北鑑 第五十四巻

注言
此の書は他見無用にして、門外不出と心得ふべし。一書とて失書あるべからず。末代に遺せよ。

秋田孝季

一、

萬物のなかに人間なる生命體を世に授けて生々し、幼より育み、父母の慈愛に、その富貧にかゝはらず人となり、妹背と契り、子を育み、父母を葬じ、己れも逝くは順なれど、生々安からず、親より先逝く子、また子幼なきに逝く親ありて、さながら世はまゝならざるなり。空蟬の世はさながら無常なり。

安住は久しからず、降魔の障りぞ多かりし。人は天照る日月星を雲間に仰ぎて、雲の流れを流れと見覚えず、日月星、雲中に走るが如く惑ひ見たる世襲の世に、民はあひぎたり。神代より倭王をして一系とせる僞讃の歴史に、大王のもとに死を以ても忠誠せる洗腦の信仰は、丑寅日本史とはその解譯を異なしぬ。人の生命、萬物の生命を、たとひ大王たるとて、民一人と同じく神より授けたる大事たる生命たりとて、是を第一義に戒しむは、丑寅日本国大王の主旨たり。世に生命ほどに大事たるものぞなし。

生々萬物ありてぞ、世の天然は美なり。山に森林あり、海に海草生ゆる處に、生命の殖あり。山不毛にして、海濁れる處に生命の殖なし。是れ環地の寒暖に非らず、人をして汚す故に起りぬ様因多し。山に森林、草、苔の生ゆる處に鳥獸集りて、神の造りし自然たり。海清くして藻草生ゆる處に魚集りて卵を産み大殖せるも、また神の造り給へき自然なり。人は此の惠に反き、神の造り給ふ新天地に冐浪して、世界に渡らざる處なかりき。人大いに集住せる處、千年餘に過ぐるとも舊に復し難く、不毛の山、不毛の砂漠となりて、古代人住むる跡の證しや、冠砂に埋るを今に見ゆむありて遺りぬ。

二、

人は未知なるに挑み、尚、未知なるを神と奉る多し。宇宙に、大地に、海に、その冐想を造り、後人はそれを求めて渡り、安住の衣食に豊なれば、定住し、子孫を殖しぬ。その安住を犯すもまた人なり。先住の者を討つ大掠奪を武威とし、その国を占むるを權威に美讃せるも人なり。先住の民を卑しめ威あるを大王とし、人が人を殺略せる歴史の跡は、世界各處に遺りぬ。亡ぼし、亡ぼさるの榮枯の一据なる人間に、人は奴隷となされ、人の權にぞ造られし法に、罪科を被むりて世襲となり、いわれなき多くの民衆、是の贄となりきは、戦に、また信仰に、その惨たる物語ぞ多し。人は人を裁き、その生命を断つは、神への冐瀆行爲なるも、人の生々に障るものは非理法權天のわきまえなき行爲なり。

とかくわがまゝにならざるは人の生涯なり。大王とて臣、是に從がはざれば、たゞの人間なり。人は智を以て成るを人生とし、その智をして悪に應用するもの、善に應用するものにて、人とし生ける運ぞ、定まりぬ。世界王朝の興亡は、此の故に歴史を遺したり。
勢覇は昇日の如くせる大王国とて、その落日あり。久遠なるはなかりき。依て、天地水の変環も然りなり。銀河の宇宙さえ、久遠に不動なるはなかりき。生々萬物も亦、然りなり。人はまして知識ありて、生々のなかにあり乍ら、能く学ぶべし。

三、

昔より人の安住せる處に人集ふ。人集ひては、衣食住をして窮するが故に新住地に居を移したるも、その生々安からざれば、更に居を移しめて、奥州は人住む郷を擴げたるも、人の産みけるを間引くはなかりきなり。

国を肇めたる安日彦大王が、人の體、生命こそ神よりの授け給ふるものとて、如何なるありとも、人を殺生せるは、何事よりも重罪とせり。まして、子を間引く行爲を掟として禁じたり。戦事起りても、代々にして應戦せるも、死を以て護国に殉ぜるを禁じ、戦勝の利ありて、突進の兵を挙ぐるも、その利なくば、その退くを恥とせず、北に安住を求めて退くを、常とせり。依て、古来よりその非常時に備あり。

渡島にその隱し郷を開き置にけるなり。生保内に生保内城、双股に双股城、鍋越に安日柵、糠部に尻内城、東日流に大浜柵、他多く、渡島に十二柵を以て隱里とせり。此の城柵、何れも康平五年、安倍一族が難を隱れ里に忍びたる城柵たり。

安倍武道之訓に曰く。

武道之訓(原漢文)

四、

身に討物を帯びては、人をして人理を欠き權慾に私欲す。人に富を赦し、財護の權赦しては、人の間に富貧の人級自から生じ、悪計世にはびこりぬ。人をして衣食住の差にありては、爭の因となり睦みを欠く。依て一村挙げて一汁一菜とて分つ、寒きに衣の與ひを倶に施し相互すべきなり。

病む者、幼なき者には勞割を控ふべし。依て、施勞帳あり。己れの奉勞無駄ならざる戸組帳に、村主のおこたりあるべからず。民心を常に安心にぞ導くべし。村領にして、人の溢數にありては、倶に新地を開きて疎住せしむべし。男子健なる者は防人とて大王の居領に仕ふべし、望みては山靼に移住も許したり。男子一生の間、二年の防人とて役務を以て国防の任に義務と果すべきなり。望みて防人、退再役ぞ自在たり。

村に郷藏を設すは不断の備蓄にして、危急に用ふべし。部にある民は、その技傳に専念あるべし。

五、

山靼の古代神には、悪なすものすべてを喰ひ盡すと曰ふ饕餮神ありて、古話ぞ今に遺りぬ。亦支那の天山の天池に住むと曰ふ九頭龍は、世に悪を遺せし娑婆の刑に免る者は、死して甦りのなき魂魄を呑滅すと曰ふ。

人世の生々流轉、何れも神格の基なるは、古代シュメールのアラ、ハバキなり。アラは獅子座にして、ハバキは蛇神にて大地と水を意趣せり。エジプトにてはオスリスとホルス神にて、ギリシアにてはカオスとアテナなり。創人の信仰に肇むる神は、古代カルデア民にて成れるを創めとし、オリエント諸信仰に原因とす。

六、

古代シュメールにては、神祖をアラとし、是を宇宙と譯す。地の神をハバキと稱し、女神なり。チグリス、ユウフラテスの両河の神をルガルと稱し、水の神、農耕と譯す。
ギリシアにては、宇宙創造の神をカオスと稱し、天の神ウラノス、地の神をガイア、海の神をポセイドンと稱したり。エジプトにては、天の神ラー、地水の神をアメンと稱しぬ。

祥しくはアンモンを祖神とし、後にゼウスまたはユビテルとも稱されたり。此の神よりクネブとハトルと曰ふ男神、女神が生じ、此の神よりオスリとイシスが生じ、天地水の神とせり。いずれも古代シュメールの信仰に發生せる神より渡りたるものにして、オリエントの古代信仰たるより、アラーを無上の神とせるイスラム信徒、アダムとエバを父母とせるアブラハム神、エホバになるキリスト、更にして天竺にては、ブラフマン神、ブィシュヌ神、シブァ神とて創造と保護と破壊の神格をなせるより、インドラ神、アグニ神、ヤーマ神、スーリヤ神にて、これをブェーダ信仰とせり。次には、ブェーダよりブェシュヌ信仰ありて、權化のマツヤ神、クリシュナ神、アシュラ神、カルキ神、ブラナ神にて、アーリヤ族、ペーリア族よりいでにし聖者バーサにて、古代オリエントのシュメール大王グデア、次なるギルガメシュ大王の叙事詩に基きて、多神格に説きて、求道にカースト三つの階級ありぬ。依て、ブェーダより化身されにしゴータマ行者はかく階級を平等に求道せんとて、佛陀の教え起りぬは、即ち佛法なり。支那、韓を経て倭国に渡り、今に尚遺りき百済の聖明王、倭国に献上せる一光三尊佛の崇拝をめぐり、物部氏、蘇我氏の命運を賭けたる国神信仰と佛教信仰とに相對立せるも、上宮太子の十七條の宣令に依りて佛法の崇拝を許されたるより、今に遺れり。

吾が丑寅日本国に信仰の渡来せしは、かゝる佛法より先にアラハバキ神とて、その信仰の渡来にありきは、佛法世にぞなかりける世の事なり。古代に、丑寅日本国にては民五族、即ち渡島のクリル族、宇曽利の津保化族、東日流の阿蘇辺族、羽の熟族、陸奥の麁族に統一信仰されし天なる神イシカ、地なるホノリ、水なるガコの神になるところに、山靼よりアラハバキ神信仰渡来し、神格併合せしは五千年の先代たり。

