北鑑 第五十二巻

注言
此の書は他見無用、門外不出とぞ心得よ。亦、失書あるべからず。

吉次

一、

太古よりそのまゝ今に遺るゝ信仰もあるはまれなり。石神とて神と爲すは荒覇吐信仰に多く、男石、女石とて祀るもありぬ。例へば衣川なる女石神、男石神、閉伊の契り石、笠石、剣石、岩手の手型石、東日流の石塔、三輪の石堂、限りなく諸国に存在す。

石を以て神を造り神殿を造り、墓碑を造るは世界諸信仰に相通ぜり。その信仰に於ても非道の窮るあり。人の生贄を以てなせるもあり、南蕃にては人首を神に供するあり、信仰も導者にて雲泥の相違ありぬ。大王の死に生葬さるゝ者、己れを活神とせる大王は、民を人にあつかふなく己が死に伴ひゆく迷信のありきを知るべし。世に人命を軽んずる信仰は邪道なり。

神は生命を断つをよしとせず、かゝる迷信を信仰に挙行せるものは、神の裁きに永く責苦を受くなり。神は睦を悦び、信仰の眞理に求道せるもの耳、救済す。依て、荒覇吐神の信仰に迷信なく、天地水の道理を神とし崇むる信仰なり。依て、信徒に級なく、平等に求道を以て安心立命を天命に安ずるの信仰たり。人の工を加へざる巖を神とせるもあるは、古代の造像なき神への歸依なり。依て、宇宙、星、自然の山海を聖地とて選び、その靈感にある處を定め、今に残れる聖地ありぬ。
信仰をして自然に優る對象なきを知るべし。

二、

波涛萬里、洋々たる海潮は萬国の陸浜に通ず。海こそ生命の母なり。如何に高ける山雪も解けて流るは海にして、海より天に昇るは、水精にて雲となり、萬国の空中に飛流して雨となり、地に生命を甦えすなり。

生命とは、水の化にして、地は身體の因なり。魂のみこそ己れなるも、地水の化なくして世に相を得られず、亦、身體ありても魂なくば生骸なり。生きて人となりけるは、天地水の化にて吾等は成れり。生老病死は生命の新生に甦える法則なり。依て、怖しきぞ想ふべからず。老骸を離れ、新生に甦る門出と思いとるべし。次世は生命をして何ものに甦えるかは神の裁きに依れるものなり。

今の世に罪に隱る者、罪なくして罪に堕さる者との甦りは異なりぬ。何事も神は人の生涯を見通し、その裁きを以て世にいだすものなりと曰ふ。心して世に善生あれ。

三、丑寅歌選百首 上

〽なげくまず 定なき浮世 世の中を
  染むる心は われこと知らず

〽惜しまずな 非情草木 露の身は
  想ひの事も みんな夢々

〽庭もせに 一枝の花を たをりてぞ
  散らぬ先にと 想ひうちより

〽逆様な 三世のよしみ ゆゝしくも
  生としいける 罪なきは無し

〽木がくれの 山又山の 目かれせず
  のどけき春の 價千金

〽苔踏むる 山の古寺 詣でては
  たゞ神さびて いかにいはんや

〽外浜の 人に傳はる 大王の
  大浜御殿 今は幻

〽あれはとも いかにと見るや にゆうないの
  石神目あく しゝむらの水

〽着雪に 垂るゝ古枝の わづかなる
  花と咲き見る 朝日まぶしき

〽駒くらべ 道の直なる けり砂塵
  駆けくる駒の 吐息ぞ荒し

〽手に取れば 螢の光 脂間灯
  放つるまでの しばしとどめん

〽なかなかに ゆくへも知らぬ 山のかひ
  月は夜をさす そこともあらた

〽蜘蛛のゐる 家貧しくば さなきだに
  心空なる わび住居かな

〽日項へて 雨のあしべに 友呼ぶや
  言の葉草も 夜更けやまず

〽荒覇吐 げにや祈りつ 神の石
  上に輝く 日を映し見ゆ

〽命のみ 生きてある身の ものなれば
  吾が末代に 名こそとゞめん

〽しをりつる 花の命を 憂しとも
  たれを恨みん 無常の世に

〽夕されば 風もくれゆく 月さすや
  往古のちなみ 猶そことしも

〽尋ねゆく 我がまだ知らぬ 渡島の地
  このもかのもゝ とふにつらさも

〽友来たり さゝの一夜も たまさかに
  酔ふほど苦し 老を知りてそ

〽想ひでは あはれ昔の 目に見えぬ
  陸奥の山川 心を盡し

〽いにしへの 人目をつゝむ 語部の
  陸奥は日乃本 名こそ元なと

〽野良に終へ まだ夜をこめて 馬草切る
  駒に水やる 曲り家の主

〽あやをなす なづとも子には 母なれや
  これなる童べ 末をよかれと

〽風涼し いぶせく住居 草壁に
  鈴虫鳴きて 月さえ渡り

〽澄む流れ 巖に水苔 尚ほ清み
  秋や通ふらし 紅葉流るゝ

〽あはれとも 思はざりける うちかえて
  弓を二つぎ 清原反むき

〽條なきは かしたる人の あだ波に
  衣の舘も 三途の渡り

〽ありがひの よしなかりける よるべ水
  とてもの憂き身 歸るさ捨てつ

〽我れともに 老いたる馬の くちばみを
  厨の戦 今日を末期に

〽濡れて干す 戦の常の うたてやな
  衣の舘の 関を閉りて

〽泣きさして 戦に遁ぐる 邑移り
  賴みの東日流 さして落ゆく

〽鶯の きかまほしさに うとからず
  中山峰に 入りてあさまに

〽けふ見ずば 山吹櫻 散り逝きぬ
  見る人もなき 深山に入る

〽うちつけに 慈悲に漏れたる 落人の
  習はぬ旅に 外の浜風

〽思ひ立つ 日を吉日に 戦出を
  心やたけに わなゝき躍る

〽山さびに 人にまみえず 行に入り
  激す戦も よその聞えと

〽かげろふの 燃え消ゆ如く 春は逝く
  夏のはじめは 草いきれゝむ

〽代々にして 行人征馬 絶えねども
  もとなる水も 今になかりき

〽けだかくも 鳴や千草の きりぎりす
  秋日に猶も いと聲しきり

〽いづくにも 思はぬ人の 出合あり
  行き交ふ旅の 名にしおふ宿

〽埋れ木の 古木に造る たくみわざ
  生きてし見ゆる 荒覇吐神

〽駒岳の なびく嵐の しのゝめは
  朝日をかざし 辰湖照りかへ

〽魹ヶ崎 東海寄せる 黑潮の
  日の出のはやき 曙拝す

〽糠ノ部の 古き住みあと 土出でる
  吾が日の本の 歴史はるけき

〽戸来とは 生死長夜の 異人邑
  救済今に 心なくれそ

〽爾薩體 神の御石を 神として
  今に傳ふる 三嶽の神降る

〽物見せて 鳴るは瀧水 追良瀬の
  流れの末は 黑潮の果て

〽墨衣 道に求めて かきくらし
  陸奥の古寺 淨法寺あり

〽とこしなへ 荒覇吐神 おはすます
  日本こそに おはすます

四、丑寅歌選百首 下

〽日乃本の 国號までも 盗りにける
  攺へて名付くる 化外の蝦夷と

〽忘れまず 厨の舘の 紅蓮をば
  歴史の實を 子孫幾代に

〽暁に 仰ぎて遠き 祖先をば
  こは日の本ぞ 蝦夷とは倭稱

〽国續く 北にぞ幸の 命あり
  わが日の本の 故因久遠なれ

〽北辰の 千島サガリイ また果の
  国は日の本 幸の山海

〽とこしなへ 丑寅国の みなかみは
  日本大王 有相執着

〽名にめでて よし知る人の 語部に
  しるしの箱を なれるなるらん

〽打つ波の 一天四海 みなながら
  わが日の本は 白夜に續く

〽逝き過ぐる 歴史のあとを 消しこめて
  うしろめたくや 後の世闇は

〽あだ夢の 命期六爻 露命なり
  えめぐる生死 いづち賴まん

〽浮草は 水に宿かり 浪々す
  根なき草には 他枝に居候

〽はしたもの 他を是非知らず いふことも
  似合うもならず 恥ぞかきなん

〽人はあだ 僞の無きなる なかりけり
  心の奥の 穗に出でそめし

〽あだし世は 空恐ろしき おもなより
  まだき由ある 妄執の人

〽つくからに 一樹の宿り せきあへぬ
  月にもうとく 坂行きの杖

〽いづくか乃 彼岸に到らん 迷ひ道
  末なき世とて 我れは殘れず

〽こつじきは 神代を楯に 逆取りて
  人討つものを 狼育馴らす

〽磯枕 波涛千里の 潮の聲
  聞きて育つし 吾は陸奥の子

〽汐曇り 忘れて年を 夕されば
  東からげの 立渡りかな

〽眺めやる 汐見の衣 ずぶ濡れて
  舵をまわせば 風もくれゆく

〽かりがねの 月さす渡る しのゝめの
  隙もおしてる こや陸奥の海

〽法の人 神と佛の 相逢はせ
  生きてある身は 教へ首枷

〽世の中を 世捨てに生きる 方丈の
  云ひもあへねば ありしにかへる

〽あからさま 命のみこそ 失なはれ
  涙いとなき 厨の戦

〽忘れんと 思ふ心に 月も日も
  うき身につらし 落る身の果

〽鳴る神の 稲妻走しる みちのくの
  天開け地固は 肝膽碎き

〽茅人尺 造りて釘を 丑満に
  木槌は鳴りて のろひ打ちなむ

〽よしあしも 知るをいとなく 刀研ぐ
  夜討に敵を 屍と積まん

〽目には目を 歯には歯を打つ 報復も
  隱れて住める 我れは空しき

〽君なくて 世にある様を はづかしの
  鬼を覚すな 陸奥の巷に

〽矢は叫ぶ 瞋恚の敵は 白旗の
  對えて七星 安倍の高旗

〽天つ風 うつろふものは 常乍ら
  厨の舘は あはれなりける

〽仇討は 血命かけず 時ふらし
  富得て降す 安東船に

〽あきなふは 戦に非らず 戦なり
  糞をも賣りて 錢を益せよ

〽わりなくも ものはかなしや 露の身は
  時めく花も かつ散り逝きぬ

〽いさゝかも さてしもあらぬ 妹背とて
  會者定離の つらきものとは

〽人だまひ 出で入る相を ふりゆけば
  黄泉よみにぞかはる 身は土かえり

〽世に在りて つとなき心 うはなりの
  きのふの花は けふの夢々

〽こざかしき 人に目立てる たばかつて
  ゆゝしくかまへ 堕つは奈落

〽海峽の あは沖船に 狼火あげ
  十三の湊は えいじもおどる

〽さる程に かまひてこぞり 一つ世の
  大事の渡り しのぎを削り

〽雪の降る 陸奥の山里 名殘り去る
  田村の君を 神と人とて

〽闇討たる 阿弖流爲愢ぶ 巢伏野に
  ヌササン焚きて 靈を迎へむ

〽膽の澤に 咲き散る花の 物さびに
  阿弖流爲母禮の 死こそ恨めし

〽めでたけれ 神は今年も 忘れじと
  白鳥丹頂 渡り来たりぬ

〽伊治沼や 萬物の来たる 水鳥に
  日の本鳥の 萬歳あらむ

〽冬去りて 雪に花咲く 猫柳
  雪解追ふて 蕗花も咲く

〽あなかしこ 山にまだらの 殘雪は
  荒覇吐神 相ぞ遺さむ

〽時ならぬ 神は上がらせ いづちにか
  みどり子授け 降り給はんに

〽とこしなへ 日の本国は いやさかに
  八雲を抜きて 富士ぞ相には

五、

とは開と閉なり。佛法にては是を阿吽と曰ふ。即ち、陰と陽と説くは修験道なり。荒覇吐神にては雌雄とせり。古代人はかゝる佛法など世になかりけるより、既にして諸々の哲理の基を信仰に結びたり。

代々をして新興せる諸信仰の基く處は、古代シュメールに興りしカルデア民のアラハバキ神とルガル神の理趣に基きて成れり。古代オリエントの諸宗教の起縁にあるは、旧来の信仰の基かざるはなかりけり。信仰の根本となれるは、宇宙の神秘に基けり。擴大なる宇宙には未知の天運あり、星もまた久遠に星座の変らざるはなかりき。星にも生と死ありぬ。老いたるは赤黄にまたゝき、青白きは若き星なり。変らずと見ゆる大宇宙には、常に星の生死ありて成れるを覚つべし。

信仰に古きを迷信とせるは愚考にして、眞の理趣に及ばざるなり。吾が丑寅日本国の国神とて、もとよりイシカホノリガコのカムイありけるも、併せてアラハバキ神を信仰に加へたるは、神を宇宙に大地に水の一切に祀る由因なり。即ち、信仰に以て同意趣に在りけるは、信仰に異ならざる哲理と思想に在りぬ。古代シュメールの神、アラは宇宙に在り、ハバキは大地にして、ルガルとは水の神に當れり。これぞ、吾が古代神イシカ、ホノリ、ガコ、に寸分もたがはざる理趣たり。

宇宙は日月星の阿僧祇の數に在り、その神秘を天なる神と崇めり。吾が国にてもその意趣に同じかるなり。依って、五千年前に山靼民に混じりて渡来歸化せるシュメール民のジハンと曰ふ神職にてツボケ族に傳はり、爾来、地神を併せアラハバキイシカホノリガコカムイとぞ稱名信仰となれり。斯くある原因を知るべし。

六、

佛道にては一萬三千種に及ぶ、生涯に得難き語彙を、教の理、儀の式、藝の術、史の傳、典の籍、俚の諺にして各宗にて同じかるなし。依て信徒各々易に赴き、その論師の巧みなる導師に入信せるも、未代ならず、何れの宗も末法の到るを避に、叶はざる世の當来に兆す。とかく信仰は、衆にして一統を企つあまり祈祷など人心を惑はしむありて、信徒の散財に、大なる造佛、大なる伽藍を負しむなり。一人より猶多衆に宗徒を得抜くるを防ぐに因果業報など、衆に迷信の限りを説きけり。依て、佛信徒しきりに古来なる国神の信仰をおろそかに、代々をして失はれり。是ぞ、祖を軽んずる僞善にして、權の從徒となりさがれる愚行たり。

抑々、古代信仰には唯稱名にして、神を祀りきは多譯に赴く甘語ぞ救済ありとせども、信仰に安心立命の意趣を説くは四苦諦なり。

七、

古代よりいつ代の人も己が末期を思はざるものはなかりき。若きにありては末をはるかに想ひ、老いてはにはかに死の不安に惱む心を隱せず、神に佛に迫りて一刻の慰みとせるも、はたして眞の心に救済とならざる多し。たゞ心を轉じて物事に執し時を忘るゝ他に、己れなく信仰を何れの邪道に覚つもありぬ。大なる布施を神に佛に寄進せども何事の功德なく、その役得に爭ふものならば離産の憂を負ふもあり、神佛をして諸苦を招くも世の運命たり。

かゝる諸障を離れ、人跡未踏の山にぞ籠りて修するも、老いて叶ふる術ならず、たゞ身内子孫と倶にかき暮らすもまた爭を招きぬ。親に孝は、己が過去の親に當るるを、子は能く覚つなり。善にせよ悪にせよ、我昔の科は老いて蒙むるなり。能く覚つべし。信仰は己れの爲ならず、外道信仰に惑ふべからざるなり。神は信仰に布施を要せず、布施に依りて極樂往生の手型を賜るなし。信仰はあくまで己れに精進せるにあり。神の救済はその盡心力にて得らるなり。

力に爭ふ者は力に亡び、学に爭ふ者は学に亡ぼさるなり。まして、民を權圧せる者は權圧に誅され、有爲轉変にして暴挙に神通力を以て制ふるに在りけり。能くわきまふべし。人は世界をして□なり人の種を以て賤しむ勿れ、神の賜りき生命ぞ、なほざりに犯す勿れ。

八、

虎走千里を征く、龍飛萬里の虚空を征くの諺あり。いよいよ以て怪奇の傳史、實を離る。いつの代も人心を怪奇に惑はす物語、衆の注目を引く。然してその實を記すは、誰とて聞く耳のもたざるは常なり。昔より世に實在の非らざるは遺り、實のなきは消ゆ。丑寅日本史は實直なるが故に倭史に障りあり、衆の馴まざる蝦夷たる尚架空に排斥さるに辿りぬ。

〽霞湧く みちのく訪ぬ われさひに
  教ゆる人も 故事は幻

西行の外浜古宮に遺せし古歌の如く、東日流にては、貝を閉したる如く古事に固し。

抑々、勝者は古事さえも犯して侵略をまゝとせり。なかんずく樺太島になる近傳に、幕府とて外藩とせしサガリィン島を樺太島とて、間宮林藏なる人物を登用し、陸奥の林子平などを幽閉したる召上の書、三国通譯図説を以て、文化六年より一年六ヶ月を経し密命にて彼を捜索に赴かしむ。間宮林藏とは坂東の伊奈邑に生れたる百姓の出なり。安永九年に生れ、幼少にして算術に長じ、生郷に流るこかい川工事測量にて役人に推挙を得て江戸に仕官し、蝦夷地御用役とて下級役人となれり。

此の頃にオロシアの船、渡島近辺に砲撃など事件あり。その領有図とて、サガリィンなど明細なる探検図を測写し居れり。これをクルーセンシニテルン図と曰ふ。かくある松前藩の報告書に基き、その密偵とて軽き役人にある間宮林藏に申付ありぬ。

幕政とて外藩渡航を禁じたるに依り、公なる武家を遣はす事叶はず、かく林藏を密令に及びぬ。林藏に与ふ一紙に、林子平の記せし三国通譯図ありきも、サガリィンと樺太とは付名に異なりぬ。サガリィンとは古に安東船なる水先要図より写したるものなり。幕府にてはそれと知る由もなく、たゞ樺太なる国境いかでか、間宮林藏を特命す。林藏是を拝從して、先づは津軽にて遠縁なる江留間の間宮家及び江羅家に立寄りて、渡島アイノ辨通譯書及び間宮臨海北辰図を入手せり。間宮家は實相寺なる元法華庵住たり。木作に新田新邑多くして、大原より移りたる寺閣藩許の寺にて、飯積高楯城朝日氏の菩提寺たり。

彼の住職とて坂東の伊奈なる出身にて、間宮を氏姓とせり。林藏と同名なるも、歳をして三十五年の上にあり、老僧にて法名を日顯と曰ひり。彼の僧、もとより武家に養子とて伊奈より来たるも、養父の死にて、仕官を辞し、入道して僧侶となりぬ。林藏を遠縁乍らも、こよなくいそしみて、アイノミブミ図とて、サガリィンの地名、エカシの名を記せしを密として与へたり。

林藏、拝受し、小泊より松前に船出でたり。樺太島とは林藏より先にして安東船水先図にありきものにて、林子平の図とは異なる正図なりき。林藏が山靼のデレンに赴くも、此の図ありて知れる處なり。

九、

近代にして成れる史傳とて曲折あり。後世に眞傳と遺るあり。北辰の事は猶なる曲折を以て地史の巧を認むなし。津軽藩日記とて古にふるゝ事ぞなかりき。安東一族になるを除きて、十三左衛門尉藤原秀榮を祖に奉る系図の作造も然りなり。亦、十三左衛門とは平泉藤原氏の出にして權守左衛門尉とは津軽藩の作爲たるは明白にして曲折も甚々しきものなりと曰ふなり。

十、

古になる安東一族の史證を津軽藩にては禁制として、世布に許さず、菅江眞澄氏は本草学士と曰ひども免役追放と相成りぬ。菅江氏外浜にて荒覇吐神を知るや、安東氏の史跡を記逑せるも、津軽にては得ること能はず、渡島に渡るを、藩許なしとての科たり。依て、菅江氏、秋田に移り終世す。彼の書に曰く。

安倍大將之事

外浜に潮方四郎または安東政季の居城ありなん。山城にして志利鉢舘とや曰ふらん。
十三湊に尋ぬれば、安東一族の居城かしこにありなんは、今になる三春藩秋田氏の祖たるの傳にありなんに、密とて明さゞるは、何れを以ての事ぞ、故因ありぬ。

〽物部の 架けし鎧か ふちなみか
  寄手をまたで 泡と消えけむ

眞澄

是の如く菅江氏の事は遺りけるも、秋田にても安東氏の尋跡を記すは、好まざれる事なかりき。

十一、

金剛界胎藏界大曼荼羅略図

十三千坊山王十三宗寺に遺るも、唐川城攻にて失なはれたりと曰ふ。

十二、

凡そ十三湊に建立せる神社佛閣は平泉に模倣せしものと曰ひども、造像多くは揚州より舶来せしものなり。

三十五佛、三十三觀音、三十三天部、三十七尊、三十秘佛、三十番神、五大明王等すべて唐佛師に依れる作なり。十三湊にては壇臨時、相内には禅林寺、長谷寺、龍興寺、三井寺、山王日枝神社に阿吽寺、十三宗寺あり。まさに佛都たり。

安東船に依れる商益にて得たる見返り品とて得たる造像群にて、各寺に配されたり。此の他、軸繪物あり。金剛界胎藏界曼荼羅大軸の品々も然りなりきも、嘉吉の戦に燒却して失なはれり。南部氏の交戦にて福島城、羽黑舘、鏡舘、岳新城、青山城、入澗城、唐川城、中島柵、柴崎城ら自からの手火にて燒き、佛閣もまた然りなり。

山王十三宗寺は安東氏季の養子たる藤原秀榮の建立なり。安東一族の菩提寺にて、藤崎の平等教院と同じく、多宗集併の道場たり。安東一族は渡島のマツオマナイに阿吽寺を移し、秋田にも多く移したり。双福寺、捕陀寺、日積寺などはみな安東氏にて建立さるものと曰ふ。

十三、

安東一族が佛教を入れたるは、安倍良照が入道して以来なり。良照が弟子として安倍井殿あり、倶に禅道に精進せり。もとよりは荒覇吐神三神を以て一族の守護神とせるに、求めて佛道に入るは釋尊の悟道に感銘せるより歸せるものと曰ふ。生々には非理法權天とし、滅には諸行無常是生滅法生滅々己寂滅爲樂とて悟道の生死を越えたるに執心せり。

然るに佛僧となりしも、多而多年の変化の佛像を入れず、釋尊及十羅漢像のみを以て寺住せり。如何に理趣ありとも変化を以て民心を至極せるは意に非ず、暗には灯りを、明には色香の美を觀頂し、光陰の理り生死の理りに心身を精進せん、と曰ひり。良照の法名は道證にして、井殿は道念と稱したり。

良照は天喜二年より康平五年に至る間、法衣を脱ぎて身に鎧を装ひて戦の軍師となりけるあり。安倍一族なる領民の救済に、その安住地を開き民を護りたり。依て、道に良照を見ては合掌さる武將たり。

厨川落ちて日本將軍の継君は奥州に散れども、良照は再び法衣を身にして、二股邑の方丈に生涯を終ひたり。

右、日野家記より。

十四、

木作の近村にアイノ邑あり。古代渡島の民邑たり。見渡す限り稲田にて、今に遺るゝホーハイ節と曰ふ唄ありて傳ふなり。

〽稲の花ホーハイ ホーハイ ホーハイ
   稲コア稔たア

うら聲を節まわすは、渡島のメノコ踊りに唄うさまによく似たり。

十五、

東日流の古名にてトコシナイ、オッペチ、アイノ、オクナイ、マゴナイ、サンナイ、ニュウナイ、ナイジョウシ、イマベチ、オショロと曰ふ地名ありぬ。渡島の民の住むる地名なり。かくある處に東日流の地民も同居し、その睦みぞ久しける。倭人の入ることなきは、渡島に近くこぞりて倭人をばシャモンとて近親のなきに依る因果あり。戦となりては不惜身命たり。

奥州三十八年の長期戦に征夷大將軍坂上田村麻呂とて一歩の入領得られず、和の條も應ずるなきは、倭人に睦みては何事も由なき兆ぞ起りたるエカシの宣布にありけり。

十六、

安倍一族をして良照が下臣に説くは十忍たり。その一は音聲忍、二は順忍、三は無生忍、四は如幻忍、五は如焔忍、六は如夢忍、七は如響忍、八は如影忍、九は如化忍、十は如空忍なり。心、常に六甲秘咒に在りぬ。
図に解く。

(※図あり)

過限、輙教尼、説法至暮、譏教尼人與尼衣、爲尼作、與尼坐、尼期行、尼同船、尼歎食、與女期行、食過受、背請、別衆食、歸婦買、客食、定食、勸足食、七非時食、残宿食、不受食、索美食、與外道食、食前後入聚、食家強坐、屏與女坐、與女露坐、躯他出聚、過受薬、觀軍、宙丁中過宿、觀軍戦、飲食酒、水中戯、擊櫪他、不受諫、怖比丘、半月浴、露地燃火、藏他鉢、眞實淨、著新衣、奪畜生命、飲虫水、疑惱比丘、覇他鹿罪、與年不満、發諍、與賊期行、悪見違諫、随挙比丘、随擯沙彌、拒勸学、毀毘尼、恐挙先言、同羯磨後悔、不與欲、與欲後悔、屏聽四諍、瞋打比丘、搏比丘、殘謗、突入王宮、捉寶、非時入聚、過量牀足、兜羅綿褥、骨牙角銭筒、過坐具、過量覆瘡衣、過量三衣、雨衣過量卆、を單堕と曰ふ。是を懺悔せざるは地獄に堕つと曰ふなり。良照は自他ともにかゝる戒をつとめたり。

十七、

一日毎に老を降り着るは生れてより留まるなし。歴史の事も亦、然りなる處にて流轉の隔り、猶、遠ざかるのみなり。まして敗北せし丑寅日本国なれば、今は倭史に染まりて、肇国の實を失なはんとす。日本国は丑寅にて、倭国をはるかに先とし肇む国たり。此の国の民を賤しくおとしめて貧土に追ひやり、渡島の地民猶以て難遇す。

倭侵の輩、土民とて若き女人を犯し、財をむさぼり奪ひ、勞になる代賃も拂ふなく、土民の勞産せる海産、毛皮など奪ひ取りぬ。是れに反迫せば国賊とて斬捨つるを、渡島住民ぞ、積恨忘却せるなし。近きはエカシコシャマエンの乱、サクシャエンの乱あり。何れも、倭人の非道にありき。かゝる制圧に土民こぞりて露西亜に地權を賴みては、吾が北方はその領土權を失なはん。

海ありき地に秋田氏を置くは、幕府の爲ならずとて、三春の地に封ぜし幕政の今更に再考を要すものなり。北方に明るき日本將軍の末胤を何を以て怖るゝや。今、北方領土の火急にあるを心得よ。

基吉記より

和田末吉 印

 

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