日本國は古にして成れる肇國のはるかな昔に民を併せ、信仰を以て民の心を一統し、代々その美を以て睦みその暮しぞ平等一義に、たゞ一心不乱に以て神を敬ふは神をして人の上に人を造らず、人の下、人を造るなし。生々の世に在ることは生あるものみなゝがら神の子にして平等攝取たりと曰ふなり。

語部録に曰くは、凡そ生を世に授くもの總て神の御手に在り。人の權を以て是を左右ならざるなり。あらはゞきの神ぞ天地創造の昔よりその總てを造り萬物を造りなしたるものにて、世にある總てみなながら神の故に生滅せり。生を造るも死に却らしむるも神にて是れに逆ふは叶はず。神は全能たり。吾ら人間とて世に生れきも、信仰の念あらざれば末後生は何れのものに生を変ひて生まざらしめん。依て今上に於て能くその理を覚りて神の御心に委ぬべし。安心立命とはその信仰に依りて得らるなり。

四十二、

東日流にて大事たるは太古なる歴史の傳へし物品あり。世に曰ふ語板なり。昔より外三郡の語邑に存在せる多しも、藩にて焼滅さるゝの憂ありぬ。尋ねて集むべし。丑寅日本國史は不滅たらしむの要は語部の遺したる歴代になる大なる史書を護るこそ大事たれ。眞實を告げる古代のまゝなる聲にして、往古のしるべに他非らざるなり。

寛政五年九月七日
秋田孝季

和田末吉 印

 

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