北鑑 第五十五巻

注言
此の書は他見無用、門外不出とせよ。亦、失書あるべからず。

寛政五年正月   秋田孝季

一、

凡そ歴史の事は、眞實に非らずば世に遺すべからざる僞傳にして、能く世の實相を綴り置は大事なり。古来より歴史の事は權者のまゝに編纂さるなり。依て、歴史の實相はなく、權者讃美に作説さるまゝ今に遺りては、その僞説も史實となりて遺る多し。されば、敗者は悪に盡きて遺りぬ。

古き世の事は非理法權天の法則になる他、正統の術なかりき世襲にして、曲折の歴史の遺るはやむなかりきと正さざれば、神話も歴史となるらん。世にある事の史實を隱し、僞傳に永留せば本来の子々孫々にうとましき過悔を遺すことなり。依て、正すべきを正し、僞傳にあるものは廢すべきなり。達筆美文なりとも僞は根本なきものなれば、實證に基きて、眞理化科に僞因を断つべきなり。

二、

吾が丑寅日本国の太古にまつはる歴史の實相を本巻に記し置きぬ。是を題して丑寅日本史と曰ふなり。抑々、宇宙の創りは、時空物質もなく、ただ暗黑にして無限の一点に光熱の因、起り大暗黑を爆燒しけるより光熱のあとに遺りし粉塵にて、阿僧祇の銀河誕生し、宇宙と曰ふ星や暗黑星雲に満たる宇宙の光りと熱が宇宙を構成しけると曰ふなり。

阿僧祇なる數の一銀河さえ何十億と曰ふ星と黑く光りのなき暗黑星雲が一團となりきを、銀河と曰ふ。日輪及び吾らが住める地星とて、この一銀河の片端に点在せる太陽系なる微粒星の存在なりと曰ふ。星には生と死あり。星の死は粉塵と爆烈して、暗黑の暗に散り逝くも、この暗黑星雲より新らたに星が誕生し、數を殖すなり。宇宙はかくして生じたるは因と曰ふ起因にて成れる物質に果と曰ふ化科の法則にて、現在に宇宙は進化し、地界星には、生命が萬有し人類と曰ふ智能の世に進化誕生せるに至りぬ。是も亦、因果化科の法則に成れるものなりと曰ふ。

無に冷と暗の量力ありて起爆の光熱因可能と相成りて、寒冷と大暗黑を光熱爆にて燒因し、その践鹿物質にて化なるミクロ、科なるマクロと曰ふ化科の法則にて、因と果なる重力生じて、塵は集縮して成れるは星と暗黑星雲なり。宇宙を見上ぐれば、星の無き暗の空間と見ゆあり。それこそ暗黑星雲なりと曰ふ。新星の生る處は、この暗黑星雲より誕生すと曰ふは、號けて外道にては化科の因果法則と曰ふなり。

古代天竺にてはシュードラ、ラマヤーナと曰ふ外道論に、かく因果の法則を説き、創造と破壊を以て宇宙は成れりと即説せり。生と死、そして誕生をくりかえして萬有生命は進化して来たる、その以前なる、宇宙の誕生より生死、即ち破壊と甦生を以ての法則は因と果にて成れるものなりと曰ふ。

三、

凡そ奥州に於て古代よりの遺れる歴史實證を世に明しむるは、世襲をしてその出芽をば欠かれしまゝ、未だにその實を得られず蝦夷と人も国をも異に歴史の外にせるは、侵領正統を維持せんとする古来の理由たり。丑寅に大王統治の實あるを抹消せる、征討征夷の意趣を以て、国と民を制ふる倭王の奥州に對する征夷大將軍の賜任は、未だに幕府継君に、天皇の賜る代々の儀禮儀式たり。

倭史に上毛野田道、奥州に征夷を試みて敗れて以来、奥州を討伐を果したる如き史傳のあるは、總て作説の僞傳にして何事の證なし。史に造り、入侵進駐治世に造り、人物を架空に造り、事変を造りて歴史を継ぎ、倭史はその古代を造りぬ。諸々の地傳、神話を組みて併せし神代たる史頭を造りきは、言語同断の他非らざるなり。神代なる史頭の事は、世に實在のなき架空想定のものにして、語部のまゝなる夢幻界なり。高天原なる天界神話、八百萬神なる天神、地神の事ぞ、世界神話に成れる荒唐無形の信仰にまつはる、ありふれたる既傳なり。古代の事は、文字に遺したる波斯のシュメールの如きは諸實なり。

吾が丑寅日本国の如きは、倭史より信ずべくの實證、語部神傳に語部録に、その實傳の銘證深く遺りきものなり。人の来歴を遺しける遺跡の證は、神話より信ずべきたるゝものなり。凡そ、文字を以て遺しき傳記にては、シュメール、ギリシア、エジプトに發祥せるを、同じく吾が丑寅にては既傳せるを能く覚つべし。依て、丑寅日本史は如実なり。

四、

秋田に安東一族の移住せるに決したるは、興国元年の大津浪以来なり。既に多くの民は、渡島松尾間内及び飽田、檜山、北浦、土崎に移りて拓田を開き邑を造り領主を迎ふる舘を既築せり。渡島には華澤舘を上国に、志海苔に箱舘他十箇處に築き、北方海産の流通に廢湊十三湊を放棄して人を移しけるは、東日流治領に人の少なき廢邑しきりたり。

此の機に南部守行は糠部根城より東日流に得宗領を理由に侵駐し、治領域を押領し、藤崎城主安東教季、十三湊領主安東太郎盛季をゆさぶりて、遂にはその戦端を起したり。前九年の役以来、安倍一族の秘寶を狙ひて得られず、その秘にありき糠部の鄕に居をかまひて得る事なく、東日流にその牙を向かしめたる魂胆、まさに積念のきわみなり。糠部の地は、東風に農耕常に稔らず、古きより牧馬の他、金鑛になる産金の秘山ありと傳ふるも誰れぞ知るものなし。依て、東日流の安東氏討伐を企てたり。

