日本北鑑 全

戒言
此之書は門外不出、他見無用とすべし。右の條、能く心得可、書如件。

明治四十二年八月日   和田末吉

序章

本巻の要は日本史と曰ふ通史に除かれたる丑寅日本国史を記逑せるものなり。依て、皇国を以て史觀とせる史学者にては、相入れざるの項目ぞ多し。然し乍ら実相一にして二のあるべからざるなり。抑々、坂東より丑寅にある国は、もとよりの日本国なりせば、倭史に從ぜる史談ぞ異なるなり。茲に本巻の要目以て讀つるべし。

寛政五年八月二日   和田長三郎

陸羽地史抄 一、

丑寅日本国土に於る古史にありては、征夷の的に置かるまま、倭史に造作されきを優実とせる故に、その遺史を除かるる永きに渡りて消滅せる多し。茲に、陸羽の史を諸地の古翁を訪ねて記逑せるは本記の基となせり。

先づ以て陸羽なる古史を審して、倭史に優先せる多くは、蝦夷たるの民族を異にせむ因源に存せり。古来より陸羽の地にては、倭より先なる王政ありきを知る人ぞ無きは、倭人の奸計なり。古代なるは、人造り、国造り、の順にて、武威を次順とせり。神を天然とし、自然とせるを信仰の要とし、天と地と水を以て、神なる相とせり。即ち、是を荒覇吐神と稱せり。

世は宇宙なる天界、地なるわれらの大地、一雫の雨から成れる大洋や湖沼亦、湲流や大河に至る水の一切は、萬物の生命を生むる神の靈相とて崇拝せし、古代信仰に、何事の迷信もなかりき。かかる信仰の根源にあるべくは、山靼及び紅毛人国なるギリシア、シュメイル、エジプトらの古代神に修成さると曰ふ。宇宙を説けるギリシア神カオス、生死轉生を説くエジプト神、水の一切神とせるシュメイル神のルガルや山靼の神ブルハン、何れも古代人の此の国に持得たる神信仰なり。

荒覇吐神は白山神、水神、日神、と陸羽の地にては、代々にして異なせるも、荒覇吐神なる意趣に異るは無きなり。紅毛人国の進みたる古代オリエントの神々にも多くや、吾国の信仰の添はざりきを除き、意趣にあるべくを入れたるを以て、荒覇吐神と修成せり。

古きにては天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコ、の三神たりしを、山靼及び紅毛人国の古代神を入れて修理固成せり。古き世より人は宇宙の神秘、大地の惠怖、水の不可欠なるを神と崇拝し、迷信を造らず、生命の尊重を以て萬物と相調和を暮しの常とせり。

神の怒りを天地水に現ぜる旱魃や大風雨、亦、洪水や津浪、地震や噴火、土石津浪や流行疫、凶作や餓死のさまぞ、天然、自然、の神怒として崇拝せるが信仰の創りなり。

代々にして人は神を造り、造像し、權にある者は自からを活神せるあり、誠に以て神への冐瀆をなせり。神とは人の造れるに非らざるものにして、天地水の運行、宇宙の運行、に如何なる人智にも叶はざるものなり。

宇宙の創りとは時空もなき無の一点よりカオスの爆火にて成れるものと、古代ギリシア神に説けり。神とは何事の原理もなき特異なる一点、カオスの宇宙誕生より、人心は是を察悟せるのみなり。是の如く神をして天然、自然、をして神格とせるは、唯一の神、荒覇吐神、耳なり。依て、諸造なる神に惑ふ勿れ。

寛政七年八月廿日  石塔山大山祇神社 和田長三郎

陸羽地史抄 二、

丑寅日本国領は都母にして中央なり。
外浜の押寄せる玄武の波風に往交ふ白鳥の巢だく山靼の国こそ、吾等が祖先の渡り来たる故祖なる国なり。人の創より地位も変り、風土の候も亦、変りぬ。人はその変異に伴へて、衣食住適用なし歴史を渉りぬ。

なかんずく陸羽の風土に遺りき諸風習に古きを愢ばしむ多し。採鑛に祭れる鬼神信仰行事、祖靈を迎へ送る大灯行事、豊年を祈りき虫送り行事、祖勇を愢ぶる山車行事、古事来歴を次世に告ぐる語部、宇宙を想究せる星祭り、地郷に依りて、いささか異にせるとも、みなながら祖来に架くる名残りなり。

神樂を以て傳ふ古傳あり、陸羽に遺りき數々の諸行事に祖傳の歴史を秘て遺りきを悟るべきなり。抑々、倭史に僞せて丑寅日本史を造る勿れ。

此の国は基より日本国なり。倭史を引用し、丑寅日本国の国史とせば、敵侵の作説に乗ぜらる外あらざるなり。丑寅日本国史は語部を以て記印せる傳授ありて、いささかも相違なく遺りたり。

紅毛人国のラテン及びゲルマンの史に至る山靼史と倶に陸羽史は地史に遺れり。
連語と曰ふ二人語部に依る古傳あり。

〽さても、此の世のできたるは、億兆萬年のそのむかし、針の先よりまだこまか、それより生れた火の玉は、無限の宇宙に爆裂し、光りと熱にて生れたる火の玉は、暗闇むなかに次々と、宇宙に漂ふ塵をして、星となりける親星子星孫星と、宇宙を擴げて生れたり生れたり。さてさて吾らに見ゆる日輪も、吾等が住むる大地とて、他星より見ゆれば星なるぞ星なるぞ、さてさてさてさて、摩訶不可思儀やな、星は宙に浮き、赤き星は老星、青き星は若星と曰ふ、吾等が住むる此の星は、日輪と倶に生れたる生れたる、地星とぞ曰ふならく、月輪も地星を廻る小星なり、月輪の満欠は、地星の影になる故と、地界も月界も、大日輪を廻るる星なれば、宇宙にて見ゆれば、大と想へき此の界も、夜空に見ゆむ星塵のひとつなり、さてさてさてさて此の界は、日輪の光熱に程良きて、水保つが故に萬物生れ、そのなかに生れし吾等人間なり、かくも智にある人間を、海に生きたる生物ぞ、選びて陸に住はしめたるは、ありがたやありがたや、荒覇吐神の全能なる神通力に、依れるものなれば、人は是をおろがみて、あらはばきいしかほのりがこかむいとぞ、となへ申して朝夕に、天に仰ぎ地に伏して、水に五體を清めて、おろがみぬおろがみぬ。

以上は語部の連語の一説なり。

寛政五年八月廿日  飽田日和山之住人 秋田孝季

陸羽地史抄 三、

能登の鬼太鼓、秋田男鹿のなまはげ、他、鬼を以て行事とせるは、坂東、越、丑寅陸羽に多し。鬼とは紅毛人及びその国の神々をさして想定されしものなり。古来より坂東より西は鬼を悪とし、東北は神とせり。

丑寅の鬼相は、春夏秋冬に應じて青赤黑白の色彩とせり。蛇神は金銀緑黑なり。神像は本来にして無けるも、土燒の神像を女子達に造らるより、諸地に流布されし像遺りぬ。亦、神の多くなりきも然りなり。何れもゴミソ、オシラ、イタコらの想定に依れるものなり。

日の神、星の神、月の神、風の神、水の神、木の神、鳥の神、獣の神、虫の神、魚の神、火の神、他に數百になる神々が想定されきも、近代になる多し。

語部に曰く。さてもいやはや天然自然を神とせること巷に流行ぬ。神を人型に造りきは、祖来禁ぜらるも、山靼人渡来して神造り、地の女子ら是を土を練りて燒造れり。爾来、是くなりきたりと曰ふ。土にて器を造りき世なれば、古き世の女子ら是の如く名工たり。

とかく丑寅の土器にては、山靼、黑龍江河畔土器より流鬼国に渡り、渡島に渡りて、地色技たり。

寛政五年八月廿日   和田長三郎

日本北鑑 一、

夫日本国在丑寅日辺自坂東丑寅方国號也。倭国境西自糸魚川東至安倍川以北也。至玄武在渡島千島流鬼国神威茶塚国是皆日本国領也。依日本国中央爲東日流外浜之都母民族五種也。山丹族渡島族阿曽辺族津保化族麁族等古住民也。太古山丹武流波无民祖也。此国人渉十萬年乃至十五萬年前也。於祖国狩獵民是紋吾露夷土民古稱人祖自猿人頃彼大国於各處毛犀毛象剣牙虎大角牛大角鹿寒苔鹿等狩猟太古民也。在民主西紅毛国征領凡三十萬前領域天順起異変吹黄土嵐鳥獸新天地離故地移動追狩猟渡来吾国民祖也。既在信仰全能唯一神天地水爲大自然神爾来山海之幸惠住爲子孫住分渉西南倭国南海道山陽山陰築紫薩陽流球各々造国立君以爲国主其国數以東西五百餘国也。

世々起民爭国壊国併国盗勢々残大滅小茲生農耕以稲作定住尚權者振民制亦海着駐攻民来往古住民追討生筑紫国凡二千五百年前薩陽日向筑紫豊国全征相成立君佐怒王也。

彼軍更企東征渡赤間海峽山陰山陽及南海道諸族併合攻倭国時倭王阿毎氏討伐遂五畿七道討平阿毎氏一族脱東国求丑寅謀再挙日辺日本国東日流落着地族阿曽辺族宇曽利族津保化族麁族熟族等併合更加支那晋民君公子一族之漂着民併合茲荒覇吐族稱號選国主茲阿毎氏安日彦王爲正王更副王爲其舍弟長髄彦王高御倉王更領中四方分倉王選四王立君東日流中山石塔山即位挙式豊爾丑寅日本国王爲繼君。

寛政五年八月廿日   秋田孝季

日本北鑑 二、

丑寅日本国王荒覇吐王代々爲永續保泰平農田開奥州一帯移高倉添日高見川至宮澤五王之分倉坂東至安倍川越象泻時大根子彦王故地奪回挙兵倭国進軍無難故地平征根子日子爲分倉王是即老天皇也。然皇子閞化天皇継君自在位荒覇吐王下離五王挙倭王獨立之爲国治信仰攺出雲筑紫之神々崇拝奉即分日本国倭国之對立也。於倭国攺荒覇吐神客神亦門客神客大明神更是廢神其社地彼之神入交鎭坐爲給荒覇吐神之神器埋土中茲天地八百萬神祀諸国創相成以倭国稱日本国丑寅日本国稱蝦夷国是崇神天皇時也。

寛政五年八月廿日   秋田孝季

日本北鑑 三、

夫れ丑寅日本国之太古に於てをや、民族之生々その歴史にかんがみて遺跡、遺物の多きは、知る程に多く、荒覇吐神を唯一なる全能神とて一統信仰に掟なせる、人の上下を造らざる攝取不捨の信仰に基きて、此の国は古代歴史を民心に遺したり。

人をして正邪を疑はざる故に倭人の自益に惑はされ、遂にして世に曰ふ前九年の役、即ち康平五年の歳を以て、亡ぼさるに至るるも、古代神精の信念をして今に潜在せるを心に甦えす可きなり。

天命は何時しか古人の史道を報はしめん。古きより西北彼方に民族發祥の歴史を信じ、その傳統を失なわず、白銀の故国に道を求むること永代に此の国を拓き創めたる十五萬年の史經を忘却すべからざるなり。

倭人は此の国を征してより蝦夷とて忌みたるは民心に潜在せる眞實の丑寅史を信念に存せる故なり。吾が国は古来より日本国と號し、倭とは異なれる国なり。

古語部に曰く。此の国は太古にして、人と成り国を創めたる主を建たる、智聖なる人心を民族に及ぼしたる向上前途の史、明らかにして拓けたる国なり。北辰に流鬼国、千島、神威津那津加の固定領を作り、海山の幸に豊かけき国たり。諸處民族の暮しを妨げるなく、平等利權を収して保てる国政を布して、貧富の差を造らざるを基本とせり。

日本国領中央を外浜辺として、五王と部の民をして国政を委ねたり。依て、是を荒覇吐五王政とて永代せり。国主の継位に選ぶるは、丑寅日本国諸處の選に定まるるなり。選者は長老にして外さず、国領東西南北一千人なる大集会にして賛否の定めに、多賛を以て確選せり。是れ、古代なる紅毛国なるギリシアアテネの国政に習ふると曰ふなり。

寛政五年八月廿日   秋田孝季

日本北鑑 四、

古来、丑寅日本国は人の渉りをブルハン神の鎭むる山靼の地を故地とせり。凡そ三十萬年乃至十五萬年前に狩追に来たる民族なり。彼の故地なるは、黄土の嵐に森林草野は冠土し、人の住むるに難境と成り、生々の鳥獣新地に移りぬあと追へて来たる、天変地異の境地となりける故地放棄の民なり。

山靼大興安嶺より黑龍の大河を流鬼国に至り渡島を経て東日流に定住せる最古なる民、是を號けて阿蘇辺族と稱す。亦、津保化族とも曰ふは地住にて號けらるなり。

彼の民の信仰にては、天なる總てをイシカカムイと崇め、宇宙の運行を神なる神通力とて崇めたり。次には、大地の一切をイシカの下になるホノリカムイと崇むるは、天然自然なるカムイの空風寒暖のもたらせるものとし、地震、噴火、大風雨、大吹雪、大旱伐、らの起るは神なる怒りとして怖れ崇めたり。次にはガコカムイなり。イシカの下になる水の一切なり。ガコカムイとは生々萬物一切の生命を保てるものとて陸の水、海の水、をして廻轉力に生々萬物の生命、世に保てるものとて崇めたり。世にある一切の萬物生命なる基は此の三神にて、人も等しく世にありきとて如何なる生命生物とて魂魄なきはなしとて、徒らに生々のものを殺生せるを禁じたり。

然るに人耳は、神の掟を破り、生々流轉に於て、世々に穢したる業報は必ず神の報復を受くとて、天に仰ぎ、地に伏し、水に穢れを洗精なしたり。是をイオマンテと曰ふ。即ち、神を祀るの意なり。依て、神なる相は天地水の一切なれば、造像せず、永く是を護持信仰せるも、女人らの信仰より神型を素燒土にて造られき。

寛政五年八月廿日   秋田孝季

日本北鑑 五、

我が丑寅の国、古来より日本国と號す。
古事より稲作を耕し、東日流稲架邑及び三輪邑、稲城邑、より陸羽に作布す。二千數百年前之事なり。丑寅日本国になる總てに歴史の底辺を心得ふは浅墓なり。

民族の先端になる開化に満たる古代の榮史を壊滅し、蝦夷と化外地とせるは、倭国の侵略にて制へたるものにて、産鑛、稲作をして倭国の先進にありける古代丑寅日本を知るべきなり。

抑々、信仰を以て迷信を造らず、人をして上下の級を造らず、生命の尊きを一義とせる人造り、国造りを要とせるは、古きより紅毛人国の化縁に依るものなりと曰ふなり。

山靼を更に越ゆるギリシア、ペルシア、シュメイル、エジプト、になれる古代史ぞ丑寅日本国の荒覇吐神信仰に遺れるを知るべし。

古代オリエントに創まれる民族信仰の要に、ギリシアになるゼウス神、アテナ女神、亦、シュメイルになるルガル神、エジプトになるラァ、アメン神、エルサレムになるエホバ神、山靼になるブルハン神、支那になる西王母、天竺になるシバァ神、らその教理を傳へし山靼渡来人をして、その哲理を学びたる素要になる多し。

永きに渉る倭侵の制にて、是の如き先進傳統を失ないたる丑寅日本国の古史ありきを知るべきなり。茲に我等が祖先になるアラハバキイシカホノリガコカムイになる古代信仰の要を忘却せざる遺傳にあるは、諸国に遺るる荒覇吐神こそ、丑寅日本国実在ありき證なり。

寛政五年八月廿一日   秋田孝季

日本北鑑 六、

語部に曰く。此の国は古来、民族をして楯をかまへず、混血自在なる国たり。山靼民族二十六種族は、紅毛人を含むるなり。陸羽にては、麁族、熟族、津保化族、宇曽利族、阿曽辺族、耶靡堆族、山靼族、をして成れるを荒覇吐族と一統せしを、倭人にして是を蝦夷と稱されたり。

丑寅日本国とは今にして国號までも倭国に奪はれ、古歴、總てをも消滅さるまま、ただ蝦夷とぞ忌むるままに遺りき。此の国こそ、太古にして人の祖たる国たるを知るべきなり。亦、紅毛人国の神々を選修して成りませる神を国神とせるは荒覇吐神なり。

人も神も種に異るを異とせざるは、古代丑寅日本国になる構想なり。例を挙ぐれば、エジプトなる古代神、アンモン神、クネブ男神、ハトル女神、オシリス神、イシス神、セラピス神、アヌピス神、ハルポクラテス神、らを以て神の系とせる如く、荒覇吐神をしてイシカ神、ホノリ神、ガコ神、とて創むる後に西王母、東王父、をして白山神、三輪神、他多稱の神を成せり。

神々の全能なる神通力を欲するは、はるかなる紅毛国に求めたるは、驚くべき丑寅日本国古代人の執念なり。山靼に神獸なるトウテツを入れて守護とせるは鬼神なり。悪なす者を喰いつくせると曰ふ信仰なり。

寛政五年 ママ廿一日   秋田孝季

日本北鑑 七、

丑寅日本国に古き神話あり。世の創めに、天地水を造れる神あり。暗冷の神、光熱の神、無限空間の神、水氷の神、時刻の神、ら五神にして、宇宙を創り、日月星を創りたり。總て世に成れるものを創りたるは、此の五神なりとて、是を號けて荒覇吐神と曰ふなり。

世成りてよりこの五神は一身となりて、日輪を造り、月を造り、星を造り、地界を造り、時を造り、空風水火明暗を宇宙に調和せしめ、地界に水を造りて萬物生命を造らしめたり。荒覇吐神は、天を司るイシカ、大地を治むるホノリ、水の一切を以て生命を造りきガコの三神を造り、北天の星となりける神は相なく、化身は常に萬能なり。

生物生命を久遠に保つが故に生死を輪廻ならしめて不滅とせり。古代丑寅日本国になる神ぞ、總じて如件。

寛政五年八月廿一日   秋田孝季

日本北鑑 終章

古くは安日彦、長髄彦、を奉じて成りませる君主国丑寅の日本史を世に消滅し、自我慾党の侵領に制へたる倭国は国號までも奪へて尚あきたらず、一千餘年の過却に今以て蝦夷とて、作説の歴史を造り、民心を僞化に度せり。世に実在せざる神話に上古を作史し、笑止千萬なる哉、神の子孫とて古話を集むる歴史の修成は、ひとつの眞にも空白に等しき。とかく神話とは、古人の理想哲理にて、歴史の眞相に遠きものなり。古代より人の渉れる世にありき事耳、歴史なり。

寛政五年八月廿一日   秋田孝季

安倍一族遺歌集

以下、何れも詠人知らず

〽咲ききそふ のもせの草も 花ありて
  春夜の一時 嵐に憂いつ

〽夜もすがら 衣の川の 瀬音聞く
  影はづかしき 関の無慙

〽ししむらの さけばん鷹は あればとも
  衣の舘は 紅蓮に消ゆる

〽丑寅に 天ぎる雲の 移ろいを
  隙行く駒の 時に別れて

〽身の秋を 修羅に向はむ 道芝の
  あるべき住まひ 生保内の舘

〽名のみして 月も宿かる 厨川
  しば鳴く鳥の 覚むる心は

〽しののめの 霧立つ日川に 白鳥の
  蹴水立つぬ 丑寅の朝

〽逆髪の よだつが如き 鬼舞を
  衣川辺に 今も遺して

〽おぼつかな 命ありこそ 光陰を
  惜しみて暮す 鷹の巢の郷

〽尋ね来し 衣の川の 戦跡
  生死長夜の 台密の鐘

〽いづくにも 安倍の血筋は 絶ゆむなく
  天魔鬼神も もんだはずけり

〽打つ刀 舞草の太刀と 鍛えきて
  安倍のもののふ 歴史に駐む

〽丑寅の 神垣いづく あらはばき
  五濁の塵に とこしなへける

寛政五年八月廿四日   和田長三郎

丑寅日本鑑證

天明元年七月、田沼意次、密使を三春藩に遣し、山靼国、紅毛人国、の視察を依賴す。藩主秋田倩季、未だ何事も知らざる御意に驚きて、秋田の由利家に浪客せる橘隆季を召して相談せしも、成らざるまま時移りけるに、三春城下大火と相成り、是れ田沼意次の仕業とて流言あり、倩季、江戸城に呼召さる。

意次、曰く。今、幕府にて国治隆興の爲め火急なる節約に餘儀非らず、古歴の名家たる秋田家にあるべく山靼の古交を紐解きて、商益をマツオマナイ更に流鬼島に開港せむを、奥州連藩にして遂ぐべきを申渡しけるも、老中、是れに賛成なく、意次は密事に是を達成せんとて失脚せり。

然るに、是を挙行せんとて、倩季、自費に橘隆季を秋田孝季とて攺名し、賜禄を與へて旅立せり。時に天明六年春にて、オロシヤ人クロベトスロスキーの案内にて黑龍江舟登りブルハン湖に至り、更に天山北路を越えて、紅毛人国を巡ること、ペルシア、アラビア、イラク、エジプト、等を巡旅なして、文政三年に歸郷せり。

丑寅日本国にかかはる民族史傳の數々、亦、古代流通の事実に驚きたり。證たる異国之書六十七冊になる荷に苦しむるも、今にして得難き寶なり。依て、此の書に基きて、我が丑寅日本史を構成せん。

古来、安東船に依れる北領の存在を知るるも、事、山靼にては知ること能はざりきも、黑龍江を舟登り、大興安嶺の彼方、ブルハン神を祀るバイカル湖、西王母を祀る天山天池、カオス神を神祖と祀るギリシアのオリュンポス山、古代メソポタミアのルガル神を祀るイラクの聖流チグリス、ユウフラテス大河の豊葦原国、亦、イランになるムハメットのアラァ神、イスライルになるアブラハム神、ペルシアになるゼンダブェスター、即ち、ゾロアスタァ信仰の深さ、エジプトの聖流ナイル河になるアンモン神、積石の遺跡、ギリシアになるパルテノン神殿にアテナ女神像、生けるが如き神々に接したり。

寛政五年八月廿四日   和田長三郎吉次

追而 山靼紅毛人国の神と荒覇吐神

北経の路経をして、古代丑寅日本国にもたらせし異土の神々の渡り来たるは、古代からなる路程なり。即ち、山神の十二神とは、ギリシア、オリンポス山十二神にて天なるイシカなり。亦、地なるホノリとは西王母にして、水なる神はブルハン神なりと古老は曰く。

古き世のこととて、語部に曰はしむれば、エジプトなるアンモン神、ギリシアなるカオス神、イラクなるルガル神、イルサレムなるアブラハム神、山靼なるブルハン神、天山なる西王母を一結に修成せる神ぞ即ち、イシカホノリガコカムイなり。依て、丑寅に古来せる神は、山靼及び彼の紅毛人国の神々に習ふこと多し。亦、西王母を白山神とありけるも是の如し。

寛政五年八月廿四日   和田長三郎吉次

荒覇吐神

素燒神像 一尺六寸二分

写眞 No.1
正平二年八月二日 五輪平中山掘出

素燒なるが故に像體、欠くる多く出づ。
東日流山野に最も多く、丑寅の日本各處に出づるなり。本来にして造像なきも、五千年前より造られたり。神像、造るは女人にて成れり。人型になるる相ありきも、此の一體に意趣せる處は天地水の一切を神像に顯はせるものなり。即ち、頭部はイシカ、體は地水にしてホノリ、ガコ、なり。眼は明暗にして、手足は動なり。是を神印にしてなり。唱ふる祭文は、唯一向に、アラハバキイシカホノリガコカムイなり。

世に進みては、時の神、運命の神、学文の神、美の神、火の神、水の神、雲の神、雷の神、空の神、雨の神、風の神、雪の神、川の神、沼の神、湖の神、海の神、山の神、地の神、男神、女神、童の神、𩞯の神、漁の神、狩の神、衣の神、木の神、草の神、虫の神、鳥の神、獸の神、貝の神、魚の神、地震の神、山火の神、洪水の神、津浪の神、石の神、土の神、金の神、銀の神、銅の神、鉄の神、工の神、家の神、魔の神、光の神、暗の神、病の神、死の神、救の神、等々多し。

寛政五年八月廿五日   秋田孝季

古代耕具工程

写眞 No.2

古代なる稲作に馬を使はざる人力にのみ勞々せり。沼辺、川辺、の引水能き處に拓田し、二年毎に植田をなし、前作地の藁くさるをまって再作す。苗代をなさず、種のままにて蒔きぬ。稲種はホコネ、亦は、イガトウ、と曰ふ。種原は支那、君公子一族の漂着民にて、もたらされきものなり。創作田は東日流、稲架、稲城、三輪、にて耕作されきと曰ふ。

寛政五年八月廿二日   秋田孝季

神託 一、

アラハバキイシカホノリガコカムイと唱へ奉るは、天地水一切の萬物に神ならざるもの無しとて崇むことなり。例へば、己が自身になる肉骨體とて神なりて、敬ふことなり。

生老病死の人生にありて、生々に安しきこと少なけれど、神に從へば果報を得るなり。若し疑へば、神の救へに遠ざかり、再度び生命體を萬物のなかに甦えることなかるべし。世に我がなるものは、一物もあらず、一刻の花香、久遠の暗なり。

萬物の生命、世にありてこそ萬物は生々し、互に生命を供してこそ生存あり。死につくしては後續を絶ゆむなり。如何なる人の聖に造られき、諸行の教へも神に通ぜるあるべくもなし。亦、神像を造ると、誠の救済ならざるなり。

寛政五年八月廿五日   秋田孝季

神託 二、

神は見えずして在るもの、神は百千萬億にも化身と生命は永遠なり。正も神なり、邪も亦、神なり。即ち、魔道、殺生鬼道の悪行も神なり。福德円満にして積善も神なり。

人の一代になる人心は常にして移り易き故に、神の善悪も判断せず、心に持つあらば、神々はその心に應じて取付くなり。人を呪ふて己が救はるなし。亦、人を殺し、己れ耳、生くる心にも、それなる邪鬼神のこもれる身となれるなり。常にして心に固く悪行の神を招く勿れ。必ず報復あらんや、心得べし。

寛政五年八月廿五日   秋田孝季

神託 三、

人心は常にして富むる程に慾を満たして横暴三昧、神をも掌握せんとす。亦、權者も然りなり。学に長ずる者は、盲学の者を見下ぐるあり、亦、学閥に派を立せんとす、国治者亦、然りなり。世は富貴の満るなく、勝者の満るなし。貧者、盲学を造るは、閥者に在りて、人をして卑賤の差を造る故なり。

神は人を上下に以て造るなく、神に近ける人を造るなし。依て、子孫永代に保ち難し。世に国主たる者とて、生老病死の関門を免がれ難く、至るなり。神を司りて職となせる者も然りなり。

神は常にして萬物の親にして、平等攝取の安心立命を惠む頂にありて、その救済ぞ平等にして、特惠のあるべきもなかりけり。生々萬物は等しく生命を惜まざるなく、魂の無きはなかりけり。人は一日を生けるが故に餌食とせる生命の數々を想ふべし。

一膳の食時に一粒の飯、一匹の魚、一汁になる菜物とて食れざれば、生命のあるべく生物なり。是れみな天地水の候に生命の存續あるべきものとて、一口の𩞯にも拝食せる心の慈悲ありてこそ、神なる御心に達して、安心立命、即ち、天命に委ぬる悟済に叶ふなり。是くありて神は汝のものなればなるなり。

寛政五年八月廿五日   秋田孝季

神託 四、

神は汝を一刻とて見放すことなけん。己がおこたりに負けず、貧しさにも負ける勿れ。亦、世間のあざけりに負けず、常に己が心に鞭打て勤めよ。富ておごらず、施の慈悲心を保つべし。心に投ぐるを心得ず、常にして人との和にありて、怒りを制ふべし。神を厚く拝し、人との爭ふを断つべし。

汝は神なる子にして護られたれば、如何なる恨みにも、神に委ねて神の裁き、神になる報復に待つべきなり。何事も神に祈りて、心の済む救にあふ可なり。神に疑を心ふ不可。常に唯一心にして祈るこそ人生なり。

寛政五年八月廿五日   秋田孝季

神託 五、

神との誓を護るべし。

右は、神への誓、能く保可き事、如件。

寛政五年八月二十五日   秋田孝季

賴良口上

賴良口上 一、

年ふりて候は心からにふつらふ影もあかねさす候。散りも候はず白雪頭髪に降り候へば、のぼりての世にかげろふ人と候はん、下り月夢か現に惑候。定なき世のうつせみに候へば、厨川の舘落慶に参りぬ、心責むかく候へども老に盡して露の身に給ふはなく行け候はず余にたばかり候へて、汝に委ね候段、此の一状に以て、ゆゝしく臣に代言を逑べ給ふこそ如件。

天喜三年八月一日   賴良

太夫貞任殿

賴良口上 二、

宇曽利に去り住みて候間、久しく事の便もとだつ候、汝を折毎の夢む給ふことに候やはかいかにいはんや、しゝむらに案じ折り候。きたあづまかたに居を断つ候て、江刺の郷を賜ふほどに、余の近里に来たれかしと、此の一状を以て請い候。

汝が駒くらべの秀なるぞ見給ふを千秋の久しきに想い居り候。都の候は丑寅に仇風に候へば、汝と談議是在り候。

天喜四年六月一日   賴良

富忠殿

賴良口上 三、

冬夜永に候間、春遠からずとぞ待春至りて一朝の夢路に却り候。鳥海の舘濠落慶相成りとこそ先状にありて候も、余いで候はば清原氏に居辛く候へば、そちそこもとに代言仕りたく此の一状を遣し候なり。先言の舘は、戦に備へて重要なりせば、手抜きを給ふべからず、心砕くべしと老婆心乍ら如件。

天喜五年二月一日   賴良

宗任参る

賴良口上 四、

去る程の永承庚寅になりにける爭事の候は、我利言に云ひもあへ候はず、あからさま不本意に御坐候段、雲居の侍賴義に白刃骨を碎くる候程に、矢叫び付刃火玉散らし、説貞を追討に候は、余の反に非らざるなりとて奏上申候事に、尚しをりつる賴義、是尋常ならざれば、心かまえて候べし。風聞乍ら清原殿の官軍加勢と聞き候は存念ありや心してたまはりたし。余の義に候は弓は三物の箭にあだし身に候も、丑寅日本国にありて打物かまふる候事は、国護り民安らけく他に、何事のあらざりき。やたけの主、弓筆に潔き心内に候。汝、亦、余の肉親に縁る人なれば、白河より丑寅に護り候事の反きなけるを衆聞非らざるを願ひて、此の状になる返趣を請候。

永承癸巳七年二月八日   賴良

清原殿

賴良口上 五、

一筆啓上仕つる、久しく御弟の對面に欠候事の段、御許を請ふ者也。生保内の柵や築了に候由、御状しかと受たもうより悦び居候。六郎また嫗子に了り、貞任になりける厨川大舘落慶相成候。未だ報無きに候は黑澤尻、川崎にて候も、衣川関に手間を引きたる故なり。雲居の風聞、金殿をして探らしむも朗報至らず、心いらだち候も、詮も無かりきなり。萬策謀りて賴み置けるに一筆参らせ候。

承久ママ癸年四月七日   賴良

良照殿

幻之舘生保内城

天地幽閉せむ大森林の丘に城棟も見えざる生保内城あり。火急の救済を謀りて築きけり、築城は北浦六郎入道良照になるものなり。城邸十町歩にして建固なり。住家百六十棟、馬屋六十棟、本丸、二の丸、三の丸、に築き、垣楯置の段、柵廻四方四重にかまふ。泉、六所に設け、湲水を上下に運水す、兵糧、常に一萬俵を保つ、塩百俵、秋田地湧油百樽、替衣、馬具、具足、鎧、弓箭、常に備はりぬ。秋田犬、常飼し、昼夜の番に侵入の者を噛むるに飼育せり。

物見十方にして固ければ、今にして城ありと知る者なく、駒を飼ふ牧、五百頭を常放なし、築棟大とせず、人視をさけたる幻城也。亦、兵糧生保内米豊にて収し、凶年なき處郷なり。若し厨川落城ありこそ火急にして、此の城に匿し、一族の老人、女人、童、らを救済せる故なる隱城に築きけり。城、高處に在りても、用水満ちて、要害自然に備はり、討物執りて向へ難き名城なり。城、閑として住人の眠を妨げず、東に峨々たる仙岩峠、西北生駒山、田澤湖の外輪山、絶景にありて、城神荒覇吐神社を以て鎭守せり。

寛政五年八月廿六日  和田長三郎吉次

衣川哀話傳説

安倍日本將軍の處地衣川に遺る哀話あり。世に是を衣川情話とも曰ふなり。衣川に鷹巢と曰ふ地あり安倍舘と稱す處、今に遺りき、人ぞ知る前九年の役、康平五年に一族離散し、その時になる話なり。

源氏の兵、衣川を圍みけるも、戦利に欠きて、何者かにて軍駒盗まる。一夜にして百頭、暗に消ゆが如く失なへき。依て、不眠番をして馬營を護りきに、天空に眞白き翼のありき馬、飛び来たると見るや、群營にありき馬、落着かず暴れ、必死に制ふる番兵を蹴りたおして林の中に駆入りて消ゆなり。

翌朝にして、その馬蹄を追へければ、遂にしてその脚跡も消滅して見當つかざるなり。源軍にある軍駒は、ほぼ閉伊に産したるものにして、誰ぞ告げたり。かかる奇法を以て馬を盗むるは、猿石川に住むるオシラの白山姫とて、馬を失へし武士等は、何はともあれ閉伊なる猿石川に走りて遠野にまかりいでたれば、消えにし馬は群をなしオシラの白山姫の家宅辺の草喰み居りたるを掴むとせども、一匹だに捕ふるを能はざるなり。

武士共は、是ぞオシラなる白山姫の妖術とて屋中にありき白山姫に迫りたり。されば姫は一変して白馬となり、背になる翼を羽ばたけば、その風、龍巻となり武士どもを宙に飛ばしめ、猿石川に落しめたり。

妖術とて是れに怒れる武士に須麻彌兵衛とて豪の者あり。妖魔を討つは白眞弓に鴉羽の箭に南無妙法蓮華經と書き、その白馬に放つ射る程白馬の首をつら抜きぬ。第二箭をその胸腹に射たれば、そのままに苦しみて鳴き、血吐きて死せり。その骸変はるうちにオシラの白山姫となりて美形の相となりては、四辺の馬群は異様にいななき、須麻彌兵衛に襲いかかりて馬蹄に蹴り殺し、栗毛の駒はオシラの白山姫をくわきて、馬群と共に何處へか駆け去りぬ。

寛政五年八月十五日  語部遠野邑 百姓そよ

終逑

老令に更け、以上に書くる事も皆書きつくせり。生涯八十八歳、今年に生存せるものと思はざりしに、大正六年の霜月と相成り急激なる老衰を覚ゆなり。此の一巻を以て終り、末期の近きに、いよいよ以て筆を置けるなり。

和田家長三郎を襲名して以来、此の史書を一心不乱にて、ただ書續けたり。三春藩より初代長三郎、受けてより拙者に至る二百年、世界の果までも巡脚し、我が生涯の分は了りたり。後々は長男の長作、孫の元市に託して、今日を以て終りぬ。

此の書は世に今はありにくしとも、末代に以て必ず蝦夷たる忌む丑寅日本史の構成に要を成さん時の至るを、唯、祈りて逝く耳なり。眠りもせざるときあり、ただ筆執りたる想い出にあるは、一巻亦一巻と書き重ねし本書なり。今に遺言とせるも、おぞましかるも、子孫に言葉をして遺す事は、この史書を捨てず、能く保べく耳を賴み置きぬ。

妻よ、永きに盡せしを有難く、亦の世に遇はんをば、今生の如く貧からざる暮しに勤むを約束し、ただこの筆だけに今上の禮と仕るなり。

大正六年霜月  死に近き翁 八十八歳士族和田長三郎末吉

秋田重季様

拝啓 晩秋の老坂八十八歳にして殿の先代になり申す倩季様の御令に完結を相成しむも今にして本巻も亦、世襲にありにくき書巻と相成り申し、言葉も御座なく悔て居りまする。三春、土佐に起りき自由民權も、現代に通らず、断腸の想いで御座る。

然るに、かかる世の永きは非らず、崩壊に遭遇を拙者は余感してやまず、本巻の世に出づる日も遠からずと覚つなり。一速も天皇が御示されし御誓文の国と相成らんことを希望し、茲に記し置きまする。

殿も御身大事に、若君一季様の御成長を、すこやかに御育人ならしめん事を、老婆心乍ら御祈り申上奉ります。

本巻は拙家に保つ置けるも、殿よりの御要望あらば、何時なりと御屆け仕まつりまする。身分を省りみず御不禮の言々、平に御許しを請い奉りまする。

大正六年霜月   拙宅にて 末吉

秋田様

言付の事

吾が家の遺物は一物たりと賣却は許さず。倉に保つべし。石塔山大山祇神社を参拝し、諸秘を他人に明すべからず。儀式を密とせよ。客参を無用とし、常にして山秘を護るべし。

大正六年霜月
和田家四十六代八十八歳翁  士族 和田長三郎末吉

和田家藏書 末吉

 

制作:F_kikaku