北鑑 第卅八巻

戒告之事
此之書は他見に無用、門外不出と心得よ。亦、一書たりとも失書あるべからず。

寛政五年七月   秋田孝季

一、

茲に丑寅日本国の壮大なる歴史の大要を記し置きぬ。十五萬年乃至三十萬年前に遡る北辰の人跡に、その史を記せんとせば、山靼の擴大なる大陸に史證を探らざれば得る事難し。人祖とて萬物生々の一類にして進化の累代に重ねて成れる一生物にて、智脳に進化の度を速進せるその先端にあるも、他生物と同じく空を吸ひ餌を食て水を飲まずして生々難く長時の睡眠なくして心身保つ難し。是れ他生萬物も同じける生々の營みなり。されば人間となるべき祖の生態ぞ如何なる生相にありや、今にして知る由はなかりしも、考ずるに人間とは猿より累代を異に進化せしものと曰ふ論ありぬ。猿また、鼠の如き小動物より進化せし樹上生物に叶ふ手足進化を得て、更には樹下草原に降り、直立歩行に進化を叶ふたる猿人と相成り、有尾より無尾と更に進化を得たる智能の進化に達せるを、人祖とぞ曰ふは正論なりとも曰ふは、理想に叶ふ論なりとも曰ふなり。

人に類あり。白、黄、黑の肌色に誕生せるは、その生處風土にて種性の成れるものなりと曰ふも、定かならず。とかく人間としての智能に異なるなし。

吾が国の古代に信仰されし神あり、荒覇吐神ありける。人相人種に對して是を忌み嫌ふ勿れ。萬物はみな天地水の大惠に誕生せしものなりと説けり。更に神を解く眞理は如何なるものとて、神とは人間のみのものならず、天地水は萬物生々のものなりと説き給ひり。依て、神記、神の常世国、神代、高天原ぞあるべくもなしとも曰ふ。神とは天地水の大自然の他に非らざるなり、と説けり。

天は宇宙限りなく、銀河に星は群れて消滅生誕し、その數億兆の類に生じ、日輪の如く光熱に燃えその光熱を地なる星にそゝがしむ。地界に山海ありて、その光熱を種とし、地界の海に生物生命誕生せり。一種より他生に生物生命は進化し、生々萬物と類し各々子孫を遺しむなり。年を経る毎に進化を留むなく、遂には海中より陸に生命を繁殖し、今なる世と相成れり。かゝる生物を造りきは神とせば、天地水の他非らざるなり。依て、生々萬物一切のものは神の子なり。是れを神とせるは、荒覇吐神として、吾が丑寅日本国の国神たり。

天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコを荒覇吐神と稱し、今に神の社を遺したるを能く覚つべきなり。吾が国の古代より迷信ぞ信じるなく、信仰の眞理その哲理に叶ふを神とし、信仰とし来るは實に合掌すべきなり。

二、

史書をして神の事柄を記し置くは心しあらねども、記さゞれば消滅せん。依て書遺しけるものなり。荒覇吐神の信仰に附して數多く神事在りきも、世襲にまかれ毎年の如く古傳は消滅せるの憂ありき。昔の事は若き者に敬遠さるゝも、遺して益あるは大事として遺すべきなり。例へば諺なり。

是の如く遺りぬ。また唄にも遺るは數ありぬ。

〽長い刀で斬られるまでも
  わたしや添ひたい あの人と

〽十五夜お月様青山だひて
  わしらもだきたい 十七八

盆唄に遺るゝは次の如し。

〽盆なきたけど わが親来ない
  盆の蓮華 わが親ぞ

〽わらじきれても そまつにするな
  藁はお米の 親だもの

〽秋に咲いても なすびの花は
  千にひとつも むだはない

〽夫婦二人で 田の草取れば
  廣い一町田も せまくなる

〽高くとまるな お寺のからす
  高くとまっても 末もたぬ

是の如く、諺及び盆唄に遺るゝは、先人の戒と笑ひなり。更に神樂ありて、地に異なれる傳統遺りぬ。東日流のねぶた、宇曽利、糠部の山東、秋田のぼんてんや傘灯、岩手の鹿舞や鬼剣舞ら、古来からなれるものなり。

古よりその傳統を護るは、まさに地人の神事にて遺す他、古になる歴史の由を傳ふる事ならざる世襲の故因なり。

三、

渡島のウタリ、東日流の語部、倶に古になる事の由を次代に遺すものなり。時にはこれ、圧せらる事ぞありきも、かたくなに遺るはとゞめがたし。さなきだに逝くをも来るも、星がくる昔のことの、消えつと見せて尚振り興すは、陸奥の山里に忍び住む者の生気地なるとか、許に非らざる敗れし者の舊事の行、傳統絶やすまず、常時子孫に傳へたり。馬術、チャバンドウ、弓術、アンダ、投槍術、ゴマ、利剣術、カン、草隱忍術、トブサ、是れぞ安倍五法の術とて幼少の頃より得練せり。何れも軍事にては語部七種の文字にて書を交し、世襲の敵中横断の試練に不断の修業を、今に男子をして一度び放浪せり。依て諸国の事情時勢を知るは、安倍に縁れる者の常とせり。忍びに更けるは甲賀、伊賀、風魔ともに奥州黑脛巾衆に敵ふなし。此の傳統ぞ、伊達衆に用ひられしは、秋田實季が家来衆、師たりと曰ふ。

四、

天皇を神代よりの一系とせる造り事も、權の坐に在りて爲せる僞の正統史も、まかり通るなり。吾が丑寅日本国に、先の大王国の實在せるも、是を證なす遺跡・遺物の類を抹消し、保つ者あらば謀叛者と罪を科し是を極刑に處す法を作りて制圧す。亦、僞史を更に造りて民心を洗腦する手段として、幼兒より教育の義務とてその僞史を幼心に浸透せしめ公史の正傳として神代を歴史の實在たらしむ不動信に育生しければ、長じるともその義に忠節心を不動たるものに仕上ぐる。是れぞ、倭になる歴史の功妙たる僞作の公史なり。

北なる史實、實在すとも、是の如く法に權にそれを史書に綴り永きに渡らば国史となり神皇正統の記と相成れり。然るに實在に誠あれば、代々を降るともいつしか是を覆す世の至るらん。史實は強し。依て丑寅日本国の大王に一系せる日本將軍の史實に、何事の疑念非らざるなりと心得よ。

五、

古代東日流を三大王代と稱す。その一は阿蘇辺大王とて、岩木山麓に住居し一族五萬人と曰ふ。その次なるは津保化大王とて、宇曽利、糠部、外浜を轉住し一族八萬と曰ふ。第三なるは耶靡堆阿毎氏大王にて、故地を放棄して東日流に赴り民族併合してなれる安日彦王にして、その副王長髄彦王を以て国を肇め、東日流より坂東の安倍川、越の糸魚川に至る国境を爲し、阿蘇辺族、津保化族、麁族、熟族、渡島族、越族らを併合し荒覇吐族とて五十七萬人の大王に即位せし大王なり。依て語部録に曰ふ丑寅日本国大王とて、建国の一世とて奉りぬ。故以て是を紀元とす。

六、

旧唐書・新唐書は、倭・日本国と異なせる国にて丑寅の日辺の国と記し、宋書に曰ふ倭国とは、六国乃至七国の連併国と記逑せり。一、和珥、二、土師、三、平群、四、物部、五、大伴、六、蘇我、七、羽田、八、葛城、九、巨勢、十、大王、十一、中臣

倭史に數へては、倭の九氏、河内の二氏と相成りぬ。何れも丑寅日本国より世代の後世なるものにて、その上を記せし天皇記、国記を見ざるの史編たり。天皇記、国記は丑寅の日本肇国に何事のかゝはりなき故に、それを引史参考に一行とて用ひざるは、その故因なりき。