五、

抑々、東日流中山の石塔山聖域は、吾が丑寅日本国にては、最古の神を祀り給ひき石神遺跡なり。山靼より津保化族と曰ふ人祖、此の東日流に居住し、天なるイシカの神、地なるホノリの神、水なるガコの神々を祀り、石塔を築きて、聖地とて大王の王位授継の聖地とし今に由来す。此の聖地に耶靡堆より安日彦王、長髄彦王、倭国より敗北して来り、丑寅日本国大王として、即位の儀を此の聖地にて立君し、以来子孫を安倍日本將軍とて、代々継君の儀を給ひき處なり。この三神を荒覇吐神とも曰ふなり。

その由来は、太古にアルタイ、モンゴルを経て黑龍江を降り、サガリィンより渡島を経て、東日流に渡来せるカルデア民あり、丑寅の日本国の地民として土着せし民の、故国よりそのまゝに崇拝されしを、古代先民信仰と混生せるものなるべし。

彼の民の信仰にては、アラ、ハバキ、ルガルの三神は天地水神なれば、東日流の古代神イシカ、ホノリ、ガコの神としてなるを保合して荒覇吐神と稱せしものなり。依て、荒覇吐神に併合されし神々は、古代オリエントの神々百八十神を併せしものを加味せりと曰ふなり。その主なる神とはギリシア、トルコ、ペルシア、シュメール、エスラエル、エジプト、インド、波斯、モンゴル、支那、シキタイ、ゲルマン、オーデンらの神々も併せるものにして、宇宙なる北極星を神相とせり。依て、この国神の一致せる處は、何れも北極星を神星として、その運行不動なるを全能神とて成る神格なり。

六、

言々須く、是れ眞に非らざるはなしとて書頭せる東日流外三郡誌は、永き歳月を経て記せし歴證なり。丑寅日本国は蝦夷地とて国も住民も何事も歴史も無き未開地とて、今上に至れり。世襲は是に同趣して蝦夷を仮想異民として、蝦夷地の蝦夷として、昔證にある遺物、遺跡を抹消せり。

五千年前に、丑寅日本国は大王のしろしめさるゝ国たる實在の開化の国たり。依て、倭の皇紀をはるかに遡る大王国たるは、その史跡に證ありき。東日流より坂東及び越に至る国は、丑寅の大王国たるの国、日本国と號せるは、唐書までに遺りきは明白なる史實にして、古代なる人跡ぞ、各處に存在す。石神を祀る聖地の跡、奥州各地のポロチャシは、古代王居の跡なり。雲を突く如き石神の寶殿跡、ヌササンコタンチセの跡ぞ遺りき荒覇吐神を一統信仰とせる古代丑寅日本国の大王国ぞ、安日彦大王、長髄彦大王は耶靡堆に敗北、以来、奥州にまかり諸族を併せて、日本国を大国とせるは、世に遺る荒覇吐神信仰なり。

その信仰とは、人命尊重を一義に生々を睦み、神を敬ひ常に報恩の心を持し、爭の因を造らず常に言語を以て敵を造らず、家業に勤むと倶に、親に孝し夫婦兄弟姉妹相和し、子を育みてこそ、誠の信仰たりと曰ふなり。荒覇吐神とは、天地水の一切なりせば、自然を大事に萬有生命に害あるべからず。なぐさみにも生々の殺生すべからず、萬有の因と化に迷信せず、化科の道理をわきまふるべしと、茲に天命に安じ自からを安心立命すべきなり。

七、

人は怒りを以て事を制ふべからず。と戒むるは信仰の道なり。怒りは泰平を保つ難く、睦は人の道德とせよ。荒覇吐神信仰の總序に曰はしむれば、生命は燃え盡きるまで神の賜りきものなれば、老し者とて是を軽んずるべからず、いたはりて援くべきを心せよ。また病にあるを放棄せる者は、神の裁に罪ぞ重きなり。世に生じ、己れを大事に他人をおとしむは善悪の天秤を人は計れず、神のなせる法則に計りては、雲泥の相違あるべし。

神は常にして平等攝取にあり。人の欲望に授くなかりきと曰ふ。常にして和に交りき世の生涯に修身につとめよ。

八、

天命と曰ふは、己れのまゝならざる運命にあるを曰ふなり。志、前途にして逝くもの、呪れたる如く悲遇にあふもの、生々に病弱の者、人生に限りなく存在せる諸々の心に招かざる出来事の多きは、世の流轉なり。

佛法に曰はしむれば因果業報とか、前世の障りとか、罪障とか曰ふ。荒覇吐神信仰にては、是を天命の陽因、陰因と曰ふなり。是を解脱せるは、陽果、陰果の法則に明らむ極得ありと曰ふなり。生々流轉、安しきことなかりき人生に、心の安らぎを信仰に求めては、正邪を知らず誘はるまゝに求道をあやまりて奈落に堕つゆもの、成道に達するものゝ二つありて、能く正邪の道理をわきまふべしと戒しむものなり。

九、

人心は權力あるところに集すと曰ふ。正と邪、僞と眞理、善と悪、平等と獨占、如何なる策も權力に采配ありては屈する。正道なれども、天命には叶ひ曰はさず崩壊す。茲にその正邪を裁くは、天に在りき神の見通せる報復に邪悪は降伏さるは必至なり。

抑々、天は宇宙にして、阿僧祇の明暗を司り、地に生命を育むも、その生命を司るは生死を以て全能ならしむるは、地水の神なり。邪悪は天誅され、地水の神に生滅さるゝは、荒覇吐神の信仰なり。生々に安心立命を無上とするは、吾等丑寅日本国の民心に一統信仰さる荒覇吐神なり。正しきは不死鳥にして、久遠なり。

十、

荒覇吐神信仰に出でくる神々を説くは、古代オリエントの諸神話を知らずして説く事難し。ゲルマン、オーデン、エジプトのホルス、ソカール、アヌピス、エスス、アメン、ラーなど、シュメールにてはアラ、ハバキ、ルガル、ギリシアにてはカオス以下諸神、インドにてはシュードラ、シブァ他多神あり。支那にては西王母、東王父、モンゴルにてはブルハンなど、古代波斯の神々になるは現信仰の要なる多きなり。

古代信仰のまゝになるは、丑寅日本国の荒覇吐神信仰なり。古代信仰の深層にある荒覇吐神こそ、五千年に渡る丑寅日本国現代に遺る神は、他例に非らざるなり。永き蝦夷たるの圧制に倭史讃美に信仰を布せども、荒覇吐神の信仰、今に遺る因を知れ。

十一、

天竺にては佛教の他を外道と曰ふ。外道は外教、外学、外法とも曰ふ。蓋しその法門ぞ甚々多く總じて九十六法門あり。外道の根本にあるは、光りと熱にして、宇宙の誕生を因と果に譯す。外道百法のなかに、幻とは無にして、忽ち因を生じるも、實體に視覚得ざるが故に幻とぞ曰ふも、無より有なる物質を化科すと曰ふ。

宇宙の誕生せるは、時空も無きより大光熱起り、無限の暗を爆烈に燒く大光熱の起原こそ因なり。この因に依りて、視覚の物質遺り、化科の果原生じ時元起りき。物質とは動力を起し、化科に挙動をなせるは造と破壊なりと曰ふ。生死の法則はかくして起り、久遠にして甦えすと曰ふ。生死は輪の如く回轉せるが故に生死あり、因と果は世に存續すと曰ふ。依て、生死は明と暗に轉じ、その誕生を新生し、死は生に盡きたる枯骸なれば、死に至りて新生の肥となり、生死は久遠に存續す。

十二、

計我實有宗とは外道十六宗の一にして、物質なる身體命脈は、我にして我に非らず、魂こそ我なりと曰ふ。蓋し、命と魂は死に至りて離るゝも、新生に求めて、その産ける種胎を結ばしめて生命體を得るも、前世に邪道悪業の障りあらば、その生命體を萬有の生命の適當せるものに生ると曰ふ。依て、生々因果業報と曰ふなり。授け難き人身を得て世に遇するは、生死百千萬回にもまれなることにて、吾が国にて信仰に外道を入れたるは、荒覇吐神信仰のみなりと曰ふ。

宇宙に天地水の續く現世の限り、生死の輪廻にして轉生するは因と果なる法則なり。計我實有宗とは生々流轉に人心を失はざるの行なり。

十三、

東日流より坂東の安倍川の河畔に至る丑寅日本国の史證は、倭との境をして異なせる国造りを爲せり。人祖をして渡来せる東北と南西は、古代の程に東北を以て文明あるを知るべし。東日流は本州の端なれど、人跡開化の基にあり、古代人の遺せし遺跡の多きを知るべきなり。土中より出づる器、及び神像の數々、山中、平野、海浜、と人の住むる跡の證を今に遺して、更には、語部文字を遺して古事を傳へきは、倭史の及ばざる古期の歴史に遡れる事を知るべきなり。たゞ先亡の東北は蝦夷として、視覚せるは軽卆なり。

古代信仰のまゝに遺りき要をなせる遺跡の多きは、石の神、石の塔を築く古代信仰に甦えりて見よかし。

十四、

度し難きは人心なり。神に佛に信仰を發し乍ら己れの悪を善爲として、人を惑はして己が術中に誘ふは、言語同断の行爲なり。所詮人は人にして、神には成らざるものなり。依て、人心をして神の名を語りて、人を己が意のまゝに誘惑せる聖言を論ずるものは、眞の神に報復あらんを知るべし。

此の世に信仰を以て悪を爲す輩の多きは、信仰にあらず、人心を惑はしむる邪道の輩なりと知るべし。

十五、

深山に籠り、神の靈感を得んとする者を行者と曰ふ。役小角と曰ふ行者あり、己が感得せんと欲するは、神佛を本地垂迹として求道を重ね、遂には法喜大菩薩、金剛藏王權現を感得し給へき。然るに是は垂地にして、その本地を感得せんが爲に諸国の聖地を訪れ、本地を求めて修行の極意にぞ求めたるも、神の試練は、役小角を奈落までも試したり。

宮人、僧侶らの訴上にて、小角は伊豆に配流され、その信仰を挫折せんとするも、役小角、猶以て心に精神を一貫して、本地感得に精進し、遂には本州の果なる東日流中山にて本地尊なる金剛不壊摩訶如来を感得せり。而るに小角、永き修行の勞々に大寶辛丑元年十二月、感得地東日流中山石塔山にて入寂せりと曰ふ。

役小角とは、大和葛城上郡茅原の住人にて、姓は高加茂氏にて、古来、大山祇神の神職たりと曰ふ。幼少の頃より信仰に深く、諸山の神祠を巡拝して、鄕人の信を以て代々を継累せる行者たり。母者は須惠と稱して、世に葛城の天女と稱さる美形の美女たり。

役小角、七歳にして金剛山に入りて神道の行儀作法を入行し、唐僧小摩より佛道の本願を修学す。世は、物部・蘇我の神道・佛道をして對して、未だ餘煙す。依て、役小角、神佛混合を志して、信仰を世に弘めんとて欲し、金剛山にて金剛藏王權現を感得せり。

然るに、是は垂地にして本地に非らずと告あり。役小角、本地尊の感得にその一生をして、行者として身分高位に欲せず、諸山の靈気を求めて修行を積みて、本地の感得を求めたり。韓国廣足と曰ふあり。小角に弟子入りて久しけるも、行者にあるまずく衆に布施を求め、浪樂せるに依り破門されたるを逆恨みて、役小角を訴人す。捕はれし役小角、伊豆に配流され、大寶元年に許されたるも、本地感得の修行を唐土に求めて、肥前松浦より船をいだしむるも、玄界灘にて暴風起り、若狹の小浜に漂着す。

金剛藏王の夢告ありぬ。我、汝と丑寅に會はんとて、夢覚たれば、陸路、越州より羽州を経て東日流に至りぬ。役小角、東日流中山を眼にせるや、彼の山こそ本地感得せる山ぞと決めて入峯せり。此の山は太古より石塔山と稱し石神を祀り、五千年の歴史に在りて聖なる靈山とて石塔を建立なせる地にして、役小角が求めたる本地感得相應の聖山たりぬ。役小角、此の山にこもりて本地感得の行に入りぬ。

此の年の九月十九日の夜明けに、雷電稲妻の激しく起り、昇日の彼方に金剛藏王權現の本地尊、金剛不壊摩訶如来が示現せり。五智の寶冠、施無畏の印、半跏趺坐、背に大日輪炎をなし、大蓮台の下に龍、白象、獅子、饕餮らの四獸になる大如来相たり。遂に感得を得たる役小角、此の靈山に入滅せしは十二月なり。

十六、

奥州にて歴史の項に遺りき倭史にては、征夷の事なり。まさに事實のなき載文多く作説す。古代より倭より奥州に逐電し来たる多く、漢字の程は彼等にて傳導を授けたり。

古来より耶靡堆氏、物部氏、平氏ら他僧侶、武家等の數多きなり。その他、隱密にして永住せる者の子孫は地屈し、倭の事は手にとるが如く情報を得たり。倭、事情に以て商ありければ、関を固く商益を謀りたるに依りて、是れを戦ずくにて奪はんとせるに奥州騒動は起りたり。それを蝦夷の反乱とて征夷の軍を向はしむは群盗に類ひするものにして、勅令とは是の如く奥州に發せられたるは事實にして、奥州民をして反き動乱を起したるはなかりき。

十七、

大宇宙を見上れば、天の川、星の數々、ときたまに流星ありて、神秘の程をかひまみる。支那、唐代に城刑山のふもとに伯道仙人、此の宇宙に天文暦の奥儀、金鳥玉兎集を感得し、安倍清明に授けたりと曰ふ。然るに宇宙への究学とも曰ふべきは、古代シュメールのカルデア民にして、日輪の黄道、赤道をして星座を構成し、暦を造り、宇宙構造を説きてより、此の天文学はギリシアに弘まり、星座と神話に結びたる物語と信仰に於て多くの星座を以て、宇宙図とせり。

古代オリエントの信仰に宇宙星座なくして語れぬ程の神話を誕生せしめたるは、まさに古代シュメール信仰に生じたる宇宙への究明は、今にして変らざる化科の基たり。神殿ジグラートの神、ルガル及びアラとハバキの神々は、国乱に新天地を求めて移住せるカルデア民は、この信仰を各處に遺したり。トルコ、エスラエル、エジプト、ギリシア、シキタイ、インド、ペルシア、モンゴル、支那、そして吾が丑寅日本国までも渡来したるを知るべし。人の渡りは、古代程に安住を求めて、世界に渡りて今にその子孫を遺しきは、まさにアジア民なり。アジア民とは族種百三十六族にも達して成れる民なり。

吾が丑寅の民も、此の一族にして、百三十六族を民祖とせるものなり。宇宙を地上より一点に當るは、北極星なり。そして大日輪の地界に及ぼせる四季の訪れ、その運行を感得して成れるは暦なり。古代より語部文字にて成れる丑寅暦にて一月より月節を二十四に分けなして、その實を成らしめたり。

是の如く、一年を節期に月の満欠を以て、三百六十五日を暦とせり。是を語部文字に當つれば次の如し。

語部文字に七種あり、語部暦も亦、その數なり。その類に天暦地暦水暦南暦北暦西暦東暦にして、今に遺れる、めくら暦は南暦にして、支干を用ひたる多し。

もとより暦は古代メソポタミヤに流通せるも、シュメール王グデア王にて月暦、日輪暦の陰暦、陽暦の算計に編れたるものなりと曰ふ。丑寅にては、古代よりの暦傳に、東海に日出づる刻の相違を坂東、奥州、渡島、千島をして異なるを知りて、七種に編暦されたりと曰ふ。

〽月落ち 昴も消えつ 日の出かな

古代人そして現代人の宇宙に仰ぐ神秘感は、暦を知りて、天文への運行に絶えず見つめたる憶測こそ、東西に列す丑寅日本国の智識文明たり。北極星を地廻の軸として、星座の四季にあらはれ消ゆ星、またその位を異なせる星座、年を経てあらはれる日蝕、月蝕の算を天暦として知り得たるも、常に宇宙の運行と日數、年數を算計せる語部文字ありて、末代に暦を遺したる故因なり。

丑寅日本国は北と南に候を異なせる故に、暦を必要とせる信念にて成れるものなり。海に漁𢭐せるも、潮の満退、海原に方位を知るにも、宇宙はその天文に寶證を覚らしむ大事のきはみたり。古代より山靼に航海し、大陸を横断し、波斯の国まで巡禮せる荒覇吐神信仰は、民族知識を求め、商益に民族を知る故の旅ゆきの習へたり。

クリルタイとは、黑龍江の集いをも稱し、三年に一度の民族集祭にして、市をなせる商祭たり。暦は、それを知るために覚ゆるのものにて、吾が丑寅にては、こぞりて暦の事を大事とせるは當然たり。めくら暦とて手本なり。

十八、

吾が丑寅の国は、東西の海底に地震帯が密みて起る憂いあり。古代より津浪の襲ふ怖れありき。これをブルハン神とて津浪の事を白鬚水とも曰ふ。また山の噴火を黑鬚火泥と稱し、神の怒りとて恐れ敬ひたり。

語部録に傳ふるは、宇曽利山、八甲陀山、巌鬼山の峯は、古代に地震にて隆起せる山と曰ふ。亦、東日流下磯の安東浦は、この山の噴火にて、海は追はれ、大平原となりきは東日流大里と曰ふなり。地震は山を造り、大平原を造りしも、是れに死す人の數も多大なりと曰ふ。地震にて海を陸地とせしは、出羽の沙潟、象潟などありて、海に潜る陸地は三陸地なり。代々にくりかえして成れる丑寅日本の火山たるは、荒覇吐神の鎭守にて禍いを免れるとし、かしこに祀るはこの故因なり。

火山は美をも遺し、坂東の富士山をその一とせるなり。坂東より渡島、千島、流鬼島に至るゝ山また山に連らなるは、太古より神の造れるものなれば、山に神を祀祭せる行事また多く遺りぬ。

坂東、安倍川より越の糸魚川に横断せる、倭と丑寅日本国の堺より、東北に延々とせる山脈のすべては古代より噴火にて成れる火山たり。地民の山にあくがれ、山を神とて敬ふは、古代より傳統せる神事の多きもその故なりと曰ふ。大地をホノリと曰ふ神とせる故因なり。山と海、その幸に人の暮しあり。

神と敬ふは、天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコを神とし、コタンに高樓を造りて祀る。カムイのヌササンは丑寅日本古代の神事なりと曰ふ。カムイノミを焚き、天に仰ぎ地に伏し、水に汚れを抜きて、イオマンテの神事は神々をイナウに造りて唄を舞踊を捧ぐは、民總出の行事たり。丑寅日本国ほどに、天なる宇宙、地なる萬有、海なる萬有總てを神とて祀り神事に集ふは、民が各々睦みてこそ成れる行事にして、人命の尊重を一儀とせる生々の掟は民自から定めたるものなり。安日彦大王、長髄彦大王に依りてその信仰を一統して荒覇吐神とせるは、多神を一神に併せて崇拝せる信仰の攺崇になる信仰の躍進たり。山靼より歸化永住せるより、異土よりの神々、その宗旨に感銘せる古代オリエントの神信仰に、地民は大いに讃道して、地神を併せて崇拝せるものと相成りぬ。依て、祭文も次の如く攺められたり。

アラハバキイシカホノリガコカムイ。として奉唱して、三禮四拍一禮を以て神への参詣の行とせるは、今に遺りきものなり。

十九、

安東水軍とは十三湊、舞涛湊、金井湊、吹浦湊、末尾澗内湊、土崎湊に配せる軍船にして、討物を備ふる前舵、後舵の船なり。船胴細き速船にして火箭、火彈、鉄砲を以て海賊を討伐せるものなり。

西海に航しては、小浜沖にて急襲せる八幡船、倭寇出没しけるに依りて、商船を護る添船たり。安東氏、京役にて若狹の小浜に往来せるより九鬼、村組などの海賊しきりにて、揚州知事マルコポーロ氏より元軍武具を入れて備ふものにして、船造はヤンク型に造りき二柱帆にして、舵を前後に備はりしものなり。船中しきりにて潜入水を防ぎける板間支切を施し、茲に安東水軍船として八艘造られ、その海戦に無敵の戦利ありて、安東水軍は成れり。安東船の商船は山靼往来、揚州往来を盛んならしめ、フビライハン及びマルコポーロとの商益大なりせば、倭寇の狙ふこととなり、茲に安東水軍は成れり。

揚州より李契民と曰ふ船工、十三湊に来りて成れる船構造、まさに不沈たり。船相は黑塗にして船胴支切八区にして二重張の船胴まさに細工密たり。武具は火弾弓、鉄砲、弓など左右前後に備へ、船舵も前後に施し進退自在にして、左右船ばたは合戦とならば七尺の鉄板張の楯を船垣とせるあり。箭に防ぎ、寄手はたちまちにして鉄砲の爆烈にて誅滅さるゝの憂ありて、海の黑龍たり。

廿、

安東一族の事は東日流に於ても亦、秋田、渡島に於てもその歴史はまだらにて、宇宙にまたゝける惑星の如く異様なまでも光りを放ち、また暗に溶けるが如く闇を絶てるなり。されば安東一族をして秘に固きは安倍賴良以来にして、安倍の安国以来奥州産金の秘を護り、たゞ国益に民を安からしむが爲なる金塊の蓄藏たり。依て藤原三代の如く産金を湯水の如く浪費せず、各處に秘藏せる巨萬貫の金塊は今に以て眠れり。此の秘を解くは、安東氏累代、上の系譜にぞありて、今になるは下の系譜のみなり。

一族は常に密とせる丑寅金藏は、安倍盛季がこれを倭の国記及び天皇記と倶に東日流中山耶馬臺城に秘藏せりと曰ふ。時、嘉吉元年春にて、後潟なる安東重季と謀りて秘藏しけると曰ふ。此の年、東日流を放棄と決断して渡島、飽田に十年前より領民を移して城をも築き諸材をも移し終りけるに、南部氏への對戦を捨城後退にて延したる長期の間に成らしめたりと曰ふ。

安東氏累代の秘寶は久遠にて秘中の秘にして、たゞ一巻の上の系図に密解を遺して今に至りぬ。安倍安国の代より渡島のオテナ献上砂金は安倍賴良の代に至るエカシ献上金及び奥州産金併せて馬六千駄の荷たり。その遺産なる黄金の行方は、未だ謎の洞窟に秘藏されしも、天明の三春大火の折に、幕府よりの借金あるも翌年に返済せしは、この金藏の一部にて叶ひたり。安東一族の秘は、今は東日流にては和田家、飽田にては二階堂家、閉伊にては安倍家、渡島にては由利家を以て護られぬ。安倍氏の古来は、此の氏に遺りて安全たり。

安倍一族は諸国に在りて、各々密に古因を護りぬ。如何なる權にも世襲にも秘の破らるなき隱密の者は、変らざる掟に反くなく、安倍氏の秘寶は今に護られたるなり。世は安倍氏の世浴を泰平平等となりせば、世に秘の明さんを以て、丑寅蝦夷史と軽んずる勿れと、茲に申置くものなり。日本国とは日本將軍治領国なり。

廿一、

吾が丑寅日本国は古来人の和を大事として代々に渡り来たりぬ。神を敬ひ、心を一統にして信仰に反かず代々の美風と爲す。倭史にては蝦夷とあなどり、まつろわぬ民とて人と見なす事なく、たゞ征夷の討物に伏せん僞造史に、吾等を永きに渡りて下敷とせんは、まぎれもなき史實なり。

丑寅日本国は古来、荒覇吐神を以て人の生涯に道德を高め、重なる世襲にも失望せずして、今に生々を遺しぬ。一族の難儀に及ぶは前九年の役以来にして、再興の幾度びか、古代より見つれば更に多し。耶靡堆よりの北落に日本国を興し、倭に報復して西征し、大根子彦を倭の大王とせるは孝元天皇、開化天皇たり。

倭と日本の境は坂東の安倍川より地溝を越の糸魚川に東西をして成れり。荒覇吐神の倭に崇拝されたるは根子彦王にして弘布せり。更には白山神も然なるところなり。雪降る地にては山を神とし、加賀の三輪山及び白山なり。三輪とは天地水神、九頭龍をも祀りぬ。大物主神の事なり。山にありき湖を龍神とせるは、龍の巣とて祀りきは、古代信仰の傳説たり。何れも、支那大白山より高麗の白頭山、大白山信仰の加賀に渡るに基じきて、西海を北上して白神山信仰多きなり。

奥州にては荒覇吐神と併せて信仰せりと曰ふなり。支那渡来の神と併せしは荒覇吐神信仰の始なりと曰ふ。倭に於ては、荒覇吐神の信仰に民の信仰を追日に多くなりけるを怖れ、これを鬼神なりとて流評せるも、出雲、築紫までも信仰の盛んなるに怖れ、遂には兵を挙げて信者も討伐せり。神に武具を献じたる始まりなり。然るに荒覇吐神信仰やまざれば、これを荒神とて祀るを以て赦したりとも曰ふ。亦、地方にては庚申神とて祀るもありぬ。荒覇吐神の一統信心になるは、産金採鑛の神とて祀らる多し。

丑寅日本の防人は、モンゴルより角弓、投槍、鎧らの造法を以て造れるは皮材にして持楯をも常持せり。剣は両刃直身及び曲刀片刃に造り、能く刃鍛えり。鞍造りはナーダム式にて馬面をも造れり。着衣は絹織を肌着とし、毛皮を織併せて表着とせり。着衣にラッコ、テン、狐、狸、穴熊を用い、寒気にさわりなし。女人は住地に残し、狩獵、魚漁は男をしてなせり。酒となる稗は自生を採し耕作なく、肉をホルツとし魚を干して保食せるは漁期、獵期の常なり。夏の盛りに海浜にて塩を採り、山に薪木を伐りて備ふは常なり。

土を練り器を造るは女人にして、石鏃を造るは老人にて、刃物一切石割に造れり。女人はイオマンテに神像を造りて、チセのヌササンに安置して拝しぬ。川に橋を架け道を通して、コタンの間を往来せる𢭐々は、總出にして開通せり。太古より馬を飼ひ、犬を飼ふは各戸の常なり。

丑寅の国は毛皮を求め冬期の狩獵をなせり。渡島より毛皮の物交ありて往来しきりたり。宇曽利より閉伊にかけて鉄を得てより、鉄の器を造りて、丑寅日本の山師ら多いに益を得たり。タタラに鬼を祀りて神とせるは、火の神を意趣す。みちのく各處に鬼神を祀るあり、そのあたりに鍛治多し。鉄をして名高きは餅鉄に鎔したるに鍛錬せる舞草の剣あり、日本刀の祖をなせり。古きより、わらび手の刀、土中より出づるあり。安倍一族の用ふ太刀は寶寿の銘ある多し。仙人峠より釜石に至る鉄山鑛、和賀岳より安日岳に至る羽州金山も、その採鑛盛んにして、産金また大いに財をなせるなり。

山靼より種馬を入れて産馬の牧も各處に備はりて、名馬もまた安倍一族の勢をなせり。かく奥州の産物を狙ふは倭人たり。多くの隱密を草入し、産金の秘を探らんとせる者は、捕はれ事の自明せるは倭人狩をして追放せど、一族のなかにもうらぎりあり。金の流失ありせばその者、安倍富忠如きあり。源氏と通じて宇曽利の産金を隱山より流用しけるに、日本將軍安倍賴良に戒問さるや、兵を挙げて内乱を起し、その流矢に賴良、討死せり。依て、奥州は挙げて兵挙し、富忠を討つ。その共謀なる羽州の清原武則を断交せるに依りて、武則、源氏に走りぬ。

前九年の役は平將門の乱より長期に渉る戦乱と相成り、あわや源氏滅亡の急危に追討さるゝも、倭軍總動して安倍一族を厨川に仕留たれど、その費に盡し、戦利の金塊は一片も得ることなかりけり。安倍一族は古来より人命を尊重し、事起りては財を敵手に残すはなく、各處の秘地に秘藏して再興の資とせり。

康平五年にして安倍氏亡ぶるも、厨川大夫貞任の遺児を奉じて、東日流に姓を安東と攺め再興せるは、かく産金の秘藏の資にて成れり。安東一族とて再起せる安倍一族は、先づ海を道とし山靼往来に始り、その海商は振起して大いに財をなせり。即ち、安東船の誕生なり。

モンゴルにテムジン一統して元国を起し、波斯より更にアルタイを越えオロシアまでも遠征しけるとき、安東船は千島、樺太を領有しけるを、元勢、樺太に侵領しけり。その報に安東水軍、五十艘を軍團して樺太に元軍と接して、クリルタイの盟約を示したれば、元軍、樺太より退きて事大事とならざるも、安東船が常にクリルタイのナーダムに招かれたる通商の故なり。

折しも奥羽は東風にて凶作年なれば、元軍の兵糧多量にいたゞき、年の飢餓は救はれたり。依て是を成らしめたる揚州のマルコポーロ、そして元王フビライハンの像を造りて救ひの神と祀りき像は、今にも遺れる寺社ありき。

此の頃、鎌倉にても倭朝にても元国の成れるを知らず、韓の三別抄と曰ふ通達にも心せず、遂には元寇と相成り、国難とまでに挙げて築紫に兵を以て護りけるも、戦法はるかに敗北しけり。天の救ひか、暴風にて元船は退くも、十萬の元勢、上陸せば、倭朝も幕府も今にあるべくもなかりき難事たり。

倭朝及び幕府の元国との断交にも、安東船は揚州に商益してその往来も自在たりと曰ふ。揚州知事たるマルコポーロは是をジパング船とて、丑寅日本国をジパングとせしは、東日流の古稱たるを東方見聞録に記したるものなり。安東船の要湊は東日流十三湊にしてジパングと知れるより、平泉なる金色堂の話題に黄金の国ジパングとは、マルコポーロにて知れ渡りぬ。更には安東船が商に金を以て取引せる商法、また黄金の国ジパングをマルコポーロにその感触を強くせり。

山靼往来は夏期をして毎年にチタへの航易をなしけるに依りて大いに商益せり。然るに天命なるかな、安東船の要湊十三湊は、興国元年に白鬚水にて死者十萬と曰ふ大惨事起りて皆滅せり。水戸口よりの漂物、渡島に續くが如く海面を閉ぎ、浜に打寄せる死屍の數に、鴉のつひばむさま地獄図そのものなり。白鬚水とは何か。西海津浪なり。

一艘も残さず怒涛に沈没せる安東船、名湊十三湊は流砂に埋り、湊の要をなさず、唯、西北風に荒芒たる水留りとなりぬ。安東氏は一族を挙げて、水戸口を掘りさげたるも、岩木川に埋る流砂に、その人勞は空しく、遂には廢湊として吹浦、舞涛、金井を代湊とせしも振はず、唐船も京船もその往来を断てり。泣面に蜂の如く、應永十五年、甲州源氏の流胤南部守行が糠部に根城をかまえて、東日流得宗領に侵駐し、藤崎城主安東教季をゆさぶり、遂には戦となりて、南部氏との攻防は東日流全土に及び、藤崎落城と倶に戦攻十三湊に移りて、福島城とその支城青山城、鏡舘、羽黑舘、中島柵、丘新城、唐川城へと城棄の退戦中に、時を得て多くの領民を渡島及び飽田の地に移しめたり。

嘉吉二年十二月、唐川城を自から燒きて、安東一族は小泊柴崎城に移りて、是の城をも燒きて、飽田、檜山城に移りたり。安東氏の去りしあとの東日流の地には一人の住民も残らず、渡島及び飽田の地に新天地を築き、豊かなる領地を築きその生々は東日流より豊かに田畑を拓し、米代、雄物両河の辺に稔りの稲田が穗を重く垂るゝ田園と拓けたり。湊は能代、土崎に開きて、安東船も再復せしも、十三湊代とは振はざるなり。

廿二、

渡島よりサガリィンそしてアムールと曰ふ黑龍江を逆登り、人も住まざるチタに三年に一度びのナーダムありて市をなせり。波斯の商人、モンゴル商人、遠くはギリシア、シュメールの旅商人も集ふる民族祭典なり。種族各々国を異なせる六千八族、ナーダムにクリルタイをなして商易の注文あり。三年後なる品を定めて七日間の集いを終りぬ。商法の掟きびしく、商人を襲ふものは必ず地の王にて誅され一族の者は他族の奴隷と相成りぬ。依て、如何に勢をなせる部族とて商人を襲ふなし。

吾が国よりクリルタイに参ずるは、必ず日本將軍の印可なくして列坐されず、商易もならざるなり。祭典終れるチタは通年に人住まず、ナアダム及びクリルタイのみの地たり。人住まざるはブルハン神の掟にて、商人の平等權に、地族住みては商法にも障るが故なり。依て、家及びゲルやパオの建つるも禁ぜらし地なり。黑龍江はブルハン神の聖湖に近く、バイカル湖には湖そのものを神とし祀れり。ブルハン神は水の神にして、星海や天山の天池も然りなり。依て波斯巡禮の者はシキタイ、ギリシア、トルコ、エスラエル、シュメール、エジプトと渡りて、古代オリエントの神々を巡禮せり。

古代より吾が丑寅日本国の神司となる者は、必ず是の萬里を巡禮を果さざる者は導師となれざる掟あり。こぞりてこの旅を果したり。巡禮の意義は、荒覇吐神の信仰に於て欠くべからざる、神の發祥地にて心身に感得を速しむる靈覚を得る爲のものなり。ブルハン神をバイカル湖に見よ、西王母を天山天池に見よ、オリンポス山にカオスの神他十二神の神託を仙風に聞け、シナイ山にモーゼが授けにしアブラハム神の十戒を聞け。シュメールの大河にルガル神の聲を聞き、砂漠にジグラート瀝聖の丘に立ってアラ、ハバキの神に祈れ。エジプトのナイル河に古代なる石の遺跡を見よ、神々の靈や感得あり、アメン、ラー神の聲あらん。インドにまかりては因と果との理論に外道の師に眞理を求めよ。何れの聖地よりも聖石片を拾ひて歸りて神とせよ。以上が巡禮の目的に大事たり。吾が丑寅の石神に古代オリエントの聖石片あり。神の魂とて秘藏して聖地となれりと曰ふ。

東日流中山石塔山金字塔には、巡禮毎の石片内藏し、是を拝する毎に荒覇吐神の加護ありて、全能神通力を得て、安心立命に達せんと曰ふ。古代より萬里の巡禮に赴くは、六年を旅脚すと曰ふ。果しなき荒野、そして砂漠、急変せる寒暖の候に、死と背合せなる道中なり。船、馬、駱駝、驢馬などを乗りつぎて萬里の旅巡禮は、その道しるべとなるは□人と倶に道中せり。

国より持参せし砂金こそ旅の費を満し安全たるも、常に盗人に用心を欠くなき心勞の旅なり。月日を數ひつ国より出づる旅日記を記すは大事たる責務たり。通譯にて地の故老に歴史の事を記し、神々のこともその聖書を写し、また買得るものは入手し、旅毎に荷となり重勞なり。

廿三、

此の書巻何れも諸人の聞書なり。奥州にまつわる歴史の事は、奥州住人ならでは知る由もなき事多し。倭史に奥州史を當つれば、丑寅日本史に叶ふはなかりけり。古代より日本国とは奥州にして、坂東より西南にあるべからざるなり。吾が国は肇国をして、倭国とは更に遡る歴史に在り、東北文化の文明開化の国たるを心せずして知ること能はざるなり。

寛政より筆を執りたる奥州史は、波斯にも至る古代オリエントの世界までも至りぬ擴大さなり。国禁を默認され、山靼より波斯、そしてオリエントの各地に巡禮せし秋田孝季、和田長三郎の訪史編纂をして古代丑寅日本史は成れり。丑寅日本史の要は、古代をして語部文字をして實證さるなり。残念乍ら藩政幕政、また朝庭に於ても禁書となりきは、世襲にして詮もなく、秘に編纂さるは悲しきなり。安倍、安東氏の古代なる安日彦王、長髄彦王は、倭史なれば国賊なり。然るに遺さざれば、久遠に歴史の實を葬むらるなり。

倭史何れの書とて丑寅日本国の實在を認むるなく、たゞ蝦夷たるの一語に盡きるなり。荒覇吐神さえ元なる社より外にいだして、倭神を入替ひて、その神名をも客神、門神、客大明神とかにして、歴史の實を抹消せんとす。然るに荒覇吐神は不死鳥の如く、今に祀らる多し。神社の存在せるは、倭の地にも遺り、参詣禮拝の儀は、三禮四拍一禮になるは、築紫の宇佐や大元神社に遺り、出雲大社とて然りなり。更に伊勢神宮に於てもかくありぬ。坂東にては、更に多く、武藏の地には各所に存在し、なかんづく氷川神社にも存在せるを知るべし。

廿四、

北鑑五十五巻の巻終に一言申し添ひ仕る。本巻の總ては漢文多けれども、一般をして近代に讀易く攺めたり。何れも秋田孝季翁及び和田壱岐になる書を以て成らしめたり。更には諸翁聞取帳、東日流外三郡誌、東日流内三郡誌、東日流六郡誌、の抜けにし文面を再書せしものなり。何れも控書の写しにて、是れ永代保存のために、和田家の秘書として遺し置くものなり。一書たりとも失ふべからず。

廿五、

古紙調達下されたる佐々木嘉太郎殿に厚く御禮申上奉る。時節、紙代まゝならず、大事なる史の編本を古紙にて綴りたる段、平に御容赦下さるべく幾重にもおはび申上仕る。石塔山も官林と相成り、社地も貸付となりけるに依り、主なる社寶を私家に置藏す。諸々の遺物や書簡を秘に藏して保護せるも、苦勞なり。依て、吾が家にては無学、無智に世間をたばかり、此の書を書きなす事能はざるが如く世視に隱密す。依て、庄屋の任を辞して後、長三郎權七失き跡は、書をなす者なきが如く、世間は我家の者を見置たるも、末吉が策なり。依て、子孫らにては讀み書き算を自から教へて密となし、士族より平民の歸農に從事せり。

神職にも復するなく、庶家なる吹畑藤巻の和田壱岐に委ねたり。依て、飯積新派立の稲荷宮、派立の愛宕神社、岩村の愛宕神社も委ね、宗家は佛徒と相成れるは、文化元年に派立の大伊山長圓寺の地に墓をなせり。爾来、我が家は三春様と密議して、一族の故史を今に筆なせる宿命たるを密なれば、苦しきなり。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku