北鑑 第十八巻

注言之事
此之書は他見に無用、問外不出と心得よ。

寛政六年七月日   秋田孝季

一、

北斗の天祐に萬世不動たる北極星を神格して、荒覇吐神として宇宙阿僧祇の日月星、みなゝがら神と奉じて信仰せし事、太古より創むる肇国こそ、丑寅日本国と曰ふ。

大王、副王東西南北に知行し、そのもと郡主ありて国土を治世し来たる王国たるの歴史榮ひある国たり。何事も泰平に、民各々睦み、大王常にして民のもとにありき。エカシ即ち長老の選に依りて、王位を定むる古習の代々を累代せるは、世に安倍、安東、秋田氏の累系なり。丑寅日本国はかく古事ありてぞ、倭国をはるかに隔つ古代王国たり。

国領は坂東より丑寅に在り、倭国とは異なれる日本国たるは、大王一世安日彦大王の宣にして、古事歴全として語部録に記を遺すは、古代文字なる實記たり。人の始めて此の国に住みけるは、十萬年乃至三十萬年前と曰ふなり。此の国を丑寅日本国とて国を肇むるより五千年、大王代々に継ぐより累代を今に遺しぬ。大名たる今にして謎多き一族とて、世の陽光に照らさず、要史の事は陰にして閉じ、なかなかにして貝中を開く事ぞ、未だなし。太古より丑寅日本国にあり、世襲の障りを隱密に、柳に風と受流し、言語一句にも敵を造らず、朝幕の蝦夷とぞ祖軽さるゝも偲び、自からを蝦夷と稱してはばからず、行ひ常に眞實一路を曲折なし、志は常にして世界の彼方に大智を望み、人の種に好嫌なく、平等一義、人命の尊重を以て救済を先とせり。

信仰に固く、世襲あざむくも、本願なる荒覇吐の神を祖来より心に逆かず、朝夕に北極星を三春の天守閣より仰拝す。世襲如何なれど荒覇吐神を廢すを能はず、未だ諸国に丑寅日本国の国神ぞ、祀りき處、倭国に及びても存在す。西に起りし侵略の賊に故土を牛耳らるとも、いつか崩壊せんは、世界史にも通例なり。吾等奥州に在り、化外の蝦夷とて倭史の深層とせども、古事に眞實は強し。

二、

丑寅日本国は荒ぶる海に不滅の幸あり。
古来より鮭、鱈、鰊、鰰、鱒、の浜河に寄りくるに人は飢ふるなし。海に強けくして、人また強し。海を越え山靼に往来し、異国の先進なる智識を得て、山より産金し、草原に産馬、羊、牛、の収をして、衣食住の安養を謀りぬ。何事も衆をして業を營み、蝸益なく衆益を以て民の不断とせるは、祖来の国治たり。依て、戦爭ぞ皆無にして、睦みを通常とせるは、古来の益なり。

倭侵ありてより、丑寅日本国に防人挙ぐるに至るなり。倭人は陸奥より北辰に国ありを未知にして、鬼人の住みける、人たる魂を持たざる蝦夷地と想ふ他、知らざる不開徴扉の未知国たり。既にして王国あり、信仰あり、衣食住の流通あり、小都をなせる處ぞありきは知る由もなかりき。ましてや、稲作あり、異土往来になるを知らず。市あり、商ふる算心のあるも知らざる天地たり。

山もせ、里もせ、河もせ、海もせ、と曰ふ地住生産ありて、これら地特産物を市に換ふる物交にて、衣食住の暮しをまかなひり。

三、

部の民と曰ふあり。その職種多く、駄運、馬飼、犬飼、山師、タダラ、マタギ、イタコ、オシラ、ゴミソ、織女、海女、ナメ師、玉造、塩燒、炭燒、鍛治、テキギ、ハタ、ヤド、ウド、馬武、ツノカギ、トナリ、カパリ、など祖来その職種を子孫にして造り業營せるを曰ふ。語部も然りなり。ポロチャシのニラにて童に語り文字を教ふるをビッキウタリと曰ふ。大王の子、エカシの子ら、このウタリにて学び、諸事を覚うるなり。六才より十才にして了るなり。この後なる業は、各々チセに覚つなり。是れぞ、丑寅の古なる学舍なり。またポロチャシに遠き童らは、エカシのチャシにて学ぶなり。

文字書くは砂にして篩消しては書き、能く智能を啓發せり。算は指を以てせるも、石並て多算を計りぬ。一の位は白粒石、十の位は黑粒石、百の位は赤粒石に通算せり。幼き程に覚ひ易く、先づ算、次に文字を教へたりと曰ふ。

語部の永代に遺すは、土版、マンダ皮、割板、獸皮、銅版、にぞ遺しあり、諸事を子孫に傳へ来たり。依て、各々、家系ぞその血筋を知れり。語部録、後名なるも、是れをヤトラウタリと曰ふは古語なり。ナアダムリンとは、武の教へにて、チャバントウリンとは、馬術なり。ブルハンリンとは、海を渡る水先にて諸々の教へありきは、支那より渡来せし漢書より二千年前の事なりき。丑寅日本国はかくの如く古き開化に在りぬ。

四、

古代丑寅日本国にその古語にて遺るは多し。ケフとは毛皮の帽子にて、ケリとは毛靴なり。テケシ毛皮手袋にして、ケジキとは雪にぬからず歩く履物なり。トナリとは皮紐にて皮舟をも同稱す。極寒にして短言あり。カとは差出す意にて、ケとは食ひの意なり。ナとは汝にして、ワとは我なり。ダとは止れと曰ふ意にして、サとは行くの意なり。ドとは頭首にしてナドとは衆なり。一字音にて成る多きは、古辨そのまゝにして今に通用せるも面白きかな。依て、語部文字にては左、は右、は天、は下なり。日はにて書き、月はと書く。星はと書き、海はと書く。陸はと書き、草原はと書きぬ。神は、人はと書き、傳ふはなり。男は、女はと書く。家はと書き、是の如きは七種混併にて語部録は成れり。

五、

丑寅日本国の過程に、太古なる古史の傳、永續せるは、語部と曰ふ古来の文字にて遺る故因なり。山靼より此の国に歸化せし古代シュメールの民にて土版に杙字にて押當たる文字を記しきを語印とせしは、語部文字と稱すものとなれり。

東日流及び渡島に岩窟に遺る鳥形文字ありきも、語印とは異なるも、渡来にかゝはらぬ、此の国が自から先人より傳られき文字のありきを知るべし。
・・・・・・・・・・・・・ 是の如き鳥形の文字たり。岩石に窟中壁に今も遺りけるあり。更には縄文字もありぬ。・・・・・  是ぞ、クリル族文字と曰ふなり。

六、

蓮世、蓬らをくらしめたる肥土より燒石を採り、粉炭、硫黄、を混じて煙硝を造るは、支那にて世に傳ふと曰ふより、これを鉄砲に造りてより殺伐に用ひらるは、戦をして今に欠くべからざる討物となり、モンゴルにてテムジンが大銃として用ひ、更には地雷に用ふる兵器とて、弓箭より尚、殺伐に威力ありてより、世に火藥とて何處の国にも用ひられたり。元寇に鉄砲とて騎馬武者多く殉戦し、斯かるは幕府の戦法に都度の失策をくりかえしたるは存知の如くなり。また、無敵たるモンゴル軍威も、遂には主權内訌にて、元国の崩滅も存知の如くなり。

神は人の勢威を久しく世にその侵略を赦し置くはなく、人命を救済すること一子の如く、その平等なる裁きを、天秤にして計る如く天誅を蒙らしむものなり。泰平こそ生々の人生に美あり、睦こそ人の安心立命なり。

七、

丑寅日本国の歴史に出で来るは、山靼よりはるかに紅毛人国の歴史の多くを記逑あるは、倭史への障りと相成りぬ。古来、紅毛人をば鬼とぞ稱し、人間とぞ想はず、悪鬼の類に思ひ取りぬ。丑寅日本国の繪巻を造りて、蝦夷とてなせる相は、鬼相を以て画く多きはその故なり。古来、奥州は紅毛人来りても、人の種を嫌ふなく、その歸化せる者とて睦みたり。紅毛人の多く住める處に、鬼澤、紅毛崎、蒙古澤、青目塚、赤石、狐鼻、天狗平、鬼首、渡来、ら地名遺りぬ。満達や韓人、支那人を異人と想はざるは、奥州の心得たり。

八、

天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコ、を神として、此の三神を一神に號してアラハバキ神と曰ふ。人祖が神を感得して、諸々の国に信仰起きるも、その信仰に依りては、外道なるもの、迷信一途のものありて救済の眞にあるは少なし。

天変地変、噴火及び地震、津浪、寒候、洪水、猛日照と旱魃、山林自然火、大風と大雪、疾病、飢餓、何れも神の怒りとして、獸物の生贄や人身までも神に捧ぐる信仰ありぬ。また石塔亦は金字塔を築きて国主を神とし納むるあり。石の神殿、石神像を神とし、また世に無き変化の像を造りて、人心を惑はしむ神司などありて、信仰にも死と背合せる迷信ありぬ。神話を造り、まさに世にある如く衆を惑はしむありて、崩滅せる信仰、更には救済を一義とせる信仰の程は永く遺れり。

世の進むるにつれて、更に新興なる宗教、興りて、衆を結びては派閥を起して、戦ともなれるありぬ。信仰をして人を殺伐し、国造りをせし王あり。その攻防に犠牲となるは大衆民たり。依て、吾が国にては眞理は自然なりとて成れるは荒覇吐神を以て、信仰の一統となしけるなり。此の信仰にては、生贄牲を捧ぐを禁じて、神火を焚きて火に祈願の印をイナウに付けて焚き、煙となりて天なる神に達するものとし、残れる灰を地にまき、水に流して、抜けとす。旱魃には雨乞ひの祈りを湖に、洪水や津浪には川と海になる水戸口に神鎭めを祈りぬ。地震及び噴火にては、山に三股の神木を見付け、ヌササンをかまえて祈りぬ。疾病にてはデコとメゴのコケシを造りて流し、また、占は火に燒きて抜けとす。大風には屋根に石鎌を風に向けてさし、大雪には逆矛をさして祈りぬ。祭文は何れも同じくして、アラハバキイシカホノリガコカムイのくりかえしなりと曰ふなり。

古代人の心には日輪ひとつの如く、神はアラハバキ神一尊と崇拝す。宇宙には阿僧祇の數になる星々を、神なる賜靈とし、宇宙なる總てをイシカのカムイとせり。山また山、大地の神をホノリのカムイとせり。波涛千里、洋々たる大海をガコのカムイとせり。この三神を併せたるをアラハバキカムイと曰ふなり。よく是を覚つべし。

九、

神がかりとは女人に多し。この授傳は韓の国より渡るとも曰ふなり。それぞムーダンと稱し、神の靈がかりとなりぬと曰ふ。傳へきはベメハと曰ふ女人にて、彼の神は西王母にして、東王父の国、丑寅をさして来たりとて、今に猶、その三傳に傳はるを遺せるは、丑寅日本国耳なり。女人にして神がかり、亦は靈媒師ありてオシラとイタコなり。現世にて東日流にてオシラ及びイタコ存在す。

ベメハと曰ふ韓の巫女ムーダンが丑寅日本に渡りてアラハバキ神の由来を尋ね、アラとは男神にて、ハバキとは女神とぞ知りぬ。されば神事の禮とて三拝四拍一禮を以て、神事禮拝とせり。三拝は天なる宇宙、母なる大地、萬物を蘇生せしむ水の一切を神と拝し三神なり。四拍とはアラ男神に二拍、ハバキ女神に二拍し、併せて四拍手とし、終りに一禮せるは北極星への信仰の不動ならしむる誓としての一禮なりと曰ふ。爾来、荒覇吐神を拝すは三禮四拍手一禮にして傳統せり。

十、

巫女ベメハの傳へしムーダンの神事にては、日輪の祈りを朝祈昼願夕拝の神事あり、是を三輪大神と稱して、加賀犀川の三輪山、倭の蘇我郷三輪山、丑寅日本国東日流鼻輪なる三輪に是の神を神事の禮を今に遺すと曰ふも、後世に二拝二拍一拝に攺めたりと曰ふなり。然るに三禮四拍一禮の神事はアラハバキと稱せる神社にては、今も猶、三禮四拍一禮、猶以て、今に存續せり。

十一、

支那古代に伏羲は宇宙に星座を計り、女媧、黄土にて人を造りぬと曰ふ傳説あり。黑龍、黄龍、青龍、白龍、金龍を大河に依りて神格せりと曰ふ。即ち、黑龍江、黄河、揚子江、女混川、桂林川らを龍神とせり。龍とは水流にして造られたる神なり。

雲と風、雷電、雨、雪、を天龍とし、海を海龍とし、龍の巢は海の龍宮に在りと曰ふなり。是も支那古代なる神話より傳来す。倭国にては大物主神とて、三輪神社にぞ祀り、出雲にてはやまたの大蛇とて傳説あり。地名にては、天龍川、九頭龍川などありける。

十二、

傳へて曰ふ。太古にて衣織るを地語にしてカッペタと曰ふは、織物の初めにて横糸にて錦織なせり。糸採りにては、山野の自生草にて、からむし及び毬草、マンダの木皮などあり、麻をも用ひたり、また蕗皮も採りて糸とつむげるもの織なせり。古き代は生皮を併せし縫糸を採りにしより創りて、衣織となれり。交木、縦木、差木、打木、腰木、の六種、それに糸差を加へ、七種にて織りなせるなり。カッペタ織は、幅せまく、トナリ織は大幅に織たるなり。草木より糸をつぐむは、その類多種にして、女人の手になるものなりと曰ふ。織物の始め是の如し。

十三、

古代よく用ひたるは塗料たり。ベンガラとて朱色、キウルシとて黑、カナサビとて青色、カベとて緑色、ドロとて茶色、何れも石及び土、木汁や花汁、果汁より採集し、併せて色採せり。衣染及び器物塗りにて遺る多し。代々降りては、魚貝より得る染色あり。草葉を以て染色ありぬ。酢と併せし紅草の花、草根よりも得る多し。古代人にして衣を染め採色をきそふて、その手法を今に遺したるは、語部文字、不消の黑書汁をも油煙より得たり。此の智識ぞ山靼より傳授しきより、多く地産物にて成れり。

十四、

古人は土を粉に砕きて、水を加ひてねり、器を造りて干し、更に火に燒きて固め、用具とせり。よりよく仕上るに土質を選びたり。器の能く仕上るは、土質にて成れる因源たり。依て、古人は土を求めて採し、是れも女人らの仕事たり。

十五、

傳へて曰ふ。古代人は海辺にて貝を拾ひ、また潜りて生貝を採して器とせしありぬ。貝をして飾物を身にせるもあり、鍋及び盛器に用ふ多し。更には貝にて造らる漁具あり、その數多し。魚追へとて海に潜むるを追出すジョジョボテなど魚漁に巧ありぬ。

十六、

古傳にぞ曰く。古代人は能く採石して、石鏃、石斧、皮剥、石矛、を造り、狩獵に用ひり。石を以て玉造り、身を飾る最秀たるものなる遺物多きなり。鉄より先に石刃をなせしは石器たり。その用ゆる數多きは、今にして山野に遺りぬ。

十七、

傳へて曰く。古代人の葬儀ダミ石積ベゴ棺、木刻クケ棺、板割コガ棺、チャペ棺、石棺、イッコ棺、丸太組トツキ棺、皮包トナリ棺、などありぬ。代々にして異なるも、死者への慕情ぞ、今より深く、故人なる副葬の品々多く添しめたり。埋葬イケルせる處を、ヤントラとて古代語なり。死者の出しをダミと曰ふ。

十八、

古傳に曰く。古き代は、カラガクとて中芯柱に圓をして細木を鈄に寄せ獸皮を覆して住居とし、何處にても移動可能たり。山靼にてはこれをパオまたはゲルと曰ふ。丑寅日本国にては、永住の故に、屋根を葦にてふき、その上にハッポとて煙出口を施し、圓屋に建つる。

十九、

古傳に曰く。馬飼は二歳駒の雄馬なる睾丸を切除せるを覚つべし。種馬を選ぶは毛色優れ、気性荒からず、人を嫌はざる速駆たるを以て、四足健全たる馬を選すべし。若し長じて暴るゝは断じて屠殺すべし。馬孫は良きを種付くべし。

廿、

古傳に曰く。奥州に諸々の智識のあるは、倭人の知られざる山靼通商にて得たる多し。馬産と産金、農耕の事や漁撈、更には信仰、皮のなめしと諸加工にては、波紫国の傳来そのまゝなり。葦のみを以て建つるマデーフ、更には馬乳にて作れる酒、羊皮にて造れる水袋、皮舟、皮帽子、靴、皮紐、毛皮着、角弓、曲刀、鎧、鞍、らの工作なり。その物名も同じたれば、相違のなかりきなり。

抑々、古き代々をして渡り来たる西波紫の国人に、シュメール、シキタイ、ギリシア、などの紅毛人ありて、丑寅日本国に永住せる歸化民を何事の條なく入れたるは、われらの祖人たり。彼国にサトリニ島ありて、大爆裂し、日輪その噴塵に閉されて、海は血の色に津浪常に起り、人の住むる国なく、はるか我が国に来りぬと曰ふなり。亦、支那より黄土嵐の吹荒るゝやまざる故に、獸物の後追へ来たるあり。地に大極寒の候あり。山靼との海、閉す。氷凍海を渡りきたる民ありとも、語部録の傳に史實とて遺りぬ。即ち、人祖の渡来にもかゝはりけり。かくある他にては、故地に戦ありて遁げ来たるあり。

丑寅の住民はかく人祖の混血にてなれる民族なりと曰ふ。依て、奥羽、出羽、の民習に各々その民族性ありぬ。言葉、衣食住の異るありき。依て、宗教にても幽かなれども、古代オリエントの信仰も遺りけるなり。

廿一、

支那の運勢判断に八將神あり。牛頭天王と額梨大女の八王子ありて、大歳神惣光天王、大將軍魔王天王、太陰神但魔羅天王、歳刑神得達神天王、歳破神良待天王、歳殺神待神相天王、黄幡神宅神相天王、豹尾神蛇喜兎神なり。此の八將神、年毎に方位を八方に閉ぎ、運勢を吉凶す。然るに、是れを信仰に崇むなく、卜部の運勢判断の神格なり。

倭国にては、能く是れを学びたり。然るに吾が丑寅日本国にては、かゝる卜部の判断には占ふものなく、唯、一心にして荒覇吐神の他に信仰を轉ぜるなかりき。信仰と占を一如とせず、不断にして天地水の哲理になる他、迷信に惑ふなし。

支那の卜部に依れるは、一白二黑三碧四緑五黄六白七赤八白九紫の年生星、牧星、開神、閉神、建神、除神、満神、平神、定神、執神、破神、危神、成神、と更には、先勝、友引、先負、佛滅、大安、を配し、更に、虚、危、室、壁、奎、婁、胃、昴、畢、觜、参、井、鬼、柳、星、張、翼、軫、角、亢、を配し、尚、木火土金水日月を配して、人の生年月日を生れ乍らの運勢とせり。

天赦日社日三輪寳神一粒萬倍、日土府神、十方暮、三伏、灌頂、歳德、天道神、八專、往亡日、金神七殺方、天思日、月德日、半夏生、天一天上、年三元、月三元、ぞありぬ。更には十二支の子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥に、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸を加ふるに、人の生れに各々同じかるなく、その生命及び諸々の運勢と宿命ありと曰ふも、是れまた卜部の卦なり。卦とは世のすべての現象を示す八種のかたちにて、易とも曰ふ臺盤図解なり。俗に是を八卦置臺とも曰ふ。

廿二、

當るも當らぬも八卦と曰ふ。占より人は信仰の求道に心を向はしめたるは佛教にして、その宗の派が新興す。渡来佛教を越え、大日宗、倶舍宗、法華宗、念佛宗、眞言宗、天臺宗、律宗、禪宗、臨済宗、華嚴宗などより更に、修験道、曹洞宗、淨土宗、日蓮宗など、その支脈に宗道を分つ。何れも王宮に信仰を得たる宗をして盛衰する、信仰派閥の生残る爭道たり。いつ代にも新興は起りきも、遺り得ざるもありぬ。依て、廢寺、無住の寺閣も諸国に、今は名のみぞ留む。

廿三、

東日流にては、名のみぞ遺りける寺跡あり。三世寺、藥師寺、大光寺、梵場寺、平等教院、大光院、阿吽寺、三井寺、長谷寺、禪林寺、龍興寺、壇臨寺、らありて世襲を愢ばしむなり。

東日流に多く寺院を失ひしは嘉吉の乱なり。即ち、安東一族が東日流放棄して、渡島及び飽田に新天地治領を移しめたる年をして、古来なる寺院は廢寺となれり。

廿四、

古代より海浜に住むるに津浪襲ひ、山里住むるに噴火襲ふるあり。天降る雷音、稲妻、古代ほどに都度にぞ激しき禍ぞありけるなり。人は常にして天地水の神々に生死の篩をかけられて遺りぬは、今なる代にも猶續くるぞと思ひ取るべし。神なる裁きは、人の世の大王とても特赦なし。

常にして光熱と極寒、昼夜の陰陽を天降して、生とし生ける者を、生と死に時をも降らしむるなり。世にある總てのもの、かゝる天地水の法則に免がるゝものなし。是を神として天地水を祀り、信仰せしは、丑寅日本国の住民にして、その神の名をアラハバキイシカホノリガコカムイと唯一心に唱へ奉りぬ。信仰の者は、古来より天地水の禍を免れて、不思儀にも救済されたり。

然るに、人はその神なる加護泰平に久しければ、人師論師の外道非理に心を轉ぜるとき、アラハバキの神は怒り、生々の正道に導く篩を起しぬ。これぞ天なるイシカの神は、旱魃、暴風雨雪、天候不順に雷音稲妻にて禍を起しぬと曰ふ。ホノリの神とて然なる篩を起しぬ。大地震はじめ、地底より大火泥を噴火ならしめ人の築くる總てを崩滅す。地は底なしに割れ、山湖壊して洪水を起し、山林を燒きて襲ふさま、神ならではの神通力なり。ガコの神とて然りなり。水の一切は生命の母なるも、信仰の魂を持たざれば、海は潮襲して津浪となりぬ。八雲を起し天地を閉し、陸を沈め、海、火を吐き漂う者を龍巻に吹とばしむぞ、怖ろしき。

人は福運も禍も、のどもとすぐればその報恩を忘るゝ故に、是く起り、是く戒しめ、覚めざるものは、再生なき篩に消滅さるゝも、神の爲す天誅なり。能く覚るべし。

廿五、

人は神をも造り、神なる告げをも造り、長ずる者は、己れをも神とぞ人衆の心理を惑わす。かゝる者こそ神の裁に誅滅を免がれざる輩なり。

〽此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
  欠けたるときの なしと思ひば

藤原道長のおごりも、武家の起りに雲居より堕つ降る朝宮のおごりは、倭史とて記せる處なり。

廿六、みちのく長歌 一、

〽山路行く 夏たつけふの 道芝に
  朝立つ添ふる 露けきも
  わらじにかゝり こゝち清らむ

〽目かれせず 朝日の昇る みやびたる
  誰に問はまし あかつきの
  のどけき心 いかにいはんや

〽あれはとも 目もくれなゐに 苦しみの
  人界わづか とりどりに
  吠えけん心ち 時に別かれて

〽日をりの日 天ぎる雪の 駒くらべ
  知りてし勇む いなゝきを
  鞍置きなして 手綱繫げむ

〽手に取れば さほどの事や なからんに
  敬ひ過ぐる 神さびの
  五十鈴の川の 流れの末を

〽山の端に 山賤の苫を 住家とす
  たゞ山かひに かきくらし
  ゆくへも知らぬ われは落人

〽さなきだに 家貧にして 炊焚くも
  煙も絶えだえ げにもなく
  心空なる 目路もなからん

右は正平六年選なりき、何れも詠人知らざるなり。

廿七、みちのく長歌 二、

〽故里の 山ふところに 待つ親へ
  今さらこそに 悪しかれと
  不孝に盡る 筆なむつかし

〽心なし つれづれもなき 君なくて
  しばし枕に 涙散る
  世を秋風に たゞ立ち盡し

〽檜にかける 龍と虎との 猛きにも
  世に無き相と 覚つれば
  由なく見つる 云ひもあへねば

〽あからさま 憂き身に積むは われからに
  なきかげいざや いとなきも
  命のみこそ 失はれ逝く

〽人の世に 生きてある身は 我さへに
  かゝる浮世の ことはりを
  風もうつろふ いづくはあれど

〽よるべ水 河水をもくめ みちのくの
  風もくれゆく 夕されば
  月だにすまで とうにつらさも

〽つゝましき 人目をつゝむ かねことも
  なが爲ならば いとはねど
  よみて待つらん 目もくれ心

〽くねるとも なづとも盡きぬ わぎも子が
  いづくと知らで 行くへをも
  秋や通ふらし 日は山の端に

右は、何れも詠み人知らざるなり。

廿八、みちのく旋頭 全

〽清水湧く 澄にし底の 垢もなきける
 岩泉 心なけれと 思はざりけり

〽歸れよと 松吹く風は 我をせきたて
 みちのくの あるべき住居 うつゝ夢見む

〽螢灯は 古へ今までの 夏夜旅づれ
 あかりぞと 暫しと賴む 河ぞへの道

〽いづくにか 歸るさ知らぬ あふさきるさの
 そむき世を もとの心に 待たで鬼界に

〽うたかたは 返らぬ瀬音 片しく流れ
 われぞある 顯はし消ゆる いとまあらずや

〽やごとなき 老をな隔て 天狗だふしの
 世の襲ひ 五體もつゞかず 人世あだなる

〽かげろふの いつの因果ぞ 今降りかゝり
 かなぐりて 見えざる魔障 生ありながら

〽いふならく 野もせにすがく 今戦陣に
 我一人 をやみを思ふ 一期の思ひ

右は何れも詠人の知らざる歌集たり。

廿九、 みちのく混本 全

〽さきかけて つぼみのまゝの 寒つばき
  陸奥はしばれて

〽さえかへる 陸奥の野づらに 岩木山
  まだ白衣ぞと

〽つゝめども 心に想ふ 花ならば
  いしくもうつゝ

〽時ふりて 七夕たとへ 天の川
  光りをかざる

〽秋寂し ものはかなしや わりなくも
  つらきものには

〽三界に 身の置きどころ なかりける
  おなごなりせば

〽かまへてそ 敵に當るゝ ためしなき
  今更こそに

〽やごとなき 露もたまらん わくらばに
  今は身を置き

附書 みちのく俳諧

〽たゝねなり 戦の常の まさうずる

〽よしのうと 呼ばれし御前 心憂き

〽うちかづき あたりをとへば まぎれあり

〽宵祭り えいじもおどる 笛太鼓

〽もろこしの 船寄る上磯 十三湊

〽ひたすらに 花になれこし 胡蝶かな

〽まさり草 秋にぞ咲ける 垣根かな

〽いそじ過ぎ かゝるべくとは 老身知る

〽知らぬ明日 いしくも過ぎて 道せばし

〽天つ風 うつろふものは 里の秋

〽明け暮れる 浪こゝもとに 寄せ返す

〽春も逝き 来る年の矢に 飛花落葉

〽奥山に 蓑代衣 秋の雨

〽わび住居 いつまで草の 眞しからず

〽言はずとも 神のしめゆふ 神を上げ

右は何れも、詠人知らざるものなり。

卅、

抑々、丑寅日本の太古にかゝはる古事の事は、語部に記るされしものの他、世に非らざるなり。古代オリエントの諸国より、アルタイ、モンゴル、黑龍江を道として、サガリィンに至りて、渡島を経にして東日流に至る古代山靼人のなかに付添ふる紅毛人ありて、その故地の諸事を傳ふ。さながら神の造れるが如き諸道具と、地より金銀銅鉄を鑛産して、衣食住の便を能くせりと曰ふ。

古老トシマインエカシの曰く。赤髪、青目のカムテルスとその妻なるアルライと曰ふあり。山靼より東日流に来たりて男子アウス、レゴウ、ヒテア、タイマス、女子テレウス、カトウス、ヘメレ、ノメミス、の夫婦にて、紅毛崎なる𦰫地に居住し、ヤンカロンと曰ふ邑を造りぬ。丈なせる葦の大平原にて、彼ら土を掘りて干炭を造り、群なせる鳥獸を狩獵して衣食住安全たり。地民と生々倶にし、これをアソベ族の王とせるも、山靼へ歸る多く、彼の遺せる信仰ぞ、久しく遺りたりと曰ふ。

卅一、

渡島は安東太郎貞季に依りて、渡島に志海苔柵、松前大舘、上国天川舘、を築きて海産物を十三湊、能代湊に入れ、山靼及び支那との交易に安東船の名を以て自在とせり。

荒覇吐丸、東日流丸、渡島丸、千島丸、揚州丸、泰平丸、宇曽利丸、閉伊丸、宇涛丸、上磯丸、山王丸、流鬼丸、日本丸、安日丸、是の程なる商船たり。船を造るは、松、杉、檜、を以て船の要骨、張板仕切とて工程し、板継目路に地湧油塊を挾みて防水なりて健全たり。古代は夏の間、大丸太を刻り抜き、船胴を張り合せたる帆と櫂にて潮路を往来せるハタと曰ふ舟なり。次代に至りて、板組に造り、浮力を竹束にて船胴に施し、大船と相成り、帆柱は四十尺、二柱と曰ふ。次代に支那より来船せる唐船をして、その工程を攺め、安東船と相成り、長航に耐え得る造船と船骨板版張り、船中二階に、船上舘も施工し、帆柱三本にて、その船速を加へたり。現代船とて、北前船如きは、安東船より船工ぞ及ばざるなり。

卅二、

康平五年、厨川落舘後、日本將軍厨川太夫安倍貞任の遺子高星丸を奉じて、主命に依りて、領民千八百人、家臣二百六十騎、東日流に脱退す。三手に分れ、秋田鹿角越え、荷薩體八幡越え、閉伊七時雨越え、の三方に別れ、高畑越中、菅野左京、金井玄馬、田口継重、藤原忠賴、相馬惣吉、佐藤京之介ら一人の落離れなく東日流に至れり。

安倍一族のこの他なる落人は猿石川遠野、仙北生保内、火内、糠部に居住し、今に子孫を遺すありぬ。遠くして渡島、山靼に渡るもありぬ。戦殉は官軍より少なくして、六百八十二人なりと曰ふ。安倍一族をして人命大事とせる一義をして、城より人馬を大事とせる戦法の故に、此の戦敗れり。馬を大事とせるは農耕に大事なる勞力なるが故なり。安倍一族の農は畑穀物、次に米なり。依て、落人の者は、戦に備へたる郷食あり、各己民の保在せるなく、安住地に移し置くに、戦にて飢ゆるなし。亦、一族の財なる金銀の遺産ぞ、かくあるときの再興に費したり。今に遺りきも、秘たり。

卅三、

安倍賴良の子に則任と曰ふあり、その晩年を氏季と曰ふ。八男にて、幼少の頃、東日流大里の十三湊に白鳥舘を築きて住はせり。東日流十三湊は渡島に近く、船を造れる民の住むる地なれば、一族の急機にありせば、その落着安住の郷たるべくを賴良の代より念願の地たり。宇曽利に安倍富忠、既住して渡島往来をぞ先なせり。宇曽利は海産多くして、富忠、一族の勢なせるも、常にして陸前への居領を望み、気仙の金爲時と常に相通ぜり。

然るに、安倍の故に、父賴良の許に難く、宇曽利に詮もなく駐りぬ。然るに阿久里川の事変より、金爲時、しきりに富忠に親近し、安倍日本將軍賴良に反忠をそそのかしめて、糠部に城を築き、更には仁登呂志に出城を築き、騎馬一千騎の勢を達せり。永承六年、金爲時、富忠に源賴義の親書を以て訪れ、密議をこらし、遂にして内々安倍氏への反忠に同意を得たり。天喜五年、遂に兵を挙げ、六郡に進め、賴良を討てり。

卅四、

世に前九年の役たるの實相ありぬ。上つ代に坂上田村麻呂の戦策に蝦夷は蝦夷を以て討つべしとて、日本將軍の幕下にありき親族の羽の清原武則及び宇曽利の安倍富忠に、金爲時を遣はし、貴重な賄賂を呈し、朝臣の位に賜はる念書を賜りければ、挙げて双方とも官軍となれり。かたや羽の清原武則が保つ五千の騎馬にある武則に、安倍一族討伐を果したる後の官位賜號を誓書せし宸筆を賜り、宇曽利富忠と倶に、太郎義家、自からの説得に安倍一族の命運果りぬ。

卅五、

源氏の一族が、代々にして奥州にかゝはるゝ第一義には、前九年の役をして、安倍一族を滅亡せしむるも何事の戦利にもなく、永代に渡る安倍氏産金は一塊の金をも得ることなかりき。依て、常に源氏の血胤にあるものは、好みて奥州に知行を望めり。然るに、幾百萬貫の黄金は、露も當らず、たゞうはさのみに了りぬ。安倍一族の財寳、既にして海に沈めたるか、山中に埋めたるか、知る人もなし。安倍一族は不断にして、生々質素にして、衣食住の安泰を互に倹約せり。

奥州は常にして、寒波、冷害、作物に及しければ、心して国の飢餓緩急に不断の備へありて、渡島や陸奥の産金は、かくある時の救済になるものとて蓄積せり。黄金鑛鎔せども土に護らしめ、水に護らしめて、一族の生命を護らんとす。

卅六、

安東高恒の曰く。東日流の地は、さして国豊かにぞ保ち難し。依て、一族挙げ、外海を道とし、商易を来船また船商に出で、交易を旨とせるは、一族安泰の豊国と化せん。異土として、人の種を嫌はず、睦みと信を以て、唯、商益につとむべしと、大いに造船し、海夫を錬磨し、安東船は北海の海産物を積にし往復の積荷をして商易を得たり。東日流にや、米、造らずも出船、入船、山とし荷揚ぐる五穀には、民、大いに豊に悦びぬ。然るに、海は海難を人命に及ばしめ、依て、その船速を以て當達せる船造り、また沈まざる船造り、海路図などの航学により一層の努力をなせり。依て、海潮、日和見、潮流見取、など海夫の覚ゆを常とせり。船またその新造に攺めて、難を避くる寄湊の浜を、西海各處に設したりぬ。世襲に於て、安東船のみは異土往来を自在たるを、朝幕の許に外置かるゝ始末たり。安東船に積むる海産物は、やがては京船、堺船、坂東船、とて諸国諸湊に往来せり。

〽朝夕に 三十五反の 白帆みて
  日の本船の 来舶を待つ

若狹の小浜に遺りける古歌や目出度けれ。

北鑑 第十八巻 附書

秘之事 注言

此の書は他見無用、門外不出なり。一紙とても失ふ不可。

自寛政至大正  二年八月三日  和田末吉

閉伊の国十二岳、黄金澤塩道、上貞任山、西北夷羅草澤上右澤入百歩、・・・・・・・・・・・・ 安倍一族の古き地豪に遺れる古文あり。何をも知らず、たゞ大事たれとぞ子孫に遺し置く、古文の多きは、その限られき處に耳、存在せり。年號も是無く記せる、名も無ける謎なる古書なり。されば是れぞ、安倍一族が遺せし遺財の隱倉か、山師の立入れざる處ありて、土踏まづの山とて、入峯を禁ぜし山ありき。カマイダチ山、魔神山、魔岳、大倉山など、人の知れざる鈄のなだらかなる山を好みて、安東一族の縁る處、多し。

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(※ここに画像)

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山祭文

ヤカラハカラミマカリヤントラヨミハカラタオタリヤカラハカラキムサリオシヨロカムイハカラポロシベモイナイハクロバクロヤカラカムイシリキネブリトコタンベツモイオカシムヤカラハカカラオテナポロシンバラエカシエンオロロカムイカリ

山しるべ

よねしろの河添ふ阿仁さわかつにのぼり越しける平頂に東ながむればまたぎ神安日彦命祀らむる石塔東北をしるべに降りき、七澤のばんどり小澤、玉澤の流れにぞ歩みて百間、此の處に康平四年、  以下切断

たたら山面

(※ここに画像)

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クリルカン

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和田末吉 印

 

制作:F_kikaku