北鑑 第五十八巻

注言
此の書は、門外不出、他見無用と心得よ。常に用心不断にして一書たりとも失書あるべからず。

寛政五年十月   秋田孝季

一、

吾が国の地位は丑寅にあり、人祖山靼より渡り来たりて住国とす。代々、大王を奉りて民を統治し、以て国を造り、川に橋を架け道を通して、国中幸ある處に邑作る。人、代々を經て子孫を遺し、人集ふるチャシ、ポロチャシ、カッチョチャシのコタンを造り、大王のチセ、五王のチセ、地領に渡りて造り給へき。代々に山海の幸道をして交りて流通し、互に暮しの安泰を護りぬ。

狩漁をして私せず、衆に分け衆に決せり。大王とて、人住むコタンのエカシを以て集い、選び成れり。大王、衆に異存無ければ長位に在り、忘政なる王は廢位と相成りぬ。是をクリルタイとて王と民との盟約なり。エカシ即ち、長老に選ばるも同然なり。民ありてエカシ在り、エカシありて大王在り、その掟をクリルタイと曰ふなり、と曰ふ。

古代なる若者は、ナアダムこそ一生の生涯に運命を賭けなせる一年一度の祭典なり。依て、ナアダム、クリルタイの集いに求めて、若者ら、遠く山靼までも征旅して競ふ者ありぬ。ブルハンはナアダムの神にして、古代人はその神を湖や大河及び大海を神なる住居と崇めたり。吾が国にては、ガコカムイと稱したり。

二、

逝くも来たるも獨り世に生れ、獨り逝きける世の移り身は生々また安すき事なかりき。水に顯れ消ゆるうたかたの如く、世に生命のあるは、夢幻のまぼろしにて、逝きては無常のはかなきに消ゆ。老いては往生に安心立命を求め、神佛の求道に心望むるも、所詮は佛陀の曰ふ理り、諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅爲樂、即ち、生老病死の四苦諦に盡きる。

人の一生を如何に渡らんとて、己が望むにまゝならず、世襲にいつしか誘はれて、己を自在より離れしむ生涯、非理法權天の憂に生々流轉す。

神佛を求道して己が安心立命を欲せども、いかにせん、賴む信仰にも救済に賴み難く、猶運命の実は心にまゝならず、障は世襲の支え、信仰の支え、何れも空しく心に安かるなし。水溺るゝ者は藁をもつかむるたとへあり、身心倶にして安らぐ生々ぞ空しき願ひなり。

人生少かにして命脈いくばくもなし。光陰は去り易く、遺るは老なり。若き悦び去りては、思に悲しむ人生いくばくも無きに、ただ流轉のみなり。さりとて全能なる神佛のあるべくも覚りて、獨り逝く死出の空しさに諦らむ心の顚倒、死怖病惱、猶、以て心に責つる己が心身に救はる道ぞありや。

神佛の信仰、薬醫も老を復せず、その心に何事の安心往生の眞理ありや、とぞ死に逝く者の心に安らぐは諦のみなり。されば茲に一光あり。生老病死の故に人の生涯に無明なる心に照らすものありき。號けて荒覇吐神といふありぬ。是れ、信仰に非らず、天地水の原理なり。生命の実相なり。その理りにあるべく眞理ありて能く覚つべし。

天地創造のときより、カオスの法則にて、無物質の暗に一点の聖なる光熱起り、その起点に暗を爆烈せる光りと熱に燒き果し、その激しき起爆にて暗燒されたるあとに、跡殘せる塵ありて、漂ふ物質塵は、光熱の冷却に伴のふて集縮し、時過ぐ毎に濃縮せり。

何兆年、何億年か、その永きに渡るゝ塵の濃縮ぞ圓と固まり、遂には星と暗塵濃縮して誕生す。是の誕生に依りて、吾等萬物の生息せる地球星ぞ、日輪の餘塵にて、その第三惑星とて、日輪の光熱に適當せる距離に誕生せり。宇宙のなかに水を保ち、日輪の光熱に水と地質に化合し、遂にして生物の誕生、生命の創りを得たり。

生物生命の誕生は微細菌の如く海中に生れしより、自生進化をたどりて、遂には萬物の數に誕生せるも、地球星は己が母體をも進化に地殻を進化せしむに依りて、生物生命もまた母體に寄生進化の適生に遅るゝものは滅亡せり。生命は、その進化に亡ぶもの、遺るものとの輪廻に依りて、今に遺れる子孫なり。

されば大宇宙にても、星の生死ありぬ。星の死は爆烈し、塵と砕けて、その塵を以て子孫星を誕生せしめて數に遺しむと曰ふ。

吾らが日輪も、いつしかその日ありぬも、星の生命は永し。日輪が宇宙に散るとき地球星とて日輪の軌道星なれば、倶に塵となれる運命共同の惑星なり。

その小さき地球星に在りき吾ら生物生命とて脆きものなり。然るにや、物質生命は盡きるとも質ならざる魂魄は死するなかりき。荒覇吐神と曰ふ神の名に號けるその原理とは、魂魄を曰ふものにして、信仰に非らず、神佛の理りにも非らざるなり。

一生命を物質と曰ふ體の衣を魂魄に着せて世に誕生せしは、萬物生命にして、そのひとつにあるは、吾ら人間の一人なり。もとより形骸もなき魂魄に人體と曰ふ衣を着せて世に出づるより、衣は命脈の盡きる生命にありきも、魂魄は身を離れ難きが故に苦惱す。亦、生々の故に他生を餌食として生々す。

萬物もまた己が子孫を遺すが故以て、生々進化を常に成長せり。吾ら人間とて、いつしか他生の進化に遅れなば、亡ぶるもあらんは時の過却になきにしも非らず。宇宙とていつしかもとなる暗に生滅せんとも限らざるなり。されば、今古にして生死の輪廻のなかに死を怖れ、心轉倒すべきに非らざる安心立命ありぬ。

生命は物質のみなるものにして、その魂魄は久遠のものにて、甦る新生ありと思いとり、己が生命を天命に安ずる自心の悟に達する魂魄無窮の信念に己れを振起しべしと曰ふは、吾が丑寅日本の信心一統の、古来より傳へらる心の要にて、死を新生の門出とぞ、心不乱なりせば、救済に全能の神なる荒覇吐神ぞ、汝のものなればなり。是れ、丑寅日本国の信仰そのものなりき。

三、

凡そ信仰を以て説く世界の宗教に觀ずるは、神秘なる宇宙にいどみて神を想定し、信仰に結ぶ事ぞ多し。古代オリエントの宇宙を主題に神々の多く、また死して魂魄の天に昇るゝの執拗なまでも主唱す。

天に仰ぎ地に伏し、悪の変化あり、諸々の苦難ありと説きぬ。死とは如何なる善悪を世に遺すともそのときに至りては、何事も赦るされて滅せらると曰ふなり。亦、死後に以て極樂のあるべくなく、死しては世に甦り、前世の果報、報復を受くと曰ふ。

人身をして前世に在りとも、その甦る生命體とは、人身に限らざる生物にて、神はその前業を裁きて世に甦すと曰ふ。世におぞましく醜き生物、華麗なる生物、また豪力無双の生物、その類萬物に何れかを選裁すと曰ふは、荒覇吐神なる信仰の要たり。

人間に生じたる者は、その業に遺れる人世に良と雖も、神は萬物平等に裁くものなれば、如何なる人間の法律よりも、平等一途の天秤、過却の業を重軽に計りて裁き、その甦りに類當を以て世に出だすと曰ふなり。

人の一生に一日とて罪の造らざる者はなかりき、人間が一膳の食に殺生さるゝ米の數、その魚、獸の肉、貝や鳥、草木、果実の副食、何を一つとて生命の非らざるはなきを、殺生して喰ふるを神をして知らざるはなかりき。

人は人の造りし掟や法律に反かざれば、自らを善人と思いあがるも、萬物生命を育む神なる天地水の目は、人間の生なす過昔まで、淨波璃の鏡にその罪の軽重を一刻とて見放すはせざるなり。依て、人は自讃にも、吾れ悪業盡さずと断言あるべからず。生々は常にして罪造悪業の無き刻はなかりき。

荒覇吐神の信仰にその生ざまを罪業に軽んずるの崇拝に基きて、日々の崇拝と信仰を旨とせり。人間は喰ふために生きるに非らず、生るために食ふと曰ふは同じく聞くも、意趣にして同じからざるを覚つべし。また、悪に被り、目には目を、歯には歯をの報復を果すとも、己れもまた前者と同じく、悪を犯したるを知るべし。亦、己が智識を以て、無智の者に詐欺をする勿れ。己れが罪を他に乗ぜしむは、猶以て重罪なり。

見榮にして他をあなどるべからず。亦、人の出世、富をうらやむべからず。信仰を以て爲らざる奇法に僞り、人を惑はすべからず。獨り判じて、人を死傷するなかれ。また、人をおどし、人のものを盗むなかれ。奇辨を用ひ人を惑し、悪業に誘ふなかれ。怪祈祷をして人の病癒、運勢を占ふべからず。また功なきを薬として人に服用すゝむべからず。人を賣買せるは神への冐瀆と覚つべきなり。血累無しとて、他人を酷使し、死に至らしむも然りなり。

次世に人として甦えらんと祈る道は、布施心、救済心、ありて成れるものなり。能く心に保つべし。

四、

如何なる人間にしても爲せざるは、命運の行方なり。依てその行先を占ふは、人の弱きが故の心理なり。人ぞ各々好みあり、志望ありぬ。その人意を多聞し、折よく親しむとみせて信を得ては、尚知り盡して彼の財を私せんは、人畜行爲なり。とかく爭ふも然なる行爲なり。

何れにしても、人生和にあり、睦みを以て渡世するこそよけれ。荒覇吐神は古来丑寅日本の国神に長久せるは此の故なりき。一心不乱にして、唯、アラハバキイシカホノリガコカムイとぞ念じて、北斗に輝く北極星に向ひて祈り、度び重ねては曇りにし眞昼にも星の相を見得るなり。

祈りに目を閉じる勿れ、祈りに稱名の他念ずる勿れ。心、無我にして唯一向に念ぜよ。必ず得るべくあらん。若し病にありとも、朝夕に念じてはその救済に會はん。荒覇吐神は祈る者をして平等攝取の神なれば、人をしてたすけ、たすけ給はずと曰ふ事なし。

譬え過去に悪なす我昔の、人に言ひざる罪深き者とて、信仰にある者をして差のあるべきはなし。悪人たるを悔ふる者の善行は、善人たるの善行より猶、善に強きなり。依て、衆をして彼の我昔にあるを責む勿れと戒むるなり。若し、他衆に告ぐるあらば、汝はその罪人より猶も罪人なり。神は罪の悔ふる者を許すためにありぬ。

知りつゝも、見ざる聞かざる言はざるの自戒に、己の邪心に勝得べきなり。口言一句、ときには、わざはひのもとなりぬれば、禍ひの起らざる自戒に心せよ。

神に祈れる衆をして、一子の如く誰ぞとて見放しのあるべくはなかりけり。依て、唯一向にして神の稱名を唱ふは、一念猶一念に念稱して、神なる加護に勉むべきは、荒覇吐神の信者たる故縁也。

五、

山唄に斧音こだませるみちのくの杣に暮して、村隱くるは、もと安倍一族の臣たり。

家に入り見れば、鎧、亦、弓箭のなきはなく、舞草の剣、常に能く研ぎ置けり。馬を飼ひ、稗、そばのたくわひありて、いざなる備へ常とせり。

年毎に東日流に安東氏の十三舘、藤崎舘に移るも、持参の暮しになる物すべて三年の程に耐え得る忠臣らなり。移る者みな安東船にて、更に渡島及び飽田の地に新天地を開き、泰平の世を護り、一族の安住を一義とせる祖来の掟を護りぬ。依て、移住は必ず舘を築き、山城、川辺城の二舘を築くは、安倍の武家なり。

日本將軍たるの臣は、北辰をして国を擴め、地民を大事に地産を挙げ、生々を豊かに保つ暮しを治領に一定せり。故に、安倍氏のたゆまざる再興は速進せり。東日流大里、飽田米代、土崎、雄物、糠部、馬渕の拓田は、ときに造られたり。

渡島にては畑作にて、海産をぞ以て異土往来の商品とせり。渡島十二舘、東日流は遠く若狹の羽賀寺再興を天皇の勅命を奉じて建立し、今に遺りけるなり。此の寺閣は勅願道場にて、小浜湊は安倍氏が松浦水軍ともに海運なせる湊にて、高麗、山靼往来をなせる要湊たり。此の地は古きより安倍一族の流罪となれる安倍鳥海三郎宗任との言傳への地にて、揚州の往来に都度の寄湊たりと、今に傳ふなり。此の地に安倍の姓、遺るもその故縁なり。なかんずく興国元年の大津浪にては、安東船の船頭衆は、此の地に移住せし者多く、若狹にては安東船に縁り多き湊たり。

小浜にゆかる史談に、日本將軍の名を勅書に遺る羽賀寺縁起も亦然りなり。

六、

丑寅日本国に遺る唯一の史證は語部録の他に非らざる理由にては、世襲の權力者に判じ難き語部文字の故に、消滅の憂をまぬがれたり。語部文字の由来は古くして、古代カルデア人らのもの、シュメールの土版文字らに加へて、ギリシア、トルコ、ローマに渡る混合文字にて渡り来たるものなり。

吾が丑寅の民は、北方民族なれば、アルタイのシキタイ族、モンゴル族に古代より流通深くして、山靼と曰ふ意趣には紅毛人国までも、同じ用語たり。

支那にては彼の国を波紫の国と稱したるも、山靼と稱国するは丑寅日本民族は、幾族になる国とて西洋国にあるはみな山靼とて呼稱し、語部録にかく遺りて記ありぬ。

亜細亜と曰ふ如く、擴大なる大陸は、人の渡り住むる地の空間あり、戦乱の毎に移り、住民の混合になれるは、この亜細亜民族なり。依て遺れる歴史の毎に書変り、民族をして今は小數なるも、太古に遡りては偉大なる国造りの集團民族たるもありけるは、その傳統に面影を遺し居りぬ。

とかく小數民族は、時の新興国に併呑さるとも、古来の傳統を重んずる民族意識なり。いはんや渡島の先住民をして然りなり。世襲に敗れしもの、吾が丑寅日本国を古事に溯るが如し。

山靼とは亜細亜を国とせる諸国の興亡を除きて、境なき總稱と覚ひ取るべし。支那、朝鮮にても国の消滅になる世襲ありて、今に遺るは文字及び遺跡の遺る故に證されり。依て文字のもたざる民は傳統に遺し、吾が丑寅日本の如きは語部文字にて祖来の古傳を今に遺すを得たり。

丑寅の国、日本国は倭の国と異り民族の古事は、はるかに古代に溯る傳統のある国なり。凡そ古代肇国に於て、今に生滅せざるは、国神荒覇吐神なり。その在社の跡を尋ね巡りては、倭国に及ぶ信仰の跡ぞ今に愢ばるゝなり。世襲に変りても荒覇吐神の実在は遺りて現存す。

その大なるは出雲の大神たる古神は荒覇吐神なるを知らず、門神とて祀り遺りき。築紫の宇佐国東の大元両神社とも然りなり。此の地に見らるは、語部文字を刻むる石のあるを、地の民は知る由もなく、たゞ神事のみは、いさゝか異なれども荒覇吐神への三禮四拍一禮に似たるを今に遺し居りぬ。倭神にして今は崇拝さるゝも、アラハバキの本尊たる三神三社、イシカホノリガコの天地水を意趣せる造りに建立さるゝを今に以て愢ばしむなり。

石神にて遺るもあり、あぐれば六十餘州かしこに存在す。丑寅日本国の本州統一されし古事を、かくして知るは、語部録の遺されたるに依りて、古事の実史を知り得たり。

能く心に覚つ置くは、諸国に渡りて実在せる丑寅日本国の国神荒覇吐神を知らずして、古代を論ずるは、倭史筆頭の神代に盡きる。神代とは信仰にして、歴史に非らず。吾が丑寅日本国の史は語部録にも、信仰と歴史の混合を筆記にせざる處なり。

七、

宇宙に不動なる北極星、古代人は是を古語にしてタンネと曰ふなり。北極星を廻る天の河、北斗の七星、春夏秋冬の卍とめぐり、大熊座、小熊座の四季に廻るさまにて、右卐、左卍とて神の表象とせり。

天空冴ゆる夜空を仰ぎ、古代神は古樂を奏してメノコは踊り、ヌササンに供物を捧げ、カムイノミを焚く。月光はその影も踊らしめ、神は三股の靈木に天降るなり。

イオマンテ、その祭りに熊を使者とて生贄とせり。エカシの弓の舞、狩人のマギリの舞、メノコのフッタレチュイ、即興の踊りは天然、自然の相、及び年に起りし事を踊材とせり。聖水を奉じて清むエカシ、音をなして燃ゆるカムイノミの炎ぞ、まさに祈りの無上なる神事なり。熊は生を断って靈となり、イシカホノリガコカムイのもとに、民の使者とて召さるはイオマンテの通夜の神事なり。

イナウに着飾れし熊の骸をヌササンに供へ、その靈は北極の星、大熊座、即ち北斗七星の魁となりぬ。是ぞ、古代からなるイオマンテなり。

古代の神事にマタギの祈りと曰ふあり。母熊を射て子熊を生捕ふ行事にて、その子熊を育て、イオマンテに贄とせるためなるものなり。奥州に於て、マタギの神は安日彦王なり。安日彦大王を神とせるマタギらは、子孫長久と狩の安泰を祈りて、みごと仕留めて神事せるは、狩に用ひたる弓箭及び討物を再度び用ゆことなく神に奉納し、メゴとデゴの交化神を鉈刻りに造りて供へ、それを持歸りてチセの守神とて童等に与へたり。今になるコケシとは、その由来になるものなり。

古代人は神事に用ふる要とて、イナウを刻りて供ふ。更にはマンダの木皮にて頭冠を作りて用ふ。聖水は水源より汲み、ナイ、即ち澤の奥なる湧水を汲みて供ふるに、その季節毎に澤を異なしむなり。春は東に流る澤、夏は南に流る澤、秋は西に流る澤、冬は北に流る澤、各々その水源に湧く清水を撈々して汲むは、何より先とせり。ホノリガコのカムイとて、神事の要たる聖水なればこそなり。

聖水に全能の神通力あり、死して甦りの水とも重要し、靈入れの行事ありぬ。聖水に三種ありて、イシカの聖水、ホノリの聖水、ガコの聖水なり。即ち、アラハバキ神の天地水の三種なる聖水なり。イシカの聖水には天より落下せし星の石を三日間も入れ置きて成り、ホノリの聖水は火吹山より噴出せし石を三日間入れて成り、ガコの聖水は鯨牙を三日間入れて成らしむるなり。

その間、エカシは断食にしてカムイノミを絶やさず焚き通して、神前に寝て神の告あるを夢む、その靈夢に依りて、イオマンテの贄となる類を決断し、衆に告ぐるは習へたり。

エカシが神前寝床の間、四人の付添ひありて、不眠相互にしてその告を待てり。その告とは、エカシの夢想に言ふ言葉にて定まりぬ。聖水の成れるは是の如し。

八、

山靼のチタを過ぎ、ブルハン神の鎭むるバイカル湖あり。モンゴル族、スキタイ族の古老の曰くは、その神の相ぞ、丈なせる大鯰に乗りて現ると曰ふなり。ブルハン神とは水の神にて、ときには大龍となり虚空に飛ぶとも曰ふ。冬は白龍となり、秋には黑龍となり、夏は金龍となり、春は緑龍となりて満月の夜、湖面より大辰巻を挙げて昇ると古老は曰ふ。その龍なる行く先は黑海、裏海、アラル海、バルハシ湖と渡り住替をせりと曰ふ。

九、

地平の大擴野モンゴル、アルタイの草原、古にして住むるは小耳、大牙、の毛象及び毛犀、大牙虎、長毛牛、大角鹿、群れ居りたりと曰ふ。支那にては黄土嵐、天日を幽閉して荒ぶ降砂の故に、古来の緑地冠土して、すむる生物すべて北に移りたり。是を追ひて古人ら狩りに移りて人と成りける民族は人祖の創なりとも曰ふ。今にして、その生物ぞ骨と遺るを見つるも、遺らず生を絶えたり。

極北の地に見らる古人の住居跡あり。その牙に組建て、頭骨を壁としたるは、その群なす古事を愢ばしむ。風に飛土せし古人の墓、見つれば、石に圍みける葬跡を今に遺し、二萬年前なる狩人の信仰ありと見つるなり。

牙にて造られし玉飾り、投槍の如きを副葬とせるは、かしこに遺りぬ。然るに、後世人にてその埋葬地、掘られて副葬のものなく、その住居跡も遺らざりと曰ふなり。

古代狩人の用ひし石に造れる遺物ぞ、川辺、湖畔にて今も遺りつるなり。

十、

奥州の史は古代を以て深し。今にして奥州を問ひば、白川以北一山百文と忌しい諺にありきも、古代に溯りてその遺跡を見るに、倭史に猶はるかなる遠き歴史の上にありけるなり。本州果なる東日流にても、倭に越えにし稲田の拓田耕作ありき證ぞ、今に遺りぬ。

更には金銀銅鉄の採鑛、たゞらも然らしむる處なり。また海を東西地域にありせば、海の幸に大惠あり、海の彼方より先進の民渡りきて、その技を傳ひたり。依て、奥州鑛山ぞ、その実を挙げたり。依てその用途に諸職人渡り来たりて、造られきは山靼への通商品となりて、古代航海の海道往来と相成れり。

ハタと曰ふ古代船、大海を渡るは海難多く、ダバとて、ハタを組合せたる大型にせる船を以て航海を成せるは、山靼人に依りて成れり。マンダの木皮を用ひて織りなせる斜帆を張りなし、その船速、渡島、サガリイを寄りにして、黑龍江を登りて、船組を解き、舟團と相成りて、逆登れるところ、地語にしてピョンと曰ふ川湊なり。

市ありて商ふは、その費をはるかに益したり。凡そ四千年前の流通にて、古代山靼往来の創なり。

十一、

〽我らチンギスハーンの子孫、
  母なる川ほとりに暮らす者なり。

是れ、今に遺れるモンゴルの唄なり。モンゴルは西の紅毛人らにタルタル人とて稱され、都にオグト族、ケレイト族、ナイマン族、此の三族はネストリウス派なるキリスト教徒たり。是らの王にオロンスム城ありてプレスタージョンと曰ふ王なり、と風説を信じたり。然かるにプレスタージョンたる王は実在せず、モンゴル族のチンギスハーンを風聞にせることは明白たり。

抑々、チンギスハーンとは吾が丑寅日本国の東日流安東氏をクリルタイに招く親睦にあり、オグト族のホルムズ族人なるニトベダラスをネストリウス派キリスト教なる傳導師に遣したるあり、糠部戸来の地に永住歸化せしめたるありぬ。

モンゴルと同じく安東氏は異教を嫌はず、渡来人多き糠部にその者を住はしめ、モンゴルとのクリルタイの決め事を受入れたり。

モンゴルのチンギスハーンとの盟約にては、倭の落人をモンゴルに多數歸化永住せしむも暫々にして、彼の源九郎義経もチンギスハーンのもとに歸化せしめたりと曰ふ。義経の歸化せしは、ブルカン岳のゲルにその主從を住はせたりと曰ふなり。

更には安德天皇を東日流天皇山より此の地に先住せしめたるあり、義經はモンゴルの地に於て、安德天皇の臣とて、その生涯を仕へたりとも、傳ふるなり。ちなみにモンゴルに遺る笹リンドウ紋のありき遺物の今に見らるは、その證たり。

東日流に爭乱の因となれる落人は、かくしてモンゴルに渡りたるは、安東氏の安東船商易になれる采配なりき。渡島のオカムイ湊は落人の渡る要湊たりと今に傳はりぬ。

安東氏は倭より東日流に落着せるものを、かくして山靼に渡らしめその證を抹消するも、生命の尊重を一義とせる安東氏なればなり。さればこそ、チンギスハーンも、安東氏が送りなす源平武士らの落武者をこよなく大事に迎へたりと曰ふ。

モンゴルにありては源平の對立も是なく、安東武家とてチンギスハーンのもとに、世界に覇をなせりと曰ふ。

ボルヂギン氏族と曰ふ一族に生れたるチンギスハーンの幼名はテムジンとて、ホルムズ族の王なる名と曰はれむ。友族にオンギラート族あり、その族長の娘ボルテを妻にめとりぬ。ブルカン岳を住居とし城ともして、その周辺の部族を併合し、ボルヂギン族の勢を大ならしめ、諸難を越えそのモンゴル一統の実を挙げたり。

先づメルキト族を征し、彼のブルカン岳を離れ、ブルハン神の鎭むバイカル湖にそゝぐ川辺一帯の部族を併合せり。民族一統に大志をいだき、大モンゴルを建国せんテムジンの望みは着々たり。タタル族を征し、遂にはモンゴルのカンと相成りぬ。

萬里の長城を破り、金国を征せん討伐行に赴くを決したり。先づアルタイを越えメルキト族を征し、名をチンギスカンと稱したり。モンゴル一統を果し、山靼波紫に至るまで商人を振興せしめたり。

かくして三年の間、金国討伐に備へ、萬里の長城に兵馬をさしむけたり。忠勇無双のモンゴル軍は長城を破り、二十萬を挙兵し、遂に金国を五年にして征したり。續いてホラジムを征し、オロシアを征したり。

チンギスハーンの入滅は嘉禄甲申年にして、生郷モンゴルブルカン岳に埋葬さるゝと曰ふなり。是の如く傳へたるは東日流語部録なり。   原漢書

寛政七年八月   報恩寺藏書

十二、

死して埋葬さるとも墓標を造らず、永眠の泰淨を覚すこと勿れ。死に入りては如何なる功を世にぞ遺すとも、死出に何事の伴ふはなかりき。たゞ生ある者の名残りに留むのみなり。その功知らざる者は、何事の感やあらん。生々に出會ふ者、世に名高きを遺すとも、却る者にては如何なる大陵を造りて骸を葬ずとも、生を離れし骸は骸なり。依て、雲を突く如き陵を造るとも、所詮は空なり、無空なり。死す者は一切の娑婆にあるを死に依りて解脱し、本来なる魂魄に歸りて、次世の甦りに何事の過却も一粉の覚ひなき前世の業を断つが故の生死法則の故因なり。

業報に依りて、死後再甦を萬物の類に身命を受くは、生々の業報ぞ、神のみの知るところなればなり。生々萬物の生とし生けにしものに、人間の見聞感に判断を自覚する勿れ。

萬物生命、一物たりとも孫々の永代を願はざるものなかりける魂魄のあるを知るべし。生物進化とは、その故に存す。

人間をして、異外なる生物を生命魂魄の非らざるものとて、生々己れをして心無く、他生を傷害致死に至らしむは、生くるものゝ連鎖たりて、心に何事の悔なき者は、己が犯せし所造の苦を次世に受けなん。

神は平等の親にして、至らぬ人の界は非らざるなり。心して生々己れを知るべし。

十三、

丑寅日本国は人民をして幸いたり。祖来、老いをいたはり、女人を子孫のために大事とし、童を智導せしは、老若男女、相互の生々責務とせるの荒覇吐神なる信仰に学舍をなして、一族共存、生々睦ましむる掟に固たれば、互に戒めてその道に迷ふなかりき。神は相無けれども、天地水の法則にて実在す。依て、人生に顯はるべくして顯れたり。

その信仰は求道に易く、行じて易く、唯一向に天然自然に處かまはず、三禮四拍一禮の行を爲し稱名を唱ひて曰す。アラハバキイシカホノリガコカムイとぞ、一念より多念、猶唱へて叶ふ本願成得の信仰なり。

信心に僞念あるべからず、唯一心不乱に唱ふこそよけれ。必ず救済に會はん。

十四、

吾が国は古来より荒覇吐神を祀りき。山靼奥なるシュメールに、カルデア民に依りて感得されし、無常の神なり。生々萬物その生命を神なる御心にては、一子の如く、日月の陰陽に照らして至らぬ處はなかりける、全能の神たるを奉じ、生命の大事たるをくりかえし世の生者に教へ給ひり。

人の世に神佛をして教ひあまねく諸宗諸行をして、今に遺れども、人心は常に世襲の進化に心常ならず、旧教は心に遠く離れ逝き、新興徒らにして世にはびこりぬ。

然るに、求導に救ひなく迷ひば千尋の奈落に堕ひなむ。占ふは人心に依りけるも、人をして人師、論師に秀聞たりとも己れ功なきこと多し。能く心得べし。信仰は心なるを以て成るを。

十五、

古来より狩猟民たるモンゴル民族は放牧の休むる冬期に狩猟す。部族挙げての狩猟にして、是を戦の武練とせり。モンゴル一統を果したるチンギスハーンの滅後、その後代を継ぎたるはオコデイハーンなり。

父、チンギスハーンの得たる領に、交通の道を開通せしめ、軍の征道、商人の商道とせり。その至る處は北東黑龍江水戸口より西北はオロシアまで通達せしめたり。

金王朝を完全なる攻略をぞ、要都開封を攻むるは、三方より軍を進め、遂に攻略を果したり。續きて租税を布し、カラコロムに都せり。今ぞ都を名残るは、後に建立されたるエルデニスー寺と曰ふが遺りぬ。

オゴデイハーンは、都の外にゲル陣營を設し、地にとゞまりて、東は高麗、東南は南支那、西南はシュメール、西北はオロシアまで一挙に軍を遠征し、カラコロムにて軍を指揮せり。なかんずくオロシアに進撃せるは、より猛烈にして、メタールのカサンに民を移住せしめたり。これぞタタール族の創めなり。

此の一族の權勢は、クリミア及びアストラハンに及びたり。更にモンゴル軍はルーシのスラブ民族の地を掌握し、ウラジミール及びキーフを制したり。

然るに、史実を告げるはイフラシーニア年代記に遺り、モンゴルの貨銭なる銀のスリトウは、今も此の地に遺れり。常にしてジャムチと曰ふ傳達にて成り、地民の氾乱を征したり、通行手形とも曰ふべき銀のパイザを持つて、間諜を防ぎ、その身分明解さるなり。四方にめぐるジャムチは是の急に備はりたり。

カラコロムの萬安宮は、世界の職人に溢れる隆勢たり。これぞモンゴルの要都にして、オゴデイハーンの治政たり。仁治辛丑年、モンゴル王オゴデイハーンは入滅せり。

その継王はフビライハーンに執政され、先王の征略に残された南宗と大理王国に軍を進めたり。たちまちにして攻略し、フビライハーンは政都をドロンニイルに上都を築きたり。茲に、クリルタイを集合し、吾が丑寅日本国より安東貞秀が出頭し、アンダの誓と曰ふ盟約をせり。

然るに、カラコロムに在住せるフビライハーンの舍弟もまたクリルタイを招集せるも、東日流に於ては是れに参列せず、その世襲のなりゆきまゝに、アリクブケに状を屆けたり。依て四年の内訌起り、フビライハーンの勝利となり、都を更に大都に築きたり。二十五年の歳月に大都は成れり。

国を元と国號し、才ある者は、例へ異国人たりとも採用し、ローマベニスの商人マルコポーロを揚州の知事に命ぜり。更には、尚書省に長官とせしは、イスラムのアフマドらを任じて、その治政を建固ならしめたり。

吾が国の安東船が揚州交易をなせるは、マルコポーロの許に依りて成れり。フビライハーンは通商をなせる商人はイスラム、そして安東船の北洋海産物を好みて振興せしめたり。更に南宋を攻略せんために、十萬の兵を派遣し襄陽に結し、首都臨安を攻めたり。時同じゆうして、倭国にも水軍を以て来襲ありとて、その報を屆けたるは高麗の人、三別抄たりしも、朝廷は是れに返状も屆くなく、幕府の北條氏とて是を無視せり。

また揚州に往来せし安東貞秀もまた、使者を鎌倉に支那の情勢を通達せしも、空振りたり。かくして文永の役を招く破目となれり。

元軍二萬五千人、對馬及び壱岐を犯し、築紫に大船團を以て元寇せり。然るに、季節風に襲はれ、軍を退けたるを神風とて倭史に記し遺れり。

寛政七年八月   報恩寺藏書

十六、

安東水軍は揚州に交易あるを以て、幕府の招集に應ずるを否したり。その理由とては、凶作の續く奥州に挙兵の勢なす事は叶はぬとて小浜、敦賀、犀川に在りき安東船を六艘を築紫に遣したるも、水軍の事は内海松浦水軍に委ね、再役に備へて對島島民を本州に救ひたり。

然るに北領サガリイより元軍上陸し陣營を造りぬ、とぞ報せに十三湊は騒々として、水軍五十艘を連ねてサガリイに向ひたり。

筑紫にては弘安役たる再度の来襲より一年前、八月十七日安東水軍はサガリイ即ち今なる樺太に迫るや、元軍是を向討なく禮を以て迎ひたり。敵はずとも海戦を覚悟せし安東水軍の水夫ら、唯亜然とせり。

モンゴル軍はクリルタイの盟約にある丑寅日本国への侵略は毛頭なく、凶作に續く安東一族の領民に兵糧を與ふためのサガリイ上陸たり、の旨を告げたり。

是れ、揚州のマルコポーロがフビライハーンに申請せる故なり、と知りて大いに悦べり。折しも奥州の凶作は、民の冬越しにも餌に窮したるとき、まさに地獄に佛を見るが如く悦べり。今に遺る各寺社にフビライハーンやマルコポーロ像あるは是の故なり。

寛政七年八月   報恩寺藏書

十七、

吾が国は丑寅に在りて、倭史の要に障り多ければ、敗れし者は常にしてその再起を断たれむ。ましてや、秘にある遺産のある限り、その秘を探られむ。戦に伏したる丑寅の住むる民に再挙ある兆を反きとて警戒あるも、さながらにして高枕の安眠を欠きつるなり。

安東船起りて世界海道征く毎に、何をかあらんと倭の隱密草入りて探りけるは、奥州安倍の残党探策なり。東日流六郡の他に、朝幕、常に隱密を以て探りけるは、その故縁を断つが爲なり。

昔より蝦夷は蝦夷にて討つの策間謀も、安東船に何事も探り知る由も非らず、鎌倉にて奥州は背の虎伏す處たり。常に後ろめたくや、みちのくの探りを欠くなかりけるは、賴朝が武家政より北條、足利、織田、豊臣、德川に至る世襲にも安東一族の見放しはなかりけり。

その流胤なる秋田實季の地領、秋田の地は湊あり、米代、雄物の河辺の拓田いさゝかもゆるぎなく、安倍氏以来の鑛山もまた産金謎のまゝ世の表に顯すなけん。累代に固き安東一族、未だに貝固くのまゝにぞありぬ。

世にすねるが如く家系蝦夷としてはづかしからず、東軍大名として今上になるは、安倍祖来の遺財何處に秘すや、猶霧中の秘に閉ざすまゝに、幕府の策なる国替も何事の明解を得る難し。松平重任の策なる伊勢朝熊への隱居策も、秋田實季、何事の反きなく、三春移封にも異議非らず、隱密に灾らる三春城、その城下町、何事の反意を挙ぐるなく、幕惜の授金、何處より得にしか返済に速く、その資出の因、未だに謎なり。

秋田家にして小藩なれども、その世襲に柳受の風なれば、是を謀滅もならず、火難の後々城築の見榮に再度び天守の聳ゆなし。

流石、安倍之胤なり。

十八、

渡島の諸處なる先住の民と睦みを以て、永く往来自在とせしは安倍氏なり。依てその信ありきも、倭人の渡り入りて渡島住民の憂あり。その爲せるは酷使と無拂の勞費なり。依てエカシの報復あるはコシャマエンの反乱、シャクシャエンの反乱相起りぬ。

とかく倭人は何れもアイヌと稱し、人と思はざるが故に、その睦みを欠きぬ。古来の傳統をぞ大事とせる北方民なれば、風土に習ふる生々を異にせるは、倭人の知るべく由なし。冬寒半年の国なれば、何をか以て和解を示めさざらんや。たゞ討物挙げて討伐の他非らざれば、極寒を突いて報復を受けんと戒むは、吾れのみに非らざるなりと覚つべし。

此の国は先住なる民のものなり。その泰平を踏み破るは、天命に誓って許せざる行爲にして人道に於ても亦然りなる非道なり。地に住む者も、民は民なり。

渡島に駐在せるとも、その民を憂はしむ事のあるべからず。能く人道をわきまえて非業のあるべからず。茲に宣言せるものなり。

此の地を領土とするならば、住民また倭人とは平等得權の同民たりと思ひとるべし。徒らに民族意識を異なせるは、白河以北蝦夷たるの片見に以て、是を賎しむは、倭人とて赦す置くなし。

十九、

東日流に安東高星丸が一族再興を爲し、平川に藤崎城を築き、十三湊に入澗城を築きて、水軍を起し渡島、千島、サガリイ島を自領と擴げ、その往来を商道とし、山靼への往来をせる海道は一族再興の諸事を速進せり。先づ衣食住の安住、交易産物の増収を渡島地民と相睦みて共榮せり。

子孫代々に降りては庶家多く相成り、地頭を宇曽利、糠部、外浜、東日流、上磯、渡島、飽田とその分領に住み分ぬれば、地環相違ありて、富貧差是れ在り、常に宗家に難題を呈す。依て養子を入れたる十三湊にては、藤原秀直の如く兵を蜂起して藤崎本城を攻む萩野臺の合戦に、得宗領の曽我氏に依りて援軍あり、藤崎城は安全たり。

然るに是の事件にて安東一族は櫻庭の地に至るまで、鎌倉得宗領と認められざるを得ず、その治地域はせばめられたり。更にして報恩金を曽我氏に贈りて、一族内訌の程は宗家を危ふくせり。依て藤原秀直を渡島に流し、更には満達に渡らしめたり。今にある満達の地に平泉とあるは、十三左衛門秀直の開きたる處なりと曰ふ。

東日流騒動は再度びまた起りたり、洪河の乱と曰ふなり。十三湊福島城、平川藤崎の白鳥城をめぐりての城主三年替居の掟に、萩野臺の合戦以来定められたるを、十三湊に在りき安藤季久、期限至りても立退くなく、再参の請告にも返答なきに、藤崎にありし安東季長、兵を挙げて迫りぬ。依て是れに應戦せるは、なりゆき當然と相成り、長期に渡りて治まらず、幕府、是に介入して双方を鎭めんとせるも尚以て治らず、両者倶に東日流の地に幕府得宗領の無きものとて和解せり。

是の内訌を鎭ませる力、幕府に無しと、安東一族は京師に告げたり。諸国に起りし皇政の復古は世襲となりて鎌倉を襲ふたり。

賴朝三代、執權北條九代にて幕府は亡びたり。時に安東一族は京役管令とて、天皇を奉じて安東船を挙げて軍資を献上せり。依て、建武の中興成れり。

廿、

安東一族挙げて天皇方に援じたるは、安東船の小浜に京役船とて勅許のあらん商道一途なる判断たり。幕政にありては、唯貢税に抜かる多く、また法度に多し。京役船なれば、その制を蒙むるなく海交自在たるの故なり。たゞ京師にては、たゞ献上のみにて商ならず。然るに海道通交の自在たる特權にあるべく、勅許の賜授に浴したるの報恩あり。

安東一族の舞草刀の官軍献上は、諸戦に抜きて、新田氏、楠氏、名和氏、兒島氏らのもとに配給ありて、大いにその戦果を挙たりと曰ふ。もとより安東一族は軍を以て援ずるはなかりき。

たゞ海運にて兵糧、武具の配屆くに、他は戦場に一兵だに一族より派遣はなかりきと曰ふなり。

廿一、

嘉吉元年六月七日、安倍大納言日本將軍京役管令盛季、十三湊唐川城にて東日流領放棄の議談を一族に謀りぬ。集ひし面々、潮方安東重季、政季之父子、糠部太郎弘季、金井次郎庶季、宇曽利三郎歸命法印、藤崎五郎十郎教季、吹浦太郎鹿季、飽田六郎太兼季、高清水三郎時季、安東康季子の義季、飛龍阿闍梨、平賀次郎能季ら此の議に列座せり。盛季、曰く。

大白鬚水以来を以て、商船の離散、十三湊の浅水、砂泥に埋りて復せず、他になる小湊にして成らざるは安東船の要湊なり。依て、海道を以て自營ある一族とて、此の地を放棄し、糠部、能代、土崎、松尾澗内、志海苔、宇津毛志、江刺、余市を以て一族の天地と爲し、主城を秋田檜山に築きぬ。山王の阿吽寺は渡島に移築し、荒覇吐神もまた然りなり。是れ兵を退かざる前に以て、一人の領民も残さず完ぜん。

とて曰ひければ、是れに反論非らず、速かに領民の移住、家財一切を移し了りぬ。古来より安倍一族の、人命一義に先とせる習ひたり。東日流放棄の大なる因は、南部守行、義政の侵攻もその原因たり。

廿二、

古代なる東日流に大事たる歴史の要をなせるあり、今に猶傳はるゝありけるなり。抑々、人の生々に病のなからざるなく、その薬となるべくを山野に木草の皮、葉、花、實、種、根を六薬法とてその季節に採りおきぬ。更にして虫、鳥、獸の角、膽、血、肉、臓、皮の六薬及びその用途を病種に依りて造り混合して癒す秘法なり。

是れ迷信に非らず、語部録に遺れり。湯泉及び海になる薬物ありて、その作造秘傳せる一切もまた付記あり。自然にはまた必殺の毒物のあるも記逑ありぬ。人體六根、その何れを病みても人は生々に苦しめり。

たゞ老い逝くはさり乍ら、若くして病むるは哀れなり。依て茲にその薬法を求めて、代々に成したる薬法傳あり。永代に遺しきは

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是の如く記ありぬ。山川草木、海浜に採すべし。一族をして互に是を傳へ、苦しむるを救ふべくを遺し置くものなるぞ如件。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku