北鑑 第六十巻

戒言之事
此之書は他見無用、門外不出と心得ふべし。亦、一書たりとも失ふべからず。

秋田孝季

一、

千代八千代の大王世にある事の累代は、叶ひ給ふ事非らず。權政欲いまゝに常握をする大王は、如何に神殿を造り、いかに己が大陵を造りても、所詮は空しい願望なり。

エジプト、ギリシア、トルコ、メソポタミアに遺る歴史の砂に埋もる過年の廢處は物悲しく、墓さえも盗掘されて、如何なる大王とても荒亡に保ち難し。依て丑寅日本の大王は、モンゴルのハンの陵の如くその埋葬陵を密として、誰知る由もなく過却を閉じ、大地に永眠の妨ぐるものなく今に猶永く安んず奉るなり。

抑々、太古代に於て、心の持ちどころに異なる聖導あり。大王をして民と倶にあるは、平等にして互に攝取不捨なり。依て人命を尊重し、富貧を造らず、相互に睦みを一義とし、信仰また一向にして惑はず。茲に大成されたるは荒覇吐神なる崇拝なり。

人生の生々に安心立命と、死に臨みては新生への老骸脱却なる門出なりと悟らしむは信仰の要とせり。その崇拝に於ては、唯一向に神を稱名して祈願せる耳の行にして得らると曰ふ易しき導理たり。依て神事に於ては、老若男女心をこめて合唱せるは、アラハバキイシカホノリガコカムイと、天に仰ぎ地に伏し水を以て清むる六根清靜こそ、神に行願して、生々に安心立命し、死して新たに人として甦えると曰ふ信仰たり。

神は天なる一切の大宇宙、大地の一切、水の一切になる大自然こそ神の相とせり。依て、世に生々せる萬物一切の生死を天命に安じ、信仰に惑はず、己が信念を突ら抜きてこそ、神の救済に遇はんと思ひ取り、唯一向に神を稱名すべきとは、古来よりの一統信仰になる心たり。古来、その法灯は絶ゆるなく、みちのくのかしこに、坂東のかしこに、更には倭国のかしこに、今も遺りけるは、この故あっての故縁なりと覚つべし。

二、

古代シュメールのカルデア民が、宇宙の運行を日夜に日月に眺めて、暦を知りぬ。日輪は三百六十五日を以て赤道を南北に、その黄道に交はる春分・秋分を暦一年の四季に覚り、月の満欠に海の干満を知り陰暦を知りぬ。この陽暦・陰暦をアラとハバキ、即ち是を雌雄に神とせるはグデア大王にして、ギルガメシュ大王が是を天地水の神アラハバキ神と修成し、速やかに弘布され、ルガル神(メソポタミア)、カオス神(ギリシア)、オスリス神(エジプト)、アブラハム神(エスライル)、イホバ神(シナイ)、シブァ神(インド)、アラァ神(アラビア)、クローム神(北州)、オーデン神(北州)他多採に近隣諸国に傳はり、古代オリエントの信仰の要を確立せしめたり。

今にして遺るもの、遺らざるものありき。吾が丑寅日本国にては、原語のまゝにアラハバキ神と唱ふるを常とせり。此の神の渡来せるは、四千五百年前に渡来せるものと曰ふなり。

三、

吾が国は、古来より黑龍江を道とせる山靼商人をして往来せり。凡そ四千年前に大挙して吾が国に漂着せしカルデア民ありて、是を秋田なる男鹿に住はしむも、彼の民ら大泻原の葦を束ねて一本の木材も用いずして家を建てなむ。彼の語にしてマデフーと稱す家なり。流ある處を好みて邑造り、大泻の漁は大漁にて湖岸に稗及び麥を蒔きて稔らしめ、粉に、チャペと曰ふ壺燒にて主食とし、味よければ、地民是れを眞似て造りたるは、火あぶりにして串燒せるタンポなり。

古代シュメールの酒造り、農耕をなせるは、東日流にてはその傳統多く遺りける。磯舟をハタといふも、その造舟はチグリス及びユウフラテス河になる造法と同型の作なり。依て、カルデア民の東日流及び秋田の男鹿に居住せる民と同じたりと曰ふ。漁法また然りなりぬ。葦を大事として漁にも用ふありて、葦の生ゆ處にカルデア民の至らぬ郷はなかりけり。葦の棺に至るまで、笛なども造りぬ。冬、雪を防ぐカッチョ及びシガキなども作られたり。

古代シュメールの民は、常に宇宙をながめて不動なる北極星を宇宙の軸とぞ思いとりぬ。海を航し、砂漠を旅する夜のしるべとせる星、亦、日輪の運行に眞昼のしるべとして、己が位地方行を知りぬ。是の如く、五千年前にかくの如き知識にありきは驚くべく智才たり。カルデア人にて宇宙を知り、オリエント諸国に宇宙を神とせる星座の大いに振起し、ギリシアにては神々の神話に寄せて、今に名を遺す數々の星座ありき。

今は一人の信徒もなきギリシア、エジプトの古代神もその神話を今に遺すなり。亦、世に新しく科化学さるゝ名稱にこの神々の名付らるありぬ。古代オリュンポスの神、主神はギリシア神話の根元たり。女神アテナを祀りし、アテネのパルテノンの神殿も崩れ、大石柱のみが天を突く如く今に遺りけむ。

また巨大なる金字塔を今に遺すエジプトのナイル河に添ふ大神殿も、是の如く飛砂に埋りたゞ崩れ逝く耳にして、更には、古代シュメールの都の跡も然りなり。ヅグラートと曰ふは、砂に埋り古き太古の名残りも非らざるなり。富める国は襲はれ、敗れてはその大遺跡も崩壊ある耳也。

古代オリエントの榮枯にカルデア民の決断は、一族挙げて安心立命の新天地に移住せるを實践せり。吾が丑寅日本国に落着せしは、かくなればなり。

四、

夢を見つ、覚めて夢追ふうつろひに、夢喰ふまでに求めなば、爲らざるものはなかりけり。人生はうつろひ速く、光陰暫くもとゞめがたし。無常は賴みがたく、幻しは悟りがたし。うたかたは消え易く、雲の流れは風に果を委す。されば、人の生命もまた己が命脈の盡きるを知らず、神を信仰し、その救済に安心立命を得んとす。然るに逝く年月は、世にあるものを逝きに伴ふも歸らず、生れし者は必ず果つ世の習なり。

信仰は生命の長久を得るためのものに非らず、富を得るにも非らざるなり。諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅爲樂の悟りは、佛法にして、神道にては安天命立命以死甦新生達是安心立命無上之信仰也と曰ふなり。

五、

我家の家系は坂東八平氏の流、三浦氏之庶家和田義盛三男、朝夷三郎義秀の子孫なり。

建保元年五月、父、義盛の討死、一族滅亡の砌り、父義盛の遺骸を背負ひて、由比ヶ浜より舟にて君津沖に漂ふ時に、東日流安東船に救はれ、秋田土崎に至りて岩見澤に知行し、子孫を遺したり。常に安東氏と倶にあり、秋田かしこに子孫あり。

宗家は正平年間に北畠顯成の幕下に、行丘城に代々せるも、天正年間に辞役し、飯詰村に住す。爾来、神職にして、子孫近郷に數家を分家し、宗家は歸農して今上に至るなり。

家門、常に文武二道にして現に在り、子孫是を継ぎける。

六、

和田長三郎權七、藩之令ありて、弘前寺社奉行に召捕はれて、東日流古事記帳、永代に渡りて書綴られたる一切の史記あり、津軽藩浮沈にかかはる一切の古事記帳ありと責められたり。家探し、分家ことごとく吟味の由あり。何事の證、是れなく解き放されしも、是れ訴人ありての事とて聞き及びたり。吹畑藤巻より飯詰下派立に移住し、壱岐守賜號を返上して、事間なき事件たり。

とかく和田一族は三春藩と相通じ、その往来手型の老中特許のある家柄なれど、庄屋を辞し味僧澤に居住し、訪ねて留守は常なりとその不審なるを吟味に及ぶ事暫々なれど、その答は常にして諸国への巡脚と答ふのみなり。士族なれば代官の及ばざる家門にして、かく弘前藩自からの取調べと相成れり。

和田家はもとより武門にあり帯刀御免の家柄なりせば、徒らに深念取調之儀はやぶ蛇にて、かゝる召捕の事件は、幕府大番に津軽藩主は召出でに蒙りて、評定あり。老中の責叱は雷の如くありけるより、和田家への探りも解きけるなり。

和田家孫々は、上は桓武御門より出づる坂東八平氏の一族にて、三浦を知行しけるも、和田にありけるより和田の姓を氏とせり。

建保元年、和田一族、北條氏の悪政に怒り、鎌倉の乱を起し一族の多く討死せるも、和田義盛の三男義秀一人脱して唐に渡らんと欲し、君津沖にて安東船に救はるも、飽田に至り岩見澤に知行を預りて累代を今に遺せしものなり。

今に猶以て三春藩の寄禄によりて暮しけるを、弘前藩とて是を制ふる權ぞ非らざるなり。ましてや江戸城大番目付の許状にありせば、常に帯刀御免たり。

慶應乙丑年   和田八郎

寺社方各位殿

追而

農夫の師たる指南依賴の儀は固く断りおくもの也。亦、一族の徴兵も然也。

右の八郎とは權七の八男にて、北辰一刀流皆傳の腕なるも、会津にて傷負ふより、武家を去り、童を集め飯詰代官所前邸にて餘世す。

七、

祖来、和田一族は義秀の代より安東氏の臣とて仕へ候也。和田一族の鎌倉に在りき轉末の候事は公史にも遺り候事然也。由比ヶ浜より義盛が遺骸を漁船に乗せて漂ふを、安東船に救はれ、小湊なる誕生寺にて火葬なし、奥羽飽田岩見澤に赴き候は、一重に安東三郎土崎鷹季殿の慈愛に蒙り候者也。

岩見澤知行に預り候へば、茲に和田邑を開拓致し候事、義秀自ら鍬振り候事の由に御座候と傳へ聞き候。建保乙亥年、京師鹿谷の源空法師なる門僧金光坊に伴ひ候者あり。その衆六十三人、皆和田一族の残党に御座候。涙會に候乍ら、和田一族の再挙に一族の者、地の女子をめとり家を連ね候處に他衆も集りて、和田邑百十六戸に至り候。依て主君和田義秀攺めて朝夷三郎義秀とぞ稱號仕り候。拓田、川辺郡一帯に及び候へば、承久庚辰年、安東鷹季殿の許を得て、岩見澤越内に朝夷城を築き候へて、茲に義秀居城と仕候事大慶に御座候也。此の地に築城を企て候由は、湊安東氏が發起せるものにて候由なり。和田一族、上野に兵を挙げたる新田義貞に勢を援軍仕り、鎌倉に攻め入りて一族遺恨を晴らし候事は、朝夷義秀が子孫への遺言たる故縁に御座候也。

八、

丸に三つ引きの紋は和田一族の馬印也。安東氏に仕へ、秋田川辺郡岩見澤に朝夷城を築きて和田邑を振興し、一族挙げて雄物大河に舟往来をなし、仙北に至る各邑に流通をもたらしめたるは、山靼往来船への商品物資の生産たり。その一つに金山あり。鹿角に和田邑を山中に開き採鑛せるも、和田一族にしてその實を挙げたり。金塊こそ世界通用の貨銭たり。尾去澤百枚金山の産金はその實を挙げたり。物部氏との倶に掘りなせる金山の數は十六たゞらと稱し大いに振興せり。十六たゞらとは鳶内、鷹内、鷲内、火内、鹿内、生保内、駒内、安日内、大平内、湯内、岳内、越内、空内、浮内、岸内、多々羅内の山澤にして、その多くは秘中の秘たり。駒岳、安日岳、和賀岳、栗駒岳に密せる金山のたゞら跡ぞ今にして秘たるなり。

九、

上宮太子が蘇我氏と謀り物部氏を羽州に追放せしは、神佛崇拝に事寄せたる策謀たり。物部氏、常にして大王の座に勢をこらし春日氏を制へ、次に耶靡堆氏、阿毎氏をおとしめり。葛城氏はこれに對應し蘇我、巨勢、中臣、平群、和珥、大伴、土師、七氏に報じ物部討伐の策を謀りぬ。對する物部氏は羽束氏を山城に、住道氏を攝津に、明石氏を播磨に、酒人氏を河内に配して一挙に事を起さんとせるを、上宮太子及び蘇我氏は何くわざる態にて宮中参座の折を襲ふて物部氏を誅したり。

すかさず諸国の物部一族を討伐し、天皇氏を大王と爲し一統せば、是を暴とせる世論に蘇我氏曰く。神道、佛道をして国論を起し、百済の聖明大王の信を失せば、我が国の国益を失せん。依て佛道は厚く三寶に歸依し奉り、我が国の泰平を護らん爲に、神道の他崇拝をならざるを民に扇動せしむる物部一族は討って取られたり。と、世評を制へ、自ら向原寺に百済聖明王の献せず一光三尊佛を佛事法要を挙げて衆の信を得たり。

上宮太子の三寶歸依は十七條の誓文に弘布され、倭に佛寺のかしこに成れり。是、佛法の起りなりける。

十、

物部氏の多く羽州に落北し、神道を弘めんと欲するも、丑寅の地にては荒覇吐神の神を他に信仰を攺む者なく、物部氏は密かに倭神を祀る他居住もまゝならざるに、鑛神として社をなせり。然るに心に倭神信仰廢せざるに、遂にしてその社を衆に打壊され、羽後に入りて忍住せりと曰ふ。

固き心にして倭神崇むも、子孫に至りて郷に入らばや郷に習ひて、流石物部氏も荒覇吐神に信仰をかたむけたりと曰ふ。

十一、

学に長じ、世に名を爲すに至れる者は、己れ自から己れを過信し、他の道理ある者を排斥せんとし、その書巻に執拗なまでも悪評して、己れ独裁の主唱を通せんとす。その手段に於いて、爲せる行爲や彼の祖先、本人のいはれなき悪評を木版にして、四衆の心に己れを讃じ、彼の悪評をなせる耳ならず、その妻子、親友、親戚に至るまでその愚に突きて、己れは己れの造りし凶刃に死すありぬ。学閥は是くして他学を葬むり、独裁になる者の学書なれば、後世にやがて露見し、露も残るなく排斥さる憂あるを覚つべし。

学びの道は清く正しく、不動なる信念に遺すは文学道なり。歴史の事は猶更に、一字一行にもあやまらず、私考を加へず、一説猶二説、他異の説ありとも、己れに判断をして除くべからざるものなり。亦、己れに餘る学の科を他書より得て自著とせるも、盗罪行爲なり。己れ若し役人なる職權を楯に、学者制圧しその著書を奪取し、己が名に於て世に出だす行爲は、詐欺の行爲にして、無賴漢たる素質にして、学を論ずる資格に非らざるなり。語部録に能く学ぶべし。

十二、

新井白石の讀史論及び西洋紀聞、石田梅岩の心学書、青木昆陽の蕃薯考、杉田玄白の解體新書、平賀源内のエレキテル学、林子平の海国兵談、本居宣長の古事記傳、間宮林藏の赤蝦夷記、瀧澤馬琴の南總里見八犬傳、塙保己一の群書類從、伊能忠敬の大日本沿海舆地全、賴山陽の日本外史、渡辺華山の愼機論、高野長英の戊戌夢物語。右は世に出でしもの、出でざるものありき。その作者中、獄に捕はるる者ありて、世襲の学問への法度たるや、是の如く圧せられたり。依て吾が丑寅日本史書一萬三千餘巻は永代に密とし、世襲に至れば、歴史の眞實、日本国の太古代大王の歴々、一萬年前乃至百萬年に溯りて覚り得ん。丑寅日本国こそ大王肇国之国たるを證す語部録あり。倭の大王、天皇記及び国記ありて古事記、日本書紀と異なりぬ。

十三、

世に眞實を遺したる史書はなかりき。眞實は僞造の作者に障りあり、是く作りなさしむる權者にも障りあり、それを露見せる史實の證は抹消せんと謀り、手段を用ひて葬らんとす。系図、家傳、戦記になるは千に三つ、萬に一つの眞に無く、美文、達筆に遺せども實に照らしてはまさに空なり。されば是く僞に造り、祖先を飾りて何事の德ありや。眞に祖先の悦びあらんや。愚考なり。

人間をして大王と相成りきも、その位に足らず、猶神たるの宣にありきは、神を怖れざる冒瀆にして必ず神の報復あらんや、夢々疑ふ勿れ。

十四、

世に泰平程の安心立命はなかりけり。人對して和解ありければ、戦起らず。對して和睦あれば、相互に進歩し、交易あれば、国益す。人と曰ふ字の如く、独断独裁は平等を破る侵魔の行爲にして、民族挙げ乱起りぬ。相寄り相集ふるこそ和睦ありぬべし。理想たるは、平等に利權を重んじ相互の理解を崩さず、己が勝手たるはなけるこそよけれ。人類は皆兄弟姉妹にして、境を造らず、その往来に人の妨げなければ、天なる神、地なる神、水の一切なる神は全能の力を以て衆を救済仕る也。平等に導化せんは、本来なる神への法則にして、成れる天地水の化に依りて、萬物は神の母胎に、神の種を得て産れたるものなればなり。陰陽は生死なり。過却と未来なり。雌と雄なり。明と暗なり。苦惱と安養なり。悲しみと悦びなり。

神を信仰し信仰せざるも心なり。唯己耳を願ふるも信仰に非らず、我慾なり。信仰とは無我の境地に吾れを置き、無常のなかに眞理を得るが信仰大要たるの求道なり。何事にも心を轉ぜず、唯一心不動にして神の稱名を唱へよ。アラハバキイシカホノリガコカムイ、是れ一念乃至多念に、唯一向に唱へ神を稱名せよ。

十五、

地殻の表に戦無ければ、人の權謀また暗に画策す。世の乱の兆は、国を司どる大王の決断にあやまりては必ず兵挙あり。巻添ふ民また多く死す。戦長じては盗み強奪常にして、染血と屍に山川はなまぐさく、孤児は屍にすがりて泣く。鳴々として死骸をついばむ鴉の群、まさに娑婆の生き地獄そのものなり。馬の死肉を喰ひ、野草を噛み、泥水にて炊く戦陣飯もありてこそ事なきも、飢えては人心、畜生道、餓鬼道さながら、民家に押入り女人を犯し保糧を奪ふなり。かゝる倭兵の常なれば、わが丑寅の安倍一族にして戦に會ふては、先づ以て老人、女、童らを安住地に移しめ、民家に一人の居住者残さゞるを一義とせり。死して護国の鬼などと曰ふは倭人なりて、その作説物語りぞ多し。

吾が丑寅の兵は散兵にして、敵の急を突き、神出鬼没の奇襲を以て戦法と爲せり。

十六、

抑々家貧しゆうして世に生れ、学を欲せども叶はず、幼少より勞々のみ心身にいとま非らず。家に盡しきは、たがための生涯ぞ。親は逝き弟妹は外に離れ、吾れに遺るは朽にし古家、そして吾が身の老なり。若身に復せず、何事の望みも今吾れに叶はざるとぞ、獨り荒覇吐神の祀れる社に心無く参拝し、家路に歸りき途中に、白髪の老人と出合ふたり。

もとより、吾れ未だ知る由もなかりき老人にして通り過ぎ、肩に聲あり。浂憂ふる勿れ、神は浂の身心に在り。と聞くや、彼の老人その姿なかりけり。されば彼の老人ぞ、神の化身なるかや、獨り見し幻しか否やと心惑ひて、妻子にも告げず日を越しければ、いつとなく吾が心に空なる事なく憂は消ゆまゝ、いつしかまた社に詣で、三禮四拍一禮の荒覇吐神社の通例なる参拝に了りて歸なんとき、虚空に聲ありて曰す。

浂は神に願なし、常にして願無く、唯一向に神に祈りこそあれ、無心なり。多衆の中に願を心せざる、浂が一人なり。依て浂に是を授くなり、能く保つべし。とぞ聞き、吾れあたりを問えども影も無く、足もとに紫に光れる石のあるを拾うて、家中の神棚に安置せり。不可思儀なるは、此の日より創まりぬ。

吾が身は既に六十を過ぎ七十に迫りなんにも、日々の暮しに雨の降るが如く難題起るる多くも、衆の救ひあり。また、衆のいわれなき難にも蒙りぬ。更に今の生涯に至れども病なき身に、病の起りき兆あり。遂にして病床に永らひたり。誰れも吾れを死に免がれざるとて想ひきに、吾れは夢にいでこし先の白髪なる老人と語らむを得たり。

白髪の老人曰く。吾れは荒覇吐神なり。浂が病の治るは、いと易し。かねて浂に遣したる紫石あり。彼の石を、清水にて器に一刻漬けにして飲むべし。浂の病たちどころに全治せん。是の如く覚ひて夢去りぬ。

吾れ速に彼の紫石を神棚より降し、器に入れ清水をそゝぎて一刻の後に是を飲みては、何事の味ぞなけれども、心持なるかや、病の事は遂知らず立歩くに至りぬ。爾来、吾獨りに非らずと、村々の衆に病に床す者を救ひり。

多賀城 河原宗次郎日記より

十七、

津軽の中山に坪毛山あり、石塔山と連峯せり。古代より此の山に祀る神ありて、荒覇吐神社と曰ひり。山、高からねども深山にして幽湲たり。あすなろ全山に繁り、外浜の昇霧、此の山にかゝれり。太古より、ひば林の適生にして中山連峯の大森林を今に遺す。

此の山にては津軽三千坊の内、中山千坊、十三千坊と梵珠山より龍飛に續く靈場あり。太古にては奥内、孫内、鹿内、相内、横内、三内、乳内、尾別、今別などの古代邑跡あり。丑寅日本史の要を爲せり。荒覇吐神社各處にありけるを藩政時代に多く倭神に攺めて、上に犬尾の史と攺めたる多し。

寺跡また大寺あり。大光院、梵場寺、正覚堂、飛鳥寺、極星寺、法喜堂、西方院、阿吽寺、龍興寺、長谷寺、三井寺、春品寺、禪林寺、壇臨寺、ハライソ寺らありて、今に寺閣の遺るはなかりける。唯、神佛混合にして信者の信仰の絶えざるは、石塔山荒覇吐神社別閣堂たる小角堂たり。東院と西院あり、その境内今に護らるゝなり。修験道と曰はれる元祖役小角墓ありて貴重たり。

十八、

和田神職官の
一は、宗家和田左馬之介五郎宗盛なり。秋田川辺郡の和田城柵之城主、朝夷三郎義秀之系なり。
二は、東日流中里城の五輪神社神職和田采女之介宮澤太夫なり。
三は、東日流大里藤巻に稲荷神社をなりませる和田勝太夫なり。
何れも祖を系ずる一族にして、天正二年に各處に住居せり。

宗家なるは、中山の石塔山荒覇吐神社を預りて、その秘を今に護りて今日に至りぬ。此の境内は一里四方にして、安東一族の根元たり。嘉吉の年、和田一族に預け、永代守護を命じたるは安倍太郎盛季なり。爾来古なる傳統のまゝにして現に至りぬ。現は、和田壱岐守吉次なり。

十九、

石塔山荒覇吐神社は西ノ宮、東ノ宮、中の廟とて石塔澤を挾みてなりませり。太古に習ひて掘建に建つる神社たり。廟に存在せる安東一族の墓、數ふは八十陵に及ぶなり。盗掘あり、墓崩さる多くも、秘洞は安全たり。常に深山靈谷の感、神秘たり。

ならびて役小角の墓あり。修験の密行道場たり。然るに山瀧、自然に崩逝きて今はその用をなさざるなりと曰ふ。

廿、

飯詰村は羽州と東日流の二邑ありぬ。天正十六年に移りき民の作りきは羽州飯詰邑なり。高楯城ありて、天正十六年に大浦軍に攻め落されし、安東氏以来の古築城たり。正平の頃、藤原朝臣萬里小路藤房、安東氏より賜りて、子息景房以来十三代たり。

和田末吉 印

北鑑 六十巻付書 追補之書巻

注言
此の書は他見無用、門外不出とせよ。亦、一書たりとも失ふことあるべからず。

寛政五年六月一日   秋田孝季

一、

丑寅の日本国は住民自立の国肇と大王選抜の国土たり。いわれなき倭人の曰ふ夷の国とは實史に相違し、まさに化外の地、まつろはぬ蝦夷とて倭史に作爲せしは、忿怒やるかたもなき行爲なり。丑寅日本国とは倭史に曰ふよりはるかに紀元を溯りて歴史あるを知るべし。人祖の初めて居住せしは、十五萬年乃至三十萬年に溯りぬと曰ふ。

山靼の国より、始祖人、永凍の海を渡り、本州の北端に来たるは、語部録に是の如く記し遺りぬ。人は智を得てより、凡そ百萬年にして世界に渉れりと曰ふ。歴史の要は是の如きより創むるを以て綴るこそよけれ。歴史の上を神の世にぞ、造るは歴史に非らず、造話作説なり。

二、

東日流語部録は、丑寅日本国を實證せる古事一切の記録なり。文字七種に依りて成れる此の記録は、諸々の彈圧を避けて遺したるる手段なり。山靼より渡来せる、漢字をはるかに越えたる五千年前の文字なり。古代シュメール、ギリシア、シキタイ、モンゴルの古文字にて成れるは、七種文字に集成さる語部文字なり。その古代文字にて永代に用ひらるゝは南部暦なり。古語のまゝに語るは語部史なり。古事そのまゝに歴史を遺すは語部録にして、七種にして記行せるは、語部の他に非らざるなり。その目録は左の如し。

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是の如き七種なるは、語部録こそ古證なり。

三、

天然を壊侵し、神を人心に造るは神への反逆なり。神の眞たるは、天然にして、萬有せる總てなりせば、その因果は、無にして有なり。宇宙の創は無にして因起り、諸々の物質因を造り、それより萬有成果ならしめたる宇宙の誕生たり。因ありて果あり。依て、生と死ありぬ。天竺にアルヤ民あり。シュードラ、ラマヤーナを説きたる古代外道に遺る古典こそ、萬論の叶はざる眞理たり。

古代シュメールのカルデア民の宇宙の思考、叙事詩グデア王、及びギルガメシュ王の遺せし神なるはアラ、ハバキ、ルガル神の哲理、ギリシアなる神傳、カオスよりゼウス神に至るオリンポス山十二神、エジプトなる代々ファラオの叙事詩に遺る神々の哲理は、何れも宇宙に根源せり。

吾が丑寅日本国の国神と定むる荒覇吐神も、かゝる西域山靼の渡来になる諸神の哲理に選抜ならしめて成れる神の信仰たり。もとより丑寅日本国の人祖より、天の一切、大地の一切、水の一切を神聖とせし、イシカ、ホノリ、ガコのカムイに是を加味して成れるは荒覇吐神なり。

宇宙の運行を知り、日輪に軌道せる黄道と赤道にかゝはるゝ暦を知るも、信仰の因と果にて知れり。無に因起り、物質を遺しぬ。その物質に果起りて、萬有の化生を成らしめて、生と死を轉生せしめ、生滅を以て永代に生命を遺しぬ。依て、老骸を脱皮と稱し、新生に甦えるは死に到りて、新生に叶ふと曰ふなり。死とは、怖れまた諦と想ふるは、悟なき愚考にして、己が不死不滅なる魂のあるを知るべし。人は世に生れ、育ちて諸行を学び、男女をして子孫を遺すを人生とし、やがて老いて逝く運命とす。是れ、萬有の生命にあるもの皆同じなり。

宇宙の誕生より、因と果に化科の進展に類を多生す。宇宙の誕生より星々にも生死あり。明暗をくりかえしぬ。星は暗黑より生れ、明星に輝きて誕生す。そして燃え盡きては、各々星を數を増し擴げてやまずと曰ふ。吾らは日輪と曰ふ恒星の重軌道を週施せる惑星地球と曰ふ一星の生物なり。その生物に萬有あり。これぞまた宇宙の法則に基きて、生命は生死に轉生せり。死と生は再甦の新生に欠くるなく、生は死より生じ、死は生ありて死に入る甦えりなり。

古来、因と果に解く外道の哲理は、その古代に於て天竺アーリヤ族、古代シュメールなるカルデア族にて、宇宙の化科に幻想せるは、まさにその哲理に實たり。シュードラ、ラマヤーナ、アラハバキ、ルガルの叙事詩ぞ諸信仰に入れざるは、その哲理に解難が故なり。依て外道とは、信仰の理に反するとて、因と果になる哲理を足ざまに外道とて、求道の外たるの義に放ぜられたり。然るに、世の進むにつれ外道こそ眞理にありぬ。

四、

萬有の生物は、生々保持の爲めに、他生の生命體を喰ふなり。依て、生命にあるものぞ護りに進化せり。空に飛ぶもの、水に泳ぐもの、陸に走るもの、地に潜る者、多採に類を異にして子孫を遺し来たるなり。目に見えざるが如き微細なる生物、水の如き生物、みなながら進化の過程なる現代生物なり。

魂なきと見ゆ生物とて、その生魂なきはなく、生々護身の安しきなく生々す。人は諸生物のなかに智能を進化し、難なく他生を餌喰とせるも、日夜にして殺生食の供養心を心せでは、轉生障りとならん。能く心とすべきは、己心にして、善道謀れず信仰の不断なるに心得べきなり。

抑々、神は無上シャンバラを説き、亦、苦惱無限のラマヤーナのカルマをすと曰ふ。即ち、光りも水も、神のものなれば、久しく萬有のものに与へ、与はざるなく平等たり。祈りの求道は、人師、論師のものならず、神の法則にして、人をして神通に達するはなかりき。生死をして巧辨に神を説き、信者を掌握せども、全ては信者の施しにて、己を立つる慾望たり。神は人の物質及び財の施しを以て、救ひ給はずと曰ふなし。神は人の造れる一切のものに無縁たり。

神を人の形に造りき像、及び変化の像に何事靈験も起さざるなり。神とは無相なり。
求道して祈るは、天地水の一切に祈るべし。必ずや人工像に神靈あるべくは無しと心得よ。怖しきは人間なり。一生の生々に善道を悟りつも、魔障に犯され、人を殺生し、諸々の悪業に智能をめぐらし、大いなる衆生を奈落に導くありぬ。神はかゝる僞善を赦し給ふなかりき。如何なる神殿を造りて神を祀るも、神をして何事の救済に遇するなし。

人の大王たるものにても、不老不死は生々に叶ふなかりきなり。吾が丑寅日本国にては、天地水をして神とし、衣食住の一切を天地水よりの惠とて、日日の行に祈りぬ。祈文は聲に稱へて曰く。

オーシンバラアラハバキルガルカムイ、オーオショロイシカホノリガコカムイ、オーホホーブルハンカムイ
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是の稱ふ他行事多きなり。

五、

凡そ信仰の源は、古代より神と曰ふ人の心に求道を自から救済、天に地に水に、大自然の天変地異に起る、死との背合せなる驚怖に祈りたるより創りぬ。生れて生々の間に起る突如の変は、旱魃、洪水、津浪、地震、噴火、大風、火事、諸々の異変に、人は神の怒りとて鎭め祈りきより創りぬ。更に人の住殖多きに至りては、飢餓の怖れあり、幸を求め新天地に移りぬ。

天なる一切神イシカ、地なる一切神ホノリ、水なる一切神ガコ、このカムイに山靼より渡来せるアラハバキ神と併せて、日本国神とせるは、古代の先住民一統の神と相成りぬ。糠部なる奈架井、卒止浜なる大浜、上磯なる神威丘に大王のハララヤありきと曰ふも、八千年前乃至五千年に溯る歴史ありと曰ふ。

六、

西王母、東王父のシャンバラの世界、天竺アールヤ民のシュードラ、ラマヤーナの世界、吾が国の神なる荒覇吐神の信仰の世界の他、モンゴル、シキタイ、支那、天竺、シュメール、エジプト、エスラエル、ギリシアなど世界諸国の信仰世界ぞ、人々の幻想世界にて、心の安らぎと立命に求めたる信仰世界なり。丑寅日本国の民族に於る古代信仰に溯りては、イシカホノリガコカムイあり。天地水一切を神格し、信仰とせるありき。これをイヨマンテまたは、エジョジョとも曰ふ古代語に遺りぬ。マンテヌササンとて六本の大柱、掘立三階に神殿を作りて、各階にヌササンせり。上階にイシカ、中階にホノリ、下階にガコの三神をヌササンし、立位良き等高の立木ありては、それに施殿せるもありきと曰ふ。天に近きは山上にして、水に近きは海なり。天空の雲より地に降りなす雨は、湲流となり海にそゝぐは、水はもとより平等にして大地の高底を濕し、萬有の生物生々す。天高く光明相渡り、雨降る故に陸地潤ほしぬ。古人は是を神なる神通力として怖れ敬ひたり。

自然は總て神なる掌中に在りとて、その神への信仰を發し、信仰を以て神に諸難の被らざるを祈るは信仰の創めなり。その信仰も代々に変りきは嘆かはしき。

七、

延元戊寅年、兼て山靼の宇契殿に願ひきギリシアの宇宙石、萬里の道を旅して渡り来ぬ。尺玉に造れきオリンポス山頂の石にて造られき珠神石なり。是を東日流石塔山の神として安置せり。是れを丑寅日本の魂石とて、今に傳へ遺りて、石玉の表面模様にては、天然に造らる大宇宙誕生の瞬間図なりと曰ふ。

大空間の暗を大光熱の曠爆せる一瞬時なりと曰ふ説影に示せる模石なり。宇宙を重んずるは、荒覇吐神の信仰に不可欠なる故なり。

八、

ブルハン神とはモンゴルの大湖の神、河の神なり。依て、その神像は鯰に造りて乗像せり。ブリヤート民、シキタイ民の埋葬に用ゆる棺は鯰型に遺骸を納棺す。埋葬に馬をも添葬して、その埋所を明さず、馬蹄に踏みなして自然とす。死しては常世国に赴くとして、永代に墓参せるはなかりけり。たとひ王たる陵とて是の如し。馬を添葬せるは、常世の国より此の世に往来せる生死のしるべを、馬にて往来すと曰ふなり。馬を添葬せるは、シキタイ民、モンゴル民、ブルハン神を信仰せる諸族なり。馬より馬乳酒及び亘茶を入れなして呑むを常とせる民の信仰の故なり。ゲル、パオを住家とし、大草原を草を求む民の古習たりぬ。

九、

北の渡島、千島、樺太の諸領に何事の智識なき倭国の膽を震はせるは、北方に大いなる蝦夷あり。若し征夷、東日流、閉伊の地に入らば、その蝦夷大いに挙しその數幾百萬騎、倭軍の征戦是を防ぐこと百戦に一戦も勝算なしとて、秋田高清水、陸奥の膽澤より北侵のなきは久しけり。

安倍一族、厨川柵に敗れきも、安倍厨川太夫貞任の次男高星丸、東日流に再興し、安東一族とて君臨せり。爾来、安東一族、宇曽利、東日流、上磯、外浜、都母、渡島、閉伊、荷薩體、火内、鹿角に至る子孫分布に至りぬ。都度なる征夷の侵略戦にても、此の地に侵領せざるは、是の如き怖れの故なりと曰ふは、彼の坂上田村麻呂とて、北秋田、下閉伊より北に征夷のなかるべし。

十、

佛法に解脱と曰ふあり。諸々のカルマより脱して成道せるを曰ふなり。悟りに達して佛陀となるは、諸々の苦行に依って成れるとは、釋迦牟尼の他に非らずと曰ふも、その成道たるは、外道の因と果に依れる哲理に當つれば、その成道は世の進歩につれては廢悟に盡きると曰ふ。如何なる人師にても眞理に達するはなく、愚論の一端と曰ふなり。

佛道に在る者、外道の因と果なる化科の哲理には論に叶はず、かるが故に外道とそしりぬ。外道にありてこそ、佛陀を先に因果の理りを解きたる正論あり。釋迦牟尼とて是れに被論せりと曰ふなり。

諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅爲樂とは、釋迦牟尼の四苦諦解脱なるも、外道に曰はしむれば、是を救済とせず、亦、解脱の要とならずとも曰ふなり。外道に曰ふ解脱とは、心身を天命に安じ、生々のうちは常にして来世に、今生より化科に進みて生れ来る化身の行に、神の因明、果明に求究せる眞理に尚求道して、常に安心立命に至らんと解きぬ。

十一、

東日流語部録に曰く、カムイノミの事。

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十二、

神佛の信仰をして、その導師に依りて、信徒に於て各々区を分つ、求道にも支派枝葉す。佛の教に用ひてあたら信徒を散財施収をなせる導師は、魔道にて何事の救済、悟道、解脱あるべからず。信仰ぞ、邪道に堕ゆ耳なり。信仰は説き方にて正は邪と背合すなり。あたら迷信をして、衆の心を掴みて邪鬼魔道に導く導師こそ、世を乱し、人を惑はしむる破戒の先達たり。依て、かくある導師を離るべし。

十三、

陸奥の古代なる灯の油は、魚油多し。依て、浜添へにその油造り多く、塩屋と倶に富みたり。油に秋田の地湧油、陸奥の魚油は諸邑の灯りとなりぬ。菜種油は後世にして、古代にては魚油にて灯とし、灯皿は帆立貝を用ひたり。

十四、

歴史の事を次順に記逑せんに、丑寅日本国の肇むる處は、東日流に發祥せるなり。その證たるは、信信の遺跡にして知るべくありぬ。石を圓に連らね、神のヌササンとせる古代に創りぬ。芯石を北極に向けて建立せるイシカを中心に、二重に列石をホノリとし、三重になるをガコと曰ふ。この列石をして、神の信仰に用ゆるヌササンの創とし、次には石塔を建立せるをホノリとて二重の位地に在りぬ。外の輪になるをガコとして、是をホノリナイカムイとて、山の澤辺に築く多きなり。

此の頃、神像なく、ただ天然を神とせる信仰たり。神格になるは、天なる一切、地なる一切、水なる一切なり。天には阿僧祇の星、地には萬有の生物、水には生命を生みなす萬有の流轉を、神なる法則にあり、とせる信仰の要たり。

アラハバキカムイとは、此の三神を一身に修成なして、渡来の歸化民にて併せたる神格たり。依て、是を次順に攺め、国神とし、信仰も亦、一總して成れる古代シュメールの神なりと、語部録に曰ふ神々の事にては、

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 と傳ふなり。

吾らが人祖、何れも山靼渡来民族にして、代々久しきに相渡り来たり、都度に神格も條成し来たりぬ。なかんずくアラハバキ神社の各處に遺りきもありけるは、坂東、武藏国に多し。また大江戸城の城神たりしも、太田道觀の信仰深きに依れるものなり。亦、近畿の地にも古代のまゝに祀りきあり。多賀城、城神もあらはばきなり。

十五、奥旅歌集 全

坂東を白河に越し、東山道を丑寅に歸り、旅に四方にみとれて、

〽山吹きの 四方に盛るゝ 逝く春を
  散るを見ずして 櫻追ふ族

〽あぶくまの 丑寅流る 舟旅は
  いつしか至る 岩沼の宿

亘理より名取を越して、多賀城に、古跡をめぐり、古き神祀るあらはばき神社に詣じて、心のまゝに、

〽蟬の鳴く 木立つの道に 苔踏みて
  太古のねぶる あらはゞき杜り

旅にあけくれ松島にたどりては、幽かに鼻突く磯香に、はや目にうずる海の景、島々の松に感ずるまゝ、

〽松島の 聞きにしよりも なほなほと
  見とれるまゝに 日は暮れにけり

石巻より登米に赴りて、日高見川を添ふて平泉に至り、往古の戦場跡を巡りて聞こしめして、

〽藤原の 上なる安倍の 衣川
  遺るものなく かげろうふ燃ゆる

前九年の役、後三年の役、平泉の乱に、枯れ果てたる奥州の夢跡は、たゞ一棟平泉に遺る光堂の、みやびも色あせて、榮枯の跡をたゞ愢ぶらん。

〽さみだれの 降りしき音に 平泉
  往古に秘めて 金堂朽ちぬ

寛政三年五月   孝季

十六、

同じける道に学び、その導師に依りて聖教も異に邪教なるありぬ。その道は武門にあれ、信仰にあれ、国を司る權にあれ、異にせるありぬ。大勢を得て民の信を掌中にせるも、永續に叶はざれば民は反きぬ。武威なきものは、武威の袖中に入りて、自保に正道を曲折せるあり。信仰も迷ひば近遠に非らず、萬離の固きを隔つなり。

正法は水平の如く左右平等の天秤の如くあれども、羽毛と鉄球を平等に計るは難しきも、平等とし計るは、權力にして、世はまさに非理法權天の無則にまかり通じむと、世襲はならんに、ただその底に苦しむは民衆なり。身を賎に生れしも時運に乗じて、人の心に僞善し、自からを聖者とせしもあり、是れに反するものを破戒者とて誅せんもの僞善聖者は、神の罰に、その再来に甦りなき報復を受けん。人に生じ、己が心のまゝに人の聖者となり、猶以て、神と自稱し、信徒の衆を身の楯と、なべて世の世襲に塵の如く殉ぜしむ、王の己心に、幾多の人命ぞ失ふる過却の戦にも、敗しては神なる奇蹟の起りきはなく、なべて無常の甦りもなき木阿弥たり。

人は神と聖者と過却より一人たりとて、世に存在なし、然るに生死は絶ゆなく存續し、進化に抜きて萬有ありぬ。やがては人の亡ぶる世の来りき天変地異に、神の断に決せば、ノアの箱舟もどき旧約聖書の如きも、なけれども、宇宙の奇変のなきにしも非らざるなり。信仰は神への冒瀆を赦さず。

十七、

奥州に秘らる往事の事は、歴史の深層に在りて實在す。如何なる世襲にその往古を抹消せんと、史證を消滅せんに、水を斬るが如く、斬目分なかりき如く、いつか世への再起に土眠せり。世にある事の實證は、如何なるを仕掛るにも、生滅せる事ぞなかりき。

荒覇吐神の古代よりの信仰ぞ、今にして遺りきは、まさにその證なり。世襲にて佛法また、倭の神道に圧せらるゝとも、吾等丑寅日本国の一統信仰の根元こそは久遠に根絶せるは難く、あくまでこれを處断に行爲を續くれば、国、亡びぬ因となるらん。

荒覇吐神は奥州耳なる神にあらず、世界神祖なり。人を睦み、爭ふる留むる、人命を尊重せる聖法ぞ、他教にあるまずや。

十八、

此の巻は、第六十巻の追補なり。秋田孝季殿の遺せしに、いさゝか近代の史證を加へたるも、原巻の基を欠くるなかりき。多くは、東日流語部録の後解明なるを加へたり。依て、是を筆加へし仁を記し置きぬ。

以上

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku