北鑑 第四十七巻

注言
此の書巻は門外不出他見無用と心得よ。何れの巻も失ふべからず、能く心に得て、油断あるべからず。

寛政六年一月二日   秋田孝季

一、

奥州に古史を尋ねてその史跡はあれど、由来つまびらかならず。文献のたぐえ更になかりき。とかく奥州の古史は世襲に權ある者に障り多く、その故事なる證あらば、遂にして是を召しあげて燒却せり。都度に渡りて是の如きをくりかえしけるに、年ふる毎に抹消しける丑寅日本史の実相ぞ、倭史の作説にぞ眞の如く民心を惑はさん、討物なき奥州侵略なり。前九年の役より武家の政事起りゆく幕政なりては、奥州民はその重税に貧苦の渕を脱すをあたわず、遂に国抜けに東日流及び渡島に隱住せる者ぞしきりなり。依て、国抜けを防ぎける関所各處に設し、捕ひて勞々の罪科に民を捕ひて鑛山に配したり。主をその捕手にて捕はれては、残る遺族貧境にさまよひり。産金貢馬とは地民の貧困の盡勞にて成れり。平泉金色堂他その迦藍に佛造に費したる他、京師献上、鎌倉に貢たるも莫大なるものにて、平泉は成れり。安倍治政のものとは雲泥の相異たり。

安倍氏、衣川に在りき治政の由は、民の安住を以て一義とせるも、藤原氏、平泉に在りては京師に模する榮華の限り、平氏のおごりにも似たるなり。安倍氏の遺したる金山を採掘果し、虎の子を飼ふが如き、源氏の義經を入れたるは、藤原一族の確執にて遂には源氏二十五萬の寄手を招くに至りぬ。

安倍氏と異なるは、かゝる藤原氏のみやびたるはなかりき。柵を築くも、その造り掘建にして、民と食生同じけり。華麗なるを好まづ、その生々民と同じく質素たり。衣は獸毛皮を用ふ。女子また然りなり。常に備ふる討物、馬具にして鎧を山靼造りに造りぬ。一戸一頭の駒飼ひて急事に備へたり。間道造り迷路に抜け難く、他国者、是れに踏入りては必ず捕りぬ。安倍の本城はなく、戦起りてはその毎に移りて謀りぬ。老人、女子、童、らを安住の地に移むるを先とし、領民も然りなりせば、人命あたら敵手に蒙るぞ少なし。安倍一族の戦とは是くありて、敵とまみゆなり。利ありて攻め、不利にては引き、命を賭けて城を守ると曰ふ士気はさらさらもなかりき、人命こそ大事とし、その大慈悲は領民如何なる者にも相渡りて護りけり。一人の死を軽んずる者は、萬死の憂ひを招くなり、とて安倍一族の戦に謀る一義なり。

常にして、自から泰平を破らず、睦みを以て敵を造らざるも、源氏の如きは常にして忘處を突きて因念を兆發し、前九年の役は起れり。一族の者、縁りの者、を誘策して反忠を企て、それに乗ぜし者を誘賄して根據を突くは、人道にありまづくさながら悪鬼の挙黨たり。安倍一族をして祖来、丑寅の君系にありて泰平を尊び、言語一句にも敵を造らざるは遺訓たり。前九年の役を倭史の傳にして實相はなかりき作説なり。源氏の兆む手段に選ばざるは、永代續きにして、安倍の遺寶の奪取たり。

二、

吾が丑寅日本国は、太古にありてゆるぎなき大王を奉る王国たり。坂東越の安倍川より糸魚川に至る東西に仕切りて、丑寅を日本国と曰ふなり。

抑々、吾が日本国は丑寅をして成れる国なり。国神荒覇吐神を奉り、大王安日彦王、副王長髄彦王を奉じて肇国の創とせるも、その先に遡りては阿蘇部王、津保化王、の人祖に遡り、古き人踏着住にたどれば、十五萬年乃至三十萬年にも遡りて成れる国なり。

海の幸、山の幸、満溢れ、人の暮し泰平にして代々にその生々睦ある民族にして、山靼より渡来せる民族の種を嫌はず、その智を入れて大なる国造りを遂げたり。その王系に累代して国主を乱さず萬世一系たるは、耶靡堆王阿毎氏より安倍氏、安東氏、秋田氏へと累代君座を護持し、今、三春五萬石の大名座に在りぬ。秋田氏の累代、その系図にたどれば、上の系図、下の系図、に造りて世襲に越え日本將軍の實相を欠くことなかりき。

吾が丑寅の史記は語部録に明白たり。古代の事は、丑寅日本国を越えて、倭史の如きはとるに足らん作僞の史傳なり。神代を以て古史とせしは、架空想定夢幻のものなり。大王とて天皇氏を奉るとも、その国造りに倭の古事に實相たるは、淀川、耶靡堆川、紀之川になる地位にたむろせる地豪、和珥氏、物部氏、蘇我氏、大伴氏、巨勢氏、葛城氏、春日氏、津守氏、大山氏、誉田氏、天皇氏、阿毎氏の割居せし攻防のなかより大王と遺りけるは天皇氏たり。依て、その一統成れるは、推古女帝にして倭の国は成りぬ。

古事記、日本書紀の累々たる上古の事は作僞たるを明白たるは、国記、天皇記なる蘇我家秘藏文献に明々白々たり。併せて丑寅日本の語部録とくらぶれば、その古なる年代の相違一目にして明白たり。

三、

古事記、日本書紀、倭に造られきその語部なる大野安麻呂、稗田阿禮の作なる書頭にかゝぐ神代とは、天地神明に誓って断言せるは、世に神代は非らざりきと一言に盡して過言なかりき。夢幻想定の神話を天皇の祖に結び、その神代になる高天原なぞ、實に照らしてあるべきもなし。日向の高千穗峯に天孫の降臨せしむと曰ふもまた然りなり。

天皇とは四衆の民より、豪族として覇を諸豪に抜んじたるものにして、神の子孫たるの作僞は天地神明への冐瀆なり。古来より人王にして、自からを神とせば、天地神明の誅を被ると曰ふは、荒覇吐神の法則たり。人は智惠に優るとも、人は人にして世を却り逝く耳なり。まして權威欲しいまゝに生涯を渡世せるとも、世襲は子孫永代に保つ事なかりき。是ぞ、眞の神なる人間に降す法則にして脱する事、叶はざるなり。

歴史を以て神代を造り、神を造りて、年代を古きに造り、萬世一系とて先祖を造る。猶、己れを神の子孫と造るは、まさに天地神明への悪黨にして、神を怖れぬ邪道なり。まして無智の民をその化に誘ひ、從がはしむるの行爲は赦しべからざる、神罰の被るは必如なるを知るべきなり。非理法權天とは、是の事を曰ふ意なり。

ママ

凡そ十五萬年乃至三十萬年に渡る古事来歴の国たる吾が丑寅の日本国は、倭人をして蝦夷と軽ずる永代の基に造り、此の国の幸そして地産の黄金を奪取し、化外の蝦夷といやしみ、智にある者を彈圧し、勞重、役貢税に伏して、反き制ふの政は今猶以てやむことなかりき。奥州をかくいやしむは蝦夷たるの意識を先入觀念に以てなせる歴史の深層に見下げたるを攺めずして、たゞ世襲の史觀に習得せし倭史因源に在る故なり。

蝦夷とは何ぞや、人としての血の採色異なるか、はたまた魂のもたざる修羅鬼なるか。倭史の傳は、公に司る者をして成れる權力史なりせば、国民從卒に忠誠への下敷とせる洗腦史なり。かゝる迷導を以て民を憂はしむれば、いつしか神の報復あらむは必至なり。まして吾が東北を京の鬼門に在りとぞの敵意になせるは、創国の神を冐瀆せる行爲なり。

神は萬物創造の父母なり。人王をして成れるものは何事も無からんと覚つべし。たゞ討物を造り、權謀術策を造りて、民を人と思はざるは、神の法則なる非理法權天に誅されるは必如なり。娑婆に於て權謀欲しいまゝに了らふとも、その死後は裁かれ、再度び人間の生を得る事難し。即ち、是れ天命なり。

また、人をして悪なす者とて然りなり。世に生々せるに安しきことなかりき。依て、人は土に耕作し、海に漁し、山に杣をして各々生々を保つ。衣食住の安泰を保つが故に勞𢭐す、是を犯す者は神の大慈悲に反くものなり。

四、

生々流轉移歴史流雲流水非元唯同觀耳也
人生亦然也 三界相通遺子孫生々無安事衣食住亦是如 不知受世生命世襲世相我身遭遇人生不同爲生涯盡命脈寂滅省勞𢭐五十年人生唯如夢 佛陀曰 諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅爲樂是無上悟導也娑婆會定離苦即生老病死也 是如四苦因在四苦諦爲安心立命不滅以魂次世連甦新生依不死怖唯一向念荒覇吐神稱名入無我境地可宇宙自肇生々萬物創誕奇跡是皆荒覇吐神在全能神通力依身心以不迷不他神誘不惑眞實一路信仰不離本願通念可 荒覇吐神信仰法典不要唯一向以稱名念心一心不乱瞑相可唯荒覇吐神宇宙北極星不動日輪光熱空中風雲大地山川草木大海波涛入無我境荒覇吐神信仰一義也

天喜三年七月三日  日本將軍 安倍賴良

五、

太古より日本国荒覇吐大王は、代々に信仰の一統に心がけたり。信仰は民を睦み人の階級を造らず、天道、地道、海道、の三道を神道にて一統さるは荒覇吐神信仰の大要なり。神道にして天道とは四季に通じて日輪が赤道を南北に交はる黄道あり、北極星の不動なるを四季に仰ぎければ、北斗七星の卍形に四季を通じて運行せるを天道と曰ふなり。地道とは四季に通じて三百六十五日を以て日輪を昼夜の廻天とせる地道あり、水の干満、四季に通じて候をなせる潮流、これぞ寒暖を海道として廻るは、古人が天地水を神とせる荒覇吐信仰なり。創めなる三道への信仰とは、自然を神とし、神像とて造らず、たゞ神火を焚きて祭りきものなるも、火に燒きて土の固まれるを知りて、器を造りきより神像を造れり。神像の創めは、土版を十の型に造りて人面、乳部を施したる素略なるより、陰陽の眼を施工せし神像と相成れり。神像造れざる者は海辺川辺の石を選び拾い来たり石神を神とせるなり。若し乳児死すたるありせば、此の石を倶に添へて埋葬し、速やかに生れて甦る靈穴を棺に施して埋葬しけるは習ひたり。依て、主の死に於ては永祀せし神像を添葬して、その新生を祈りたりと曰ふ。

荒覇吐神の信仰に渡るは、凡そ古代の一統信仰たれば、倭国に越えて信仰渡り今に遺りき。

寛政六年二月廿日  物部継祐

六、

古代人は能く樂を好みたり。

樂を出だすは木鼓、打石、鹿皮張りの壺、太鼓、土笛、石笛、絃張、竹笛等ありぬ。木鼓とは空洞なるを打樂とせるものなり。打石とは打って鳴れる石の板なり。土笛とは素燒の土笛にて、石笛とは川畔に穴のある石を笛とせるものなり。壺太鼓とは素燒の壺に鹿の生皮を張りて作れる大中小の鼓なり。更に絃張りとは、今に用ふる琴の如きものなり。亦、小木を輪に造り、その輪に獸皮を張りなせる一枚太鼓を曰ふなり。更には巻貝等角笛などなど多し。古にして音の出づるものすべて樂器なり。奇音を出だすもの、唄ふ女、唄ふ男、そして舞踊を添はしめて、神に奉納せるになれるは、太古よりの傳習なり。

七、

吾が丑寅の国は、太古より衣食住を集ふて住めり。衆をして狩獵、漁撈、に各平等に配分を以て永き代々を累代を得たりと曰ふ。

語部に遺れるその史傳に依りては、山海の狩獵、漁撈に地理を要とし、山海の幸、四季に通じて不変なる處をオテナのポロコタンとして、人集いて住めり。合浦外浜、東日流安東浦、上磯の地はその地たり。

舟をハタと稱し、古代人は渡島を往来せり。海荒れたる夜航の灯台目付に、高樓を舟しるべに焚くは海人のしるべたり。合浦、外浜にては、海ぞ白色に変る程に鰊の寄せくる處にて、年中貝の豊漁せる幸の浦たり。亦上磯の浜も、亦然りなり。十浦なる鰊崎も、亦然りなり。秋に至りて登りくる鮭、鰰の群亦然りなり。山野の狩獵にても群なす鹿ぞ、また野馬の群その他鳥獸また然りなり。衣食住の長久せる處に人の集住せるは、古代なる世相たり。

吾が丑寅の国は、日辺なる国なれば日本、日高見、東日流、日内らの地名あり。日本国とは古代なる国號なり。依て、大王の統治もまたその歴史ぞ深し。

八、丑寅日本古歌集 一、

〽我が住居 山もと近き 湖畔にて
  鳥聲絶ゆる いとまなかりき

〽とこしなへ 八千代にかけし 荒覇吐
  神さびありて 榮行く国は

〽葛の葉は うしろめたくや 風うらの
  採吹き変る 我が今似たり

〽けしからず わづかに住める 中山の
  往復ならず 樹下に宿りぬ

〽嬲るつて 面を向くべき 川風に
  心遅れて 秋も憂きける

〽まどろめば 神のしめゆふ つくもがみ
  袖ふれつゞく 春の舞姫

〽雪の巢に ひなをかえせし 鷹となり
  春に巢立つし 若鷹強し

〽わが胸に 湧くる望みは あらかねの
  くがねのたゞら 陸奥にありこそ

〽いみづくも 渡せる橋に 山のかひ
  傾く嶺を 見ずして至る

〽天の川 ほの白冴える みちのくの
  夜に澄みにし 秋ぞ深まむ

〽かごとにも あだ人なれば われからの
  浮む事なき 憂空ざまに

〽むつかしや 雨のあしべに わけ迷ふ
  云ひもあへねば 定めなき哉

〽みぞれ雪 降れど積らぬ 初冬の
  それわが里は 今をいそがし

〽思はじと 命のみこそ 失なはれ
  涙いとなき 薄水を踏む

全歌よみ人知らず

九、丑寅日本古歌集 二、

〽潮速き 東の海の 彼方には
  いみずく国の ありとこそ聞く

〽駒駆くる 糠部の里の 夕まぐれ
  月にもうとく かすみにおぼろ

〽いたましや 戦の常は さながらに
  民のくらしも 飢餓に堕ゆむ

〽武士とこそ 望むわが子を おしとゞめ
  里の稲田に 鍬打つ親子

〽教へずも 覚つ行く末 人の世は
  神ありてこそ たゞありがたし

〽山の風 嶺を鳴らして 誰を呼ぶ
  山のかせきに 忍ぶもづずり

〽想はしむ 老いて故郷 夢うつゝ
  枕にぬるゝ 宵に目覚むる

〽幼な頃 高嶺に想ふ 村おさの
  あの娘も今は 見る影もなし

〽崩れ逝く 望みの夢は はかなしな
  たゞむら雲に 年を重ねて

〽待つよりは 見屆くまでと 旅出でむ
  はるけき国を 我が子尋ねて

〽咲しおる 菜の花畠 果遠く
  さやかひばりも 雲居に鳴きて

〽こぬか雨 春立つ霧に ぬれながら
  牛引く童 心もとなと

〽十三浦に もろこし船の 帆降しに
  きそひて集ふ 沖のかもめは

〽さし網を たぐり寄せつる いさば船
  おどる鰊の うろこ身にあび

全歌よみ人知らず

十、

古代なる奥州、奥羽、の地は東西をして山海をもって、その居住に適生し来たりぬ。西に米代、雄物、最上、東に北上、渕別、阿武隈の大河を源に、その居住は開けり。

海浜、干泻多くして魚産、なだらかなる平野に馬産、そして金銀銅鉄鑛山のたゞらに、そのあらがねを産しけるは、古代ほどに盛産たり。金山、銀山、銅山及び鉄山の採鑛せるその所在に巡りて、奥州、羽州、渡島、越州の施工せし、ただらを以て採積せる鑛塊は實に莫大たるものなり。

安倍一族にては、是を消費とせず、一族危急に備へて秘藏せしも、その處は未だ人の知れるに非らざるなり。是ぞ、語部録にても密として語らず、書遺す事もなかりけり。記中にその行あり。丑寅に黄金、白金、赤金、の藏せし山洞ありきも秘たり。山師求めて探るも當ることなし。是を明細たるは秋田家系上之系図に依って知る他に術なかりけり。

唯、是の如く遺る他、要にふれるはなし。

寛政六年二月七日   秋田孝季

十一、

天喜五年、日本將軍安倍賴良、宇曽利富忠に反かれ、その箭に討死せるも、厨川太夫安倍貞任、是を継ぎて一族を卆いたり。既にして一族の領民を安住に移しは、陸中遠野及び三陸の沿浜、飽田の生保内、日内、東日流の地なり。馬もまた種駒、雌馬を移しめて、諸財すべからく移し了りぬ。

討物多く山靼より入れにして来るべく戦に備はりたり。貞任曰く。

吾が国は敵中に落ゆとも、人の生命ぞ在らば憂ひなし。此の国は荒覇吐神の護り給ふ国にて、その安住せる国は北斗の彼方に、地平果なく存在す。依て、一人たりとも敵手にかゝりて討たる勿れと戒しめおきぬ。敵手に落ちしも生命存續ありては、いつしか復せんと曰ひり。城柵より国よりも、人命を尊びしは、古来に通じて安倍一族の掟たるなり。依て、安倍一族をして諸国に忍住せしも、誰ぞとて訴人せる者なかりきは、安倍氏の祖来より罪人とて死罪とせざるが故に、丑寅に遁住せる者多しと曰ふ。倭の官武に追はれ、みちのくにその生涯を了りし者に、大宮人名にある武家の落人多く、その故に歌道、舞樂、文武、諸職、大いに傳はりぬ。

安倍氏の領に一歩入りたる者、如何に倭官武の引渡しを請ふるも叶ふなかりきは、古事代々の習ひにて、倭人も踏入るなし、羽落者、奥落者、と稱さるはかゝる落人の事なり。古くは、物部氏、蘇我氏、にして、猶、古きは安日彦大王、長髄彦大王も耶靡堆国よりの落人たり。落人の多くは部の民となり、その生涯を安住しけるも、僞りて倭の間諜たるを露見せば、千島、樺太に流置されたり。如何に悔ふるとも掟はきびしく、然し死罪とせるなし。

〽千島へと 罪人乗する 速潮の
  流れに舵を 任す船ゆく

〽冬至り 氷雪光り 極寒に
  罪ある倭人 歸るあてなし

是の古歌ぞ今に遺りきは、この故なり。

十二、

古代エジプトの金字塔をピラミットと曰ふ。クフ王なる埋葬の金字塔は石築積工せし巨大なるものなり。巨大なる石築の獅子、即ちスフィンクス、何度砂中に埋もれども、巨頭ぞ出だし、砂中の全相の巨大なるを思はす。

王は神として成りきをパピル草に造る茎紙に遺せり。死者をミイラに造り、莫大なる副葬品を添葬し、近臣の者もまた生ながらに從葬されたり。

古代シュメールにてはハンムラビ法典とて、二百八十二条を以て法律とし、悪なす者はその刑罰きびしく、目には目、歯には歯の懲罰たり。ハンムラビとは大王の名にして、ジグラトと言ふは王居なりと曰ふ。ハンムラビ大王は自から太陽と正義の神と稱したるは、カルデア民の王、グデア大王、シュメール民の王、ギルガメシュ大王に受継れしアラハバキ神に神を冐瀆せる行爲たり。ルガル法典に是を戒むありて、大王をして、神と自らを稱すものは天誅を心せよとあり、その歴史の興亡は、古代オリエント、アクロポリス及びモヘンジョ・ダロに遺る遺跡に今もゆかしむ、ペルセポリスもまた然りなり。王陵の跡とて然りなり。大山大王陵とて倭国とても然りなり。かくなきは、吾が丑寅日本国のみにて、大王たりとて巨なる陵を造るなく、その葬儀ぞ萬民ともに同じけるこそよけれ。依て、神は人をして、人の上に人を造らず、また人の下に人を造るなしとぞ、祖来以て丑寅民の心理たり。かるが故に、丑寅にかゝる大王の古陵見えざるは、是の如くなればなり。

十三、

昔より歴史の事は細に記しく讀まるも、祐筆に依りて、文を飾り、事無きを加ひて遺る多し。吾が丑寅日本国を蝦夷とおとしめたるも是の如し。僞に史を造り爲すは、その地に遺る歴史の源より滅し、その遺跡の一切を塵も遺さず滅せば、僞造の史は成れる算段に、事の細々に時代を合併して、さもありなん歴史の僞構造を公に遺しむは、祐筆の画策にして、記を自在にぞ記すは困難ならざる行爲なり。丑寅日本国の史は、倭史に併す祐筆の自在にまゝなるものなりせば、信ずるに足らん。然るに、倭の史作祐筆の神をも怖れぬ作史にかげりぞあり。地中に遺りき史證ぞ、滅し難く、是ぞ顯はれては蝦夷の愚考品とて史外とて除き、公史に加ふるは毛頭に無き過却に制へ来たるは丑寅への史評たり。

丑寅日本国たるの大王国傳統を滅す策として、先づ国號を倭国に置替ふ日本書紀の作設、その先史を神代に結びて遺し、丑寅日本国の国神荒覇吐神を倭の神と置替ふるは、民を洗腦せる策中の策たり。然るにや、信仰に一統せし丑寅日本の古傳統たる法灯は絶ゆなく、今に猶ぞ遺りけるを覚つべし。

十四、

倭史に曰ふ丑寅日本国への觀念には獣物の生血を常食せる鬼畜の如く記行す。倭史の語部大野安麻呂、稗田阿禮、に語るを、渡来漢字を以て祐筆せる官人の勝手まゝたるの作説を丑寅日本国に當て、永く歴史の実相は幽閉され、今に猶遺りきは忿怒やるかたもなき今上の世襲たり。

倭史になびけるは、讀み書き、算を習ふる童より、その倭史の僞傳を公学とて学びし者は、その代々を経ては僞史もまた公史と相成り染めぬ。されば眞の史證は如何に是を否して書、遺すとも外道の史書とて燒却さるまゝ丑寅日本史は、世襲に下敷かるままなりき。依て、是を證すは天皇をして奉る上代史を潰す他、非らざるなり。世に神代たるはあるべきもなし。歴史は地の民に依りて世々に遺りきものなり。諸国の古傳を天皇の中芯に結びけるは、それこそに外道にして、倭史のなせる作僞なれば、是を滅して、その眞證を審さざれば、丑寅日本史は世に出でるいとま非らざるなり。されば、朝幕のある限り滅せざりきも、僞の長久せる試は天の法則に叶ふ無し。能く心眼を開きて實相の陽光に心を照らすべし。

日本国とは丑寅の国なり。倭史に曰ふ生血を呑む鬼畜に非らず、太古より農を營みて人集り、大王を政事に司らしめたる王国の史は、倭国をはるかに遡れる古期にあるを知るべきなり。本州の果つる東日流、宇曽利の地にさえ太古の證をなせる稲田、人の集居住跡あり。神を祀る石神の聖地ありぬ。倭人はこぞりて是を消滅せんとせるも、地民はこぞりて是を護りなんや、不屈なり。

先進の国、日本国とはその肇を丑寅に在るを心しありて正しき也。抑々、荒覇吐神は倭神の先なる神にて世界に通ぜる神なり。能くその實證にぞ学びて、僞道倭史を粉砕すべきなり。

十五、

安東船、十三湊に中山大葉檜材を以て造船せるは、承保丙辰の年なり。船工、皆山靼人にして斜帆、直帆、二立にて鹿皮を以て帆とせる多し。漁舟は一本丸太を割りて、更に舟端を板もて縄結せしものにて、是をハタと曰ふ。安東船の成れるより、千島、サガリイの往来常にして住民の居住相互せり。

なかんずく渡島住民、宇曽利、東日流、飽田、荷薩體、閉伊、に永住せる多し。また陸羽の住民も彼の地に渡りて、渡島、膽振、日高、後志、石狩、十勝、釧路、根室、大鹽、北見、に移り住むもありぬ。地民互に衣食住の暮しに、その風土に習へて言語互に通ぜり。また千島、サガリイ、山靼往来も盛んにして、大陸の物流大いに振興せり。

十六、

海浜川の水に永年にして角なき圓石をならぶる古代宇宙運行の神事を爲せる遺跡の多きは、丑寅日本国中かしこに存在せり。これをナアダム聖地と曰ふ。ヌササンの跡なり。

後世の人々これを知らずして、家の土台石とて古きなる史證を失するも、奥なる山の運難の處にぞ今も遺りきありぬ。一輪圓、三輪圓ありて遺るあり。その輪中に立石あり、四方八方に印石を敷くあり。是をカムイヌササンと曰ふ。即ち、宇宙なる北極星を軸にして宇宙星は輪廻せるを顯したるものなり。

不動なる北極星を芯に、その輪を擴げるさまを列石に顯はしたるものなりせば、春分、秋分のなる日に行事す。これをタンネの祭りとて、年々その輪を大ならしむ。

語部録に曰く。

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と曰ふ意趣なり。

十七、

人の食生に肉食を禁ぜる倭の信仰ありきも迷信なり。古来、人祖は狩をなして人智に達せり。山海を越え、狩漁の幸ある地に天地を求めて分布せるもこの故なり。人の智はかく食生に獣物なくして、衣なく住居なし。獣皮をして衣とせるが故に、それを用ひて織なせるは、寒地横断に人身を暖く保つなり。移りゆく即建の住居、獣皮なくしてならざるなり。舟に造る獣皮にして携帯可能なり。

角弓は木竹のものより強し。履物然りなり。帽子また然りなり。故人は徒らに獣皮を狩ることなく、雌雄の群、そのなかより選びて狩獵す。依て古来より人は毛皮、肉、血、骨、角に至るまで用ひたり。依て、生々健にして子孫を今に遺せり。

十八、

古代より人の食生に菜を食す。また、きのこ、草の実、木の実をも食したり。魚貝、海草、海塩に味なる素を用ふ。依て古人に依りて見付く種々にて、現の我等今に在りぬ。生命を病より癒やすも、自然にその藥を求めて得たり。迷信なる信仰に依りて、また迷信なる薬法に依りて、あたら正道を外道に惑ふ勿れ。能く心得るは、世の正邪にして判断せよ。

十九、

人の生命を長ずるの要は、先づ衣食住の安泰にして、不断にその保食に保つ備ふべし。住むる處に流水あり、また清水湧く泉あり、山海何れにも近く、陽光常に當るを良とせり。衣また寒暖に用ゆ着替を保つよし。生々の半を眠る寝床ぞ清潔たれ。食炊處亦然りなり。薬草は常用にして病起らず、薬草とて採期を過すは、たゞの草なり。食に好嫌ふ勿れ。片食は病の因なり。行水、入湯を常とせよ。日の過ぎし生物一切食すべからず。常に陽光に當るべし。能く勞し、能く噛みて物を食すべし。古人の曰く、水を噛みて呑むべしと。心に怒りを覚つは短命を兆し、心に嬉笑多きは長命に達すと曰ふ。常に心、細覚あれば、老ぼけもなし。老ふほどに適勞たれ、食また然りなり。人に睦きあれ、孤に去るべからず。生命盡るまで、物事を学ぶべし。

廿、

金剛不壊摩訶如来金剛藏王權現二尊本地垂跡宇宙之陰陽也(二十字不祥)求本願二尊當明暗開心眼明暗自在遇本願得阿耨多羅三藐三菩提曩莫三萬多怛他蘗多也三摩耶唵薩坦鍐迦哩怛他蘗多唵蘇嚕波羅蘇嚕婆嚩賀三満多鍐唵毘盧舍那唵阿尾羅吽健蘇嚩賀(十一字不祥)唵三昧耶吽摩訶怛曩耶(十六字不祥)修験金剛不壊摩訶如来本地尊修験金剛藏王權現垂地尊教祖役小角仙人法喜大菩薩全能神通力爲本願(以下百字不祥)

右は東日流中山の荒覇吐神社に傳ふる喝文なり。大寶辛丑年、倭の行者にて役小角と曰ふ仙人あり。本地感得を求めて此の地に至る。世に役行者または役優婆塞と稱さる。その行者とは葛城上郡茅原郷の生れにて、高加茂役公の出なり。彼の行者山岳に行じて、神佛混合の實を信仰に挙せんとて自から苦行して、金剛藏王權現を感得し奉りぬ。信仰の眞理に渡来佛を無用として、更に法喜大菩薩を感得して修験の求道を衆に布して、垂地なる金剛藏王權現の本地感得に精進せしとき、弟子なる韓国廣足に目安あり、衆を惑はしむれば破門しけるに、廣足、是を逆恨みて八宗の僧に小角を訴人せり。依て、官人、小角を捕ひんとて寄せ来たるも、小角、是を覚りて大峯山にこもり、霧中に霞と消え、捕手、小角を捕ふること能はず、遂には小角の母、須惠を捕ふれば、小角、自から降りて縛に付けり。依て、役小角を死罪とて刑を裁きて決し、葛城にて斬首せんとせるも、一天にはかに曇り雷起りて、電光刑執行の刀に落雷し、その刀身三段に折れつれば、これぞ天つ怒りとて小角の死罪を断念して伊豆の大島に流す。

大寶辛丑年、赦され郷に歸るや、母の死水を得たるより、母を火葬し鉄鉢に乗せて、本地感得の求道を唐に求めて渡らんと、肥前平戸より船を出だしたるも、玄海灘にて暴風に遭遇し、若狹の小浜に漂着しけり。小角に從ふる十二人の弟子ともに浜の民家に宿りし、その夜の夢に小角の枕辺に荒覇吐神示現し、浂と丑寅に遇はんとて夢、覚めたり。

小角、茲に志を攺め本地の感得は丑寅に在りとて、越に至り羽州を経て東日流に至り、正中山連峯の石塔山に入りての夜、小角、夢にさまされて感得を得たるは、本地なる金剛不壊摩訶如来の御相たり。(以下虫喰に判讀ならず不記)

廿一、

昨近に御書状之件然かと承り候。

早速に御承認下されたる儀、此の田沼、心して蝦夷地、千島、樺太の地に望み叶ふべく心しあるべく候。急ぎ江戸城大番方に御登城下され度く候砌り待詫び候。添認状、公議の許に候へば半藏門方に示すべく願ひ候。

大番に至るは、すべて申付居り候故に配心あるべからず、某を信じべく此の田沼が膽に銘じ置き候。御法度の議に候事、異土渡国に貴殿他その從属の者に何事の科やあらん。公議の決せる大事に候旨、安堵あるべく候。

北領探索の候は、あくまで隱密に御坐候へば、他言あるべからず心得べく候。能く林氏と謀り居るとの候は戒め候。高山殿へも是の如く候なり。津軽藩に在りき菅江殿にも然るべく候。委細、江戸城に謀り度く候。
右、返状の事如件。

田沼意次 華押

廿二、

拝啓 前略、略して申上げ候。

昨日、御貴殿の状拝見奉り乍ら幾度びか、くり返し讀み居り候。拙者も是の如き大事の候は、世に出世以来初めての大事に候。依て山靼探究の事に候儀、委細は秋田様に御判断願ひ、拙者如何にと申添ふるの儀、毛頭にも是れなく候。たゞ渡島、千島、サガリイ島の事に候は、彼の地に和田一族多く渡り居り候なかに、松前殿に仕へ居る者も御坐候へば山靼渡りの諸資料得べくは易く候。然るに江戸城大番に御添ひ仕るは余の身に餘る大役に候。神職の他に是とて何事の無才者に御坐候へば、秋田様の面目を潰す事態候はずとも心し遲れ居り候。

かゝる大役の者に似合ふべく候は三春殿家来浪岡殿に御依賴下さるべく、伏して願ひあげ候。拙者にありては菅井殿、林殿、高山殿を無視せるは断腸の想ひに御坐候。更に田沼殿の魂胆明白ならざれば、石橋も叩く候事の由を今一度心あるべく候。降て湧きたる大事に候ほどに、何卆要心あるべく御案じ申上候。これ吾が老婆心乍ら一言警戒せんこと如件。

吉次拝

孝季様

廿三、

拝復 一筆啓上仕る、御心得を請ひ候。

老中田沼意次の心意に毛頭の疑、是無く候。世は今、平賀源内の如くエレキテルの如く、科化学の進歩に當達せん文明開化に夜明のまたるゝ世の誕生近く候。昔、安東船が海を道としその成果あり。山靼にもクリルタイの盟約にありしかど、今に續かざるは幕府の鎖国に御坐候。刀より鉄銃、弓より大砲銃、洋書の解禁、山脇東洋に次ぐ杉田玄白の解體新書などの候は、何れも異土の参考なくして得るべく由、無く候。

吾等、今祖先の史を集むるに山靼を知るべく願ふても、尚無からざる公に科なき異土巡脚の旅を果す奇遇たりと覚つべく、御心得下されたく候。そちは文才ありて、余の從卆に加ふれば、吾また心強く候。諸疑に迷混せず余に委し置き候へて、江戸城登城の儀同道願ひ奉り候。

孝季

長三郎殿

廿四、

棚からぼた餅、天地の降りて湧きたる如く、老中田沼意次の招く江戸城推参は、案の如くオロシア、サガリイに大陸横断の基地をその島に造りて、亜細亜の波紫までも世界を巡見せよとの探索令たり。依てその從卆は一行十七名とし、その費は三千両と公儀内密令たり。幸いなる哉、安東船来の山靼しるべあり。語辨解書十六国語解書ありけるも、モンゴル書なれば、これを仮名字に書写仕りて誘ふ。時、安永壬辰年にして、夏七月一日サガリイ島に至り、黑龍江に登航しチタに至りぬは九月一日なり。モンゴルに入りてタリムの平原を越え、カブールに至りて安永乙未の年に眞夏の八月たり。既にして田沼氏に亜細亜の調書六巻を綴りて、原田早苗氏をエイメンより支那を経て歸したり。

廿五、

秋田孝季を巡脚の頭としてトルコ、アラビア、ギリシア、エスライル、エジプト、メソポタミアに古代オリエントの史跡を巡脚せるに、たゞ亜然たるの一語に盡きる巨大遺跡に驚きぬ。何れも一萬年乃至五千年前なる史跡なり。吾が国をして是れに睦ぶなきものにして、一行時をも忘れ写景を綴る耳なり。トルコの地にてはヒサリックの丘に立つて、綿を摘むぐ古老に聞く傳説の數々、アララト山の洪水傳説の聖ノアの箱船、ギリシアのアクロポリスの丘なるパルテノン神殿、更にはペルセポリス、ペルシア宮殿遺跡、エーゲ海にてもクレータ島、サントリニ島とて然かるなり。古代オリエントの古史にかんがみては、吾が丑寅日本国の史は、古代オリエントの古史に睦むるものなり。荒覇吐神とは、かく史の深きにありき。

廿六、

丑寅日本に事重要なる寶物ありて、太古一萬年乃至十萬年に遡る遺寶ありて、石塔山に永保存さる。石に化したる古世の生物ぞ珍しき。更には色採石あり。何れも山靼渡来の遺物なり。赤、青、黑、白、緑、黄、紫、紺、朱、瑠璃、金、銀、その數多し。

支那古代錢貨及び古鏡、高麗陶器、佛像及び神像あり。更に吾が国の古人の用ひし石器具あり。多くは山靼渡りの太古代の遺物多し。荒覇吐神の聖地なりせば、古今にして奉納されたる遺物に三種の神器、五種の神器、大王冠あり。今にして買入不可なる遺物ありぬ。願はくば、是を永代に護らるを神かけて祈るもの也。

廿七、

東風未だ肌寒く御坐候。兼て請願奉る石塔山秘洞の落盤を保修せんに、秘事修工の儀に候へば、人夫、渡島より入峯せんと再度に願ひ仕り候。神事の儀、永代に遺すべく候事に語部録を漢書にぞ書攺め候事大事の極みに御坐候。石塔山在藏の板書の多くは朽にして、保つ難く候へば、猶以て急考願ひ候。

文化二年二月七日   吉次

乙之介殿

廿八、

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廿九、

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卅、

古代に語部文字を遺しきは、世にある事の實を後世に傳ふる爲の古人が考じたる智惠なり。依て、丑寅日本の史は遺れり。如何に稱す倭史の造り事とて、語部録に遺れるは様々に遺りぬ。人目ふれざる岩石に、素燒の器に遺りけるあり。多くは語木たる木葉板及び鹿皮なり。太古より代々に絶ゆなく、今にして、めくら暦にぞ用ゆなり。その年月、時の刻までも知り得る明細さぞ、漢字より明朗なり。語部録とは、古語にしてツルシなり。今より五千年の太古に津保化族のエカシにてマショロコマエンと曰ふ聖人にて、七種の山靼渡来文字にて造られしものなり。是をと曰ふなり。それより代々を經て、字組いさゝか変れども、七種一結になれるは天平の頃なり。爾来、語部文字にて語部録を遺したるは、倭史の僞史を破るが故に遺し書継がれしものなり。是をある限りに写したるは、日本將軍安倍安国なり。

將軍代々をして代々の出来事を明細に記し置けり。漢字に遺すは一行とて遺さゞるは、前九年の役以来にて、倭人に知れては燒失の憂あるが故の護持法たり。依て、語語一字失ふるなく今に遺れるは幸ひたり。

語部録二十八巻にて全巻とせるも、その記逑の歴史の程は、漢書よりはるかに興味深し、能く保つべきなり。石塔山はかくしてありぬ。

卅一、丑寅日本古歌集 三

〽塞ぐとも 歴史は遺る みちのくの
  語部文字は 誠傳へき

〽うつろふは 世の常なりき とことはに
  人も移りて 遺る語部

〽丑寅の 雪に地隱し 住み人は
  こぞに秘をなす 歴史わすれそ

〽山川と 海に幸ある 国なれば
  歴史のなける 事はなかりき

〽白鳥は 白鶴ともに 渡り来る
  東日流大里 冬神と爲す

〽岩木山 江流澗をながめ 裾と峯
  相美しく 神な降りつる

〽やませ吹く 夏も寒けき 年こそは
  けがつのそなえ 人はせはしき

〽たゞならぬ 陸奥の嵐は 倭のなせる
  永きに渡る 歴史ありてそ

〽わが里は 岩手片富士 姫神の
  峯つ仰ぐる 瀧澤の村

〽夏逝きて 稲穗稔りて 鷹の巢は
  黄金波立つ 刈り入れの秋

〽仙北の 山の彼方に 咲く花は
  たをりめたくや われが妹背に

〽鉄溶す 仙人峠 たゝら場に
  鑛石掘手 冬も裸に

〽いさり灯に 沖の波影 眺めつる
  朝来る夜間に 飯を炊焚く

〽北上の 川原葦刈る 村總出
  秋な終りの 冬を告げなむ

〽伊治沼に 白鳥来たる 日に追ひて
  數ます毎に 寒さしばけむ

〽かきくらす 會津の里に うるし採る
  山の夏日に 今を盛りと

〽庄内の 稲田も黄波 豊年の
  最上川舟 宴くだれば

〽おぼろ見ゆ 海にまぼろし 影淡く
  人の生きざま 彼の如く見つ

〽さだなきは 阿武隈川に うたかたの
  あらはれ消ゆる 世のすがたかな

〽安東船 西征く潮の 水先は
  風の吹きよで 黑潮けたて

〽目に覚めて 見ゆつ船波 帆は張りて
  山靼岸に 船はたどりぬ

卅二、

渡島に倭人の渡りて住つは船間屋衆たり。北海の幸を慾し、先住民をして海産物をだましとり、その代價を支拂ふ事ぞなかりき。

常にして安東十二舘に苦情申立ありとも、和睦もなき倭人の常なる振るまえに、倭人法度を立札せり。然るに倭人、安東船と稱して僞り、その寄浜を常に轉じてむさぼり、地族を惱ましめり。依て、安東政季、防人を諸浜に配しければ、倭船、武人を雇ふて手向ひせり。依て、その治安乱れきに、蠣崎藏人と倶に倭船を東海、西海に特航せしめて、倭船の渡島往来を涛上にて武家の乗船あるを海船戦に討取りぬ。爾来、倭船の来船はなけれども、渡島地民は倭人をシャモンとて悪爲す者とて呼稱す。風土に適生せる土民を無能なる踐民とてなせるは、安東一族にして古来なかりける領治たり。

卅三、

昔より奥州の隱密して嗅ぎ巡る曲者ありき。是れ倭人の常に狙ふる産金産馬たり。産金産馬の事は、安倍一族が挙げて丑寅日本国の主益とせるところなり。倭人の欲するは、此の二産にして、安倍氏に官位を賜り、官號を貢がしむとせんも、冬に収なき国なれば聞屆くことなかりき。

古き世に坂東まで律令を以て執政せんと欲するも諸事に支障ありて、遂には理由なき征夷の軍を挙げて討入り、侵領をなせり。然るにや、その應戦數に敗れ、律令及ばざるは史實なり。倭史に律令の奥州に及ぶる如くあれども、貢税に賛道せる者はなかりき。陸奥に於て、三十年の對戦に夷蝦征伐も空しく退きたり。

卅四、東日流方言歌集

〽けてけでも けねばけねもで けやぐでも
  けやばつもんで けぱてくそでだ

〽ちよしまし びきばだいでも ほつばれし
  がぱどかげられ あやのかでる子

〽火さぺでも 燃えねばつゞぐ きしねの火
  あぱばつゞぐど てもどつゞがる

〽まだ腹み あだこさたのむ 子のおもり
  てんつきだけね としごうむあぱ

〽がじよまの 背骨さのれば どんぢばれ
  いでふてまねば しとかげでのる

〽ほほらでも めらしばしぎで あつけらど
  べごめでみでる となりのよでこ

〽つぼけちづ なんぼさべても きかづだば
  にけらどわらて あづさいてまた

〽ほづけなし いぱだねしても きねかげね
  なもわもきまげ もろばがねなる

〽ぢこぼげで とどろくさねぐ ばばさべる
  あひどだばとる もんじょけらど

〽おらしらね まづめのはなし きでみだら
  しらみあぐらで ぼのごさたがる

〽まぎりもて むったどあさぐ がどいでも
  他村のあねこ いがねばまいね

〽さなぶりの ねぷたのはやし 七日夜に
  ののこけぱれば けんかぼつめぐ

卅五、

東日流と宇曽利、その暮しに太古より等しく見えて、異なるあり。なかんづく、その相違に見るは海辺に住む多きは宇曽利なり。

東日流にては、山に住む多く、海辺に住むるは湊ある上磯にまだらなり。宇曽利は平野多けれど作物なく、牛馬を放って、馬喰多し。

東日流にては稲作、太古より拓きて大里のかしこに稲田ありけるも、葦野多く、また洪河の𦰫多きが故に牛馬の放牧ならず、宇曽利より求む。依て相互に流通し、その暮しを保つきたり。古来より宇曽利は津保化族の里にて、気は猛く強し。東日流にては阿蘇部族にて、先住の民なれど岩木山の大噴火にて多く災死せるより、津保化族、東日流に駐住す。その起点なるは大浜三内にして、外浜辺に邑造られり。その古村になるは孫内、奥内、三内、乳内、平内なり。古神の信仰ありてイシカ宇宙の神、ホノリ大地の神、ガコ水の一切神にて、その信仰たるや、古代に大王を立君し、民の大集落ありて永代榮ひたり。中山に石神の聖地を築き、一統信仰の信仰の場たり。然るに八甲田山の噴火にて、永々居住なせるを離れたり。秋田及び岩手に移る民多く、大王の移りきは岩手なり。その證跡、今に遺りぬ。

卅六、

五王と曰ふは、丑寅日本の大王を中芯に、東西南北の国領に四王を配したるとのことにて、その歴史に遡るは遠き世なり。

荒覇吐神とて信仰の一統なるや、領内に富貧の差あり、是を流通に於て成せる創りなり。抑々、荒覇吐五王とは、地領の遠きに在るを一統なせるが故に配したる政なり。またその間隔つ處に縣主、郡主を置き、大王の政を一統たらしめたり。その大王、政の統治せるは久しくして、五千年に至る歴史ありと曰ふ。代々にして大王の王居西南に移りきも、世に古事を知る證は貧しく、唯、東日流語部録に明細ありぬ。荒覇吐王とはかく五王を曰ふ名稱たり。此の国をして重要とせしは、東日流にて、代々に榮ひたり。大王の即位せる處は東日流中山石塔山にして、儀を挙行せりと曰ふなり。第一世の大王は安日彦王にして成れり。

卅七、

清原武則、源氏に騎馬を援じて安倍氏を討つは、永年羽州にありその勢を保つ大恩に天向吐唾の行爲たり。源太郎義家の巧辨に、祖来の恩を蒙り乍ら安倍氏への反忠は、己が一族の永代に榮なく遂には後三年の役にて、清原一族、兵馬を援じたる源太郎義家に誅滅され、遂にして滅亡せり。されば、藤原氏の遺児を以て衣川櫻川の落合に、平泉の地に奥州の覇を建興して成れるも、三代にして源氏二十五萬の寄手に落たるその因果の業報ぞ廻りぬ。

安倍氏が大祖安日彦王の代より一系にして續きたる末代は、厨川にして滅亡せず、安倍貞任が二子安東高星丸にて再興せし東日流にては、安東船を十三湊に興し、その船、征く處は世界を廻りぬ。山靼交易にては大いに商道を益し、五十七族のクリルタイの盟約に賛同し、北路を以て波紫の紅毛人国までも通商せり。依て、安東氏攺め東日流より飽田に移りて秋田氏と攺姓し、東軍大名とて国替移封、三春に移れども、今に五萬石の君座に長久せるは、他に例ぞなき一系にして今に在りきは、まさに荒覇吐神の加護に他非らざるなり。代々に安泰を祈り、子孫の長久せるはその實證たりと曰ふ他、非らざるなり。

卅八、

抑々、奥州、羽州にまつわる古代史に於て倭史の介入を以てなせる諸事は、皇化手段に依る後世の作爲なり。倭人の駐在永住、子孫の爲せる作爲に奥州、羽州の古事は消滅に押やりて、攺史の策を記紀に習ひて帳尻を併せ造りたり。是の如きは世襲なれど實史を妨ぐ僞傳行爲なれば、歴史の實を欠くものなりき。

抑々、吾が陸羽の古史に實に反き、倭史引用に併合せんがために時代、人物を造作せる行爲のおぞましけるは、神の平等たる天秤の裁きを隱滅せる罪障ありぬ。

卅九、

渡島にて安東氏継政の主は、安東政季の臣たる宇曽利蠣崎藏人たり。蠣崎氏、渡島の檜山にありて、夷王山に勝山城を築きその南浜十二舘を、安東政季秋田に移りて後、支配せり。松前に城を固めたるは後世なるも、將軍山に大舘、小舘を築きたる旧跡ある安東盛季の十三湊よりの移住地を重要として、茲に松前城を築きぬ。安東氏、倶に秋田、能代と往来して地産の交易を諸国に易して現に至るなり。   以上

北鑑 四十七巻了筆  再書 和田長三郎末吉

後記

北鑑全筆了も残部いよいよ少なし。想ひば永き歳月、唯一向にして朽書の再書に明けくれぬ。在書、幸いにして虫喰朽書をまぬがれたるは、そのまゝ遺し置くものなり。

大正元年四月   和田末吉

冬二月東京市にまかり、秋田様と會合仕り、久しく宴げ樂しめり。御家族様壮健にて安心仕り歸郷す。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku