北鑑 第四十六巻

注書
此の書は他見に無用、門外不出とせよ。亦、失書あるべからず。

寛政五年   秋田孝季

一、

吾が国の古き歴史の事は語部録に遺りき。人祖より神の創りし宇宙の傳説、波斯の国なる神々の神話、山靼の民族にかゝはる諸々の歴史、何れも吾が丑寅日本国にかゝはる、古代人祖の渡来になる代々の歴史に綴らるゝ記逑なり。是を語部文字録、または語部録と曰ふなり。

抑々、吾が丑寅の国は、語印とて七種の文字ありて、世の出来事を遺しぬ。器に遺せしもの、木版に遺したるもの、石に刻めるも、その類さまざまなり。語部録は羊皮に記せしものもありて、その數二百八十六枚と曰ふ。その原書は朽て遺ることなけれども、天暦元年に再写せしものありて、秋田家に遺れども、天明の大火にて燒失せりと曰ふ。

語部文字七種は古代シュメールになる土版文字、エジプト石版文字、ギリシア羊皮文字、インド葉刻文字、支那竹経文字、モンゴル馬皮文字、吾が丑寅文字に大区す。

神を司るもの、邑を司るもの、商になる記録に用ゆもの、その用途は多様にして、世の出来事を記事に實證す。文に年代を證せるは、支那年號を用ゆ多し。

二、

荒覇吐神には和魂と荒魂ありと曰ふ。萬有を造る和魂と、萬有を破壊せる荒魂なりと曰ふ。荒魂と曰ふあるは荒覇吐神とて説くものありきも、和魂、荒魂、は荒神を曰ふものなり。荒と書くは當字にして、シュメールにてはアラは獅子にして、ハバキは地母を意趣せるものなり。荒覇吐神とは雌雄にして、因と果なり。無に因、起りて果を生じ、果より物質は化科すと曰ふ。

化科に進化あり退化ありて、世の候に適生し、更に化科を化成して進化と退化の世の環襲に適生をなさしむの子孫に對生を可能せしむと曰ふなり。抑々、宇宙の創は無にして、時空もなきより因起りて物質成り、物質は化科の果を成して宇宙は構成さる過程に在りぬ。物質にて成れるは、宇宙銀河の果にして暗黑の宇宙塵の集縮にて阿僧祇の星は成れり。宇宙その創りは無なり。

無になるたゞ暗黑に、因力起りて大光熱と爆烈し、無限の大暗黑を燒き盡し、そのあとに微粒塵なる物質、暗黑雲に漂い、その重力にて集縮し、光熱に光る星、岩質星、そして星とならざる大暗黑雲にて、銀河をなせる一つの銀河は、幾十億と曰ふ星にて構成するとありぬ。

宇宙とは、かくの如き星團、銀河は何億とありて成れりと、近代天文の語るところなり。宇宙の創りをギリシアにてはカオスの聖火にて成れりと曰ふ。古代シュメールにてはルガルの大光熱にて成れりと曰ふ。亦、インドのシュウドラ、マハヤーナ外道にては、宇宙は因と果にて成れりと曰ふ。

荒覇吐神信仰にては、シュメールの説を尊重し、宇宙創造を信仰に入れり。

三、

信仰に求道して、導師の論説に心を赴かしむるは、眞理の判断を欠く軽卆なる信心なりと曰ふ。信仰に入る己れに他力委信にては、己れを失ふることなり。佛法に無我と曰ふ入道の理りあるも、今の生命體に己れの魂ありて、死の際まで離るなし。如何に己れの境遇あろうとも、その苦境を解脱して心身倶に安心立命の彼岸にたどる苦行修験こそ求道の誠なり。荒覇吐神の信仰は、常に神と倶に在り、死の際までも身心に安心立命を本願とする。求道心を欠きて成道せずと戒むなり。

凡そ、生を世に受けて萬有の中に身心を置きて、己慾に他心を障害せし者は、必ず神佛の報復に免れ難し。入道する己れも他人も、睦を欠きて己れの成道なかるべしと心得よ。生々天地水の一切、萬有と和解して己が修道とせよ。なぐさみにも殺生するなかれ。

萬有如何なるものも、その生命と魂ありき、その生命魂あるが故に吾れありぬ。

四、

荒覇吐神なる神事に大空を衣とする裸行あり、更には水を衣とする水行、土を衣とする土遁行ありて、夏の祭行たり。これを從因向果と曰ふなり。更に十因行ありて、一には随説因、二には觀待因、三には索果、離繋果、安立果、加行果、和合果、修習果あり。更には因論、果論に結して外道の要とせり。古来アーリヤン族の大要とせる信仰の原点なり。荒覇吐神信仰にては、是大いに引用して求道の律とせり。

五、

神を信仰せるを神道と曰ふも、東日流にてはゴミソと曰ふなり。ゴミソとはヌササンの神司にして、イナウに神靈を奉請せる導師の事を曰ふ。カムイノミを焚きて神靈を招く神事は、ゴミソの神事に從ひてなせる衆の先達にして、その行事一切をエカシが指揮せり。

祭事に高樓三階に造り、上階にイシカ、中階にホノリ、下階はガコのカムイなる石神を祀りぬ。八月十日より十五日まで、昼は日輪、夜は月輪を拝し、満月を迎へて、贄をいとめてその靈使として送るイオマンテなり。ホーホホホー、イシカカムイ、ホノリカムイ、ガコカムイ、フッタレチュイ、各々舞ふて神事とす。

六、

千里の波涛寄せ打つ上磯の海は、年に依りて潮、龍巻くこと、東風起りて舞あがり、雷音高く稲妻の走るありき。人々は是を、龍飛と曰ふなり。神の使者とせるは、丹頂鶴、白鳥、大鷲を以て神鳥とするはイシカカムイなり。熊と狐、魹を以てホノリカムイなり。鮭、鱈、鮃はガコカムイなり。そして、イオマンテのヌササンに供はれる三年毎に大祭せるは、諸邑總出に成るものなり。

カムイノミの焚炎、幽かなるうなりを立て、生あるが如く天に燃えあがり、エカシがマギリの舞より弓の舞に変る頃、ヌササンは消え、その灰の中よりいでくるは、コタンのメノコらに造られし神像、荒覇吐神が燒き仕上りぬ。かくして、三年の間、その神像はコタンチセの各戸の護神となり、古き神像はコタンのヤントラに埋らる。器も然りなり。その埋むるとは掘りて埋むるなく、新土を覆して埋むるなれば、永きに渡るヤントラは丘の如くなれり。東日流にオカ、モリ、ナイ、イジョと名のある處は古代人住の跡なり。

石塔、石神、立石などと稱さる處は尚古き跡々なり。オテナの住居せる處は平地にして、山近く海近く、川の流れある處をチセとせり。高樓あり、イゴクありき處に住むると曰ふなり。聖地あり、巨石塔を建立なせるもの、河石を圓重に置きてなせるものありぬ。これをカムイヌササンと曰ふなり。

七、

古代に崇められたる、イシカのカムイとホノリのカムイそしてガコのカムイは、丑寅日本国に住みける者のアソベの民、ツボケの民になる神格にて、像などなく、天に仰ぎ、地に伏して、水にけがれを抜くと曰ふ信仰なり。天上には日月星、地には山川湖沼に大森林そして草野、水は萬有の命、生々の源にして、生命の種源なる大海にて總ては成れり。依て生命は、天地水の神にて誕生すと曰ふ。神像造らざるも、神への對拝として、海辺や川岸に天然の造れし石の珍石を、神の授けものとしてチセに奉拝するように相成りぬ。石神信仰の創りなり。

海浜や川岸に、笛と鳴る石塊、異様に彩なせる石塊あり。古代人は石を神と、寶とせるは、天然の造りなせる神の仕業とぞ想ふたり。

石にて築く塔、石にて身を飾る珠、そして石にて時を知る立石の影、石にて造れる刃物、石よりいでくる金銀銅鉄は、まさに神の授けものとて頂宝とせり。人死して石を墓標とし、古代人は何事も石神とて祀る類にあるは、打て鳴る石、赤に黄に緑に黑に光りある石を、更に磨きて寶とせるは、人祖の頃より創りたるそのものなり。

石を置きて神とし、庭とし、奇岩の景ある山海は價千金の名景とて名所古跡に遺るも、古代からなれる人の愛着なりと曰ふ。能く念頭に置くべし。

八、

古代人の心には、北極星の動かざるを宇宙の軸と心得たり。神々を宇宙に求め、星座に連らなる相を神の相、または鳥獸虫そして人の想像せし龍または神獸神鳥に画きて星座とし、日輪の運行に時刻を知り、一年に運行せる日輪の赤道、黄道、を知り、更には月輪の満欠を干満の潮期を知りて、更には暦を數へて四季の訪れを知りぬ。

是をイシカホノリガコカムイとて、やがて山靼より渡来せるアラハバキ神と併せたるは、丑寅日本国の信仰の史實なりと曰ふなり。山靼より渡来せる總ての先進たる紅毛人国の信仰に、吾が国の古来信仰を併せたるは、荒覇吐神信仰なり。

九、

バイカル湖、アムール大河の神をブルハン神と曰ふは、ブリヤト族なり。またアルタイの大平原に馬と暮せるシキタイ民族もブルハン神の神魚たる鯰を木管に造りて埋葬せる如く、信仰にありぬ。何れもその根元とせるは、シュメールなるルガル神、アラ神、ハバキ神、の信仰に想定さるものなり。

ツグリス、ユウフラテス両河の国シュメールの大王、グデア、更にはギルガメシュ大王の国神たる一統信仰にカルデア民がメソポタミア動乱にてエジプト、エスラエル、ペルシア、トルコ、ギリシア、に退避して渡れる者の信仰より、土着せしシキタイ民の付名にて成れる水神のことなり。太陽と水は大地に不可欠なる神なれば、砂漠の多き国の民に、水神ブルハン神は命の神たり。

生々萬有のものに、水神の信仰はブルハンの神とて、湖や大河の神とて能く祀られたり。エジプトのナイル、シュメールのチグリス、ユウフラテス、など、ルガル神、アメン、ラー神、ポセードン、そしてブルハン神、と古代オリエントになる神々は、シュメールより分岐せる神々なり。

此の神なる河、アムール、またの名を黑龍江を降り、サガリィンより渡島を経て、吾が丑寅の地に渡来せし神たり。シュメール王グデアの詩に曰くは次の如し。

天を突く石殿に祀る神、エジプトのホルス、アヌピス、イスス、スフィンクス、ギリシアなる変化の神、架想に造れるエスライルの神、トロイアの神、星を結びて神となせる神々、世に無き世にあるものを人型に造れる神、たとひ大王、僧侶の高位にありとも、神は怒り、塔は雲を突く程に石殿は七寶に飾るとも、やがては砂と砕け砂漠の塵とならん。神は人に敬ふるもその相とて造らるは叶はず、造るべくは罪なり罰なり、神は怒りて報復せん。やがて日も暮れむ。悔よ、今急ぐに是の如き詩のあるを知るべし。

然るに、人は好みて変化の像を造りて神とし崇む。神は人に造られきものならず。戒む詩は更に曰く。

神よ、天なる神よ、地なる母神よ、その胎なる水の神よ、神の鎭めを破り怒れる神よ。天を暗に、大地を水に潜らして罪と罰を知らしめよ、人の造れる神像は無能なるを知らしめよ。是く戒しむ叙事詩を覚るべし。

救うは神の他非らず、罰もまた神の裁きなり。天秤は正しきに平なり。おゝ神よ、人々のなせる罪を戒め、救ひの境に導き、悔ゆものを赦し給へとこそ聖なる神に吾が誠を誓はん。

十、

〽丑寅の けがれを知らぬ 山の雪
  眞白に代々の 人も白玉

陸奥の歌にぞ遺りき一首なり。吾が国は、古来国の内なる乱は、住むる民にはなかりき。この国を理想境とし、常世の国、日出づる国、とて日本国と古代人は號けたり。

この日本国を倭人はこぞりて犯し、侵駐して住民を蝦夷として馬蹄に踏み荒したる戦兆を造りきは、何れも倭人の計略に依りて、奥州に動乱を起し、蝦夷の反きとて天皇に奏上し、征夷の勅を奉じて官軍を赴かしむは、まさに奥州侵略の手段たり。蝦夷とは魂をもたざる鮫の如く、事理由は如何にあれ、ただ官軍を挙げて奥州に征討軍を進め、是を正統とせるは、朝幕の画策たり。

此の国は、古来を通じて人命を一義に尊重せる国法を以て、日本將軍の護持せし国なり。

〽わが国の 寒き北風 ありてこそ
  海山幸の 御園なりける

冬に飛来せる陸鳥丹頂鶴と水鳥白鳥の雄飛は、まさに神鳥と曰ふ他はなかりき。白鳥と丹頂鶴の聲を聞きて越冬の慰安とせるに、倭人は是れを狩猟して喰うより、鶴の飛来はなかりき。朝幕の者に此の鳥の肉と羽根を献ぜる倭人の者は、地民に追討されてより、是を蝦夷の反乱とて、討物執りて倭人の軍人は蝦夷征伐とて来たるは、田道將軍たりと曰ふなり。彼の軍は、伊治水門に軍營して、日に日に、白鳥及び丹頂鶴を狩猟し、日夜の美食とせしを、怒りしは日本將軍にして、遂に兵挙して、伊治水門に田道の倭軍を撃敗りて誅滅す。是の戦にて、騎馬にて戦ふ荒覇吐軍に徒足なる倭軍の敗因ありて、以来、倭人も騎馬軍を挙したりと曰ふ。

然るに、倭の産馬は奥州の馬とは相違し、乗馬に適せるなし。數に於ても少なく駆くる遲そし。依て、木曽馬を用ひども軍馬に鞍置を嫌ひて、永きの間、種馬の攺種にかゝりぬ。阿部比羅夫と曰ふあり。騎馬にあきらめ、船を以て奥州討伐を奏上し、越に軍船を造り、その數百八十艘なり。羽州の駒を積むる爲の船數たり。阿部比羅夫の出羽沿岸に於ての掠奪は、馬のみならず、民の保有せる財をもかすむ海賊行爲たり。

秋田に至り、馬八十頭を得、十七艘は越に歸るも、津軽への攻航をなせしも、吹浦にて大敗すと傳ふなり。

十一、

此の国は日本ゆえに、と記せるは人国記の奥陸を稱す意趣にして、倭を日本国とは曰はざるなり。支那古唐書、新唐書も然りなり。奥州より坂東までも日本国と稱したるは、もとは耶靡堆の大王安日彦王なり。その祖は加賀の犀川郷なる三輪山を源に流るゝ大里の大王阿毎氏にして通稱阿毎とも唐書は記しぬ。依て、後胤の者は安倍氏と曰ふなり。

弟あり、長髄彦大王と曰ふ。若くして攝津に国を出で、耶靡堆蘇我郷三輪に入りて、兄、安日彦王を迎ひける。明日香の国を兄、安日彦王にゆずりて、己れは膽駒山に居住し、白谷郷富雄に地領せり。明日香王、浪波王、と稱さる故因なり。

十二、

倭史のかげなる不可思儀なる外史あり。名付けて、竹内、九鬼、富士と曰ふ文書なり。亦、神代文字なるありけるも、朝幕倶に是を公史の外に見て、何者かなる作爲にあるものとて、信じ難き僞書とせり。

まして、吾等が丑寅日本史とて是の如き類になる他、丑寅日本史のみは宋書をも信ぜず、安東大將軍五王を倭王に當んとす。古来より宋書、梁書はもとより、唐書、新唐書なる奥州を日本国とせるを除き、魏史倭人傳の如きは信ずるにたらんとて、古事記、日本書紀にも引用非らざるなり。

生々流轉にも倭王の權は深層に在りて、代々の權謀に握して今上に至りぬ。たゞ天皇記、国記のみはその行方に密索す。

十三、

波斯、山靼への旅巡に得たる史證は大なり。モンゴル、支那、トルコ、ペルシア、ギリシア、エスラエル、エジプト、メソポタミア、インドの大旅程に七年の永きに渡りて集収せし記書の數、四十八巻、伴ふる遺品の數々同道八人の背に重く、ルソンより堺屋商船にて歸りたる歳月七年五月を経たり。

然あるに、かゝる勞苦も世に示覧空しく、東日流の農倉に隱藏となるは、空しき旅程七年余の労苦たり。然るに、是の書と遺品、いつしかの世に大益をなさん。永きに渡りて海の外なる界に閉じ、世の先進を知らず、たゞ貧しき民の国に、權謀を爭ふは、井の中の蛙そのものなり。

今なる朝幕、この政やあと幾ばくもなく崩壊せん。古にして安東船なる商益を手本として、世界の進歩に吾が歩行を併せよ。

十四、

紅毛人国にては石を刻りて神殿を造り、神像を造り、己が逝く石棺までも造りて、信仰の跡を遺せり。波斯より更に西をオリエントと總稱し、古代信仰の跡、壮大に遺したり。築石が崩砂と風化せるとも、永き年月に耐得る巨大さは、たゞ阿然と眺むる他、膽を抜かるが如し。立石桂築塔、神殿、みなながら吾が国の及ぶなかりき、太古の遺跡なり。

なかんずくエジプトのナイル大河の石築遺跡、古代メソポタミアのジクラート、ギリシアの神殿ら、そして城疊の跡々は吾が国の及ぶなかりき遺跡ぞ多きなり。然るに、かゝる古代遺跡も、国に續く民族の爭動や常に起り、華やかなる遺跡に遺るゝ戦乱崩壊の跡ありて、榮枯の古事を愢ばしむなり。

紅毛国とは白色人の多く、智能ありき国なるも、その殺伐の跡も亦多かりき處なり。人は賣買さる人道のなき国とて曰ふも過言にならざるなり。

十五、

倭国史に併せて綴らる奥州の實史は非らざるなり。丑寅日本国は太古より語部文字にて遺さる耳こそ史實なり。倭人にもって成れる史書は造話、作説多く信じるにたらん。

凡そ、丑寅日本国の故事をたどれば、山靼に以て人祖とし、ブリヤート族の血縁にありて、此の国に移りきたるものなり。その移り来たる旅程は黑龍江の流れに乗りてサガリィンに上陸し、渡島を経て、本州、東日流にたどりぬ。語部に曰く。それは十五萬年、乃至三十萬年前の事なりと断言ありぬ。

されば、かゝる人祖になる太古の事を知り得るの事は、古代にして不可能たるの早覚に軽んずるべからず、古代にして年の數をなしけるは、海潮の陸地潜襲、火吹ける山の數にその語印ありて遺せるに知れり。

語部録に曰く。

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この印數と曰ふも、その意趣の知るを能はず、然し乍ら古人は用ひたり。

十六、

東日流、宇曽利、都母、荷薩體、閉伊、火内、に渡る津保化族のエカシは百六十七人と曰ふは、八千年前の事なりと曰ふ。

エカシとは長老の事にして、オテナとは大王の事なり。陸奥より坂東には、麁族、熟族、の二族あり。各々、エカシ及びオテナの數ありて国をなせり。古代の国境にては、分水嶺と、その流れの境を以てその領を定めたり。民をして他族に移住せるは自在なり。

古代の掟として、人を殺生せし者は、ジョンバとて、その日のうちに諸族に報ぜられて、捕はるゝも死罪とせず、渡島及び千島に配流されたり。ツボケツジ、アラツジ、ニギツジ、などの意趣は犯人と曰ふ事にて、如何に遁ぐるともいつしか捕はると掟は相渡れり。

十七、

歴史の大要は伽話、譬喩話、神話、らを以て綴るなかれ。世になかりける非實話の事は、耳慰むなれど、史實に非らず。倭史の如く神代をも夢幻架空の事も、人に史を惑して、後世に恥を遺すのみなり。

丑寅日本史は、此の架空事を除きける眞實史なり。倭に文字の無ける代に、語部文字ありて遺しぬ。古代にして丑寅民の渡れるは、西南は高砂までも居住跡を遺したり。東海の八丈島、築紫の薩陽、南海道、山陽、山陰、それに倭国及び本州西海岸に、その住跡あるを知るべし。

そして、荒覇吐神の信仰跡證、更にはヌササンの跡、丑寅民なる古語地名は當今に遺りき、古代證なり。奥州を蝦夷とて邪見にするなかれ。

十八、

抑々、吾が国の歴史を古代に期分して觀ずるに、人祖代、渡海代、定着代、国造代に来歴せり。此の間凡そ、十五萬年乃至三十萬年前に遡るなり。

人祖代は猿類の如きより人間相に達せる進化の事は、赤道、黄道下の地に達成せりと曰ふなり。人間とて智能を達成し、住分けに新天地を求めて移る本能ありて、人は世界に渡りて着殖す。

人類誕生地なる風土、食生にてその容相は異り、黑人、黄人、白人と類せるものなり。かく類せるは人類のみならず、萬有の生物各々同種をして、その類を異なせる進化の化成ありて、人間耳ならざる風土、食生の相異成達すなりと曰ふ。生物は各々風土に耐生進化あるを知れ。

十九、

東日流より西南に人の住分けになる道は、二道あり。東海沿岸の道を日の出道として、陸奥中央の道、日高見道と曰ふ。西海の浜道を日没の道と稱し、是を親潮道、白神道、とも稱したり。亦、この二道を横断せる東西道を北より、安日道、四丑道、鬼道、朝日道、安倍川道、ありと曰ふ。古代の道は、山道、川道、浜道、海道、とありて人は往来せり。此の道は今にも遺りぬ。

奥州各道にては、古代より道の名にベゴ道、マ道、シオ道、タダラ道、マダギ道、と稱したるを、今に遺稱せる道ぞ遺りける。

此の道に添ふる地産のものは、牛馬、鑛山、海産、木材、食糧、らの民の暮しに不可欠なる命の道たり。

廿、

倭人の丑寅日本国を侵領せんとするその基因になるは産金、産馬、次には海産の干物、次いでは渡島よりの獸皮及び鷲羽、鷹羽にして、蝦夷弓と稱するモンゴル弓なりと曰ふ。更には、奥州餅鉄鍛治の技にて、その秘傳を得むと欲し、草入隱密を忍ばしめて鍛治らを相州に誘はんとせるも、舞草鍛治らに訴人され捕はるあり。

遂には一の関と曰ふを衣川の先に設したり。鉄の技にては、奥州は釜石鉄に秀たり。刃金にては、砂鉄川の砂鉄を用ふは舞草刀の切れ能くせり。

奥州に鉄を産するは三陸州東海沿岸なり。宇曽利にも産鉄あり、西海沿岸は少なし。茲に鉄を富むる丑寅は倭に狙はれたり。

廿一、

貞應元年二月十六日、安房の国、東條郷に漁家、貫名左衛門重忠を父とし母は清原氏、女子名を鈴虫を父母として生るは善日麿にて、十二歳にして藥王丸と攺む。

此の年清澄山に登りて、道善に從ひ、十六歳に至る間諸学を学得師事さる。求道を志して十八歳にして剃髪し、僧名を蓮長と曰ふも、後日に日蓮と攺む。仁治三年、無量義經を閲して、釋迦出世の本懐にその眞理を師、道善に質問せるも名答是れなく、遂にして修学を立志し、鎌倉に出で、更に比叡山に入峰して三井寺、京師、大和、高野山各々に諸宗の教義を修め、再度び比叡山に歸山し、遂に法華経に最勝無上の眞理相應とて自得せり。建長五年正月に歸郷し、親を訪れ法華經の理りを説きぬ。

此の年の四月二十八日、清澄山に登り、かつては父に知らされき丑寅の魹ヶ崎に日本国最朝の夜明ありと聞く位方に向ひて、南無妙法蓮華經とて十遍を題目す。

それより地頭東條景信に請はれ、鎌倉に庵居し、日夜、法華經を誦し、辻に説法して巡り、文應元年、立正安国論を北條時賴に請上して忿怒を招き、伊豆伊東に流罪されしも、同三年、赦され鎌倉に歸りて諸宗の否を罵りて、土牢に幽せられ、文永八年、龍ノ口にて斬首の刑に蒙らんとせるも、陸奥の安東船なる龍飛十郎兼季の船出に不吉とて願ひあり、斬首を免じ、佐渡に配流さる。

同十一年、赦されて留守居布教僧日朗に迎へられて鎌倉に歸り、倶に尋ねて甲州身延山を法場と開山し、之に庵居し、法華經奥義に專ら逑作に専念す。

弘安五年十月、信徒なる池上宗仲に迎へられ武藏池上邸に至り、同年同月十三日に寂す。時に御寿六十一歳にして、丑寅に向へて、南無妙法蓮華経と七度び稱題目し、諸弟子に弘めよ吾が宗を、とて遺言せりと曰ふ。

彼の遺せし論書あり。撰時鈔、開目鈔、觀心本尊鈔、守護国家論、立正安国論、教機時国鈔、他、三百九十餘書也。日蓮が丑寅に拝すは、昼は日輪、夜は北極星を常拝すと曰ふ。

廿二、

承安三年正月一日、皇太后宮大進日野有範、その室、三條釜座貞宗の女子、津奈の前を父母として、松若丸は世に誕生す。

無常なるかな四歳にして父は逝き、八歳にして母逝きぬ。依て養和元年春に、青蓮院住僧慈圓坊の許にて剃髪し、範宴と法名す。次いで比叡山に上り、東塔無動寺なる大乗院竹林房靜巖に就て台宗を修学、更に大和に赴き諸宗の学を修究し、再度び比叡に登りて、自力本願にては救済に足らざるを心に入れて、法名を善信と攺め、建仁元年正月一日以来京師の六角堂に百日参籠し、遂にして、聖覚法師及び安樂法師らの導きにて、吉水に法然坊源空を尋ねて念佛門に入れり。

此の法門にて鎭西聖光坊、石垣金光坊らの師事、更に法然坊源空の師事にて念佛本願に入り、往生極樂に安心立命は弥陀の十八願に在りとて、法名を綽空と攺めたり。

建仁三年、藤原兼實の女子玉日を娶りたるに破戒僧とて、承元元年、住蓮、安樂、両僧の事件は松虫、鈴虫の恋の目安にて、法然は土佐に、綽空は越後より佐渡相川に配流さる。越後に三年、佐渡に二年の配罪後、許るされ京師に歸りぬ。

茲に綽空志を立て、東日流に金光坊在りと聞き、師法然の訃報に接して越後、信濃、下野を経て常陸に出で、元仁元年五十二歳にして丑寅の金光坊に尋ぬるを断念し、稲田の草庵にて教行信證文類六巻を記し、東日流より金光坊圓證より阿波之介と曰ふ寺男にて屆けられし末法念佛獨明抄と曰ふを讀みてより、意を決して淨土眞宗を開きぬ。

嘉禄元年、下野の高田に専修寺を開山し、貞永元年、六十歳にして近江に錦織寺を建立し、嘉禎元年、落慶す。

綽空は弘長二年十一月二十八日、萬里小路善法院にて寂す。綽空と金光坊は法難にして佐渡に遇すと曰ふなり。

廿三、

圓空とは美濃竹鼻の人なり。臨済宗にて、美濃池尻弥勒寺の中興開山なり。繪画及び彫刻に秀で、又占卜の名人とも曰ふ。幼時にして僧となり佛法諸典を学び、二十三歳にして諸国を遊暦せんとし富士山、白山、立山、藏王山、安日岳、更に宇曽利の恐山に西院地藏を祀りて冥土の靈處とし道場を開き、靈媒師イタコの口寄とて亡き者の代りに語りぬあり。

更に圓空は、飛驒架娑山の千光寺に住して執金剛神を彫刻し、人々に今釋迦と稱さるゝなり。年折々に身を轉じて、丑寅の地を巡脚して東日流中山に宿住せる石塔山に荒覇吐神を彫刻して遺しぬ。晩年、池尻に歸りて入寂せり。

廿四、

無常さながら、昨日の日和、明日の嵐ぞあるも無きも、今日に解るは過去なる夢跡のみぞ知りぬ。先つ世の何をか変らん何をか起らんは、今一歩の先も暗ならん。

弥陀の本願に、たゞ一向に稱名念佛を一心不乱に稱へ奉るは、諸々の邪障を拂ふ他力の本願なり。佛の道理求道せる心意は、餘他の思を入れず、南無阿弥陀佛と曰して往生するを本願とすべし。佛の奥義を徒らに学得せんは、その心慾心にしてぼんのうなり。是を尚欲しては、二尊のあわれみにもれて、憂ふは佛の本願に空しく離れ支派暗に堕ゆ耳なり。今上の身は二つ無し、よろしく本願に乗じて乃至十念尚多念を稱名念佛補心してつとむこそよけれ、と綽空殿に金光が一書参らせ奉り、配所に慰め申仕り候。

承元戊辰年星下   金光坊圓證

綽空机下

右は金光上人が状にて、越後への差出しと曰ふ。

廿五、

信仰も求道に諸教を混悟して成るは難きなり。佛陀と外道の因明果成論は水、油に別るゝなり。種生に四十八願の求道に佛陀の解脱道あり。行者は何れを選擇し何れの本願に道を赴るかは、佛弟子十羅漢五百羅漢をして各々異なりぬ。たゞ他力本願、自力本願に宗閥し宗門とし来たる佛道も、今末法に在りて衆が智衆とならば、尚先んじて救済難く度し難し。依て茲に末法念佛獨明抄、末法念佛抄を私頭にして本願を選擇し論成仕るなり。

吾れは丑寅の東日流に在りて、念佛稱名一途に以て巡脚仕り、平川藤崎に施主堂、奥法行丘に西光院を成棟し給ひき。

(注)以下切断

廿六、

鹿ケ谷に源空が弟子らの問に答ふあり。

弟子ら質問す。若し師の往生後に念佛本願に師事を得んと欲せば、何れの次師に尋ぬるべきか否や。源空答ふ。吾が滅後は惑はず鎭西の聖光、石垣の金光に師事あるべしと、かく曰して遺言とせり。右は淨土宗の傳書に在るべくものにして聖光坊、金光坊をして淨土宗の末代を案じたり。

然るに金光坊は、丑寅に在りて成れる末法念佛獨明抄は、能く渡らざる也。

廿七、

佛法語に梵と曰ふあり。東日流中山に梵珠山あり、麓の邑は大釋迦と稱す。さて梵とは詳しく曰せば梵摩、勃嚂摩、凌羅賀摩、梵覧摩、没羅憾摩と譯す。離慾、清淨、三寂靜、清潔と譯すなり。

天竺の優波尼沙土及び婆羅門教に於ての学文にて、宇宙最高なる原理、即ち萬有の本原なる宇宙の神秘を梵と曰ふ。

一切世界はこの最高梵が自ら繁殖せんとの意志を發したるに依りて生じたるものにて、其の梵より生じたるは世界の差別、欲望、苦痛、虚妄なる世界なれば、世界脱に吾人の箇々の精神愛着なるものに繋縛され惑はされ、尚以て沈淪す。

依て差別、諸禍を断って其自性最高精神を了知せば、茲に梵と合し、かかる世界を解脱を得ると曰ふ。

廿八、

信仰にも導師にて善悪あり。神佛、何れの道、倶に潜充せる悪業なり。信仰、善導せるはずの導師にて、古来より奈落に堕たる衆生の數多く、求道の前より運命の逆落しありき例多し。とかく達辨にして神佛を僞仰して、衆生を誘惑し、邪道への洗腦を遂げ、十戒はおろか、悪の限りき引導して己れもまた、その悪業系に自得せる多罪に神佛の報復を受くなり。依て、信仰及び求道の事前に、善師を選べ、とぞ戒告す。

神佛の崇拝に多大なる布施を強要せる導師や、女人を犯し、また淫蕩に誘惑せる導師は、既に邪道の輩と知るべし。罪を善に譬喩せるも然りなり。神佛はかく誘導師を赦さず、報復す。

廿九、

人は如何なる高位に在るとも、人は人にして、神とはなるゝなし。高位に在りて、命告つ言に戦を決し、多くの人命を下敷に事を勝利に得て、權政のままなる座に在る者に、極樂道はなく、人間として甦える地獄道に堕て、萬靈の祟りに報復されんや。神佛の赦すべく非らざるなり。人の世は、相互にして平等に睦みて、人の階級を作らず、人命を尊重して、神の天秤に死後を裁かるとも、その天秤に軽重なき生涯こそ、美德なり。

卅、

丑寅日本国は何が故の蝦夷国ぞや。此の地に住むる民は、太古よりかかる極寒の地に、倭史の曰ふが如く、無能にして魂のもたざる民かや。倭にして大王あり。丑寅の地に大王の無きと曰ふかや。日本国と曰ふは異土なるや。倭史のみぞ正統なる神代史も、萬民に相通ぜる史の誠なるかや。言語道断なり。

日本国とは丑寅の国にして、此の国に住むる民の稱號付名なり。それを蝦夷とはなんぞや。此の国は太古より大王をして国を肇むること、倭国の先なる五千年の古きに遡る国なり。此の国は太古より、山靼に通じ、古代オリエントの大なる文明に国を肇むる古代国にして、倭史の如き神代など非らざる、人王統治の国たるは、語部録に通史せる處なり。能く覚つべし。

丑寅日本国は、倭史のはるかに先進なる国にて、五千年前より史證の文字に遺せる国なり。

卅一、

奥州の丑寅日本国に祖来せる国人よ。
寒きに負けず、心にやがて来る常世の国たる太古の復せし世の来たるを子孫に傳ふべし。

吾等は倭史なる如き卑しき蝦夷ならず、人祖正統なる民たるほこりに起つべし。倭史の如き神代は世に非らざる夢幻想定の僞史なり。人の史に、人ありて人は神とは笑止千萬なり。心して、吾等が祖来の語部録を尊ぶべし。丑寅日本国は、眞實無双の民の築きし国史に何事の僞傳なき、人の開けく国土にして、倭史の如き神を以て爲せる幻想夢幻国に非らざる、人祖を以て尊ぶ国土たり。依て、侵倭史を断つべし。

卅二、

奥州の住人よ、吾等王国の民よ、目を開け耳をかたむけよ、大音聲に自己を示せ。

山王の三猿の如き、目をふさぎ、口を閉ざし、耳に聞かざるは、倭策の權を赦すことなり。幸を奪はれ、貧しきに吾を置くべからず。時こそに、常々健全たれよ。やがれ来る吾等が千年の前古に復古の至らむ、自在なる世は丑寅の彼方に白らみて、夜明けとならん。

倭史は日輪の平等光熱に燒かるゝ朝日のくれなえに燃えん。吾等は自在なり。海を越え、人祖の国、山靼に往来せん。

人は睦み、クリルタイのナアダムに集はん。駒に乗り大曠野を駆けん。日輪は吾とあり、大地は波斯に續く、山河を越え渡らん。

自在の翼、やがて吾等に神は賜はらん。征けよ、いざ征けよ、黑龍江の逆波越えて、アルタイの荒野、天山越えてトルコ、ギリシア、ペルシャ、エスライル、エジプト、シュメール、まで神の與へし翼もて夢を追ふ。

卅三、

荒覇吐神は常に吾等の生涯に在りて護り給ふ。日輪の光熱、月の雫、草木は緑り、空に飛鳥あり、山野獸はたはむれ、河と海に魚は泳ぐ。日輪は赤道、黄道を巡りて四季をなし、四季折々に幸溢れ、人は生々す。

〽日の本の 四季にたのもし 幸の国
  生きてある身の こやみなゝがら

泰平にして、人は睦み、生死流轉にも、安心立命に在りき。丑寅日本国の古代、この豊国に侵魔の輩、国盗りて千年の間、住人を圧す。反きを怖れて彼の都合に法度をなし、無實の罪をこうむらしむあり。死の刑に通常たり。民、自在を求めて尚、海峽をも越えて、丑寅に安住を移して富むるに、亦、倭侵ありぬ。倭侵に地守せば、蝦夷の反きとて朝幕は速かに征夷の軍、襲ひて積財を掠むなり。女人は犯され、これ見よがしに刑を處す。

いつまで續く阿修羅の鬼畜、民は天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコに祈りけむ。

卅四、

世は移りゆくに人の進歩をさまたぐるは、外の異土に閉じ、世界を知らざれば、自から未開の人を世に遺し、先進の国の殖民国とならん。戦を以て防ぐとも、刀弓は銃砲に敵はざるなり。剣無双の武人とて銃砲の彈を斬ることぞ難く、一彈に葬ず、火縄銃とて彈倉連發に敵はざるなり。

鍛治と機械は、量産雲泥の相異あり。軍艦とて木艦と鉄艦、帆走と蒸気、亦然りなり。世の進歩は世界に閉じ、徒らに文化文明におくれるは、大和魂もはや空蟬なり。心して世界の進歩に歩調を併せん政治こそ、此の国は救はれん。

また武家上位の悪習は国の營を苦しむるなり。国を護る民も銃をとり、旧来の剣術、なんの勝算もなし。国をして、世界に交易し、早速にして世界との文明開化を等しくせむは、急務たりと奏上す。徒らに外の邪交に誘はされず、世界の進歩に睦めよ。

卅五、

信仰は自由たれ、寺社、階級をせず、平等たる引導たれ。天日は一にして二なく、大地は高底ありて、水は流るゝ、風は無色なれども動あり、雲は飛ぶ、天然はかくありて萬有の生命を産み、吾らその生命に生る。

神は天然にしてかく相あり、人相ならず、天然すべての相なり。荒覇吐神とは天なるすべてをイシカカムイと曰ふ。大地の一切をすべてがホノリカムイなり。萬有の生命を生死轉生さるは水の一切にて、これをガコカムイと曰ふ。この天地水を神として崇むは、信仰の道理にして全能なる神の眞理そのものなるが故因なり。能く心得よ。人は人にして、神を造る勿れと戒むなり。

卅六、

吾等が住むる丑寅日本国は、盡きざる海幸、山幸、の国なり。日輪は東海に昇り、西海に没す。国は北辰に續き、白夜の北極にまで續き、天なる宇宙に不動なる北極星の神に近ける国なり。太古より神を崇め、人の暮しを睦み、海を渡り人祖の国に往来して、世々の移りにクリルタイに集ふ民族の盟約に契ずるを、人の和と心得て古今に通ぜしも、倭侵ありてより人の殺伐起り、此の国は蝦夷とされ、住むる民をまつろはざる蝦夷人と異にして、當今に至らしむなり。

吾らは以来、永きに渡りかゝる圧制の下に、未だに照れる日も曇りき。心の苦しみに耐え難きに耐え来たり、今に以て蝦夷たるの意識に、歴史は公に定められし不平等に在りき。丑寅の天日、かゝる解凍なき大地に、人は労々し、太古の傳統を密とせる世のいつまで續くや、忍びて来るに、その晴るゝの日ぞ兆しあり、近からん。

卅七、

北国の待にし春は遠からず、白鳥も北の古巢に歸りて飛却りぬ。雪解の河辺に猫柳の花、つぼみを出で雪解を追って、まだらの土くれに蕗の華、黄金色に咲くを見ては、永き冬の籠りに、陽光日方す。

〽そよ風の 春なす音に 童らの
  蓮を摘むる 春彼岸かな

昔より歌を詠み、古習の曲にて唱ふは老若男女みなゝがらなり。永きの因習にて、此の国を蝦夷たらしむるはたれぞ、反きもなきに土足にて座敷入り、冬に備ふる糧を奪ふるは、常なる奥州への仕討なり。かるが故に貧しく、あの寒さ、あのひもじさに死せる故人のありし日を葬むりし墓に、イタコを呼びて靈媒を聞く。東日流の西院に、宇曽利恐山の西院に個人を愢びて人は集ふなり。

荒覇吐神崇拝法度に、住人は地藏とて拝す行事なり。故人に似せて造りき地藏に、母は子を呼び、子は親を呼ぶ冥土と娑婆の界を結ぶる彼岸かな。

卅八、

啓上仕る。昨日、下閉伊にまかり瀧澤より宮古への旅に出で、かねて招かれし豊間根氏の邸にまかり候。彼の山田湊にて道辺の神社あり、古来のまゝにアラハバキと名を遺したる神社にて、講中もその總代も安倍氏縁りの者たり。山田湊は大島、小島、あり漁の暮しは豊かなれども、古来、此の浜邑を津浪、襲ふありて、歴史に悲む處なり。

人は相睦み、信仰深く、故に荒覇吐神の社は、古きのまゝに遺り居りぬ。海に突出せるは、魹ヶ崎にて本州の最東なる日の出を拝す處なり。十二神山あり。神社無けれど尋ねて、故事を知る人もなし。宮古は淨土ヶ浜の波淨かにて常舟影、東日流十三湊に似たり。十二神山とは、この淨土ヶ浜の入江を十二湊と稱したるも、十三湊に同調せる如しとて、山に名を移したりと曰ふ古老あり、さもあらんとて、聞き取りぬ。

安東船は能く鎌倉歸りに寄湊せる處にて、豊間根邑には安倍行任の子孫ありぬ。本日は此の家に宿す。

卅九、

久しく五年ぶりにて、厨川柵跡を訪ね、古杉の風音に往古を愢びたり。堀水に片葉の葦ぞ茂りて、康平の戦を愢ぶ舘跡に古事を物語るは、川瀬の音、杉枝を鳴らす風音のみなるも、古老に聞くは、源氏が古屋を壊し、堀向に山と積みて火を放つる處、今は新道となりつる處と曰く。

厨川支流を仙岩峠なる麓に二股城ありて、源氏の攻手は是れに気付くなく、安倍の將士は、多く殉ずるなく峠を越え生保内に難を脱したり。安倍の重臣、高畑越中、菅野左京、ら厨川太夫貞任の遺児高星丸を奉じて、東日流に落にして、多くの兵馬、この峠を越え東日流落を果したり。亦、生保内にては名湯ありて湯治せり。

四十、

久しきや、生保内の郷に訪れては、先づ平將門なる息女姫塚に詣でるを先とせり。

〽山吹の 花にも似たる 將門の
  遺姫はねぶる 生保内の郷

姫塚に遺る悲しき物語、今に遺らむ。楓姫を愢ぶ唄あり、あねこもさと曰ふ。

〽櫻花 サーエー
  咲いての後に 誰折らば

〽折りたくば サーエー
  尋ねてござれ 澤雨に

〽あねこもさ サーエー
  ほこらばほこれ 若いうち

〽恋しさに サーエー
  空飛ぶ鳥に 文をやる

〽此の文を サーエー
  落してたもな 賴み置く

哀調になる仙北地方に遺る唄なり。此の地には荒覇吐神社ありて遺りぬ。仙北郷唯一の社にして、生保内城の城神たり。

〽生保内の 城の護りと 荒覇吐
  いにしの神と 仰ぎ祀らん

古きよりこの郷のみは戰、是れ無く、駒岳の神、荒覇吐神の崇拝は天地水の神鎭む、名所古蹟の多き處なり。

辰湖と玉川の湧湯ぞ天下の名湯にて、生命を保つ澤とて、古語なるオボナイとぞ、郷名、今に遺りぬ。

四十一、

北鑑第四十六巻を了筆す。此の本巻に綴らる行文は、みなゝがら奥州人の隱さぬ心の聲なり。一人言ふ事、恐れざる言葉をそのまゝに記しきものなれば、美文に非らず、そのままに記し置けるものなり。まして、筆者もまた学得なきものなれば、恥の表塗りなり。

然るに、記し置くは、末代への先人なる歴史の聲とて遺す信念の他、私事のあるべからざるなり。古紙のうら書にて讀み難けれど、吾れ貧しき故なり。此の書は後世の史究に志せる者に記したるものなれば、讀みて物語ならざる史傳とて、衆の語りの集成なり。依て、古今相混ぜるあり。能く心得て讀了あるべく願ひ奉るなり。

大正丁巳六年八月二日
飯積派立の住  和田長三郎末吉

和田末吉 印

 

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