北鑑 第十九巻

北鑑 第巻數不詳(第十九巻)
表紙巻号部分欠(破れ)のため巻号不詳であるが、全六十一巻のうち欠番号巻は十九巻のみ。

注言
此の書は他見無用、門外不出なりと申付る。

秋田孝季
和田壱岐

巡史探訪にては賛否色々にして、人聞に名を隱す者あり、古證を燒却せるものぞありて、惜しきあり。多くは安倍一族なるを否するもの多きなり。今にして領主の異なりては、支障の招くありぬ故なり。

安倍一族に縁る者をよしとせざるは、公史の故にして国賊なる子孫たるの故に、安倍の姓を捨てつる多し。津軽、南部、秋田、何れも妨げありぬ。

三春への編史六百七十三巻、秋田孝季の留守中に灾らるも、その故なる不審ありきと人は曰ふなり。三春城の大火も、忍びの者の灾と曰ふ不審火たり。依て控書ぞ極秘に和田壱岐、是を人目を避け、自から飯詰の地に歸農せり。

一、

渡島の北方サガリィン、通稱、流鬼またの地名を樺太とも曰ふ。北端は黑龍江の河口、明国統治地ありて、市をなせり。常にして、サガリィンの住民ウデゲ族往来して、地産の海産物を以て通商せり。この島は正治二年、東日流十三湊福島城主安東堯季が自から赴きて、此の島領を日本国領とて標木を国領となし、建立しきたる處なり。

地語にしてサガリィンと稱したるも、山靼人、能く此の島に渡りき處なりせば、流鬼と號けたるも、聞障に付き樺太と正號せり。ブナとガンビの樹木、トド松の森林の豊かなりせば、北獸多く狩猟を得、海浜に群ぐ海獸多し。魚漁も海浜の幸多く、山地鑛ありぬ。南北に長嶺せる島にして、山靼に近しとて安東船日記に遺れり。

二、

役小角が感得せし金剛藏王權現の意義を明細す。金剛とは跋折羅、跋闍羅、跋目羅、と梵譯す。金中最剛の義にて討物、即ち帝釋及び密迹力士の所持せる杵を曰ふ。また金剛石の透明無色光輝、昼夜を通して放つ光りあり。神佛道にては教への譬喩に應用せり。

金剛界曼荼羅にては九會にして、法身如来の智慧の世界を金剛の譬喩を以て図化し、その譯を五相三密の修行に由りて佛身を成ずる從因向果、衆生從因向果、の二門あり。大日如来の通達菩提心、修善菩提心、成金剛心、佛心圓満を具へて悟を開き、金剛三摩耶地より三十三尊外金剛部の諸衆を出だし救済度し、是を羯摩會と曰ふ。

三摩耶會は成身佛諸尊が本誓に随ひて衆生を求導す。微細會は佛の五智を示し、大供養會は布施心を現せるものにして、四印會は四方四佛の大日如来のもとに、阿弥陀、薬師、阿閦、釋迦、の四智を示したるものなり。

一印會は智挙印を結ぶ大日如来の一印に歸するの示現なり。理趣會は大日如来が金剛薩埵に変化して煩惱滅除せる理趣を示したるものなり。降三世會は羯摩會を應用し、降三世明王となり、魔王らを済度して正しく教化を示し、降三世羯摩會と曰ふ。更に降三世三摩耶會ありて諸々の煩惱を断つ處と曰ふ。

これらに祈願を以てするは金剛結跏し金剛合掌、爲して金剛経を念ずるを正拝とす。備ふるものは金剛杵、金剛盤、を要す。

三、

佛傳に金剛藏王と曰ふありき。役小角が感得せし金剛藏王權現とは全く異なりぬ。金剛藏王とは胎藏虛空藏院中の菩薩なり。密號は秘密金剛、種字は字、三摩耶形は五股なり。形像は青黑なり。十六面にして百八譬なり。就中、一面は佛面にして獨杵、三鈷、輪、索、戟、剣、鉤、寳珠、梵篋、棒、花形杵ら執持し、寳蓮座に座す。依て、役小角が感得せし忿怒尊とは異なりぬ。

金剛の稱名ある経は金剛頂一切如来眞實攝大乗現證大教主経、金剛頂経、金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論、金剛頂瑜伽中略出念誦経、金剛般若波羅蜜経、金剛錍論、是の如くありける。役小角が用ひしはなかりける。

四、

西北 佛法にてこれを發心、修行、菩提、涅槃、の四門とせり。古来より生老病死を曰ふ。人の生涯に赴れる不退なる光陰の移る無常を示したるものなり。

また四趣として地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、の冥道を説き、または四修とて無餘修、長時修、無間修、尊重修、の行に盡さば、人門、天上、の引導ありとも曰ふ。

役小角はかゝる佛傳の諸行を脱し、修験無上道を覚得せり。小角は佛法を好むるところありて常に弟子に曰ふは、諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅爲樂と曰ふ佛陀悟要たり。役小角、常に曰く。神佛と號けて信仰とせるも、修験の行道に於て悟に至るは至難にして、信仰の義を易く覚つは、丑寅日本国の北郷に遺りき荒覇吐神の信仰にぞ得ること易し。自然に生じ、自然に歸り、自然に甦えるは、生死の理りなりと、唯一向に神の稱名に、天を仰ぎ、地に伏して、水に清淨せる信仰を行の要とせるは無上の極みなり。まさに神佛をして宗閥の佛宗に在りとも、何事の悟道やありなんと説きぬ。

役小角が東日流に於て知る、はるかなる異土の信仰、その渡来の道なる北方往来に知る由もなき支那渡来なる佛法の、支那に支派せる本末の混流に、清淨なりとて荒覇吐神を自身なる感得に入れて、金剛不壊摩訶如来と解明せり。

東日流中山に入滅の後、安倍氏はこれに染まざるに、役小角の成道と金剛不壊摩訶如来と曰ふ金剛藏王權現の本地尊を世に知ることもなかりきは心残りなり。

五、

東日流に於て金光坊が諸邑を巡脚し、法藏比丘四十八願と曰ふを説き、末法念仏獨明鈔と曰ふ自譯の説法を以て念佛を布教せり。

無三悪趣願、不更悪趣願、悉皆色願、無有好醜願、宿命智通願、他心智通願、天眠智通願、天耳智通願、神境智通願、速得漏盡願、住定聚願、光明無量願、壽命無量願、聲聞無量願、眷屬長壽願、無諸不善願、諸佛稱揚願、来迎接願、係念定生願、三十二相願、必至補處願、念佛往生願、供養諸佛願、供養如意願、説一切智願、那羅延身願、所須嚴淨願、見道場樹願、得辨才智願、智辨無窮願、国土清淨願、国土嚴飾願、觸光柔軟願、聞名得忍願、女人往生願、常修梵行願、人天致敬願、衣服随念願、受樂無染願、見諸佛土願、諸根具足願、住定供佛願、生尊貴家願、具足德本願、住定見佛願、随意聞法願、得不退轉願、得三法忍願、等なり。

是を要約せば、攝法身願、攝淨土願、攝衆生願の三要願と相成れり。

更に金光坊は是に四十八の戒をも付説せり。不敬師友戒、飲酒戒、食五辛戒、不教悔罪戒、不供給請法戒、懈怠不聽法戒、背大向小戒、不看病戒、蓄殺衆生具戒、国使戒、販賣戒、諤毀戒、放火燒戒、假教戒、爲利倒説戒、恃勢乞求戒、無解作師戒、両舌戒、不行致救戒、瞋打報仇戒、憍慢不請法戒、憍慢假説戒、不学習佛戒、不善和衆戒、獨受利養戒、受別請戒、別請僧戒、邪命自活戒、不敬好時戒、不行救贖戒、損害衆生戒、邪業覚觀戒、暫念小乗戒、不發願戒、冒難遊行戒、乖尊卑次序戒、不修福慧戒、㨂擇受戒、無慙受施戒、爲利作師戒、爲悪人説戒戒、不供養経典戒、不化衆生戒、説法不如法戒、非法制限戒、破法戒、ら是の如し。是ぞ、末法念佛獨明鈔なり。

六、

文永十一年、三十六歳の僧にて一遍と稱す和尚に依りて、時宗と曰ふ念佛を以て無上往生の爲に宗意とせる往生安心のため、毎時臨終に心得て、阿弥陀経の臨命終時時機相應値遇智識大時禮讃と曰ふ稱命念佛にて往生をする求道にあり。

念佛爲先、即ち、極樂往生する爲の修行は念佛を先とすると曰ふ廬山の慧遠の曰ふ功高易進念佛爲先、即ち、念佛一行のみに依りて何事の怖れもなくして往生に叶ふ念佛は因にして、往生は果なりと、一遍は建治二年八月、陸奥衣川の川西にて鬼剣舞の神樂衆に念佛踊りを傳授せりと曰ふなり。

七、

東日流奥法郡藤崎城領主安東一族の菩提寺平等教院萬藏寺に於ては、正和甲寅歳の落慶より十三湊山王坊十三宗寺と倶に應當学を衆生に授学せしめたり。その学とは授戒にして支那直傳たり。

その科目ぞ百戒なり。

一、著内衣戒、二、著三衣戒、三、反抄衣戒、四、反抄衣坐戒、五、衣纏頭戒、六、衣纏頭坐戒、七、覆頭戒、八、覆頭坐戒、九、跳行戒、十、跳行坐戒、十一、又腰戒、十二、又腰坐戒、十三、搖身戒、十四、搖身坐戒、十五、棹臂戒、十六、棹臂坐戒、十七、覆身戒、十八、覆身坐戒、十九、左右顧視戒、二十、靜默戒、二十一、靜默坐戒、二十二、戯笑戒、二十三、戯笑坐戒、二十四、用意受食戒、二十五、溢鉢受食戒、二十六、溢鉢受羹飯戒、二十七、羹飯等食戒、二十八、以次食戒、二十五、挑鉢中食戒、三十、索羹飯戒、三十一、飲覆羹戒、三十二、視比坐鉢戒、三十三、繋鉢想食戒、三十四、大揣食戒、三十五、張口待食戒、三十六、含食語戒、三十七、遥擲口中戒、三十八、遺落食戒、三十九、頬食戒、四十、嚼食作聲戒、四十一、噏飯食戒、四十二、舌舐食戒、四十三、振手食戒、四十四、把散飯戒、四十五、汚手捉食器戒、四十六、棄洗鉢水戒、四十七、生草上大小便戒、四十八、水中大小便戒、四十九、立大小便戒、五十、反抄衣説法戒、五十一、衣纒説法戒、五十二、覆頭説法戒、五十三、哀頭説法戒、五十四、又腰説法戒、五十五、佛塔中宿戒、五十六、藏物塔中戒、五十七、著草屣説法戒、五十八、著履説法戒、五十九、騎乗説法戒、六十、著草屣入塔戒、六十一、提草屣入塔戒、六十二、著草屣燒塔戒、六十三、著富羅入塔戒、六十四、捉富羅入塔戒、六十五、塔下坐食戒、六十六、塔下擔死屍戒、六十七、塔下埋屍戒、六十八、塔下燒屍戒、六十九、向塔燒屍戒、七十、塔四辺燒屍戒、七十一、持衣牀塔下過戒、七十二、塔下大小便戒、七十三、向塔大小便戒、七十四、塔四辺大小便戒、七十五、持佛像至大小便戒、七十六、塔下嚼楊枝戒、七十七、向塔嚼楊枝戒、七十八、塔四辺嚼楊枝戒、七十九、塔下涕涶戒、八十、向塔涕涶戒、八十一、塔四辺涕涶戒、八十二、向塔𨥤脚坐戒、八十三、安佛下房戒、八十四、人坐己立説法戒、八十五、人臥己坐説法戒、八十六、人在座己在非座説法戒、八十七、人在高経行處説法戒、八十八、人在前行説法戒、八十九、人在高経行處説法戒、九十、人在道説法戒、九十一、携手道行戒、九十二、上樹戒、九十三、杖絡囊戒、九十四、持枝人説法戒、九十五、持剣人説法戒、九十六、持矛人説法戒、九十七、持刀人説法戒、九十八、持蓋人説法戒、九十九、汚衣臭放戒、百、自放曼戒、以上を自他倶に学びたり。

学舍

十三湊山王十三宗寺各坊、飯積大光院、藤崎平等教院、法師、三世寺、宇涛、安方宮、等也。

八、

十三湊山王に十三宗寺を方丈に建つるは、日本將軍安東中納言盛季公なり。息子康季を若狹小浜に、羽賀寺再建の勅令を奉じたる後に、大納言の授賜奉る天下泰平の祈願に建立せしものなり。

時に、東日流にては、足利の幕下南部守行の東日流侵駐に暗雲ぞ民心を憂しめき。世襲なりせば盛季、泰平を謀りて渡島、飽田、に領民を移し、既にして新領の益を得たり。羽賀寺は勅願道場の故に伽藍の落慶に長日を経すとも落慶至らしめ、寺工の費一切負うたり。依て、小浜に安東船の寄湊ぞ、天下御免たり。

九、

金剛藏王權現、金剛不壊摩訶如来、是ぞ、本地垂跡の遍一切處光明不滅と譯し、法力は全能にして欠くものなく、宇宙の眞如實相の大尊なり。是を感得せし役小角は、東日流に荒覇吐神ありと聞きて、出雲にその門客神を拝し、是れ荒覇吐神とぞ聞き、その本祀になる丑寅日本国への求道ぞ創りぬ。

役小角、既にして本地の感得前に垂地なる金剛藏王權現を感得し、如何にしても、未だ本地の名も相も、感得に遠くして叶はず、丑寅日本国の国神荒覇吐神にその求道を尋ねたり。されば、東日流に至り、葦𦰫と曰ふ處にて、東方を見渡し、一点の半圓なる東日流中山連峯に眼を留どめたり。をりしも日輪光々として、その山頂に八本の光明を朝なる八雲を抜きて昇る雄姿ぞ、神々しく、小角、思はず彼の峯に答あらんとての麓なる飯積の山邑に赴きぬ。

先づ、地の古老に石塔山の由来を聞て大悦せり。安日彦大王、長髄彦大王、此の地に王位の挙式をぞなさしめたるの靈山とて、山路に入りぬれば、あたかも山東の外浜に湧く大霞、山の端を幽め、木立は雲の立つが如く、仙境の五月雨と降りかゝりぬ。

苔着る如く石塔ありイシカのカムイと曰ふなん。此の山は人の入峯を禁じ、道を通さず、石塔を神とて祀る靈地たり。

小角は渓に沐浴し、大石塔前に祭壇を作り、弟子等十二人と倶に断食、通夜の祈行に入りて三日の夜、子の刻、丈なす護摩の火中に現れたるは金剛藏王權現にして、火の鎭まりがけに再燃したる火中に顯はれたるは、まさに役小角が生涯をかけにし大本地の金剛不壊摩訶如来の示現たり。五佛の捧ぐる蓮台に二獅子二龍二象の化身六方に、その背乗に半迦趺坐にして御印は施無畏にしての示現たり。

居並ぶ弟子等、地老のエカシより習へし、荒覇吐神の偈文を稱へたり。

ホーオ シンバラ アラハバキカムイ
イシカホノリガコカムイ ホーオ イシヤホー
ルガルブルハンカムイ ホーオ シンバラ

加へて曰ふす

南無金剛藏王權現 南無金剛不壊摩訶如来 引導の法喜菩薩

と一心不乱にして拝したる後、弟子の唐小摩坊、此のさまを繪に書留めたり。役小角、此の地を去ることなく、此の年の十二月十一日、石塔山草堂に入滅せり。石塔山に今も遺るゝ役小角の墓ぞ在りて、永眠せり。

十、

〽六尺三寸、四十貫、人より三倍力持ち、人の三倍かしこくて、阿呆じゃなかろにものもらひ、朝から晩まで、南無阿弥陀佛、虱衣の金光坊

東日流に淨土念佛を布教に来たる金光坊の巡脚に、村里の童等はかくもはやしたてる托鉢巡脚一途に歩く金光坊とは、もと築紫石垣觀音寺の勅願寺別當にあるを、念佛往生の十八願を一途に、荒覇吐神信仰に一統さる東日流にては、一人の念佛信者も得ることなく、行丘の北中野に住みつき、毎日の托鉢に巡脚し、世に捨てられし孤兒や身寄なき老人らを養生せしめたり。

行丘の長老甲野七衛門と曰ふあり。更には、林崎のやよとて老婆あり、金光坊のかゝる救済度に念佛信者と相なりぬ。金光坊に育られし孤兒は百十六人もの生長を得たりと曰ふ。かゝる過勞に金光坊、吐血病にかゝり、血を吐く毎日に、遂にして建保五年三月二十八日、他界せり。

金光坊の遺したる末法念佛獨明鈔こそ念佛往生の要たり。今に遺る行丘の北中野に在りき金光坊の墓に参人絶ゆなきは、安東氏、北畠氏、の厚き信仰にて東日流に念佛の信徒多く今に遺しぬ。東日流にての金光坊の脚跡には、逢田邑の阿弥陀川傳説、飯積大泉寺の攺宗、十三湊の湊迎寺、桑乃木田なる淨圓寺、藤崎の施主堂、行丘の西光寺、ら何れも金光上人の化度に依りて遺れる古寺なるを知るべし。

法明山大泉寺 利天坊

十一、

石塔山に遺る百八之鐘と曰ふあり。一鐘を百八之鐘とは如何なるの意趣にか説かん。

苦行に用ゆる百八打ありぬ。是を菩薩三昧とて百八種ありぬ。
首楞嚴、寳印、獅子戯、妙月、月憧相、出諸法、灌頂、畢法姓、畢憧相、金剛、八法相、三昧王、安立、放光、力進、高出、必入辨才、釋名字、觀方、陀羅尼印、無誑、攝諸法界、徧覆虚、金剛輪、寳断、能照、不求、無所、無心、淨燈、無辺明、觀喜、電光、無盡、成德、離盡、不動、不退、日燈、月淨、淨明、能作明、作行、知相、如金剛、心住、普明、安立、寳聚、妙法印、法等、断喜、到法頂、能散、分別諸法旬、字等相、離字、断縁、不壊、無種相、無虚行、離蒙昧、無去、不変異、度縁、集諸功德、無心、淨妙華、覚意、無量辨、無等等、度諸法、分別諸法、散疑、無住處、一荘嚴、生行、一行、不一行、妙行、達一切有底散、入名語、離音聲宇語、然炬、淨相、破相、一切種妙足、一不喜苦樂、無盡相、陀羅尼、攝諸邪正、滅僧愛、逆順、淨光、堅固、満月淨光、大荘嚴、能昭一切世問、三昧等、攝一切有諍無諍、不樂一切住處、如住定、壊身裏、壊語如虚空、離著虚空不染、なり。

十二、

奥州の鎧は黑革おどしに作る多し。大袖草摺は、音をいださぬに作り、太刀は尻ざやにて覆ふ。弓は山靼鹿角にて射程を長ぜり。

写眞No.1

前九年の役に用ひたる安倍一族の討物にては何處より射らるものか速箭の矢に討死せるもの多しと曰ふ。即ち、これぞモンゴル弓の射る安倍の囮兵たりと知らるに到るは、厨川にての落柵以来、官軍の衆が、恨靈の死神が放つ矢とて怖れたる討物たり。これらモンゴルの討物は渡島より安倍一族に献ぜられたるものと曰ふ。

安倍一族には山師の木隱者と曰ふありて、敵情やその奇襲に陰なる囮兵にして奉仕をなせる閉伊衆ありぬ。依て、源氏の追手は東日流及び閉伊に歩を踏込むなしと傳ふ。

豊間根賴任

十三、 磯野家文書

抑々、十三湊の山王に寺と曰ふ寺ありて、是を阿吽寺と曰ふなり。阿とは口を開きて聲を發す。吽とは口を閉じて發する聲にて、能く是を仁王及び獅子の相に、一は口を開き、一は口を閉じ、是をと曰ふ。

十三湊に佛道を離れ外道、即ち外学外法とも曰はれる佛教外の諸教学に、佛道を越ゆる求道境ありなんとて、阿吽寺外道四執道場を設したり。外道四執とは天竺にては六種より總じて、九十六種ありぬ。外道四計、外道四見、外道四宗、四種外道とも曰ふ。

數論外道説にては、宇宙の肇めより一切萬法は、起点なる因果にして火と熱との如く、因を離れて果なく、果を離れて因なく、差別不可得なりと説く。また、勝論外道の説には一切萬法は因は因、果は果にして異なると説きぬ。

尼犍子外道の説にては、一切萬法の因果は因なければ果なく、因ありて果あるに依りて是を併しては一となりけるも、もとなる因は因にて、果は果なり。依て、異なりぬるも、是は併せずしては、宇宙もなく物質もなく、一切は無なりと説く。

更にして菩提子外道の説にては、非一非異を執するもの一切法の因果が、若し因を離れて果のなくば、因の滅す果の滅すべきなり。然るに因は滅すとも、果は存するならば一に非らず、又、因と果との別ならば因がありても果も非らず、果在りても因のなきもの、果ぞありても因のなきものぞ、なくてはならず、故に異にも非らざると曰ふ。

一切の外道を邪因邪果、無因有果、有因無果、無因無果、の四執見にぞ分け、邪因邪果は萬物の生起を悉く大自在天即ち摩醯羅の一能力に歸し、萬物の發生は大自在天のなす處にて、有情の苦樂も亦、大自在天の喜怒より起ると曰ふなり。

無因有果とは宇宙の創まりは、無因より有果となりにしは、無因、即ち物質も時もなく、たゞ無の一点に有果の起点に宇宙は大爆裂にて無辺の暗は燒熱と光りに依りて燒塵を残したる物質にて宇宙は誕生しけると曰ふ。これぞ有果にして、星雲星々の大銀河に、日、月、木、火、土、金、水、阿僧祇の宇宙はなり、地界に萬物の誕生を授くと曰ふは、無因有果なりと曰ふ。

また有因無果とは現在になる事象は歴然とあり、是を有因とす、また来世は杳として、其の歸趣する處は知り難き故に無果といふなり。されば、次なる無因無果は、前世に現在なる爲の因なく、また末代に果なければ、現一世に局って、過去、未来のかかはりなしと曰ふを無因無果なりと曰ふなり。以上を外道四趣と曰ふ。

外道十六宗と曰ふあり。九十五種なる外道、それを代理て十六宗ありぬ。
因中有果宗 雨衆外道説、
從縁顯了宗 數論聲論説、
去来實有宗 獣主等一切外道説、
計我寳有宗 勝論計時説、
諸法皆常宗 伊師迦説、
諸因宿作宗 離繋説、
自在等因宗 不平等説、
害爲正法宗 一類論者説、
辺無辺等宗 婆羅門徒説、
不死矯乱宗 無乱外道説、
諸法無因宗 無因外道説、
七時断滅宗 断見外道説、
因果皆空宗 空見外道説、
妄計最勝宗 天竺外道説、
妄計清淨宗 現法涅槃説、
妄計吉祥宗 歴算外道説、
以上が十六宗なり。

外道には外道小乗四宗論、提婆菩薩釋㮙伽經中外道小乗四宗論、外道小乗涅槃論、等ありて、若衆好みて寺門に夜学せりと曰ふ。

外道学は神話及び佛語とは異り、哲理にして安倍氏大いに入学せしめたり。

十四、

天竺外道のなかにアラハバカ神あり、無因有果の部に属す理想神なり。宇宙の總ての誕生は、無より起因して有果となるをラマヤーナシブァの光熱とて大爆發し、暗を燒盡し、その物質塵を遺し、銀河の星雲を漂はしめり。此の塵よりはじめて形をなせる阿僧祇の星々が誕生し、大光熱の去りしあとに宇宙を無辺に灯したり。

星座は有果の法則にて構造され無因有果の基を顯したり。日輪、九曜星、月、は地球に伴ひて誕生し、地界は日輪の光熱と、その隔離に適當し、水ある星とて成長し、水あるが故に生命の種ぞ誕生し、生命體を構成進化せしむ分岐にて萬物の誕生ぞ相成りぬ。

アラハバカ、ラマヤーナ、シブァ、とは外道にて理趣を世に遺せし世の神佛道とは全く異なれる古代哲理と、科学、化学、の根元たり。天竺祖民アリアは、依て、迷想夢幻を入れず、こぞりて眞理の因と果に置学し、外道の哲理、十三湊山王に学舍ありきは、まさに奇得たり。

十五、

天竺外道の起りは古代シュメールのアリア族の流民アリア族の信仰にて、アラ、ハバキのグデア、ギルガメシュ大王の叙事詩なり。

宇宙の起原及び星座になる天竺のアラハバカ及びラマヤーナとは、まさに古代シュメール創国の思想たり。またエジプト、ギリシアに於ける神々の哲理、神話のカオスの聖火と、まさに宇宙誕生を外道なる天竺民の迷信なき哲学たり。

はるかなる天竺にありき外道とは、今、佛教の外にあるものとて、外道を求道せるは少數なれども、能くも丑寅日本の国末たる十三湊山王に遺りきは、未問の成果たり。阿吽寺、山王外道学舍は、今は遺らざるも、かくも明細に外道を説きける語部録ぞ、今更に貴重たりとぞ感銘せるところなり。

何れも山靼より渡来せるものぞと思ひしに、かくも受入れたるはアラハバキ神の古代究明の信念ただならぬものと感ずるところなり。以上、外道の事如件。

慶應元年十月日   磯野勘兵衛

右の如く磯野家當代の書物あり。もと祖先なるは、安東船なる船王、幾代にも家系すと曰ふなり。

權七付書

十六、 丑寅俗歌集 上巻

以下、何れも詠人知らず

〽白みゆく しのゝめ空に 若松の
  枝も盛なす 弘前の城

〽大手門 出入れる籠の あさまにも
  春まだあさき 吐息けぶりて

〽三つ峯の 津軽岩木の 山こそは
  古るきのすがた かしこに映し

〽日の本の 天守高なす 本丸に
  松の梢えも はらばへて見ゆ

〽弘前の 城下に市なす にぎはひは
  つとに榮ゆる 人の活聲

〽馬市の 別れぞ悲し 飼童
  買はれ後追ふ 姿淋しき

〽岩木川 のぼりくだりの 苫船に
  十三の砂山 浜梨飾る

〽丈を越す 大里葦の 屋根葺は
  久しく保つ 家運にこめて

〽世の中は 石ぞ流れて 葉の沈む
  嘉瀬の盆唄 如何と聞くらん

〽夢こそに 望みをかけて 百姓の
  泥にまみゆる 田草取りかな

〽貧しさに 旅でてかせぐ 子をまたで
  親は冥土に 逝きて歸らず

〽夏草を 盆に向へて 草を抜き
  年に一度の 親を想ひて

〽生きてこそ 爲すべくことは 叶ふるも
  死しては如何も 爲らざりなけん

〽名のみ春 残雪まだら 山里の
  寂しき故に 鳥はしば鳴く

〽冬旅の 道こそかはれ 雪踏の
  下は川なれ 沼をも渡る

〽浮世をば 善悪乍ら ゆきくれぬ
  夢を覚すな 夢またの夢

〽果知らぬ 若きの望み さながらに
  よるべの水も 年を忘れて

〽いづくとも 行くへも知らず 夢路添ひ
  心もとなや 死なれざりけり

〽花にほふ 庭のかんばせ 寝たきりの
  病にあれば つとなき心

十七、 丑寅俗歌集 中巻

以下、何れも詠人知らず

〽かげろふの うしろめたくや 行き過ぎの
  なまめき立てる 若き妹背は

〽幽かなる 陸奥に富士見ゆ ところあり
  気付く人なく 見る人もなき

〽生れきて 安しきことなし 道芝の
  あへなき露も 風のそなたに

〽天照らす 野もせの草に なびく風
  放つる駒の 群れついなゝき

〽花にめで げにも盡きぬは 定めなき
  あだなる露の つれづれもなき

〽蘆火焚く わが苫古へ 見馴れしも
  春の霞に 浮つ見ゆらむ

〽見るだにも重き鎧の 身仕たくに
  さゝはいかにと 心を盡す

〽よみて日を 數々多き 出陣の
  ほつれ草摺り 糸替ふ父は

〽今宵こそ 手にたつ敵を 夜討せん
  人目をつゝむ 野隱れの陣

〽夜もすがら 目もくれ消えて うつる夢
  打つ引く常に あめはゝこぎて

〽おろそかに 忍ぶもぢずり 敵の陣
  跡のしるしに 草をも踏まず

〽渡島には 戦もたらす 兆しをば
  およぼしたもな 神ませる国

〽白龍の 雪に雲飛ぶ 北国の
  戦ぞあらば 白魔逆吹く

〽かしましく 土堤のよしきり さえずりぬ
  北上川の 水の奏でに

〽ためしなき 死出の旅とは ゆゝしくも
  心つくさせ 思ひわりなし

〽人生の つらきものには 絶え絶えの
  ふりゆく人の 合ふも叶はず

〽はらはらと 風花舞ふる みちのくの
  けふの旅路ぞ 足ぞ重けむ

〽雄物川 雪解流がる 水濁り
  白鳥既に 北空に發つ

以上全歌詠人知らず

十八、 丑寅俗歌集 下巻

以下、何れも詠人知らず

〽降りやまぬ 雪の日出づる 父の山
  炭燒く冬の ありしに想ふ

〽吹雪負う 雪にまみれし 母屆く
  我が好むる 手造りの味

〽思ひ出は 父母に不孝の 我が過去も
  今更悔に かきめぐるかな

〽月に見ゆ 黑きまだらの おもてには
  神の社と 處覚えず

〽外道とは 優れし学の 智識にて
  史実のしるべ ありてこそあり

〽山靼の 擴きに人は 爭ひて
  故地を捨つる 人の住跡

〽渡り来る 山靼人の 曰ふならく
  日之本こそは 神の常世と

〽誰はとて 煩惱業苦 ありありて
  生てある身は 三界無安

〽みやびたる 京師の模倣 平泉
  自から灾く 夢の跡々

〽東日にはは 佛都の様も 在りにくし
  十三の湊の 皆灰は飛ぶ

〽陸奥しるべ 白河越ゆる 草木まで
  蝦夷なる国と 人を異なす

〽忘れまず 吾等が日の本 荒覇吐
  世にあるかぎり いつか世に咲く

右、上、中、下、常にぞ詠なせるものにて寛永六年に排斥さるゝものなり。

十九、

嘉吉三年、東日流を放棄せる安東一族の四散、何事の悔をも遺さず諸国に忍住の思に蒙りしは、京師に、山陰、山陽、に安東船の海士親族は永住せしむ。武家となり、商人となり、鍛治となり、海士のまゝに諸湊に住むる者ぞ、數、二萬八千人と曰ふ。

諸国に安倍氏、安東氏、安藤氏、の姓にある多きは、この故なりて、今は六十餘州に渡らざる處ぞなかりき。渡島、飽田、の地には移るが先に檜山城あり。渡島の十二舘ぞ亦、然りなりき。放棄のあとなる東日流にてもまた、南部氏のまゝならず、行丘北畠氏の手に夷地六郡の管領安東氏より委任され、まゝぞならざるは南部氏たり。

廿、

丑寅日本史は倭史に障る史実に在りせば、代々にして抹消の憂にあり、今は語部録にてその難を脱せり。依て、古證の品々秘のもとにありて、世襲の至るを待てり。その日のあらんをば祈りつ。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku