北鑑 第廿五巻

遺訓之掟書

此の書は他見無用門外不出とせよ。
常にして世襲の渡りに權謀術數にして、一握の能にも叶はざる主の令に死を捧げて党を威張り、衆を憂しむるは、永き朝幕の民圧治政の實なり。是を審せんとせば、非理法權天の報復も省みず、是を反きとて誅滅の討伐を受くは、古今に因習せる人の生々にまつはる世襲の因縁なり。上にある者は、下の起智を芽刈し、愚凡の城に封じて、その出世を科罪と爲し、学道に信仰にその生々を圧して、衆をして掌握の他に自在を許さず、唯、貧苦の境に、衆をして生さず、殺さず、ただ人身を生れ乍らにその一生を終世す。

もとより天地水の眞理の神は、永世にかかる横暴を赦し置く可に非ず、非理法權天は如何なる人をして造れる非道を永からむとせず、かかる世襲を報復に天誅を降すときこそ至るなり。世にある法則ぞ、權者にて造れるものなれば、神なる法則の天秤は善悪を計るる平等判断に及ばざるなり。

倭人、丑寅日本国を侵してより、住むる民を蝦夷と稱し、その生々を賎しみ、皇化にまつろはぬ反民にて、丑寅日本国を化外地とて、永く蝦夷征伐を以て丑寅日本国を永きに渡りて反敵の對的に衆を討伐に扇動し来りぬ。往古にして、吾が丑寅の日本国は萬年の昔より、西なる山靼の進みたる人の生々、安住の理りを受にして、その学道に信仰を得て、民こぞりてその安住想達、生々相互の救済に世々生々たり。然るにや、康平五年の乱にて、倭朝軍源氏の奸計限りを以て、日本將軍安倍一族の国主代々の胤系を誅滅、以来茲に丑寅日本国の人も国をも、いよいよ以て倭領皇土とせしめ、その国號までも奪いたり。

丑寅日本国史を抹消せしめ、日本王なる歴史の實相をも消滅せしむを以て策とせるも、あらはばき神ぞ、いつしか是を報復せむや。今に以て蝦夷民とて、祖来恥に偲ぶとも忍ぶべし。祖来、我が一族の血に掟たるあり。

人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、生々相互の救済ぞ、あらはばき神に三禮四拍一禮の祈念に、幾當来迄耐難きに耐ゆる可。

文化己巳年二月廿日   小枝留五郎

荒覇吐神抄

北斗の大熊座、小熊座なる尾にぞまたたける不動星を芯に春夏秋冬の季に巡るを一字に書きつれば、右巴、左巴とて觀測さるるなり。大宇宙は地界にめぐる黄道と赤道をめぐる十二星座とて一年の日進月歩を示現せる暦法たり。あらはばき神なる發祥地たる西山靼のシュメイル国にては、宇宙のなれるは、ただ暗黑と時もなき宇宙に、カオスの光熱を爆烈せしめ、宇宙に億兆の星を誕生せしめたるを以て、宇宙の明暗の示現を得たる後、日月地星の有爲転変の歴史は、移る世の相と相成りぬ。古代シュメイル国にカルデア民ありて、先住しけるも、かかる哲理に宇宙をカオス光熱とて、是ぞアラハバキ神のなせる全能なる神通力とて傳へたり。

アラハバキ神の大要にあるべくは、天地水の三要神にして萬物創生の大靈神とも信仰に説く、古代シュメイル国とて吾が国の世襲に同じく、侵敵の闘に亡び、その民は四散し、アルタイ及び蒙古の国を放浪しつゝ吾が国に落着せしものありて、傳へたる信仰にして、爾来、六千年にも及ぶるものなりせば、今にして絶えざる吾ら祖来の神にして、崇め奉ることこそよけれ。

延享乙丑年二月九日  陸羽多賀之住人  黑川勘兵衛

日本国之紀元考

丑寅日本国の創りは、古老代々に傳ふる古話に諸遺跡を巡りて證あり。その神話に基く處の山川至るかしこに實證を遺し在りぬ。

アソベ族、ツボケ族の往古幾十萬年の古傳、山靼より渡り来たる人祖と、その生域居住地、そして遺跡のありか、土くれより出づる古人の遺物、吾らが丑寅日本国をして古きにまさる古事はなかりき。

抑々、古来の先住にある民神にては、イシカの神、ホノリの神、ガコの神、即ち、天地水の三神を即一神にして祠りけるは、山靼紅毛人、此の国に渡りけるよりなり。古代オリエントの四大宗教たるギリシア、エジプト、エスライル、アラビアに遺る總ての神々に基くは、シュメイル国のギルガメシュ王が立君以前に以て、アラハバキ神の崇拝ぞ、カルデア民族にて求道されしより遺りき、世界唯一の古きに歴史ありける神信仰にして、吾が丑寅日本の荒覇吐神の故縁ぞ、かくなればなりける。

永禄甲子年九月十九日  閉伊邑之住人  菊池雲人

磐井之石神

奥磐井邑に石神あり。地神とて邑人、古来より崇拝し来りぬ。神とぞ崇まるる神石ぞ稲光山に在りて巨石なり。和銅二年の如月、突如として此の磐井より消えければ、邑人大いに怪しみて、四方に探しけるも見當るなし。或る日に邑長の長兵衛なる者、早池嶺山に似たる神石ありとて尋ねければ、山途の林中に老木をなぎ仆し、その神石にまぐれなかりけるに驚きぬ。此の地の人々の曰くは、大雪の夜、天空、眞昼の如く明るき山端に一光をなして降るを見ゆに登りゆけば、その辺り雪解けなして、未だに熱く湯気あぐ巨石ありて、是を天降りの石神とて、人々仰ぎたりと曰ふなり。巨石故に磐井の人々郷に運ぶならず、今にぞ遺れりと曰ふ。

享和丙寅ママ年五月三日  遠野之住  津田与吉 談

亘之ツボケ山

阿武隈の辺にツボケ山ありて、山峯にアラハバキカムイを祠れり。古き事、尋ねて知る人もなく、今世にして訪れるもなし。ツボケ山とは、東日流中山連峯に通稱坪毛山とあり石塔山聖地の次山にして、亘なるツボケ山との縁ぞ、諸傳に見當るなし。然るにや同じく號さるは偶然ならず、以後以て、事の實を尋ねたき處なり。亘なるツボケ山、その由来ぞ知る者あらば、御傳達あらば諸費を拙方とし一報あらんを乞ふ。

寛政五年六月二日   秋田孝季

不還幾星霜之祖史

世にシュメイル国のカルデア民族の王ギルガメシュが俗民信仰を採りて、アラハバキ神を天地水の神として、土版押字に叙事詩を遺して、信仰を度して以来、オスマン及びギリシアに渡りて、古代オリエントの神話ぞ、宇宙への天文を擴め、エジプトに渡りてはアメンラァ神の巨大遺跡を今に遺したり。

古代シュメイルが滅びても、その信仰はアルタイ、モンゴルに渡りて、吾が丑寅日本の地に至るは三千年前の史實にして、今に尚以て信仰を累代せるものなり。民族をして、その種性を嫌はず、亦、平等攝取の累訓とて、吾等民族の信仰に誓ふるは、人をして人の上に人を造らず、亦、人の下に人を造らざる相互救済に民族をして交はり、天地水の總てを神と奉り、和解し、相睦みてこそ成道とし、子々孫々永代の信仰に保つこそ、吾らは久遠の安住を得るなり。世界に以て信仰の道は、唯一にして全能は神をして他に非らざるなり。天に明暗あり、黄道、赤道ありて十二の星座あり。地なる生々萬物、水なる生々萬物はみな是の化に生死を轉生す。崇むる求道は唯一にして、アラハバキイシカホノリガコカムイぞと稱へ奉るべし。徒らに新興を起さず、他説、他様の外道に迷はざれば、全能の神アラハバキ神の救済に叶ふなり。此の他、心に他神道に惑ふ者は神の慈悲にその全能を疑ふ者にして自から不救に堕逝くもの也。

元禄十年七月一日   藤井伊予

丑寅日本史之證

モンゴルにクリルタイの記ありて、吾が丑寅日本国をジハンの国と稱したり。亦、支那書なる唐書に、日本国とは倭国と異なれる国と曰ふ。依て、坂東の安倍川より西は倭にして、糸魚川までに横断の境を東西にして、古代より国を異に、民族の生々来歴もまた異にせり。古来、丑寅日本国は山靼の国と交はり、黑龍大河を道とし流鬼及び渡島を經て流通往来し、遠くはオリエント、紅毛人国まで商行の域にクリルタイを通じて達せり。依て、古くその智識を得たり。金銀銅鉄の鑛熔を知りて、山海の幸を得たり。国、豊にして哲理の学を得て、その實を挙げたり。

古代オリエントの地にては、シュメイル王ギルガメシュに依りて創まれる農耕水利の引水、作物を稔らしめ、その成果に起れるカルデア民の高等なる国造りこそ、今なる世界主都になる基たり。信仰また然なる處にして、アラハバキ神を以て、天地水の理りを説きて、宇宙に黄道、赤道の春秋になる日輪の接点に四季に通ずる運行を以て十二星座を感得し、茲に宇宙創生の神格を示現せしめたり。

宇宙の創りは、無なる時空の一点に光熱の起爆を以て宇宙星座を誕生せしめたるは、アラ、ハバキの神にして、萬物の蘇生は是の種源より創りて、生死の轉生を以て久遠の生命を世に遺しぬ。原生より成道の化をなし、神にも信仰に於ては、その全能を顯はしける求道の達成を遺したり。

古代オリエントの信仰に於てをや。古代シュメイルの聖典より生じたるエジプトの信仰、ギリシアの神々、皆、この化を蒙むらざるはなし。此の地に安住を久遠ならしむが爲に神格の哲理をカルデア民族は選びて、ギルガメシュ王を立君せしめ、アラハバキ神を一統信仰と掟立し、国家と成さしむる成道の戦端に、世の智惠を明らめたるは、神を以て越えたる人心起立の哲理たり。

吾が丑寅日本に渡来しけるは、古代カルデア民族が故国戦乱を脱し、北に安住を求め、アルタイ及びモンゴルを越え、黑龍江の流れに乗りて、山靼、流鬼国、渡島、そして丑寅日本国にアラハバキ神なる信仰を今に遺し置けり。シュメイルのカルデア民語にしてアラとは宇宙にして獅子座を意趣し、ハバキとは母なる大地を意趣せるも、神なる哲理に基く聖説は、尚以て奥義の深きにありて、是を土版に押文字に遺したるルガルの聖典ぞ、古代シュメイル国なるジグラット瀝青の丘に散在せり。なかんじくウル王の代なる多し。

アラハバキ神とは、古代オリエント諸国に遺れる信仰の根元にして、その興亡をたどりぬ。エジプトのアメン、ラァ神、イスス神、ソカアル神、アヌピス神、其の他の神々、ギリシアなるカオス神、他多數なる神々、エスライルなるアブラハム及びエホバ神、アラビアなるアッラァ神、他、その北辰になるオオデンやゲルマン聖母神、クロオム神、等々、是れ皆、シュメイル王ギルガメシュの叙事詩より引用せざるものぞなきと曰ふなり。依て、吾が国なるアラハバキ神ぞ、その根源そのままなる信仰なり。

享和壬戌十月廿日  和賀之住人  堀田出雲

歌枕みちのく草紙

〽ふりゆく世 あざあざしくも よるべ水
  汲むや御手洗 あらばきの宮

〽色染むる 秋葉のにしき 石塔山
  返らぬもとの 歳の矢うつゝ

〽散もせず をかしとこそは 山賤の
  うつらふ影も 老隱るやと

〽けふこずは 思ひうちより たまさかに
  心知られば 月やあらぬと

〽花に香に 神も交はる 春霞
  家炊の煙り 昇つ覚えず まどろめば

〽しばらくは かげろふ人の
  夢かうつゝか 陸奥を瞼に

〽山吹きの 一枝を折りて 鼻に寄せ
  花のかんばせ 露の身もがら

〽分けつきる 奥ぞはるけき 衣川
  栗駒嶽の ただら通へて

〽道芝の 露けりはきて 朝發つの
  戦に向ふ 江刺もののふ

〽夜もすがら 先だつあとに たたずみて
  誰にたむけや 題目の聲

〽明日あると 戦につきる さだめには
  想うも空し 陸奥の仇風

〽天の川 傾く嶺の 岩手山
  げにも盡ぬは あらばきの神

〽日高見の あだなる露に あしたづは
  猶北に去る 国津ありこそ

〽敵かづく 雨のあしべに 江刺道
  かなはぬ命 げにや祈りつ

全歌よみ人知らず   寛保壬戌年二月日

火内雜話

東日流より秋田に脱藩せる者多きは、故事因縁に依る安倍一族の住むに諸圧の蒙るが故なり。安東貞利と曰ふ人あり。古事に縁りて日本將軍安倍厨川太夫貞任の系にして、陸州江刺の地行にありし岩屋洞太夫とも曰ふ一系にして、康平五年に東日流に落着せり。

爾来、子孫東日流下磯藤崎邑船場に住居し、代々十三湊往来の河運を營とせり。然るに、唐物、山靼物の商運藩禁と相成り、ただ葦、人、運のみとて貧負せり。依て、秋田土崎湊にぞ、持船總てを十三湊より上磯沖を秋田に出航しければ、金井沖にて津軽藩湊検役船に追れたるも、その追捕叶はず、無事土崎湊に至りぬ。時なる秋田藩主にては、是を援けて、佐竹藩船とて山靼の易航を赦され、一族は榮えたり。

東日流より脱藩せし者、追日に多くして、天文庚戌年より寛永壬午年の間、旧安倍氏に縁る者、二千三百戸以上とも曰ふ。秋田より三春藩に仕官せる者ありて、江戸評定に津軽藩訴ども、總てその沙汰を審議是あるはなかりけり。

文化壬申年五月十日   津田傳内

和田家之秘事

建保元年、鎌倉にて一族蜂起に敗れ、事あろふに宗家たる三浦氏の背きにて、義盛討死す。朝夷三郎、父義盛の遺骸を倶に、由の浜より房の君津沖にて安東船に援けられ、羽の土崎に逐電を得たり。安東氏より岩見澤知行を与へらるまま、朝夷三郎、此の地に子孫を遺しぬ。後代にして一族、東日流行丘に移りけるも、大浦爲信の起乱にて和田一族、飯積に移り、代々農を營めり。東日流に生くるに先づ往古なる家系を僞りて隱住せり。

和田家の系図に於て、月山系譜、鎌倉系譜、房州系譜を以て世襲に當りて用いたり。宗家にありては、安東氏の国替よりその祖遺を預り、渡島及び東日流、飽田、三陸、国の秘を護り来たり。

寛政五年二月日   和田長三郎

安倍氏諸財之不滅

奥州藤原三代百年の成華、産金貢馬、その積財も灰と盡きける滅亡の史ぞ、知れるところなれども、安倍氏、厨川に亡ぶるもその財、まったく敵収に渡ることなかりき。安倍一族が祖来より積財せる黄金、渡島のエカシより献ぜらる砂金の量たるや莫大なり。亦、一族の採鑛産金ぞ、子々孫々の爲に遺しける財とて、人視不踏の秘處に埋藏しけるは、宗家秘巻に密とせり。代々にして荒覇吐神を祀る域に在りと傳ふるも、定かなるはなし。

安倍一族の秘とて、今に遺るは祖来の秘に固きが故なり。その秘巻の護りけるは荒覇吐神にして、一族の固きに守護さる故なり。

秘巻積金之事に曰く。
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安永丙申年正月元日  飽田之住  木村与助

荒覇吐信仰抄

今上を去る事、六千年前西山靼の紅毛人国にカルデア民族ありて王国を創りぬ。史に曰はしむればシュメイル国と曰ふ。此の国は初めなる王をギルガメシュ王とて、民の信仰せるアラ神、宇宙黄道、赤道に十二星座を獅子座を以て顯せる神と、大地なる神地母神をハバキ神とて、是をアラハバキ神とせり。依て、是を天地とし、水なる神をルガルと稱したり。古代なるシュメイル国に於て、その以前より崇拝されし神にて、アラ、ハバキ、ルガルの三神を天地水とてカルデア民族になる族主グデアにて信仰の一統を渡らしめたるものなり。その布教にあるべく国々、ペルシャ、エラム、バビロニアに一族グデア語印にて渡りぬ。アッシリア王ディグラアトピレセル王の代に古代なるカルデア民の語印諸国に渡りて、古代オリエントの信仰その基に以て成れるは、ギリシアなるカオスの神を創めとせる諸神の發祥と相成りぬ。

更にエジプトなる金字塔に祀らるアメン、ラァ神、他諸神の基と相成りぬ。降りてはエスライルなるアブラハム神、エホバ神、西北のオオデン神、クロオム神、更にはムハメットなるアッラア神、信仰にも及びぬ。

シュメイル国をメソポタミアとも国名せるアッシリア王、アッシュルバニタル王にて廣く語印諸国に傳はりぬ。吾が丑寅日本国になる語印とてこの語印を基にせり。

アッシリア国王になるメソポタミアの征伏になるは、ハンムラ王になるチグリス及びユウフラテス川に国土を成れる主都の掠移なるは、シュメイルのウル都、次にはバビロニアなるバビロン、次にはアッシリアなるアシュウル、ニベネ、ニムルドに渡れるも、新バビロニア起りて、ネブカドスーザル王に征せられたり。かかる王国の榮枯になる跡ぞ、今にしては荒芒たる砂原に埋もりて瀝青の丘とて今に遺れり。地の古老の曰ふは、これをジグラトと稱す。かかる王政の興亡にもアラ、ハバキ、ルガル神の信仰を失ふなく、無數なる土版に語印を遺しぬ。是れなる意趣にあるべく神話の傳を以て、旧約聖書を綴りたるはオスマンのアララト山なる洪水傳説なり。亦、ギリシアなるオリュンポス山なる十二神傳説も然なり。ミノワに傳説あるも然る處にて、更にエジプト諸神、何れも王国興亡に脱せるカルデア民の安住天地にもたらせし故縁なり。吾が国に渡来せるアラハバキ神とは、支那、朝鮮より渡れる白山神、他、三輪神になる神々、亦はアルタイ及びモンゴルよりアラハバキ神とて渡来せる山靼人の直傳にあるは、丑寅日本国の信仰なり。

文化甲子年七月二日  陸州磐井之住  仙庭邦雄

荒覇吐神山靼抄

リラを奏でる神行事、マデイフに住むる葦屋の暮しは、農耕を以て豊かなるシュメイルのカルデア民こそ、国王を創むるエリドウに創まれる都は、ウル、ウルク、ラガシュ、ニップル、シュルツパクに渡る古代の歴跡ぞ、ルガルの神なるツグリス、ユウフラテスの川ありて成れる国の興亡たり。ウルナンム王に依りて築かれたるヅツグラトその都造りテメノスは、地老の今に語れる傳説たり。カルデア民族の必持品各々にして印證ありき。何人も語印の知らざる者はなかりき。衣食住の豊けきをエラム民族に攻略され、今にして荒芒たるも、シュメイル王ギルガメシュが遺せしは、此の国よりはるかなる吾が丑寅日本国に、今も尚遺れる荒覇吐神信仰なり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

荒覇吐神渡来

古代なるメソポタミア滅亡せる後、一千年の間にアラハバキ神信仰の化縁せる国々あり。天竺にてはシブァ神、支那にては西王母神、蒙古にてはブルハン、そして吾が国にアラハバキ神とてカルデア民なる直傳渡来と相成れり。その頃なるメソポタミアにてはアッシリアのニムルドになる遺跡ありて、更にニネベに於て尚遺りぬ。王はアッシュル・バニパルにして勇猛たり。亦、古代シュメイルの語印そのままに累継しウルク王ギルガメシュの叙事詩そのままに国史とせり。是れまた十五年にして滅亡し、ニベア、新バビロニア併合軍に依りて跡型なく消え失せし。アッシリアに遺れるはバビロンのイシュタル門、崩れ遺りぬる耳にして、茲にシュメイル歴史を世に閉たり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

古代エジプト傳

今より五千年前に国を創むるエジプト国にては、巨大なる金字塔の遺跡ありて、今に留む。なかんずくラムセス王の築きける石神殿、ナイル河なる一帯に現存し、訪れる者の膽を抜きぬ。エジプト創国になる一千年を經たる世襲王なり。ホルス神、ソカアル神、オスリス神、アヌピス神、イスス神、アメン・ラァ神、他多神にして、メソポタミアに習へて、語印をエジプト流にて今に遺しぬ。

国土一切、民のものならず、一握の土と曰へども国王のものにして、神なる活神とて民にしろしめしたり。ラムセス王のもとパネヒシセタウ、ハアムワセト、ロイらの執政せるルクソオルのカルナック神殿及び烈柱神殿にては百三十二本壮大なものにて、セテ王よりラムセス王、二代に渡りて築き継がれたりと、地の古老は曰ふなり。更にアスワンに遺るはヌビアの十四遺跡、そのひとつなるペイト・エル・ワリ神殿、奇抜たり。亦、タニスの遺跡十箇處あり。ヌビアにてはアブ・シンベル神殿また巨大たり。金字塔及び王家の墓になる遺物多く、今に遺りぬ。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

古代ギリシア傳

古代石築遺跡にては、ギリシア国なるアテネ、アクロポリスなるパルテノン神殿あり。此の国は地中海、エイゲ海、に突出せる国にて黑海とも海峽にて連らなりぬ。オリュンポス山に十二神を祀り、王国三百年にして了りぬ。世界になる歴史を攺へたるペルシア戦にては、最強たるペルシア軍に對應せる海戦にて、數倍に勝るるペルシア軍勢ペルセポリスの大軍をサラミス海峽にて、クセルクセス大王の攻手を敗北に奇勝せるより、ギリシア大いに振ふ。ペリクレス王はソクラテス及びプラトンなどを智者とし、ディオニュソスの野劇場築き、オリンピア競技を樂しみ、パルテノン殿をヘイリアスに築かせたり。女神アテナを祀りたる神殿なり。

古代ギリシアにては、宇宙を聖火にて造りき。神話になるカオス神を神祖とし、神王ゼウスが女神等に多くの神孫を遺したる神話の多き傳説あり。古代シュメイルの宇宙星座を更に多くせり。依て、今に宇宙星座の稱號ぞギリシア神話に依れる多し。亦、ギリシア文字にして、αβγδεζηθικλξοπρστυφχψω 是なる文字を見習へて、東日流語部文字ぞ相成りぬ。

ギリシア神なる信仰にては、シキタイ騎馬民に渡り、アルタイ平原をモンゴルに渡り、古代オリエントの諸信仰ぞ、黑龍河を道として、吾が丑寅日本に相渡れり。ギリシア王ペルクレス、亦、スパルタとの二十年に渉る戦に敗れて以来、神々の傳説耳遺りて崩滅せり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

荒覇吐神總抄

丑寅日本に渡るる西山靼紅毛人国の傳導ぞ、今にして遺るるは諸国に遺るアラハバキ神信仰にして、今に尚、崇拝さるるは、その歴史の深層たり。倭国にては絹の道をして支那より傳はりたる多し。吾が丑寅日本国にてはまさしくウデゲ族の曰ふアムウル河を道として渡来せるものなり。依て、その歴史に於ては古く、三千年乃至五千年の過却の事なりぬ。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

西山靼之事

古代国なるオスマン国はトルコ国にして、イスタンブルに都し、アナトリア即ち、コンスタンティノオブルなり。此の地にヒッタイト民、来りて国領す。この民族は鎖を鍛治し、征戦にまた強し。民祖はモンゴルにして、たちまちにしてエフェソスを掌中せるも、ギリシア民に侵駐さるも、ロオマ軍にて征伐さると曰ふ。この地にカッパドキアありて、ロオマ軍に圧せられるキリスト信徒隱住せる處あり。これを境とし、オスマン主都たるイスタンブルにロオマ軍になる城塞遺跡テオドニウスあり。亦、ソフィア寺院、遺りたるは、キリスト信徒にて遺されたるものなり。此の地にゲルマン民の侵入ありてビザンツン国とて攺む。世襲にして近辺にコオト国、フランスク国、ウマイヤ国、ランバルド国、ハンガリー国、セルビア国、ルウムセルジュク国、は皆モンゴルの掌中に握されたり。

オスマンに聳ゆアララト山、吾が国の坂東富士山にも似て、亦、富士山より尚高き山なり。ノアと曰ふ聖りは、神の告に洪水を悟り箱舟にて着きたる處なりと、旧約聖書に曰く。コンスタンティノオブル、ブルサエディルネはボスボラス海峽、金角湾マルマラ海に海路をして、北に黑海を渡航なし、アルタイ及びモンゴルに人の流通あり。

吾が国にて、オリュンポス山、更にエジプト及びシュメイル国への巡禮を旅せるしるべの国々、都々たり。ボスボラス海峽對岸にてルメリ、ビサル、ガラク、アナドルビサル、ウスクダルの城塞ありぬ。トロイア遺跡にてかかる西山靼なる古事を古老より聞きにしは、世々をして戦乱多き国々たり。依て、アラハバキ神ぞ故地を離れ、はるかなる吾が国に渡りたる故因ぞ、相解りたり。

文化甲子七年二日   仙庭邦雄

山靼道中記

天明己亥ママ年五月三日、老中田沼意次様の許を得て、渡島より流鬼国に至りぬ。明国領アムウル河を逆登りて航し、チタに下船せり。此の地、人ぞ住まざる處なれど、近辺なる地稱ぞ、吾が国なる千葉、三河、平泉など同稱ありぬ。古来よりモンゴルなるバイカル湖にてブルハン神の祭りあり。クリルタイの集に山靼の民族、總て集合せる古来よりの習し、今に遺りぬ。オロチョン族、オロッコ族、ビリヤアト族、ウデゲ族、クリル族、モンゴル族、カン族、ら五十六族の集合なり。更に西山靼の諸族相加はりて、大いににぎわふる祭りにて、是をクリルタイと曰ふ。

渡島に住むる先住民なる名稱にて千島民亦、同じなり。倭人はアイヌ、亦は蝦夷とぞ曰ふも賤しめたる稱なり。古きより丑寅日本に住むるをまつろわぬ蝦夷とし、此の国を化外の地とて異にせり。然るに、北海の幸、産金産馬に富めるを、皇化の從徒に貢税を蒙らしむに蝦夷征伐とて永く對し来たりぬ。征夷の將軍とて上毛野田道、阿部比羅夫、坂上田村麻呂、源賴義、ら奥州にその野望ぞ諦むなく、遂にして康平五年にして、時になる日本將軍厨川太夫討死、以来倭侵都度に侵入せり。

安倍一族亡びたるも貞任に遺兒あり、名を高星丸と曰ふ。長じて東日流藤崎に住み、姓名を安東十郎賴貞、亦は、安倍太郎高星と稱せり。肥前松浦に流居せる叔父宗任のすゝめにて、海商を十三湊に起す、以来北海の海産物を得て松浦と往来す。宋との通商、子孫を興隆せしめ、大いに隆盛す。亦、渡島の土民、是に應じて山海の幸を支那に亦、山靼に商易し、その利益を得たり。依て、安東船の名、異土に達し、唐船、韓船、東日流十三湊にぞ往来す。もとより山靼との往来ありて、クリルタイに連名しければ、安東船、宋朝の要湊揚州に通商を常とせり。支那元朝の世襲に於て、尚通商し、揚州の長たるロオマ国ベニスの商人、マルコポオロとの契約に依りて、丑寅日本領流鬼国の侵領を犯さざるなり。元朝と倭の国交はなかりきも、安東船、耳は山靼往来、亦、揚州より更に長江、黄河にまかる運河通船の許に在りて、長安に至る通商をも得たりと曰ふ。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

山靼往来

西洋、東洋の紀元に越ゆるはるかなる世紀前に實在せる民族の国造り及び信仰にて遺りき遺跡の多くは、西山靼の地に多し。宇宙の神秘、自然界に起れる謎の出来事、未智への究明は、解明に至るるまでに追究せるは、人の智能なり。

役小角、曰く。天空自在に、海洋自在に、飛行潜行せるもの、陸海より萬物を消滅せる凶素、火爆の凶素、空間萬里を越えて通達せる耳覚を得るもの、それぞ皆人間の智究に得らるとき至るありと餘言す。とは修験の荒行三昧にいでくる一節なり。亦、宇宙なる起り、生々萬物の始祖にありき往古の創め、その世々変移になる変化のさま、人の智ぞ、その究明に留むことぞなかりき。

信仰にては神とて全能を保つ崇拝に心寄せ、その求道に聖典とて遺す哲理を無常とせるも、多くは迷信に堕いぬ。されば信仰にて人の爭起り、亦、覚明にてもその兆を招くなり。人の世に人を圧せるは、人になる權勢に衆生を從ふるは智になる人の世の進むるにつれ添ふ因果なり。人はまた生々安住を求むが故に、衣食住の智覚を常に求めてやまざるなり。依て、古代なる丑寅日本の生々流轉に変らざるは、アラハバキ神の理に、迷信を抜きて唯一の眞理に人造り、学びの一生を子孫に遺すこそ、人道たりと、古来より受継ぎぬ。

生命は生命にして物質なり。魂魄は物質ならず。生命に籠れるも、物質に生死あれば、魂魄また旧骸を脱し、新生なる生命體に寄入す。これを轉生輪廻と先聖は曰き遺せり。

信仰とは迷へば雲泥の相違ありけるも、人は己れに納得せざれば、凶道とて求めてやまざる世習なり。吾が国のアラハバキ神仰ぞ、神をして人智を入れず、天なる宇宙、大地なる自然、生命に不可欠なる水の変化流轉を神通力とし、如何なる生命にある萬物と共存和解すべく哲理に以て、神通力相違すと、古代カルデア民族の心に創造されしアラハバキ神を以て信仰とす。

人の生々、各々異りて、生々爭ふるさま季に成れる草木の生々よりも愚凡たるあり。富貧をして爭ふは、あまねく世襲の史に遺る處なり。權者は死して尚、世に己れを遺さんと欲し、金字塔の如き王墓を造れるも、いつしか自然の砂と碎けむなり。

アラハバキ神なる信仰の理りぞ、その迷理に堕ゆなく眞理の究明に求道を果に置かざるなり。依て、人の一生に完結ぞなしとて、アラハバキ神なる全能神を、過去、現在、未来までの信仰におろがみて、己が生々なる滅後に願望せるを以て、信仰の誠なりと曰ふ。

人と生れしに、人の上下を造らず、生々和睦を保って、人道の生涯とせるは丑寅日本の生きさまなり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

山靼史之事

モンゴルなるブリヤート族、バイカル湖なるブルハンの神をアルタイのスキタイ騎馬民より信仰を受継ぎてより、その神を崇拝し、西欧にこれをキリスト教なるプレスタアジョンとて救世主に風聞せり。即ち、オットオ記に遺れり。ロオマに信仰を盛んならしめたるキリスト信徒に信じられたり。然るに、是れなる救世主プレスタアジョンとは、エスラム異教徒を征するキリストを崇む聖王と思いども、是れぞ、モンゴル騎馬大軍團のことにて世襲はテムジン王の征欧時たり。

モンゴル軍のエスラム信徒の征戦あり、ホラズム及びエルサレム、更にカイロ遠征に十萬騎を挙兵して落しぬ。然るに、モンゴル軍の征略ぞ、エスラムを討つばかりに非らず、ギリシアを降す耳ならず、ポオランドのレグニツアに進撃し、その護りを敗りて惨殺せり。人々、怖れて、これタルタロス人と稱したり。モンゴル軍は、更にハンガリーに攻めたるは、マシュウパリスに記ありぬ。

フランスなるリヨンの聖ヨハネ寺院にては、タルタロス、即ち東方のモンゴルにプラノカルピニを使節とて派遣せり。一年三月を經て、アルタイを越えモンゴルにプラノカルピニの見聞せるものは、タルタロス民とはモンゴルにして、その實記を記明せり。是をプラノカルピニ旅行記と云ふ。是ぞ、モンゴル族乍がらネストリウスキリスト信徒たるチンカイと曰ふありてプラノカルピニの親書をモンゴル王に解釋なして示したり。

ネストリウスキリスト教もまた、吾が国なる糠部の戸来邑に渡り、古代シリア風に崇拝さる。モンゴル軍の遠征ぞ、イランのエルブルズ山なるゲルドクウにエスラムのエスマイル派なる信徒を敗りたるも、バグダッドを經てエジプトに進撃せるや、マムルウク騎馬軍團に敗北せり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

蒙古之信仰要

国主テムジンの信仰にあるは、天地水の自然を神とし、一族の各々異なれる信仰者に己が信仰を以て從はしむことぞなかりき。人は各々生年月日、時を同じゅうせず、依て、各々崇む神なる信仰ぞ自在なり。

己が信仰、己が神なるを以て、人に信仰を進むるは、天秤の計を狂はしむ行爲なり。神なるは水平にして如何なる器にも表ぞ平らかなるを以て鎭むなり。湯気となりて天に昇り、地に降りて、その底に潜み、大海となりてはうねり、雨と降りては川と流れ、汲みては如何なる器にても染まざるなかりきなり。モンゴル民にして、信仰自在たるは、天地水の理を抜く神ぞなかりきと、自からを戒しめたり。

文化甲子年七月二日   仙庭邦雄

和田末吉 印

 

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