倭史の引用せるは、神代、肇国、天皇即位にかゝはる一切を辰韓辨韓馬韓帯方樂浪沃天高句麗集安宇文部鮮卑慕容邊拓跋部遼水河水西晋淮水江水東晋らの古傳に類似なして高天原や天孫降臨、三種の神器、五部神、天神の神勅、天皇即位、岩戸隱れの神話ぞ、眞写したる如く類似せり。

神の降臨せる地を日向の高千穗嶺とせるは、荒ぶる先住民を鎭圧せん無智識なる民への手段にて、大麻をいぶしその煙りに陶酔せるを以て復從の信を得たり。倭神の神事に能く用ふる麻糸の事は、その妖法なる名残りなり。天孫の倶なせる神樂に、中臣、忌部、猨女、鏡作、玉造りありて、是れを祭祀とせるも、渡来なる歸化人のなせるまゝに遺りきものなり。

七、

生々奥州に在りて永き世襲の圧制に出芽を摘れ、己が自在の志望も達成ならず、唯、蝦夷たるの賎みに過却を蒙りて逝くは憂ふるも、史實に丑寅日本国たるの大證あり。その世襲ぞ廻り来る日に今は偲び居れり。光陰は移る事速く、朝幕何れも失墜の時至らんや。

大王、悪なれば反き生じ、科税榮華なれば衆は反忠す。彼のオリエントの巨大なる遺跡になる神殿も、今は一人だに信仰にあるものなし。衆に救済の教導、誠にあれば久遠に遺りけるなり。如何に大王の威にある王国とて蟻の一穴に崩壊を招くあり。その事毎に民は幾萬の生命を下敷きに殉ぜられしは、歴史の常なりき。

吾が丑寅日本国は一義に以て人命尊重に、民平等の守權に理りを以て、天地水の神を一統の信仰となせるは荒覇吐神なり。その神なる主旨は、神は萬物生々の父母なり。依て吾等一族の血累に於て、人の上に人を造らず、人の下に人を造るなし。例へ王に選ばるゝとも、民の生々安住を導き足らざる王は、民の議に依りて是を除く主權あり、その王を選ぶるなりと掟ぞありて古代よりの傳統たり。王は律を造らず、民はこぞりて律を定め、王は是を執行す。依て是ぞ神の理に叶ふる信仰とし、亦国治の理念とせり。

八、

古来、倭にありては支那三韓をして流通し、文物、人物往来をして国を造り来たるも、丑寅日本国にては山靼に求めて往来せるに依りて、猶、古期なる世に於て成れる海道を越えて、更には黑龍江を航して山靼深く流通を叶ひたり。その奥なる處は亜細亜の果までも商易ありきは、古事にして世の知るべくもなかりける。その種族、百二十七族に餘りて、モンゴル族をして傳達せしむなり。

吾が国より商ふるは海産物にして干物多く、その類は昆布、天草、若布、鰊、鱈、鮭、鰯、鯣、鱶ひれ、獸毛皮にては黑狐、黑てん、らっこ、とどなどを商品とせり。何れも珍重され、その物交たるは異国にも高價なる金銀製陶器及び寶石にて、その都度に益したり。

古来より山靼にては商人行商を大事とし、如何なる馬賊も襲ふなくその商を妨ぐるなし。商隊、群をなし常に備へて討物を携帯せるも常とせり。依てその品渡り次ぎて来るはローマ、ギリシア、エジプト、エスラム、トルコ、シュメールの彼方より商品の入手可能たり。亦その国の歸化人も吾が国に至りて、諸職工の傳導ありぬ。

古になる海運は、海遠く渡らず、東日流より渡島、樺太そして山靼に至るなり。渡島西なる陸路、樺太なる西の陸路浜寄りに續くを、クリル道と稱したり。住民をして産する海産物、その流通は永く交易を保たれりと曰ふ。

九、

古事記、日本書紀を天皇の歴史に實相と考ずるは甚々軽率なる刃付なり。木に竹を継ぐ如きは、神話なれば意趣も異なれるも、歴史に證じ難し。倭国一統は大王各處に虎視眈眈として割處し、和珥氏、土師氏、物部氏、阿毎氏、平群氏、大伴氏、蘇我氏、羽田氏、巨勢氏、中臣氏、春日氏、葛城氏等が飛地領をして互に牽制し大王たるの一統を狙ふ上古の事は、とても恥歴の世相にありて諸氏も一行とて史に遺すことなかりき。天皇記たるに、その各氏の謀策にありきさま如實に記しけり。また国記にても然りなり。倭の肇国は丑寅日本史より三千年の後期に創りぬ。春日山、三輪山、耳成山、畝傍山、天香久山、膽駒山、金剛山、浪速之津、淀之津に在居せるはかゝる豪族の巣たり。

然るに西より耶靡堆氏、出雲、千代川、若狹小浜、敦賀、伊吹、白山、九頭龍、越、神通川、是を犀川三輪山にて掌握せる耶靡堆大王、倭国に入りて征略し一統さるゝも、少か三代安日彦王のとき倭の連合にて敗れ東国東北に敗北せり。その因は築紫の大挙せる水軍にて、熊野浪速に狹討されにし不覚たりと曰ふ。

吾が丑寅日本国に落来たる安日彦王、舍弟長髄彦、倶に禮を以て地の阿蘇部王、津保化王、麁王、熟王之四王に事の由を説き、茲に五王とてその勢を結し日本国と国號し五王の民を荒覇吐族と併合して茲に日本国を創立し、倭との領境を坂東の安倍川より越の糸魚川に地濠帯を以て定め、倭の押領を牽制し、その先陣関を天龍、諏訪、糸魚川に固めたり。是れ日本国の建国になる創めなり。安日彦大王の東西南北に四王を配し、その間隔つ處に国主、縣主、郡主を置きて国治す。

十、

神話倭史の書頭に天孫降臨を於ってはじまるが、是れぞ六加耶建国之傳説にて、神武天皇東征傳説は高句麗夫余の建国傳説を引用せしものと、彼の国になるあらすじと同じければ、古事記、日本書紀の神代史なんぞ信ずるに足らん。依て築紫、出雲の神話に創る三種の神器を皇位継承とせるは支那、三韓にありふれたる諸傳説の主旨たり。

大野安麻呂、稗田阿禮になる語部、その古事にかかはる仕入れは、是の如き他の舟に安乗せる古事記、日本書紀の編策たり。また東征のさまに穢、貊、沃沮、挹婁、契丹、民族神話に自考を加へたるものなり。

是を吾が丑寅日本国の上代史諸説をくらぶるに、異土の史傳及び神話を引用せるはなかりけり。神の出自、文字の出自に僞りなく明細を記しぬ。古代をオリエントの諸史に求めて吾が国の歴史の故因を説き、何事も作爲を加へず丑寅日本史は語部録を以てそのまゝ今に遺し置きけり。實に感無量なり。

十一、

人の渡り、世の移り、地異の変、風土の異候、古来より人はその適生、安住を求めて住居を移すあり。また故地戦乱に脱して移るあり。非常にして敗者の安住地を求めて移る在りぬ。何れも人は子孫安住の爲にその新天地に安心立命を求めて移動せるは、古来より人類なればこそ世界に分布せり。海を渡り大河を流れ、嶺を越え荒野砂漠を横断し、いてつく氷雪や、やけつく炎天を進みて至る人祖の土着に吾らは累代して今日に至るなり。そして歴史をその實情のまゝに傳ひきは丑寅日本語部録に明細たり。丑寅日本国史に以て、何事の作僞なきを信じ覚つべし。

十二、

權々謀々として大王の玉座を狙ふ倭の豪族天皇氏は、その中にその四方豪族を圧してなれるは倭史なり。依て、その豪族になる盛衰に依りて浮沈し、天皇は世襲に君臨し、或は空位のやむなきに至るゝあり。

天皇の位に在るは、時の力勢豪族にて廻りてなれるものなり。世は萬世一系とは天皇系図に非らざるなり。まして、神代に基付くの證、何事も無く、地に在りし神器を外聞の史に綴りて成らしむ由来を引用して造りきものなり。神代なる神話の數々、亦、然なるところなり。古代なる祭祀と呪術は猶以て然りなり。

丑寅日本国にては、多神を造らず、唯一に全能の神とて荒覇吐神をして、天なる壮大且つ神秘になる宇宙、日輪の光熱、月の満欠け、日蝕月蝕の訪れや、彗星の訪れを宇宙の運行に見つめて覚り、暦を造りて猶、的中せり。天になる風雲明暗、四季の寒暖、是を總じてイシカと稱し、大地なるホノリ、水の一切なるガコ、是の三神とせるも、三神即一神として修併せるは荒覇吐神なり。

天なるイシカの下に大地なるホノリ、水なるガコに生命萬物を誕生せしものと、その理を神なるものゝ創りきものとて、信仰の一統を以て、民の一致せる泰平を統治せり。大王は民をしてその仁にあるを、領域を代表せる長老の選抜に定まりぬ。代々にして、その一系を保ったる大王子孫は、長老を集いエカシの議にて決するの傳統を破る大王たるの非らざる故緣なりと語部録に傳はるところなり。丑寅日本の大王は、老いて判断の治政ならざるものを重位せず、若からず、老いからざるを大王とて推挙せり。依て、代々をして治政に欠く失事なかりけり。王者の大陵を造らず、水葬、土葬、火葬、何れも生前の遺言にて決す。

十三、

倭の国にては、大王のみならず地の豪族の長たるもの、みなゝがら死後の爲に大陵を造りたり。老坂に至りては、生々のうちに民を酷使して造營せり。此の歴代に世に非らざる大王を歴史に造りて天皇陵とて成せるありきは、各處に天皇陵とて認識せしめたるありぬ。その由は、天皇記、国記に能く明解せり。御陵の設定なるは稗田阿禮にて定むを公認とせしは、甚々作史外道なり。

大王の御陵とて眞に在るは數少なし。古陵はその石室の前棺を除きてぞ埋葬の例ありて、陵奪せるありぬ。亦、天皇陵に非らざる陵を後世に定めたるも多けるなり。依て、實の天皇陵をして豪士の陵とて今に遺るありぬ。古事にして成れる造陵の大なせるは豪士の陵、猶優るありぬ。倭史に名付たる天皇陵ぞ、その天皇に當らざるは極めて多し。

されば、丑寅日本国にては大王の陵たるは無く、自然に遺骸を委ね、その證跡も遺さざるなり。

十四、

大三輪蘇我郷に加賀の犀川三輪より此の地に成坐せる大王耶靡堆彦、軍を屯聚して先づ、物部連、尾張連、木国造、能登臣、鴨臣、三輪君、穗積臣、和珥臣、吉備臣、倭直、矢田部造、上毛野君、大伴連、平群臣、巨勢連、蘇我連、羽田臣、葛城君、春日君、土師君、中臣連等こぞりて、出雲大王、耶靡堆大王に国をゆずりぬ。

出雲大王、是を承給らず歸りければ、耶靡堆大王その坐に即位せり。是を御諸山大王と稱せり。国神に九頭龍を祀り、酒を奉りて祝いり。

〽九頭の龍 酒杉樽に 首枷て
  呑みて呑みほす 三輪酒船を

〽三輪の王 山明きぬれば 日輪の
  光りに満て 肇むる耶靡堆

安日彦王の記中に、是の如き傳、今に遺りぬ。

十五、

みちのくの春は遅く、五月に至りても山湲に残雪あり、朝夕に霞を立ちこめぬ。山々の立木は雲に浮生ふが如く風流たり。陽光あがり、霞は消えつるも、山面まだらに残雪の景を望む山里は、今頃にしてこぶしの花盛りなり。山吹も咲き、雪解を追って蕗のとうが、黄金の花を一面に咲き、湲水は遅雪解の水瀬をさわがしむ。

かじかの鳴く音に、ぶっぽうそうも合唱す。中山に神佛を求道せしむ雲水あり。雲の流れに向ひて法羅を吹き、金剛藏王權現を役小角に唱えて稱名す。石塔山の石神は太古のさまをそのまゝに、今猶、郷人の参敬に在り、古今に崇拝を分断つなし。

往古の事は夢まぼろしなれど、此の山に登りては、嶺の嵐、湲間颪も皆乍ら神佛の聲と相と、その景にしばし脚を駐めて休息す。苔香も鼻突く石神の塔、いつ世のものかは知らねども、唯、忝けなさに感無量たり。中山千坊たるの聖跡求道に此の山を訪ぬるとも、道落ち、橋落ちて辿り難し。

昔、乱あり。日本將軍安倍賴良、日高見の鳥海に狙矢の傷に討死し、康平三年、此の地に葬むるは天喜五年の入滅より三年後の事にて、仮埋葬せし淨法寺よりその骨を安日川に洗骨し、此の地に永代埋葬せり。

吾れ死しては、此の遺骸を石塔山に埋むべし、永く湲水音の絶えざる處に埋むべし、との遺言たり。依て、厨川大夫安倍二次貞任、自から背負いて、此の地に赴き茲にその遺言を果したり。爾来、安倍一族宗家の墓は是の地に葬むらるなり。

〽忘れじな 衣の川の 戦より
  此の地にねぶる 日之本の君

〽とこしなえ 荒覇吐神 祀り来し
  石塔山の 苔は石覆ふ

〽道しるべ 人知る事の 避けなして
  たむけの華は 山吹きの華

〽吾れからに 昔愢べば 涙なる
  瞳曇らす 苔の盛墓

十六、

世界に古代に榮ひたる都の跡とは、今に訪ねて見る影もなき巨大なる廢墟のさまを見る。例へば、エジプトの命と曰ふべくナイル河の両岸に延々たる石の遺跡たるや、サツカラの段状ピラミット、ギザなる大スフィンクス及び三大ピラミット及び小ピラミットあり。ダハシュールの赤き色のピラミットと崩れたるピラミットあり。メイドウムにも、同じく崩れたるありぬ。

テル、エル、アマルナにては王宮址あり異色たり。デンデラにてはハトホル神殿、ルクソールにカルナック神殿、ルクソール神殿、メムノンの巨大石像、ハトシェブストの葬祭殿、ラムセウム神殿あり。王家の谷にては暦代王の墓ありぬ。エドフのホルス神殿、コム・オンポにはコム・オンポ神殿あり。

アブシンベルには大神殿、小神殿あり。往事のナイル川王国の歴史とその巨大なる遺跡群に、たゞ亜然と眺む耳なり。パンパブチスタ號にてアカプロコまで同乗せる秋田實季の臣、浪岡又右衛門の報告書に依りては、バレンケ及びヤシュチラン遺跡、ユカタンにはチチエンイツア及びウシュマル遺跡に加へてコバー遺跡ありぬ。グアテマラにはワシヤクトウン遺跡、テイカルの遺跡及びセイバル遺跡あり。ホンジュラスにはコバン遺跡ありぬ。是れをマヤ族の遺跡と曰ふ。

更にはインカ族の遺跡も南に在りきと曰ふ。是の如き遺跡も、その神殿やピラミットに一人の信者も遺るなく、盗掘の群ぞ絶えざるさまなり。金銀寶石になる他は二足三文の價に投げ賣りぬ。

是くの如き遺跡はギリシアのアテネ遺跡、トルコのヒサリック、シュメールのヂグラート、天竺のモヘンジョ・ダロ遺跡やアジャンタの石窟遺跡ありぬ。是の如く、砂と砕けるまでも遺る遺跡と、住家も墓も遺さざるモンゴルの如きは、大自然ぞ知る耳にて、埋葬のあとは馬蹄に踏固められ、墓跡たるは久遠に人目に触るゝなけん。

吾が丑寅日本国にても然りなり。大陵を造らず、安倍日本將軍自から人も通らぬ仙境に遺言を以て己が骸を葬らしめ、久遠に滅定せるは、代々をして受継がれし山靼傳統なり。死して何をか曰わんにも、叶はぬ事なれば、死後を以て子孫にたむけを断ち、安らかに魂の甦えりを天命に安じ給ひき不断の誓いたり。石塔山に眠れる一族の皆乍ら是くあり、是くありぬ。依て、奥州に安倍一族古證なる墓も秘の秘中なり。

〽なげくまず 死出こそ我の 安らぎぞ
  三途の瀬踏み 魂なれば飛ぶ

〽後こその 世に甦える 吾れをして
  死にざまめたく 心惑はず

賴良の遺歌なり。

常にして世界に望みて、その子孫は海を道とて榮ひし安東船のもたらしたる利益には、一族安住の泰平を犯されず、今にその子孫ぞ、大名とて遺りきは、平泉藤原氏の如く榮華に水湯の費を盡さず、民を安らぐに用ひたり。

安倍一族、厨川に敗るとも、遺しける累代金山の塊は、今に秘中にして、秋田宗家の系図に遺りぬ。はたして馬、二千駄の黄金を知りぬるは上之系図に秘とせり。現に下の系図を以て世に通せる秋田氏、如何に急あるともその遺産に掌を触れるなかりきは、易く人視に触れる處に非らざるが故なり。秋田家にありていやさかあらんをば祈りつゝ。

十七、

神の相を人の相に造にて崇拝せるは、神を冒瀆せる行爲とて、古代丑寅日本国のタブーたり。神に相あるとせば、大自然そのものなり。神は萬物の相にして、人の信仰にも、いかなる聖りにも見給ふなかりき。古き世の女人らに土にて練り造られしアラハバキ神像にても、人姿をいさゝか用ふとも、人に隔つる相に造りぬ。明暗なる眼、天地水の刻まる姿、相にありて人との隔てを離して造れり。また神行事とて亦、然りなり。

神の靈ぞ人に入ることなかりける。神は全能故に、ゴミソ、オシラ、イタコに靈告はせども、その肉體に入ることなかりけるなり。古代人は神を招請せる爲に、三股の大老木の梢に天降ると想はれ、そのヌササンを作りぬ。コタンチセの人々が總出にして奉るイオマンテのカムイノミの炎に顯はる火災の相に神の靈告を覚るゴミソ、更にその燃え遺りし灰の跡に遺る不思儀なる白と黑の相を見て判断せるオシラの占ふは、まさに人々を吉凶に説きぬ。更にしてイタコはヌササン靈木に當る風音に衆の亡き者の靈媒を告げたり。

そのさまは、今になるゴミソ、オシラ、イタコの行事とは全く異なれるものなり。世襲と共に攺めらる神の祭文にては、何れも倭神に、イタコは佛教に化緣して、古なるは名のみなりき。何れも荒覇吐神の一稱も唱ふなく、その神事に古来の秘法とて用ひざるなり。世も末なり。是を復すは若者なり。心して、もとなる眞理に歸するべし。

十八、

太古の古人の集ふ處をポロコタンと曰ふなり。多くは浦辺に造り、中央に大王のポロチャシありぬ。ポロコタンの四方に高き高樓ありて、神事及び遠見の警に用ひたり。浦に漁なせる漁士の舟入に霞立つ視界に幽むあらば、その舟着く處に至るも困難にて、この高樓に灯ありせば海のしるべありて至るなり。亦、木鼓を鳴らし、時を告げ、敵侵あっては速打て警報す。更に大なるポロコタンほどに施こすは高樓なり。中階二段あり、各々その役目に常居せりと傳ふなり。鳴物、打板、木鼓、貝にして遠望に夜は灯り、昼は狼煙なり。狼煙は、魚油及び狼糞を焚きて濃煙を挙ぐるものなり。

高樓より方位を報ずるは、赤布は南、青布は東、白布は北、黄布は西なり。依て青と白は東北、青と赤は東南、黄と赤は南西、黄と白は西北なり。

古代とは、かゝる心細なまでにポロコタンの警護にありきは、海を渡り来る者の略奪あることの晢々起る事件とぞ傳はりぬ。西海より大船に衆来して来たるの多くは西南の賊にして、荒ぶる輩にて都度なれば、事速く備うる警報なり。古人はポロコタンに攻め入る賊は衆勢なるが故に討物を取りて應戦す。

高樓は他のポロコタンにも報ずる木鼓の音は、一里の四方に傳達さると曰ふなり。吾が国のポロコタン、西海、東海の浜に多しと曰ふも、山靼より渡りし警鐘に尚功ありと曰ふ。

十九、

倭の国、三輪之蘇我鄕安日彦大王、北膽駒富雄之白谷の鄕は長髄彦王、兄弟之地領なり。何れも加賀犀川の三輪より倭に出で来たる耶靡堆大王の子にして、阿毎氏とも曰ふ。

此の地は天皇氏、物部氏、蘇我氏、平群氏、春日氏、土師氏、巨勢氏、和珥氏、中臣氏、葛城氏の大王をめぐる間謀あり。後世は大王の玉座を廻轉して、此の豪族に渡坐即位に廻りぬ。遂にして天皇氏が大王の玉座を諸豪族を抜きて即位に付きて累を長じたり。

さればこの天皇氏なるもの、高砂の地より築紫の日向に移住して地を征し、その勢力、山陰、山陽、南海道の国主と勢を併せ一挙に浪速に攻め入り、此の地を掌握し駐位せり。依て安日彦王、長髄彦王を從ひて一族總民、東国及び東北に落ち、再興して日本国を創りぬ。依て東北こそ日本国たる發祥地なり。

廿、

倭の国の創立成れるは、丑寅との攻防に大王となるべく萬幾を勉して空位のまゝ過しかた、出雲と併せその勢を以て倭国を創国せり。然るに丑寅日本国坂東への進軍に都度に敗れ、越王と併せてその国主継體大王を即位ならしめようやく倭の大王即位なれるは、天皇記及び国記の行に明細たり。

天皇記を記しきは蘇我氏にて、国記を記しきは物部氏なるも、両者神佛をして對立し、物部敗れて上宮太子の手に国記は渡り、是を蘇我氏に委ねたるは上宮太子なり。爾来此の両巻は蘇我氏奉持せるも、蝦夷の代に甘橿丘の蘇我舘灾られて燒失す。

廿一、

天皇記、国記の燒失説も、甘橿丘より事速く両記は坂東に安全たり。武藏の藏谷洞、荒覇吐神社に隱藏せしは、刈田臣なり。蘇我氏の臣にして、かねてより事あるを余感せし蘇我蝦夷は是を彼に委ね置きて灾難を免がれたり。依て朝庭にてはその燒失せるを信ぜず、蝦夷の陵をあばきけるも空しけり。その惨たるあばきぞ、彼の石舞臺と稱されし蝦夷の墓なり。盛土ことごとく崩されてさらさるまゝに今も遺りぬ。

然るに天皇記、国記の出でざるは當然なり。建全なるまゝに奥州に今遺りぬ。

廿二、

荒覇吐神に建国成れる、丑寅日本の国は永きに渡りて泰平たり。安日彦大王より子孫は、日本將軍とて君臨し、国民挙族一致にて国運を開きたるは山靼往来たり。

海産干物の商品はことの他好まれ、その流通に尚速進の度を強め、遂に大船を造りて黑龍江に赴きたり。その利益に一族の威力振興して、常に西海に安倍日之本国の印、追手風に満帆を張りつめて船團續々たり。

異国の珍品衣に身を飾り、荒覇吐祭の宵は若き男女の採色に輝きたりと曰ふなり。

後記

以上、北鑑三十八巻筆了仕りたり。
原本虫喰甚々しく、讀み難きあり、あたら日時を過して成れり。

吾れも老令盡して、先久しく非らざるなり。然るに急ぎて成らざる書写の勞なり。志して、是を完結ならしむるは吾が一念なり。農勞のかたはら、若きより菜の灯油に費を丑満までも通夜し、後いくばくの命に、吾れを知りつ、今宵も此の一巻に了る悦びあり。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku