北鑑 第三巻
長三郎花押
山靼聖地巡脚繪図
宇宙創生因
宇宙創造の種は厘毛の微粒な素粒子より生れたり、と曰ふ紅毛人の言なり。即ち無の一点に、物質に非らざる論理も難き無時空より無重なるに重力の確圧起り、密度無原の一点それぞ宇宙子なり。宇宙子とは如何なる法則の成立たざる宇宙種の誕生と相成り成長、宇宙となるべく一瞬は光りと熱とに大爆裂し、無から物質への創造を擴大し無限の空間と物質を化成し、陽と陰に区を連ね物質が物質を絶ゆ間なく創世するを億兆の星に誕生せしむ。恒星・その惑星・その衛星・微惑星・準星・遊星の類にして生死をくりかえす。星の死は大爆裂にして微塵となりて宇宙に散り、その塵より子孫星ぞ誕生せると曰ふなり。ギリシアにては是をカオスの神通力とし、メソポタミアなる古代シュメール王ギルガメシュは是をアラ・ハバキの法則に誕生せしルガル神の宇宙創造と叙事詩に遺せり。
天明壬寅年七月二日 講師 エドワード・トマス
ウェルソンマイク
世界諸國之博學
大地は宇宙の基たるを、日輪を廻巡せる惑星といふは、紅毛人國之固定たる博學なり。亦、宇宙の創りをギヤマン望遠鏡にて、水星・金星・火星・木星・土星らを密にして日輪との距離を測定せるは、未だに天文の知識至らざる處なり。
宇宙は神秘にして擴大なれば、定なき信仰に想定せるのみはおろかなり。亦、生々萬物の創りを想ふにも、卵が親か卵が子かの理論に同じく、學道は求めて先々無限に續す。依て、古代オリエントの神とその信仰を図画に示逑す。
寛政六年十一月七日 長三郎基次
第一画 近代 極北葬
第二画 シキタイ騎馬民草原墓跡(盗掘跡)
右画説之事 一画、二画
山靼の大草原、極北の埋葬に見ゆ跡は、何れも價高き副葬の品を添ふるに付き、能く聖墓を盗掘さる多し。何れも贄從の葬にして馬亦鹿を添葬して埋むなり。死者生前の持物、總て副葬品ともせり。依て富める者の墓、盗防全く安墓これなく、故に墓石・盛土・馬蹄に踏平して秘すあり。
第三画 古代狩人葬跡
右図説之事 三画
山靼を尚以て西にて見ゆ古代人の葬墓には、能く犀角及び象牙の副葬品多し。此の生獸、今に絶ゆれども、二萬五千年前に於ては、大毛を生したる犀及び象の生息あり。狩人、是を極北の地までも追狩せりと曰ふ。是他、野馬・野牛・大角鹿・熊・虎・㹸も住めりと曰ふ。極北に住むる熊は毛白しと曰ふ。多くは赤茶毛の熊にて、余も旅中幾度か遠覚せり。山靼の旅にて飢ゆことなし。心得べきは群狼と熊にて、馬は事速く察知せるに、地老はその風下に移りしめて、事なかりけり。
二萬五千年前に、狩人ら岩窟壁に辨柄に書けるは、その狩場を縄張る印にして、語印の始なり。書遺るは毛象・馬・野牛ら能く遺りけり。信仰あり、女型の象牙像ありて副葬見ゆなり。鋒状如き柄、両尖りたる象牙材工及び飾り珠、亦大量なる副葬たり。依て、これまた盗掘多しと曰ふなり。
地老の曰く。女型神はベスダーと稱し、男型の神はホイと稱して笑ふも、古稱なるとは疑しきなり。山靼の旅は、前途に地族多く、言語亦異にせるが故に、吾等は常用とてモンゴル語を以て話せり。モンゴル語、オリエントに能く通じ、亦シキタイ語も可なり。
先づ以上にて黑海をイスタンブル峽を抜け、エーゲ海にいで、トロイヤの地老にヒサリックの丘こそトロイヤの史跡なりとて訪れたり。地史にては、ホーマ及びウェルギリウスの詩に名高ける處なり。余は綿畑一面なる彼方の丘にたどり、古老に訪ぬれば、この丘ぞトロイアなる古戦跡にてヒサリックの丘と稱す處なりと曰ふ。
トロイアのパリスが美女ヘレネをギリシアより、メネラオスの妻たるをパリスに奪はれたるを怒りて起りたる、メネラオスの攻めに落つたる城址ぞこの地下に在りといふ。古老に曰わしむれば、此の近國一帯になる恐魔神にゴルコオ・ヒュドラ・キマイラ・ポイラクス・バジリスク・ユニコン・サラマンドラの神々に呪はれたるに、戦事常に起れりと曰ふ。余は、はるかなる日本國より来たりて、ヒサリックの丘に立って異國の古傳を聞きたり。
天明戊申年六月一日 幕令藩許御用許松前 成潮甚伍右衛門
幕令藩許御用許東日流 秋田孝季
幕令藩許御用許三春 和田長三郎吉次
幕令藩許御用許千臺 和田兵衛百季綱
從卆者他 六人、以上
天竺国之神要
安心立命を求道にして、古代天竺に成れる三神を記す。
覚
一、アーリア族のブェーダはブラフマンにして聖者バーサの教へなり。是を上道と曰ふ。
二、ブィシュヌ化身マツヤ、アムリタ、クリシュナ、アシュラ、カルキ。是中道と曰ふなん。
三、シブァ別稱マハデブァにて是を下道と曰ふ。
右は上道に奉るはクシャトリヤ、中道はブァイシャ、下道はシュードラの級あり。更に底級あるはベーリア族なりと曰ふ。信仰はラマヤーナ也。
寛政二年五月一日 和田長三郎吉次
ペルシア ゼンダブェスタ教
古代ペルシアにゾロアスター教あり。善神オルマズド・惡神アーリマンを陰陽神とし、世の惡あるはアーリマンなるものとて、彼の近寄れざる聖火を焚きてマギと曰ふ典禮を挙行し宇宙の神々に光明を招請せり。火祭を以て行事とし、今に遺りぬ。是を拝火教とも曰ふ。
天明二年七月二日 和田長三郎吉次
傳聞西北紅毛人國信仰
エッダと曰ふ神の教典あり。ユミル神アウズンゴラ神より三神生れ、第一子をオーデン、第二子をブエリ、第三子をブエーと稱したり。此の神々は秦子樹より人間の男を造りアスケと稱し、女を赤楊樹より造りエンブラと稱したりと曰ふ。
寛政元年八月二日 秋田孝季
宇宙之降靈
吾等地上に生々せる萬物生命の運命と生死に以て新生を遺すを叶ふるは、宇宙になる日月星の運行に法則さるるものなり。宇宙は神秘にあり。目に見えざる素粒の理原を生々萬物に通告せしも、それを知るは生命體のみにて、生命にこもれる魂に覚らるは無し。宇宙からの通告を受けにし生命體は内にこもれる魂の令に從ふるは身體を保つが故にして、宇宙よりの通告にはそれ以上なる從卆にして魂のままならざるは生命界の法則なり。宇宙は常にして修成あり。星の生命さえ生死を司どりぬ。
是れを地上にて感得せるは人間なり。古来より宇宙の運行を測りて暦を造り、その神秘なる根原に求め子孫に傳へ遺せり。宗教に天文に宇宙を入れずして成れるものはなし。吾らが祖人の宇宙に求めたる大要は天地水の三要にしてその理を説き、生命になる實相をアラハバキ神として神格を得たり。
究極のために山靼を越え、尚、紅毛人國諸國に求渉りて原理を得たるは、アラハバキ信仰なり。これぞ古代オリエントのシュメールのヂグラット遺跡に遺るアラ・ハバキ即ちギルガメシュ王が土版に遺せしを地老に聞きて成れるものなり。オリエント五千年に成れる史原にあるは、シュメールより原固は發布され、ギリシア、エジプト、アラビア、エスライル、更にはオーデン、天竺、支那、吾が國には山靼より傳来せり。
本来にては像造神にあらず、自然崇拝たるものなれど、歸化人によりて像造となりぬ。吾が國にてはその渉り来たれる神を無視とせず、能く神の原則を審議して入れたるは、アラハバキ神なる造像なり。
是の如く岩削り素燒造りにて、田畑より今に出るは古代に造られきアラハバキ亦はアラハバキカムイなる神像なり。異型たるは時代の旧新にて、神なる意趣は同じなり。
寛政七年一月元日 和田長三郎吉次
石塔山石神造築傳
東日流中山に巨立せる石塔碑にまつはる傳説にては、石運の技になせるは紅毛人にして築塔せりと曰ふ。亦三輪山に築きけるも然なりと曰ふ。神像なき代に石立にして神となせるは信仰の創めにて、丑寅かしこに造築せる聖地あり。神の座を築きたりと傳ふ。
イシカカムイ、ホノリカムイ、ガコカムイの三塔、及び一本築塔にてはアラハバキカムイなりと曰ふなり。
石神は巨なる程に神靈降臨せるものとし、亦聖地の神境内半里を占たり。
寛政五年正月一日 和田長三郎吉次