古代シュメールに戦乱起りて、アルタイ、モンゴル、興安嶺を東北に黑龍江を降り、サガリイ島に至り、渡島を経て、東日流に入りたるこの信仰こそ、荒覇吐神の信仰たり。能く覚つ置くべし。

孝季日記より

七、

アイガイア海、その島々に古代神話あり。クレタ島のイデ山神話、ロドス島神話、キュクラデス島神話、セリポス島神話、デロス島神話、ミレトス神話、イオニア神話、リュデイア神話、ブリュギア神話、キオス島神話、レスボス島神話、レスボントス神話、イデ山神話、トロイア神話、ヤストス神話、ミュシア神話、アビュドス神話、マルラマ海神話、アララト山神話、トラキア神話、マケドニア神話、オリュンポス山神話、テッサリア神話、ボイオテア神話、パルナソス山神話、カルナック神話、カリュドン神話、デルポイ神話、トラキス神話、テバイ神話、マラトン神話、アテナイ神話、アイキナ島神話、スパルタ神話、アルカディア神話、オリュンピア神話、今に遺る遺跡ぞ多し。その上のホメロスが詩、イリアス及びオデュセイアの詩を想ふ。

秘之事 北鑑第五十四巻 附書 一、

注言之事
此の書は他見無用として門外不出と心得ふべし。亦、一書とて失書あるべからず。

寛政五年七月日   孝季

一、

吾が丑寅日本国は太古に遡りては、大王の成り座せる王国たり。侵敵の故に康平五年を以て崩滅せるを世に前九年の役と曰ふなり。安倍一族、祖来日本將軍とて奥州の覇に君臨せる幾千年の故事より正統なる大王族たり。

安倍氏とは、もと加賀犀川の三輪山に耶靡堆族の国主とて治領、泰平たるに倭国明日香王の請に依りて、その地に移り、三輪大王とて継君し、故地を去りぬ。

加賀之国に白山神を祀りて、西海王たる地權治領を越王に委任統治せしめ、耶靡堆族挙げて倭の蘇我郷に移りぬ。地の大物主山を三輪山と號け、故郷の神を祀り、磯城に王居して、地の豪族と睦む。

此の地にはびこる百六十に數ある豪族ぞ、伊那族、惠那族、津具族、刈耶族、鳥羽族、大桑族、八百津族、飛陀族、王滴族、猪伏族、阿久比族、伊吹族、多賀族、甲賀族、伊賀族、伊瀬族、朝熊族、太神族、天井族、那知族、白馬族、木岳族、難輪族、阿曇族、能勢族、加古族。是の如く、倭国に国主各々討物備へてぞ自領を護りけるを、耶靡堆大王、睦を以て国を併せしは、世に例なき偉業たり。此の泰平千年餘に續きしに、築紫より日向族、猿田族、起りて東征に兵挙し、海舟を以て難波の津に攻め、その攻防三年に及び、反忠の国主七十族に及びぬ。

是れぞ、倭史に曰ふ神武の東征と遺るゝも、その記に何事の實相とてなかりき。凡そ造話、作説なり。ママ甲戌之変とて曰ふ。時に倭国王たるは東王安日彦、西王長髄彦たり。三年の戦々に敗れ、遂に故地放棄し、一族挙げて敗北し、大挙して坂東に北落せり。

その處々に定住せしめつゝも、尚、從族多ければ、日高見の国に入りて、遂には東日流にたどりて落着を了りぬ。

二、

奥州に先住せる民族あり、渡島のクリル族、東日流の阿蘇辺族、宇曽利の津保化族、羽の熟族、陸奥の麁族なり。何れも国をして境を作らず、移住、定住、自在たり。古より山靼とも往来自在にして、異土民の歸化も自在たり。大王をオテナ、長老をエカシと曰ふ。諸々地住コタンのエカシにて大王選ばるも、子孫代々とせず、エカシの選にならざれば退位せり。是れなる政は山靼より渡来の歸化民に律法さるゝと曰ふ。

神の一統信仰もまた然りなり。此の国を日本国と国號し、アラハバキイシカホノリガコカムイを国神とせり。

シュメール人、カルデア民にて金銀銅鉄の採鑛を盛んにして、そのタダラ法、住民の知らざるはなし。暦、文字をも通用し、農耕、漁撈にても、衣食住の窮するなかりき。渡島の狩獵、漁撈も地民の産に豊けく、山靼人好みて是を交易せり。

クリルタイありて、民族集ふるナアダムありて東西の物流、常に欠くるなし。通稱アラハバキ神と曰ふも別稱また多し。パラス、パレイデアムとも曰ふ。歴史の事はクロウナスと曰ひサイクロプスとは諸学を曰ふ。冥界をヘイディーズと曰ひオラクルは祈りを曰ふ。サイキとは魂なり。タイフーンとは暴風にしてブォルケイノウとは火山なり。パンドーラは總てなり。ミクロとは見えざる物質、マクロとはやゝ見える物質にて意趣せり。

是の如く和語にて知られざるは丑寅日本国の古代語なり。通稱これを山靼語と曰ふ。

秘之事 北鑑第五十四巻 附書 二、

注言之事
此の書は他見無用、門外不出と心得ふべし。また一書たりとて、欠本あるべからず。

寛政五年七月日   秋田孝季

一、

丑寅日本国にては、古代より砂金採鑛の技法、山靼人にてタダラ法を習得せり。渡島より坂東に至るゝその鑛山を暦代に於て蓄積し、是れを荒覇吐神への無上なる供物とて永代に神の窟に秘藏しきたり。金を以て飾り物を造る勿れとて、金のみはたゞ蓄積あるのみたり。是ぞ、モンゴル民もかくの如く銀を以て通貨とせり。

奥州、陸羽、渡島に代々以て産金さるゝ幾萬貫の金塊ぞ、六十八ヶ所に及ぶと曰ふ。
天塩、北見山、名寄内、釧露湖辺屈地、日高山、石狩山地、河辺膽振山地、神威内地、
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二、

カオスの創れる大宇宙よ、天空を創りしウラノスよ、大地を固め創りきガイアよ、水の一切を創りしポントスよ、時を創りきホーライよ、萬物の運命を司どるモイライライよ、人に学問そして智をもたらせしアデイケよ、神と人とを神王、人皇と民を同らしむゼウスと、その女神ヘラよ、レトよ、デオネよ、マイアよ、デメテルよ、セメレよ、テミスよ、ムネモシェネよ、エウリュノメよ、アルクメネよ、太陽の神ヘリオスよ、月の神セレネよ、水星の神ヘルメスよ、金星の神アプロディテよ、地球の神ガイアに近きアレスよ、木星のゼウスよ、土星のクロノスよ、天王星のウラノスよ、海王星のポセイドンよ、冥王星なるプルトンよ、是れ人王グデア王、ギルガメシュの神、アラハバキ神、ルガル神より成れる神なり。即ち、是れ古代オリエントの神に語るゝ故因なり。

三、

オリュンポスの十二神の一にはゼウスあり。天空の神王にして、その怒聲ぞ雷なり。
二にはヘラありて、婚縁、衣食住の神たり。
三にはデメテルなり。大地の母、穀物の女神なり。
四にはポセイドンなり。海と湖沼、河、泉、の神なり。
五にはアテナなり。知惠と戦の女神なり。
六にはアポロンなり。太陽と光熱の神なり。
七にはアルテミスなり。月と狩の女神なり。
八にはアプロディテなり。愛と美の女神なり。
九にはヘルメスなり。商の神なり。
十にはヘパイトスなり。火と鍛治の神なり。
十一にはアレスなり。戦闘の神なり。
十二にはディオニュソスなり。酒の神なり。
是をオリュンポス十二神と曰ふなり。

秘之事 北鑑第五十四巻 附書 三、

注言之事
此の書は門外不出、他見無用とすべき旨、能く心得べし。亦、一書とて失ふべからず。

寛政五年七月日   秋田孝季

一、

なかなかに太古のことは知り得べくもなかりきに、語部録はそのしるべたり。秘書にして、大事をとりて、古字にて一行の失点あるまずく大慶なり。驚くべくは、古代オリエントの史に明細たり。西世界にぞ智識を得るは秀なる文明の史にありき。

丑寅日本国の古代にしるべありて、倭史の如きは、一目にして作説史になるを知り得るなり。依て、語部録の解書を秘とせり。
丑寅日本国の古代文字を知らざれば、一行だに意趣不解にして、科の及ぶなけれども、秘にして用心せん。

寛政日記より   孝季

二、

四季に風神ありて、アクイロとは北風にして、オニウシとは西風なり。またノトスとは南風にして、エウロスとは東風なり。
エリュシオンとは極樂淨土にして、魂のみの常住せる處と曰ふなり。その淨土とは北極星にあり、やがては下界に甦える爲に天降ると曰ふなり。地より見仰ぐれば、常に天位に不動なる一星なり。

心を精進し、信仰に誠ありせば、己が魂の往生せる處なり。

三、

荒覇吐神の奥義は、信仰の誠に存す。神を信じ、魂魄不滅と心得て、正道に精進せば、死に赴くとも必ず人體に新生を得て甦えらん。信仰に於ては、唯、一向に稱名精神にして大願に叶ふなり。アラハバキイシカホノリガコカムイ、たゞこれだけのみの稱名にして叶ふなり。素易に想ふべからず。大神殿を建立して、諸誦に諸行に盡せども、神への信なくば何事の利益もなかりき。唯、一心不乱にして、正道に念ずべきなり。此の神は、はるかなる太古にカルデア民にて宇宙に不動なる、北極星に靈感を覚り、神とこそ崇むはアラハバキ神なり。

四、

古代エジプトの金字塔や神殿と神々、ギリシアなるアクロポリス大神殿と神々は、信仰の一人も今はなかりしも、神話の數々と遺跡を今に遺しぬ。古代信仰の今に遺るは、何れもこのあとになるものなるも、古代シュメールのカルデア民が信仰せしアラハバキ神信仰は、故地を離れ、はるかなる我が丑寅日本の地にぞ、今に尚以て信仰に在りぬ。

まさに世界最古なる信仰の在續たり。建国五千年前にて、その大王グデア王、及びギルガメシュ王に渡りて、国神となせる信仰にも、国乱れ、戦に遁したるシュメール民、アルタイ、モンゴル、興安嶺、黑龍江を流浪し、樺太、渡島、を経て我が丑寅日本国に歸化せしカルデア民が、地住先民と併合して、その信仰となれるは荒覇吐神の傳統由来なり。

地民、能く是を崇拝し、今に尚、神の崇拝にあるは悠久五千年に及ぶなり。

寛政日記より

五、

東日流中山の秘に世を偲ぶる幾多の秘密ありぬ。その一にあるは、耶馬臺城なり。その二には修験なり。第三には石塔山にして、第四は語部録なりて、第五には十三湊に秘めたる故事なり。何れをしても世襲にはばかる障りありて、秘中の秘たり。

佛法になる他、異土の神を崇拝せるは、法度にして荒覇吐神の由来にては、客神、客大明神、亦は、門神とて稱名を攺めたるも、その策なりと曰ふ。とかく東日流にては、外浜の古事、上磯の故事にあるも、世に證して證とならざるなり。

六、

嘉吉三年、安東氏が故地東日流を放棄して、渡島、飽田、への新天地に移りぬ。應永十七年、南部守行、根城にありて東日流に安東氏をゆさぶりて侵領をやまざれば、遂にして平川の藤崎城にては、安東教季、遂にして南部氏を討つ出でたるにより、行丘城にありき北畠氏とて、その仲裁にとまどひ、遂には、藤崎城、落舘す。

南部氏、義征に替り十三湊に兵馬を進め、中里城、青山城、福島城、中島柵、鏡舘、新城、羽黑舘、唐川城と年毎に落城しける。

安東一族は唐川城を抜け、小泊なる柴崎城に移りて、兵馬を松前、飽田へと移したり。さてこそ、この故地放棄に至るゝ以前にて安東一族の由来、古き一切のものを東日流中山に永代埋藏を果したり。土に歸すとも、敵手に渡らしまざる執念たり。今に尚、中山にその秘に遺る多し。

七、

紅毛人国の言葉にてウルズールとは過去にして、ブェルダンディとは現在、スクルドとは未来なり。オーディン、ブイリ、ブエー、と曰ふ三神を自生永久の神と拝むは、スカンディナブィヤ人なり。更にケルト民族あり。石を圓にバール神を祀りたる古代信仰なり。

八、

エジプト国の神にてアンモン神を以て無上とし、クネプ男神、ハトル女神、オリシス神、イシス神、セラピス神、アヌピス神、ボルス神、ソカール神、メンピス神、スフィンクス神、アメン神、ラー神、らを以て神殿を造り、その遺跡大なり。

巡脚記より

九、

衣川に川内柵あり。林中にして要害たり。別稱、鷹ノ巢城とも曰ふ。高地にして小沼あり、その城域廣し。寶塔舘より泉ヶ城に至る山地皆、城域なり。安倍頻良が築城にして、天然を害せず倭人の進駐を防ぎ、衣川関をも置きたり。城道は空濠にして人馬の歩みを外視に隱る。下方に視界至り、長倉、戸河内、上川内を以て要害とし、峯をして柵を二重にして、防人の常住百人なり。山王、毘沙門、羅生門の三門ありて、打板鳴りては、衣川在より武士等急ぎ参り、速刻たり。

十、

白鳥舘あり。安倍城とも稱す。白鳥川、櫻川落合に在城す。照井新城を以て支砦とせり。安倍行任の居城なり。康平四年の急築たり。落城は衣川柵と同じゆうせるも、此の城に攻めて源兵、大なる殉者をいだせり。

もとより、此の城は船舘とて北上の往来川湊たり。行任、歳、十二歳にして城主と相成るも、安倍貞任家臣萱田小五郎補佐す。

秘之事 北鑑第五十四巻 附書 四、

注言之事
此の書は常にして門外不出、他見無用と心得よ。亦、一書とて失ふべからず。

寛政五年七月   秋田孝季

一、

安倍一族の築城の一義は、その縄張中に川辺、海浜を以て要害を選地す。山城、平城、何れも然りなり。要害に施工すべくは空濠、水濠、何れも沖堤、外堤、内堤に犬走り内にして柵を築きて然るべし。城門、迫に造り火箭の射程至らざる地位に以て舘を築くべし。城籠にして水の保つ水利を密として高櫓を四方にして、敵情視下に叶ふるをよしとすべし。城臺礎石に乗せず、掘建を以て築くべし。對久城築は戦事にして不自由たりせば、城築もまた再築同處とすべからず。移城の選地を第一補、第二補とて定め置くべきは掘建城築の要たり。馬場は城内にあるべくを、よろしきとして築くべし。

二、

天竺アーリヤ民族が信仰せしインドラ、アグニ、ヤーマ、スーリヤ神權現の本地をブラフマン、ブィシュヌ、シブァとて三神とし、ブェーダ、ブィシュヌ、クリシュナの行願に基きて信仰に階級ありぬ。クシャトリヤ、ブァイシャ、シュードラの差位なり。

スードラ族、ベーリア族、アーリア族の差位の甚々しきは、信仰にまで及び、かゝる求道に救済なしとて、求道一切平等とて佛陀の教へぞ傳播す。今に遺る天竺の佛陀伽耶本大塔、佛陀伽耶金剛寶座、王舍城、靈鷲山、サンチー大塔、那爛陀寺跡、尼連禅河、鹿野苑精舍跡、祇園精舍跡、舍衛城跡、アジャンター石窟、藍毘尼園、など釋迦が法跡ぞ遺りぬ。阿育王石柱勅文など、その道跡は四衆に渡りて遺りぬ。

三、

秘法とは深義にして妄りに示すべからず。その諸傳には秘密隱顯あり、秘密灌頂あり、密教あり、秘密荘嚴心あり、秘密不定教あり、秘密佛乗十住心あり、秘密曼荼羅十住心論あり、密意あり、密意一乗あり、密教あり、密行あり、密語あり、密號あり、密迹あり、密成別益らあり。是を得るは生々五十年の生涯に叶ふ事難し。依て是れらを次世に縁らしめ、求道に發心せる者は、たゞ次なる釋尊の説き示したるを稱ふ可。

諸行無常是生滅法生滅々己寂滅爲樂、是の如く稱ひては、ラマ僧がマニ輪を廻すが如く、大乗、小乗の經典を長時に学得せるより、猶悟道に叶ふなり。更にして稱名念佛を行じ、一心不乱なれば、猶巧德す。と曰ふは役小角行者の教なり。

役小角は自力本願に求道して、宇宙に近き山岳に入峯し、己が感得にあらん佛の本垂を求めて本願を求道せり。彼の苦行難行にて感得せしは、先づは法喜大菩薩なり。次には金剛藏王大權現なり。然るに本地に遇ひ難く、法難に遭遇して、遂に丑寅日本国東日流に流着し、中山なる荒覇吐神に遭遇し、茲に本願なる本地尊金剛不壊摩訶如来を感得達成せり。役小角が感得せし三尊は佛法典にぞなけれども、今に遺りぬ。

四、

南無法喜大菩薩、南無金剛不壊摩訶如来、南無金剛藏王權現、修験宗の元祖たる役小角が生涯に感得せし本尊たり。亦、自らにしても、御門より神変大菩薩の賜號を奉りて、今に知らるゝ行者たり。僧と成らず、たゞ仙岳に入峯して一向に己が行の中に佛を求め、神を求めし盡行の生涯に一光あり、遂にして感得を己が心眼にせしは、世にある僧とてあるまずや。倭史に遺れる役小角行者をして正傳を欠き、次の如く傳ふ。

文武天皇の御宇、役小角、葛城上郡茅原の郷に高加茂役公を父とし、母、須惠をして生る。幼にして葛城、大峯の諸山に入りて孔雀明王の密咒を奉持し、靈験を顯し、役小角、八宗の僧に目安され、捕はれて伊豆に配流、大寶辛丑年、許されて放免さるゝも行方不知、其の後、宇多天皇の御宇、聖寶の年間に役小角行者の遺風を慕ひ、山上踏渉の法行を開き當山派の始をなし、堀河天皇の御宇、寛治四年に三井寺増誉坊が熊野先達となり、後、京師、白河に聖護院を建立し、本山派とて役小角を祀るより眞言修験、天臺修験、とて双方に山伏とて役小角が遺德を大ならしめたり。後、光格天皇の御宇、寛政年間にぞ、神変大菩薩とて勅號さる。然るにや、明治五年、大政令にて修験宗を廢止と相成りて、石塔山にその法場を取潰す。

五、

石塔山に小覚堂、廢され、多數なる佛像の始末にぞ窮し、とりもあひず吾が家の板藏に藏したり。寺社攺めの役人、石塔山をして荒覇吐神社を大山祇神社とし、小覚堂を十和田神社と記し攺めたるより、社跡を今に遺す事を得たり。無格社なれば、境内百町歩ことごとく国有林と召上ぐるも、和田長三郎これに從せず上京し、秋田様に申請せど学塾生にしていとまあらず、福澤先生に政府の内務卿大久保様に許を得て、中山石塔山澤に神社存續せしめたり。今に遺る西の宮、東の宮は古来の宮跡なり。中堂に窟ありて秘となせり。奥池東堂の山道に安倍一族の墓陵ありて、今にして猶、三春藩主秋田様の神社への奉賀あり。年三千匹の費ぞその修繕に費せり。祭事は毎年九月十九日を以て挙行、信徒、安倍一族をして全国にて居住せしも、祭日にぞ欠く事なく集ひぬ。

十年にして一度の窟中御殿の開帳あり、各位鎧を装束して古なる先靈の護摩を焚きて宴ぐなり。歌を詩み、弓を射的し、九月十九日の宵は夜を通し神を慰靈す。夜の明くる旭日に、一族抜刀して歡聲し、天に屆け雲を抜け山も裂けなんと三唱三辺にくりかえしぬ。

六、

石塔澤神社に赴くは澤を道として道を造るべからず、秘の聖域たれ。また一木一草とて採るべからず。神社にて用便をせるは樽を設して、祭終に他に運びて捨つべし。必ず聖域を汚すべからず。能くぞ心得ふべき。

七、

神社神寶の類は賣却を赦さざるを祖来相継の者に申付るものなり。古なる神器、樂器、衣装、刀剱、鎧、馬具及び諸討物、書画、神佛像に至るまで護るべし。社習神事の事は神事行儀の巻に記したる如く、獨り新案のあるべからず、古習を重んずべし。

荒覇吐神は何事も見通す荒神なり。三禮四拍一禮にして澤瀧に身を打洗ふべし。和田家を以て悠久に護らんは長子が命を賭けなしても是れを護るべし。いつの日にか世浴に當らむ世襲の當来を愢ぶべし。

大正五年二月二日   和田末吉

〽老らくに 愢ぶもちゞり 山露の
  裾に濡れしを 重つ覚ひば

津軽住人 末吉

大正五年二月二日   和田末吉 印

 

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