北鑑 第廿七巻


 此の書は他見無用にして、常に門外不出と心得よ。

秋田孝季

一、歌枕みちのく草紙

〽老隱る 心の奥の 思ひうち
  のぼりての世に こもる心は

〽たまさかに しばふる人の 客を得て
  月やあらぬに 春宵の宴

〽惜まじな 定なき浮世 かげろふの
  命みずかし 我は露の身

〽庭もせの 花は嵐に たをるとも
  残る一枝の 猶美くしき

〽ゆゝしくも 散らぬさきにと 時を得て
  父母に先だつ 郷に拝みて

〽木がくれの 氏神祀る 古き宮
  苔も石神 隱す生えつる

〽目かれせず 夕ぐれなゐに 咲く花の
  湖水に映る 十和田山吹き

〽色に染む 秋のみちのく 山路ゆく
  このもかのもに 楓のにしき

〽山路分け 峠の茶屋の 老妹背
  今もまめでか 想ひいづらむ

〽松島の いかにいはんや 潮なぎに
  昇る旭日は 目もくれなゐに

〽とりどりに さしひく糸の つくろひに
  網の高干 明日にもつ越し

〽狼の 月に吠えけん 雪の嶽
  青き冴え晴る 和賀の山々

〽わが寶 重代の太刀 天国の
  銘のほどにも 歴史こもれる

〽八雲湧く 東日流中山 かけまくも
  石塔山の 神を求めて

〽手に取れば 泥をいでこし 蓮の葉に
  露の白玉 風にゆら散る

〽さながらに 夕日殘晴 山の端に
  暮ゆく空を 渡るかりがね

〽心よせ 思ひの妻に 文を書く
  戦の陣に あといくばくぞ

〽人形を 人尺作り 空柵に
  敵寄せなして 不意を突くなん

二、

生れきてはいづくとも知らで、みちのくの山海に遊育し、父母に諸事を習ひ、生々の基を知り、風土の條きびしき冬寒にもめげず、我は今ありぬ。

みちのくの故事は古きにあり、山靼に上つ歴史の要を爲すは、更に古き代にまつはりぬ。その歴史の遡りて人祖の由を尋むれば、さても遠きに人の渡りありきを知るべきなり。抑々、世の創りより、人は求めて幸ある安住の新天地を東西南北に求めて相渡りぬ。歴史は古く、波紫の国にて人の類となり、人となりて衣食住を以て火を用ひ道具を造り便利とし、一族集ひて語を傳へ、印を以て意趣傳、石刃を造り狩を爲し、天に仰ぎて神と爲し、地に生死の神と爲し、水の一切、命とし、新族睦みてかき暮す。人の渡りを傳へなむ。號けて是をカルデア民となりにける。生々萬物みな乍ら、神の作りし世に住みて、神の作りし命をば、互に保つ。命を狩り採し、拾ひ捕ふる餌に食して命脈を保つも、神の与へし事なれば、人は榮ひて未知国に渡りて住別け、国開き歴史を遺す民となり、今にへりぬるを數ひば人祖の昔より今に過却の百萬年、智能に心身の神のふるえに適生の生ける進化のたどり道、種源の生命脱皮なし、人とし至る幾億年、生々萬物に抜んじて今に至る歴史あり。擴き世界の片陽、片陰に住み、国渡りき古人の祖に、生死の血を分けて今に至るゝ世の相、我等祖来の住み国を歴史に綴る語部の丑寅日本国こそは、なじとも盡きぬ眞實の暦みに依りて知るを得む。

三、

世の事は聞きて訪ねて、證に究め、尚、他説ありせば、能く審しきも、故事ばたどる眞實に遇ひ難く、一夜宿りがまた一夜、旅の年月かき暮らし、筆を書留む尋跡、有史の巡脚も馴れこし異郷の情には、別れもつらきことなれど、限る命の光陰に、次に求む史記の旅、名殘りもつきぬ別れあり。山道に物盗る賊を六連の隱銃火を吹かば、群ぐむ賊も退散し、是れも異土のものなれば、吾等の国の智識に通ずるゝ事知らず。常に白刃業更けるとも彈丸一發致命ぞ落速抜け難し。蝦夷として智識に遅くるゝは、是を制ふる鎖国の幕政なり。頭惱進化、世界の文明に隱れ閉ては、猶、後進に陥らむ。神代を信じ、神の救済に国運の泰平なかるべし。法の統制、權者に存して、民憂ふ民にて造らる理法こそ、永代す。

四、

嶺の落下、一握の雪塊も大雪なだれとなる如く、谷水留むる堤にも蟻の一穴、通貫せば永く降りにし雨水に、支ひは難く、破れて洪水起るが如く、人の造れるものに完璧ぞなかりけり。政事に悪治と法の抜道、悪德商、宗教の邪道ら、表の善に隱るゝ悪道の世に盡るなきは、世の人生なり。悦びは却り易く、苦惱に惱むる多きも人生なり。依て、人の造れるもの、神なる平等の光りに當て計る天秤に、罪の重軽を裁きては、世にある人に罪なき者ぞなし。無常はさながら人の心に悟り難く、快樂ぞ欲し、悪道に堕易し。犯して悔ゆ多きは人心なり。人世に生くる立命の要は、己が身心に制ふ善行心を大ならしめ、潜むる悪芽の心を摘むるべし。常にして悪因は油断を突きて、浂を誘はんとす、心して奸言を破るべし。

五、

朝政より幕政坂東に起り、その失政に皇政復古なる建武の中興、成れるも、世は南北朝に相乱し、幕府、倭国に再起しけるも、世は戦国となりて、天上爭奪の世と相成り、百姓出の木下氏の一代天下、大坂に亡び、權謀術數に德川氏、坂東に幕政を以て一統せしも、今や諸国に討幕の兆因あり。先の永からぬ勢運に盡きんとす。

わが国の四辺に迫るオロシア、メリケン、オランダ、イギリス、フランス、大亜細亜を殖民地とせん侵略のどたんば、鎖国を解かず、なにをもかにをも、文化文明に遅るゝ。異土にくらぶれば二百年の進歩を後進せり。怖るべくはオロシアの山靼侵領、樺太島、渡島、千島、を領權に掌握せんとす。昔、モンゴル、チンギスハンの如く、軍艦をして渡島に迫る。幕府、是れ術ならず、田沼意次、古にして北方の覇にありき三春秋田倩季を召して、北方の領治にありき古事を以て、是れに對せんとするも、秋田氏は公儀の令を断って、はしたの者、和田長三郎に渡異探訪の自在を願ひて、安永元年七月、秋田孝季、隱密に山靼へと旅立つぬ。オロシアのシベリア進駐の兵勢及びその国造りを探索たり。然るに、事露見し、公儀の者たれば、幕府として、かつてなかりき異土との戦を招ける一大事に因果せるにより、山靼逃遁行になりき身にて渡りぬ。時に和田長三郎吉次と同道し、倶に士族になからんはしたの者とてぞ、黑龍江を登航せり。

寛政覚書 林子平記より

六、

謹啓、起春の候、東日流にて櫻の便りも遠からず、日和の事如何候ぞ。私儀に付き飯積にまかりて對談是在り候。かねての件、今七日に旅出候。貴殿も江戸登城の砌り、田沼殿に同意仕るべく候事故、吾が娘りくと相解て然るべく候事の由、説候。若し、りくの反對大あらば、我説得仕り候故、安心あるべく候。りくとて武門の育生候はば、如何とも父として異論のあるまずく候。急ぎ仕たくかしとて一状致し候。

六月廿日  孝季

吉次殿

七、

歴史を記すに地の旧稱と新稱を知るべし。例へば松前と曰ふは新稱にして、末尾間内ぞ旧稱の如くなり。渡島にては、先住民地稱と倭人の地稱ありて、惑ふに非らず地住民の地稱を以て然るべきなり。もとより渡島及び全土は彼の先住民のものなればなり。

今、日本内地に地領を屬せしは、古にして安東一族の睦みにありて、住民挙げて同意せしものなれど、倭人来たりては地住民の祖来なるコタンも奪取し倭人地とし、地人をアイヌと稱していやしむまゝ共住を嫌ふて避地に追ひやりぬ。依て多く死をいだし少數の民となりきは、倭人の風土病を感染流病にせしものなり。もとより此の地になかりける病に地民傳統の癒法も功なく、對病に弱き地民の病を倭人醫は誰とて脈とる者なく、地の民は年毎に死者をいだす耳なり。亦、罪なきを罪に堕しむも倭人なり。地語にしてシャモンなりき。

安東氏の治世のときにては、コタンも同居住自在たり。チャシ及びポロチャシまたはポロカッチョチャシにも居住自在たり。

安東一族は、古来よりクリルタイに山靼と通商ありて、アンダの盟約を民族を異ならしむことぞなく自在に混血縁組を赦したり。生々は倶に睦ますくして爭ふさまなかりき。依て、日本内地に渡り来たりて住む多し。内地なる山川に渡島先住民の地名の多きもその故なり。然るにや、倭人の国中深く住入りて地民先民の暮したゞ北避地に押やらるさま、秋田氏となりつる世に至るとも、諸品多くその避地にある民を救ひたりと曰ふなり。

八、

物語りを作るとて、世になきさまを作るは名作ならず、世にありき事を萬人よしとせる程に語り、亦は、記して遺るものを名作と曰ふなり。記逑自由にても、眞を曲折せず物語るは、才文頭に苦心あれど、仕上りては永代なり。丑寅日本国の史書にして、かくあるはなけれども、世になき事は一行にもなかりき。代々に渡りては、あきにし通稱に加へて、再傳せるもありけり。然るに歴史のさまを変じて作逑せるは曲折なり。赦さるゝは、箸の直なるを器の水に入れて曲りて見ゆほどのことなるは、もとをそこねざる作にて、素直なり。心得ふべし。己れにも。

九、

東日流外浜十三湊、璤瑠澗上磯長浜の神威岳、巖鬼大嶽石神、三輪石神、阿闍羅石塔、中山石塔、宇曽利立石、糠部十二嶽石神ら古代なる先住民なる遺跡にて、神の聖地也。史に曰ふ外三郡とは東日流、宇曽利、秋田、閉伊をそれぞれ外三郡と曰ふは、化外三郡の小郡を曰ふ言葉なりと曰ふ。

宇曽利三郡とは玄武、宇曽利、糠部なり。東日流にては上磯、下磯、外浜なり。閉伊三郡とは魹ヶ浜、巖掌、日高、三郡なり。秋田三郡とは男鹿、鹿角、仙北にして、是を化外地とせる倭人の立入らざる地たり、と曰ふも定かなる證なかりき。今にして、奥五十三郡は白川より丑寅を区割せる郡にして倭史に遺るも、もとより阿境、峯境、澤境、分水嶺をして郡の境とせるは通常たるも、人住のなき處ぞ領廣し。

十、

巖手の地は、日高見河両岸平野に古跡ありて、日高見峯連山にまつはる神の傳説多し。その神なるは石神にして地突石、天の笠石、剣石、天門石、石群など神體とし、なかんずく三石神社の鬼の手型石にて岩手なる国號となれる石あり。天然に作られ、誠の神石たり。丑寅の古代神に石神多きは荒覇吐神の故なり。石神信仰は類に天地水に崇拝分をなして、山上にあるをイシカ、麓にあるをホノリ、里や海辺にあるをガコと稱して行事をせり。イシカの神にては丈餘の木幣を差持って登山せり。麓なるホノリの神は女神ゆい五色の流しや旗を差持てり。ガコなる神は若者、老人、童いづれも着飾りてイナウを捧げて祀るを常とせり。

何れの神にもカムイノミを捧げて、山神は朝日の来仰、麓神は舞踊り、水神には山海の地料理をふるまふる習ひあり。さながらにわひりと曰ふ。玉石神社の利益大なりとて今に在り。

十一、

丑寅の侍は、通ふ早朝の牧に群馬を法羅貝吹きて、立ちこめたる霧の中より馬を呼び寄せて塩をやり一頭に馬蹄を見やる、常乍らのことなり。三才馬を捕ひて睾丸を抜き、その尾に結び着けぬ。虻、蚊の絶ゆる晩秋の仕事なり。山なす刈干草、舘のかしこに積なせる冬備ひときをして、雪やぶに新馬乗りの馴れかしむ、冬の間、こぞりて鞍造りぬ。

女子は縫物、稗突きなど、乳兒ある女人はしばらくもいとまあらざるなり。刀匠また然り。舞草の刀練えぬく槌音も、日高見川辺邑々に聞く。

十二、

仙岩峠を源に東に流る西厨川なる奥二股澤に方丈あり。金剛胎藏院と稱す一光伍佛の像、是あり。開山阿闍梨、安倍入道良照なり。兄、日本將軍安倍賴良にして、安倍衣川太夫頻良の子なり。舘を此の地に築き鷲之巢柵と號けたり。山城なれば、平地少く樹木を以て城棟木隱れて見る人もなきまぼろし城なり。厨川落舘せしも、道に入りたる僧なれば、運を天に委ねて、此の地に郎黨共に生涯を了す。その北場跡に道草墓ぞ、良照が永眠せる處なり。

〽無常なり 道に入りての 戒破り
  戦に死やらず 厨抜け身は

〽佛をも 灾し我は 今更に
  佛に委ね 二股の月

安倍入道良照が遺歌なり。仙岩峠颪は今も猶、良照が聲かと心なしか耳を幽かに。

十三、

賴良に八男二女の子あるに、長男井殿二歳の流疫にて盲目と相成り、淨法寺沙門賢覚のもとに入道せり。盲目とても右眼は幽かなれどもほの見ゆほどに、道に歩むに全盲より不自由を覚えず、知らざれば、眼の見ゆ如くあれども、經を讀むに至らず、常師事は聲にて暗覚せり。諸行無常是生滅法生滅々己寂滅爲樂。武家に生れ、弓馬に離れ、ひたすら佛道に精進せるも、天喜五年に宇曽利富忠に捕はれ、江刺岩谷洞に賴良の出向くを良昭に書状あり、賴良、出向へ井殿を引取るや、富忠の狙矢に首筋を射られたり。良昭、富忠を討でも賴良死せり。

十四、

衣川の合戦に至る戦の仕掛人は、藤原説貞、金爲時、宇曽利富忠、清原武則らの反忠たる故因たり。富忠は安倍の身内にして、爲時は黑澤尻正任の重臣たり。武則は賴良との祖来盟約にあるも、藤原説貞の源氏よりの令は、蝦夷は蝦夷を以て討たしめ、その策に彼の欲するまゝに賄賂を以て反忠にそゝるべしとの画策たり。金爲時、先づその餌にかゝり、宇曽利富忠も是れに乗じて井殿を人質に賴良を出向はしめて、狙矢に討ったるも、良昭に討れ、賴良、死すと聞くや、武則も總二萬六千騎、賴良のもとに駆せ、康平五年、遂に安倍氏滅ぶ。

十五、

古きより賄賂を以て反忠を画策せしは、大宮人の企てたり。平將門の乱とて然りなり。將門、石井に坂東住民の貢税なき新天地、神農の舘を造り、坂東一統の政を起さんとせしに、それに賛集せる八平氏連も、朝宮の賄賂に將門への反忠を武勢を官軍に援じたり。

時に、安倍一族へも將門討伐の賄賂ありきも、安倍一族、是れに乗ぜず、何れにも兵馬を挙動せざるなり。依て、將門、討死し、その落人を救ひたり。相馬の地に住はしめ、子孫は奥州かしこに生々せり。依て、次なるは安倍一族なりと、前九年の役になるを画策す。

十六、

奥州に安倍一族の居住せる處は、日高川に添ふ地領たれど、今にしては安倍氏、安東氏、安藤氏、秋田氏とて日本国六十餘州に居住を擴め居りぬ。古代より君坐に直系して、宗家の筋にありては、三春藩大名に在り、小藩乍らも今に累代せるは、他にその例を見ざる古家系たり。

生々流轉の仮世に丑寅日本国の日本將軍とて子孫を今上に遺す家系の先は、安日彦大王、長髄彦大王の筆頭をなして代々を累代し遺れり。

十七、

荒覇吐神は、六十餘州崇拝の一統されたる代あり。その神社跡ぞ、かしこに遺るは幸ひなれども、多くはその由縁を知らざる多し。無理からざるなり。荒覇吐神とは、丑寅日本国の国神たりとは知る由もなかりけり。

此の神の由来にかゝはるは、はるか波紫の彼方にシュメール国あり。その国の民になるグデア王が發起崇拝せしを、次なる大王ギルガメシュ王が法典にルガル神と倶に崇拝せしはアラハバキ神たり。此の国に乱起り、領民は四散して、その民がもたらせる神とし、吾が国に渡るは、五千年前にして、東日流に創り諸国に渡りたるは、丑寅日本誕生以来、天地水の先住民の神と一致せる處ありて、遂に全土に弘布と相成れり。

荒覇吐神とは宇宙のすべてにして、大地のすべて、水の一切を曰ふなり。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku