北鑑 第廿三巻

注言之事
此之書は他見に無用、門外不出と心得べし。

寛政六年七月   秋田孝季

一、

世に歴史の事は、民族の始祖より現に至る世にある事の知るべき故事なり。依て、史實を曲折して、世に無けるを造僞せるは、赦すべからざる行爲なり。

丑寅日本国は肇国以来の歴跡に忠實たるも、倭侵に依りて古證を消滅され、彼の史に攺め、神代など夢現幻想の史に永きに渉り、民心を洗腦せり。依て、神代など古にして實在せし如く信仰にまた諸史にぞ造りて現存す。依て、世に無かりける神代、それにまつわる神話を以て壮大な社殿の遺りきは、世襲の人命を下敷きたる、民の暮しに重税を負しめて成れる怨むべき遺財なり。

吾が丑寅日本国は、古代よりの遺證はことごとく抹消され、歴史なき化外の地とて、此の地に住む民族を夷人また蝦夷とて、永きに渉りて征夷と曰ふ討伐行を旨とし、その官ぞ今に天皇のもとに存在せしは、やるかたも無き忿怒ぞ覚つものなり。亦、日本国たる国號を奪稱し、倭国を日本と攺號せしも、やるかたのなき鬼道たり。

吾が丑寅の日本国は、山靼諸国に知らるゝ處にて、唐書に日本国は倭国と異なれる国とて、その存在を意識せり。

二、

宇宙の創めは無より化科せる因に依りて、突如に眞空の暗を、光りと熱と重力にて大爆烈し、擴大なる無限の暗を燒き盡せり。その光熱の跡に遺りしは化科の物質にて、その質性に果と曰ふ創造の自生ぞ創りぬ。果とは因に生ずる物質に含まるゝ諸々の質性を離融せしめ、重力作用を以て因に生じたる物質を集縮し、阿僧祇の宇宙を創造せり。光の無き宇宙、雲光りを出だす宇宙雲より創造されしは、星の誕生たり。星は星を産み、宇宙は果もなく擴りて、今もやまざるなり。

星の生るは宇宙雲の集塵集縮作用にて、その類をして誕生す。燃え盛る恒星、その動力に軌道せる惑星、その重力に衛星、微惑星、即ち月や流星の誕生相成れり。吾等の住むる地界とて、日輪に適當せる距離に軌道を隔つ惑星なり。程能く日輪の光熱を浴し、大洋と大陸を表面せる星として誕生せしより、地界の陸と海の岸に微細生物生命ぞ誕生し、陸質、水質、そして日輪の赤道、黄道の自轉作用にて化科の果に生命、生物の進化起り、萬有の生物生命の對世進化にて萬有各々進化をたどり、この生命、生物のなかに人類と曰ふ生命の誕生に至りぬ。然るに、萬有のなかには對世の進化通るゝものは、天変地異の篩に消滅せるあり、現に生なき古代生物の石と化したる遺骸を土中より出でたるを見つるあり。古生物なる歷證をしるべきなり。世の天変地異たる寒暖の候を知る處なり。生物生命の子孫を遺しける進化にては、常に生は死との背合せにて、生老病死の生死輪廻の都度なる進化を以て、存續し来たるなり。是の如く化科に解くは、古代シュメールのカルデア民また天竺のアールヤ民の哲理になる外道の因と果になる聖論たり。後世に以て是を立證せしは、宇宙構造を化科せし、コペルニクス萬物進化を立證せし、ダウエン等にて不動論と相成れり。

三、

人類とは如何にして萬物の先端に在りき進化の途に到れきや、その歴史の究めありぬ。古来、支那の地にその猿とは異なれる異形の骸骨土中より出で、時の皇帝に献覧せし傳ありき。人祖になるは萬物のなかに生々せる水陸両生の進化を經て、完全陸生になれる獣類より大森林に生息するもぐらの如きねずみの如き小動獣より猿の類と相成りて分岐せるなかより、始めなる人類と曰ふ進化の智能先端を向上せる人祖の誕生相成れり。

人類こそ、石の刃を造り、土を燒きて器を造り、住家に火を起し、毛皮を衣とし、また草木の皮を糸につむぎ、衣を織なせるに至れり。更に土石砂より金銀銅鉄を採鑛して、諸道具を造るに到れり。智能に開化する程に人類は、智能に得られざる生老病死と曰ふ憂を越ゆを得られず。依て、是れ神と曰ふ信仰の哲理を求め、何事も生々は死との背合なる運命の安らぎを求めたるなり。

神と曰ふ想定の創は、大宇宙の神秘と地水の異変を神の神通力に依るものとし、生死も神の不可思儀なる全能の事は、總て神の爲せる業と起想せり。かくして信仰ぞ民族あるところ何處に發起され、また傳はりたり。衣食住の術もまたその風土に併せて、人その暮しを傳はりぬ。農耕の流通、家畜とせるものを自然より飼馴せるは犬や馬そしてにわ鳥など、池に鯉などを放ち、不断に飢えざる保食にその生々を安住せしめたり。然るに、人はこの保食を討物執りて奪ふ、權力の群盗集団を以て、人の安住を犯すに到りて、その攻防より一族を導く大王及び防人の者をして、居住地を護るに至りてより、人の集団より国を造り、より一層の開化にて、その護国になる榮枯の闘爭は今に續きたり。民族国は是の如くして、現在ありぬは眞相なり。

四、

丑寅日本史は、古きの事を造らず綴りきは、古證のあるが故なり。古證とはなんぞ。北極星の如く萬古不動なる史實を實證せる遺蹟、遺物なり。信仰は古代を知るべく要あり。丑寅日本国に存在せる、あらはばき神の今に遺れる俗習にも遺り、盲暦と曰はれる數字及び語文字とて古代のまゝなる史證を今に遺しぬ。即ち、盲暦は後稱なれども、昔は五印奴亜留耶文字と曰ふ山靼渡来文字の多く用ひられたるを、今にいさゝか遺れるは盲暦に讀るゝなり。

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 是の如く古鏡にも鋳遺るゝありぬ。更には、語部録には四十文字にて數と文字をば遺しぬ。人形文字にては、

・は傳、・は神、・は天、・は地、・は水、・は人、・は女、・は男、・は住居、・は死、・は親子、・は討、などあり。漢書の渡る以前に、丑寅日本にては用ひられたるを知るべし。古代に物を交換せるとき、品の無かるときに渡す貨銭の如くなれるものにては、獣牙を以て買賣をせるあり。その高價たるは、鯨牙たり。次には石鏃、珠錦なる石を以て通貨とせり。物の換ふは定めありて、人の集ふる神祭る日に、長老は告げたりと曰ふなり。

五、

丑寅日本に於る古代衣食住とは、如何なる生々の程にありきかは、海産を一義として、次には狩獵、農耕を以て豊かに暮したるを語部録に記逑遺りぬ。四季を通じて、沿浜に寄りくる魚群、川に登り来る鮭、大勢をくり出して捕ふる鯨、そして海豚や魹などの大型海獣の仕留、そして釣漁と網漁、海草採集は年中に豊漁たり。冬を越す保食とて干物または塩漬、是は山に野に狩獵と同じけるも、互に産物交換をなして泰平に生々せるは、太古の食生と曰ふ。されば、古代農耕とは如何になれる作物ありや。稗より稲に至り、根菜、果実の即食、保食のものあり。如何なる年とて飢ゆなきを収したり。古代食とて、今に遺る食生傳統あるは、シトネ、シトギ、ボダ、シルシなどありきも、山靼より傳はるホルツぞ、戦事食とて用ひり。ホルツとは冬に造りきものにして、寒中に干したる肉を石にて突漬したるものにて、湯にひたし食ふものなり。更にはカンとて山菜を干固めたるは、汁として用ひ、此の双方、百日食とて何處に征くとも水ありせば飢ざるなり。

六、

古代之事は、天竺、支那よりはるか波斯の国に学ぶ、哲理、化科、信仰に学ぶ事多し。廣く多く世界の歴史を知りてこそ、吾が丑寅日本史の眞相を得ること多し。

山靼を道とせし吾が丑寅日本国の古代民らは、その往来を重ねたるに依りて国神荒覇吐神の理想信仰を得たり。荒覇吐神信仰はシュメール、ギリシア、エジプト、天竺、支那、モンゴルの信仰にて、その崇拝の要を修成されたるものなり。その祭文に曰く。全文は次の如く唱ひたり。

奉請全能神通力を以て生とし者を安心立命なさしめ給へとこそかしこみ曰さく。
奉請アラハバキ、ルガルの神、奉請アメン、ラァ、ホルスの神、奉請カオス、ゼウス、オリュンポス十二神、奉請ブルハン神、奉請イシカ、ホノリ、ガコの神、奉請天竺、支那の諸神、天神に一心不乱の信心を以て曰さく。

加持祈祷にかく唱ふは、きわめて後世の祭文なれども、不断にして神に唱ふるはたゞアラハバキイシカホノリガコカムイと、くりかえして稱ふは普通なり。

七、

昔、津軽に三仙聖地を以て仙術をきそうたり。阿闍羅仙人、中山仙人、十三仙人と曰ふあり。天地水三遁の術を、各々住むる仙境にて、その術を感得せしも、靈験の程は互に知る由もなく、三仙人をして行をなせる跡ぞ、東日流三千坊とて今に傳はりぬ。即ち此の三仙人とは、アジャラエカシ、イシカエカシ、キナシエカシと曰ふなり。久しき古代故にその明細なるは知る由もなかりけるも、山靼をして丑寅日本国東日流に落着せし異土の仙人たるは確実にして、多学なる陰陽師、化科外道師、哲理數学者たり。

東日流に語部録の古史を如実に遺るも、彼の仙人の遺業たり。無のなかに阿僧祇の宇宙誕生の因と果の原理、化科理數学にて極むる進化萬有の地上世界を因と果にて哲理の元を極めたる仙人たりと今に傳ふなり。

今は世襲の圧制にて人の名に遺るなく、阿闍羅山、梵珠山、大藏山と遺りぬ。總ては謎にて、語部録耳に遺るに到る。

八、

因の理證、果の理證、は總て羅摩耶那と摩訶數阿僧祇に轉移変化すと曰ふ。摩訶因、摩訶果の化科は、是れにて萬有すと曰ふなり。宇宙の創まれる前と後の成れにし諸證に、計り知れざる數学の原理ぞあり、萬有進化の哲理も、摩訶因と摩訶果の阿僧祇に至るなり。阿僧祇とは、數にて、因と果に生ずる。因の起るは壊にして、果の成る因原物質に成れるものと覚つべし。順にして解くは次の如し。無時空=起因=摩訶嚝因=物質集縮果=摩訶成果=有存進化果成=摩訶阿僧祇=壊因成果輪廻とて、現代ありと曰ふなり。

語部録に曰はしむれば、
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 是の如く説けり。

九、  みちのく旅歌集一、

〽行き暮れて 鎭守の軒に 夏の夜を
  宿るも蚊には 夜な寝もならず

〽たゞ涙 道に合ひたる のべ送り
  人世の常に 我が老先も

〽山路には 峯と木立と 谷の水
  こずえさやけく 巢造りの聲

〽音しげき 雪解の水に 瀬に躍る
  春のみちのく 道行きの旅

〽丑寅の 岸打つ波は 外浜の
  露湧く毎に 想ひ出づらむ

〽葦の原 大里果てに 日の落つる
  廣きぞ渡る 白鳥の群れ

〽何を今 今さらこそと 泣くアダコ
  嫁ゆく歳と 早やなりにけり

〽子守唄 泣く子に聞かす 東日流里
  泣けば山から 蒙古来ると

〽波しぶく 東の潮は 昔より
  鯨の道と 黑しくうねり

〽千代の影 日本あれど 夷の国と
  賎しく染みし 倭の記載跡

〽糠部野の 春告ぐ舞は えんぶりの
  鈴鳴る毎に 人はいそしむ

〽鈴は鳴る 神さび垣の 荒覇吐
  古きのまゝに 今も遺りき

〽山の峯 水分嶺と 陸海の
  丑寅續く 国は日の本

〽渡島には 檜山を流る 天の川
  楯なす城は 上国の柵

〽雲降り 雨をも降らし 仙北の
  隙行く駒の 時に別れて

〽如月の 風まだ寒し みちのくの
  旅に辛らきは 雪山颪

〽夕なれば 冠雲紅く 輝り返す
  陸羽の山は 黄金の衣

〽しのぶ草 荒れたる屋根に 生ゆるとも
  雨のもるまで 見上げ待らん

〽中んづく 泥に芽吹きの 水蓮に
  なづとも盡きぬ 常はさむらふ

十、

無爲とは因にして、有爲とは果なり。倭史に曰ふ神代とは僞爲作爲にして、因と果、何れも存在せざる夢幻にして證跡なし。梵字にしてとは譬喩にて損滅、又は狹劣の義を意趣す。抑々、爲作幻想は、信仰にして、本来空なりとは、因と果を重んずる外道の意趣なり。悟に成道せるも渇樹羅の汁を呑みて悟道を解くが如く盲語、盲悟の説法とならん。譬喩とは聞きて易く行ひ難し。羯磨金剛の如く、人心は年降る毎に一輪す。

佛法に説く迦陵頻伽、及び迦樓羅の如き靈鳥ぞ世にありける。怖しき鳩槃荼の世にありける如くは饕餮、及び龍を世に在ると信ずる如き妄想信仰なり。哲理化科の因明と果明なきは幽幻に等しきなり。唯識宗にては因明と果明に就て立せる四絶を十法に説きて、その化を爲すなり。一、随説因、二、觀待因、三、索引因、四、生起因、五、攝受因、六、引發因、七、定異因、八、同事因、九、相違因、十、不相違因、の十種に説きぬ。

丑寅日本国にては、これを加味せるものに荒覇吐神十因果呪法ありぬ。一、時空無質哲理因起論、二、起發大爆烈光熱哲理因起論、三、大廣膨張機因哲理不滅論、四、因起發残物質萬有哲理原素論、五、宇宙創誕大物質残塵哲理眞論、六、起果化科論、七、重力集塵大縮成果論、八、宇宙界創果論、九、宇宙起動果成論、十、宇宙萬有論、なり。

十一、  みちのく徘徊

〽孫守りの 翁は縁に たゝねなり

〽蛙鳴く 池に輪をかく みずしまし

〽なまめける 娘も既に 歳の頃

〽うきながら 老に賴まぬ 孫の意気

〽夜の雨に 眠り覚まされ 寝もやらず

〽もどかしや 急ぎいでたり 笠わすれ

〽友の死を 明かしかねたる よしなくも

〽時めきて こゝに来てだに うちかづき

〽まめ男 暑さ寒さも いとどしく

〽秋の神 山の峯より 里降る

〽わくらはに 住みてそ知るや 夜念佛

〽日も暮れて 東日流の里に 月の盃

〽立つ別れ 不覚の涙 ひたすらに

〽うわなりの つとなき心 はた見えず

〽力なき 牛の小車 多賀の月

〽しをりゆく 花になれこし 夏は散る

〽いそぢ過ぎ やはらやはらと 時ふりぬ

〽もろこしの 天仙理王 舞の風

〽隔なく うつろふものは 身の程も

〽ものいはじ 隙行く駒の 時は逝く

〽かちむしの 海山越えて 征くといふ

〽さえかへる 天の鳥船 いざ夜月

〽ものゝふの 八重の潮路も さればにや

〽ほのかに 人まつ虫の 夜半の原

〽秋の風 袖ふれつゞく 旅の道

〽立つすがり ありつる人と はたご仲

〽神さびの 山は苔路に 鎭しめぬ

〽まどろめば 風打つ音も うつゝなき

〽鳥追の 心にかゝる 通り雨

〽中山の 苔に露けき 石の塔

〽嬲つて 平手打たるゝ 色男

〽火ともしの 灯りにしるべ 羽黑山

〽夜をこめて 水車の音の かん高し

〽うつし世の わづかに住める 浮世かな

〽あなうらの 熱を水漬け 旅の宿

〽えめぐりて 小夜の手枕 遊ばされ

〽うろくづの 生けるを放つ 鳴子川

〽波寄せに ぶりこ採りつる おばこかな

〽髓肌を なまめき立てる 川乙女

〽我ぞとて 女郎と契る よしぞあり

〽十五夜の 月待つ程も 眠りけり

〽としをこめ 鉢咲き香る さつきかな

〽明けゆくや 松島浦の 朝ぼらけ

〽音を立て 水踏み降る 鴨の群れ

〽今朝に見る 花散り染めし おぼつかな

〽歎くとも よしや草葉の 霜に朽ち

〽雲ぞなき 心すみにし 朝道中

〽そと学ぶ 事もおろかや 盆踊り

〽よそまでも 天狗だふしの 音に立て

〽けふ見ずば 想ひにこめて 花見かな

十二、

生靈、死靈を靈媒せる者を神子、かんなぎ、梓神子、あがた神子、口寄せ、市子、などと稱し、梓弓の弦を鳴らして呪文を稱へて、神佛を請靈して、己れに乗り移らしめ、己が口より夢中の獨語の如く、其の靈の思ふ事事を傳ふは、鬼道とて、世の東西にかゝはらずはびこりぬ。なかんづく築紫の国に卑弥呼の如きは、幾百人の弟子を從へて女人王の如く、使者を韓国や支那までも鬼道の術を傳へたりと曰ふ。然るに、築紫の凶作、年を重ね飢餓を救済に請ふる民を救へず、折しも日蝕に日輪の欠けゆくに、民は狂暴に卑弥呼の住居を襲ふ處、二十八柵はことごとく炎上また皆刹されたり。時同じくして、韓、支那にても乱起り、鬼道の信仰ことごとく滅せりと曰ふ。倭史の外史に曰く神子とは此の事なりきを曰ふも實史なり。

十三、

十三湊に安東船起り、高麗・唐土に往来し、更には古来よりの山靼往来も商益興隆せり。時に築紫にては、築前槽谷郡筥崎湊より支那・朝鮮と往来し、その要湊たり。是を筥船とて、警護番役など置きたれば、十三湊に習ふるが如し。

倭国にては、支那・朝鮮と公私の紛爭數々ありしこと都度にして、新羅の賊船襲ふ事暫々なれど、かまへて築紫にては、倭寇船にて護るを轉じて、瀬戸内水軍むらごみ・しあく・いけだ・はこさき・まつうらなどの八幡船、彼の湾岸に神出鬼没の策を爲し船もろともに掠めたり。捕ふる者を歸化せしめ彼の国なる技を得たるは、その史證に乏しからざるなり。高麗の来寇或は倭寇の事頻出し更には蒙古の来寇ありきの實は、東寺王代記・善隣国寶記・教言郷日録らに見えたりぬれど、丑寅日本国十三湊にてはかゝる倭寇の類に同乗せず、帆に印して往来す。

十四、

人の一生は業に悲しみ、猶添ふる須臾刹那の苦を招く。異教の傳に曰はしむれば、地獄の閻魔法王あり。国は鉄圍山の外部に在りき。地獄に住し、常に十八冥宮と八萬の獄卒とを從へて、世界の有情の死して地獄に来る者を審判し、懲罰し、以て諸種の不善業を遮止すと曰ふなり。此の世にては、名誉と利益とは我が身を助けて、幸福ならしむるも、如何なる英雄も富豪も、死を免るゝ能はずとなり、此の世限りの名刹なり。天人も神仙も終には死の苦痛を免れずと曰ふ。因明果證論に曰く。死して死後界の在るべくもなし。死は瞬間にて萬有に甦り、地獄、極樂とは此の世にありて、萬物生死の轉生、新生をくりかえすと断言す。吾が丑寅日本国荒覇吐神信仰も是くなればなり。

十五、

仙伏とは東日流中山の行者を曰ふ。山伏とは出羽の羽黑山及び大峰山、葛城山の修験者を曰ふなり。行者は野に臥し、山に臥し、苔の露に濡れ乍ら、夜半に北極星を拝し、呪術を授くを曰ふ。即ち、東日流中山の者を曰ふ。修験山伏とは、出羽国東田川郡羽黑山修験道場及び大和国吉野郡大峯奥院道場及び大和国北葛城郡、河内国南河内郡との分界に在りき山などを修験根本道場とす。ちなみに出羽道場をば羽黑派とて異にせり。

東日流中山道場は役小角直流道場にて、本地金剛不壊摩訶如来、垂地金剛藏王權現を本尊と奉り、役小角仙人が自から感得せしものの本尊たり。三堂ありて、正面を大光院、右面を因明堂、左面を果成堂とし、東に別院金剛胎藏堂、西に伍佛本願堂あり。

此の山を石塔山といふなり。石塔山にては總神として、太古より荒覇吐神の鎭座せる山の聖境にして、人の参詣を断ぜる密行道場たり。古来、丑寅日本將軍の陵たる故に、長期の秘を今に保つぬ。永代、安倍、安東、秋田一族にて護持さる。

十六、

方士とは山靼より丑寅日本に傳はりし陰陽、神仙、醫薬、の三方術なり。此の三方法は常世の国に在る如く、まぼろしの三法と知る由もなく、我が国に至りぬ。傳へたるは纐纈と曰ふなり。東の国に難陀金龍、跋難陀銀龍、娑迦羅青龍、和修吉黑龍、德刃迦白龍、阿那那婆達多黄龍、摩那斯緑龍、優鉢羅雲龍の住む海あり。その国なる州ぞ常世なる国と曰ふなり。常に変らざる国にして、長生不老国とて、後世に除福も渡り来たりとて傳説多し。

十七、

石塔山火祭りに招神カムイノミと曰ふありぬ。小割の木を三角型に積むは、地なるホノリカムイノミにして、六角亀甲型に積むは、天なるイシカカムイノミなり。四角型に積むは水ならガコカムイノミなり。

神火は灾りてその火勢に判断せる神占なり。是を神事せるは、長老なるエカシにて、高樓階三段に建立し、地領に廣く告ぐる爲に、夜半に焚くと傳ふなり。オテナハララヤ、エカシハララヤ、コタンチセにも焚かるありと曰ふなり。

十八、

東日流は上磯に續く西海と宇曽利に續く東海との両端より、北方、渡島に續く北海、その海幸は古来より、その惠にぞ暮しを安養せり。阿蘇辺族、津保化族、麁族、熟族と移りて、民族一統せしは、安日彦大王にして、国を日本国と號したり。民族一統の睦に用ひしは信仰を以て、何事も支障なく民族は古習をぞ攺め、国造り、人の泰平に人を導きたり。事あらば、その報を速かにせんとて、かしこに道を通し、山靼より馬を入れ、その速駆を常として、猶も道造りに一層たり。浜の道、山切通し嶺道、澤道を通したり。依て、山住の民、海浜の民等しく産物を交換を速したり。生魚を山住に食せるを得たるゝは、山の氷雪に鮮保し、常に用ふるは丑寅の習ひたり。眞夏にては干物、塩漬の物を冬来に備ふる智惠ぞ、誰となく民の生々に習しとなり、ひもじける冬中の食生ぞなかりけるなり。

マタギの神、今に猶、安日彦大王を狩の神とて祀るは、道祖とて道の別れに標神とて石神を置きて祀りぬ。更には分水嶺にも祀りきは、狩人マタギの崇拝に由来す。

十九、  みちのく旅歌集 二、

〽旅ゆけば 出合ひの里の 村々に
  訛れる言葉 吾れもありとは

〽かんこ鳥 聞くたび毎に 里想ふ
  旅の山川 人情けかな

〽三つ石の 鬼の手型に 苔もなく
  神通力の 程を知らなむ

〽太刀筋は 常に練へて 手に立つぬ
  すわ事あるゝ 時に備へて

〽道に暮れ 急ぐ心の 足どりは
  道芝からみ 露も添へ濡る

〽唐衣の 錦織りなす 山靼の
  渡島の人の 着付馴れにし

〽雨降りて 一樹下に 宿るとも
  雨止まざれば 濡れて道行く

〽道しるべ 朽にしあれば 惑はされ
  通りの人を 待ちはび立つぬ

〽手向返し 恨をさへに 打つ引て
  たづきの敵は 味方なりとは

〽やみやみと 草摺り鳴らす 敵の攻め
  修羅みち逝きの 衣川原

〽木の間より 鎧に涼む 時もなく
  矢叫ぶ的は 我れに飛び来る

〽いたはりの 心もとなや 我が友は
  命つれなく 逝きにけるかな

〽今ぞ知る とてもの憂き身 なよ竹の
  葉にも言葉の あるを覚つぬ

〽陸奥の山 谷の鶯 みなゝがら
  霞にむせぶ 木立幽むる

〽はるかなる 山の彼方の 空遠く
  なれを想ひば かき曇るかな

〽鬼の住む 出羽の山賤に 住むるとも
  我れを護らん 荒覇吐神

〽代々かけれ 人は絶えねど うたかたの
  あらはれ消ゆる 元は遺らず

〽また襲ふ 陸奥の泰平 乱す敵
  天子の仰せと 矢の雨降らす

〽陸奥の風 西と東の 吹くまゝに
  稲は稔りに 作定かなり

〽蝦夷ぞとて とてもの憂身 代々に
  吾が日の本は 未だ下草

〽遺すもの これとて無きも みちのくは
  荒覇吐神 久遠に絶やさず

〽春の雨 降るとも見えで 濡れかゝる
  陸奥の山里 ほとゝぎす鳴き

〽みちのくに 心あらばや 白鳥の
  千歳に渡来 群をも絶えず

廿、

丑寅日本国の史は、世に在る事の史實に記し遺すも、障りありとて、八方に閉ぎ、諸記すべからく燒却の憂目に永年す。征夷の都度に民は奥地に住家を移し、貧にきはまる生々の、今にして蝦夷たるのあざけりに下敷かれ、浮ぶるせもなし。語部に傳ふる古代よりの物語り、何とて遺るはなかりきなり。

今にして信仰までも、倭の神話に基きて、心なき攺神にありければ、もとよりの国神たる荒覇吐神ぞ、何事の意趣、信仰の大要も人の心に離るる耳なり。而るに、神の息吹の絶ゆるなく、かしこに遺る神社、是ありぬ。古きの事は知らざるも、遺るゝ神の氏子らは、何れも安日彦大王の累血にありき。安倍、安東、秋田氏に縁る者の家系に存せり。いつ代にか丑寅日本国の史は世に出でなむありぬ。

廿一、

平泉藤原秀衡の家臣に安達四郎定祐あり。主命に依り、東日流平川の安東高恒に赴き、平泉佛殿の佛材を天竺、支那に求めんとて、その往来を請願す。安倍氏、平氏、清原氏の菩提をせん釋迦堂建立せしも、その佛土に當る天竺、支那の靈地より聖土と佛具の一切を依賴せり。然るに、安東船の水先は、支那揚州より南海に航なく、支那にての市にて買受くを以て決したり。折よく、十三湊に唐土船六艘来船し、その船頭に談議せば、山靼に商隊のナーダムあり、天竺商人集せるを聞き及び、その唐土船にてワニ湊へと航せり。

買収の金六千匹にして得たるは經版一萬經、写經六千巻、佛具、支那古鋳貨らの數々、船六艘、満積にして四年を經にして歸湊せり。保安壬寅年七月三日と曰ふなり。依て、平泉に天竺、支那の諸々なる佛具一切、諸經の一切、入荷を叶ひたり。平泉にぞ遺りける八宗の法典は、かくして得られたるも、泰衡の手火に灾られたるに依りて、失ふるは、源氏が攻の故、灰盡となりぬ。その遺物ぞ今に遺るは、金色堂にいさゝかにして、土くれとなりぬ。

廿二、  平泉天治目録

一、
頓教、漸教、秘密教、不定教、
二、
藏教、通教、別教、圓教、
三、
集解三巻、備釋三巻、集註十巻、
四、
法華經、大涅槃經、華嚴經、金光明經、維摩經、智度論、中論、法華論、一切經、菩薩處胎經、

以下切断

廿三、

人類と曰ふ人と成り、その類に白、黄、黑、の肌にて、世界に足跡を、第一に居住分布をせしは、黄色の民族なり。亜細亜大陸の北極より北をアラスカに渡り、北米、南米、更には、南洋諸島に居住分を弘げ、原住民の祖になるは、まさにモンゴロイド即ち、黄色人を以て果したる世界分布なり。その頃にては、白色紅毛人は少數民族にて、黑色民も亦、然なり。今なる世界民族をして、原住民を以て審せば、黄色民にて世界は占められり。

幾千年を經し、白人の侵略ありて、その安住を犯し、地領を略奪し、今なる世界国図となりけるも、古代により国を新天地とて渡り占たるは、モンゴロイドたるを知るべきなり。吾が国の人祖とて是の如し。大陸より渡り来たる民、その古きより順ずれば、阿蘇部族、津保化族、麁族、熟族を以て、丑寅日本の地は開けたり。人の各處に殖たれば、その攻防ありて、人はその闘爭にて他民族地を攻略し、その榮枯は今に遺れる遺跡に見らる。

エジプトの金字塔、ギリシャの神殿、支那の長城、倭国の大陵などは史證たり。然るに人の智能、進化に於て是の如きありて向上せり。敗れし者の報復は、子孫の血に絶ゆなく、侵略の者は必ず亡ぶる。神の天秤なる裁ありて久遠なるはなく、元の木阿弥に歸す。

廿四、

モンゴルとは蒙古の事なり。
ギリシャ、トルコ、エジプト、ペルシャ、シュメール、は波斯の国々と意趣すべきなり。天竺とは五印度なり。山靼とはこれらの總稱なり。人の民族六百八十六種にして、西に征く程に混血多く、その生々また異なりぬ。

北領に畜産あり、南領に農産ありぬ。日輪の赤道を南北にして季理ぞ逆轉し、東西をして時差異りぬ。地界は圓にして、陸海を表面す。日輪を廻る重力軌道あり。九星の間に地球は第三惑星たり。日輪をして廻る太陽系とて宇宙にくらぶれば片端の天體にて、宇宙星團は更に外宇宙ありて、人視の至らぬ遠きにありと曰ふなり。

かく宇宙に地界は粉点の如き一星なりと曰ふ。その一点に吾等あり。人の歴史を權者に占らるは、神の平等攝取に欠く行爲なり。

わが丑寅の民は、古代より人の睦みを一義に以て世々相渡り、泰平のなかに丑寅日本の大王国は成りて、倭国をはるかに越えて国を肇め、国を造りぬ。民はその故に山靼に往来して、人の暮しに智惠を得たり。倭人の曰ふ蝦夷たるはなんぞ。

廿五、

蝦夷とて曰ふは、倭史の丑寅日本国を曰ふ通稱たり。皇化に民族古来の傳統も重じるなく、負税、耳の圧制に從ふはなかりきなり。依て、是を逆きとて征夷に降伏せしめんに、その策、まゝならず、夷は夷を以て討つの謀策とし、諸々の手段に、遂には康平五年にして、安倍日本將軍を降し、遂には一統せしかに見ゆれども、北飽田、東日流、宇曽利、糠部、都母、荷薩體、閉伊、の地に倭侵はなかりけり。渡島にては十二舘を築き、既にして倭侵に備ふれど、以来侵略はなかりき。

安倍一族は安東氏とて再興し、海交を以て代々に榮えたり。山靼交易につなみ北方領土にその国權をなし、海産の益を挙したり。

倭にては、平將門の乱、源平の乱、北條鎌倉の騒動、元寇、そして北條氏滅亡に至る乱、にもかゝはらず、唯一向に商益を以て一族安泰の道を護りけるも、興国の津浪にて十三湊は廢湊と相成り、安東一族は南北朝のかゝはりに、一族の四散ありきは世襲たり。

廿六、

安東一族をして、文明文書に南朝年號、北朝年號を記せるあり。是即ち、一族をして分族をせし由因にて、安東より安藤、阿倍、安部、阿部、に姓を攺ふあり。諸国に仕官また移着せる庶家ありぬ。水軍を去りし者は、諸国の海浜に土着し、漁士となるもあり、また海を越え満達や山靼に住む者ぞありぬ。依て、安東一族の子孫は、諸国に累代を今に遺したり。荒覇吐神社の倭地に遺るもその故なり。中には宗家を越せる大名あり。官職ありて、神職、僧侶に於ても名のなせる者多し。更にして、異土にては地主の臣となりて、波斯に、王となれるもあり。

安倍一族の血は、古にして世界に土着せる新天地への拓者たり。亦、宗家とて大名の君座に在り。東軍方にその累代せるは三春藩なり。代々にして是の如く昔の威光を滅せずして世にあるは、まさに日本將軍の系に恥なき一族なり。古代諸族のなかに亡ぶなきは、めでたけれ。

廿七、

嘉吉三年、東日流の故地を放棄し、渡島と飽田に領民を先に移しめたるは、安東盛季にして、息子康季を若狹の小浜なる羽賀寺に勅願道場羽賀寺再興を果したるは、まさに安東一族の財のあらむる處なり。然るに、是れを狙ひたるは南部守行にして、足利將軍に請じて應永十七年に陸奥守を賜り、奥州糠部に根城をかまひて、しきりに安東一族をゆさぶるも、行丘に北畠顯成の虎視あり急攻に至らねど、その代を変りて遂に藤崎に戦端を切り、十三湊福島城、鏡舘、青山城、中島柵、羽黑舘、唐川城、柴崎城らを落しめて、東日流より安東一族を追放せるが如くも、安東氏はかゝる戦も長期に南部義政を制ふる謀計たり。渡島及び飽田の築城成れるまで、南部氏を東日流に釘付にせんに狼倉城を西に尻八城を東に南部氏を更に釘付けたり。

城を死守せざるは、安東氏が古来の作戦たり。また領民一人とて死せざるも是の如し。

廿八、

渡島マツオマナイに大舘、小舘を築き、上ノ国天川に華澤城、州崎舘、勝山城を築きて護り、飽田にては檜山城、北浦城、土崎城を築き、領民總て移しめたる東日流は、人影も無く、田畑は荒芒としてもぬけの空たるに、その新天地は活気盛んたり。

徒らに永らく東日流の戦に、南部氏は軍資を果盡し、根城に歸りたるも、宇曽利の川内には蠣崎藏人ありて、尻八城の安東政季と倶に南部氏攻略と聞く南部義政の驚きは、急にして、挙兵のならざるまゝ閉伊に兵を募りぬ。然るに、住民の多くは安倍氏に縁る多く、應ずるものなく、根城在郷の者を強徴せしめて、宇曽利に討行せるも、いざ討伐に一戦の前夜、逐電せる者多く、戦端に先陣を惑ふ頃、突如として蠣崎方に異変起りぬ。

はるか宇曽利の川内舘は大爆烈音しさまじく、城兵の多く、不戦にして事故死あり。南部への攻めも中断し、両將倶に残兵を卒ひて渡島筥舘に退きぬ。依て、義政もまた九死に一生を得たり。その事故とはオロシアよりの火薬と曰ふ。

廿九、

本書の写根たるは、總て安倍、安東、秋田氏に縁るものよりの集史なり。聞取文書、傳説、その遺跡をくまなく探訪し、須く集めたるものなり。依て、玉石混交となるありしも私筆加ひざるは、史編の主旨たり。

一行の加筆は萬行障りありては、吾等の巡脚にて得たる史集に意味なしとて、固く護り、そのまゝに記したり。但し漢書を以てそのまゝ遺すは、庶民の便に非らず、解きて現代文にて記したるを曰ふなり。

卅、

本書の要は、丑寅日本国の集史にして、後世の僞證、誤傳を審かにせんための諸聞なり。依て、断定の儀は此の史書の世俗の支障なき世に、世人に廣く讀せんを願ひて書遺したるものなり。

上古の事は語部録に創り、その国の創めより日本国と国を肇むる大王の累代になる代々の出来事を明細に遺し、失はれし天明の三春大火に安倍、安東、秋田一族の史纂を叶はしむるために、六十餘州に四散せる縁りの家史に巡脚して書写し綴りたるものなるも、選史正書、秋田土崎日和見台下の灾に燒失せるの控なり。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku