北鑑 第十三巻


(明治写本)

戒言之事

此之書は門外不出、他見無用にして一書も失ふべからず。

秋田孝季

一、

歴史の事は昔より奇談・怪談・神話を混じて記逑せる多し。まして神社・佛閣の由来にてはその記逑なきものはなし。然して是を歴史とて正傳とするあらば作説自在にして實史はその創作にて抹消の憂ありぬ。抑々信仰と相昆じては、尚更に正本を失なはん。倭史の如きはかくして成れる多し。吾が丑寅日本國になる歴史の事は諸事を記逑あるも、世になけることは記非らざるなり。

太古にして宇宙の創まれるカオスの聖火より銀河に星の生死あり。その子孫星、宇宙を満たす中に日輪を廻る地球星に生れし吾らが人類をしてその生々に爭ふるさま、神への反きたるもその歴史をくりかえしぬ。神の造らざる大王そして權力。是ぞ生々平等の理りを神の法則に欠く救ひざる輩なり。人の安住を犯し、征者は是を正統なる行為とて歴史に遺し、尚死して尚威權を誇る大陵を造り、自からを神とて遺さるゝ世界の大陵に何事の眞理やあらん。来世も王たるの出生に臨むる行為ぞ、死して救ひなき愚考なり。

生々は萬物にして生死のなかに新生に甦るを説くは荒覇吐神なり。死して魂は神の平等なる天秤に裁かれて、甦るは果して人間なるか。神は生々の業報に裁きて世に甦えす。例へ人間に生れき前世にありとも、その新生に受く生命は再度にして人間とは限らざるなり。萬物生命の類は菌・苔・藻・草木・虫・貝・魚・鳥・獸・人とて類、萬物なり。是の萬物の何れに生れしかは神の裁きに決せるなり。生々何れも安しき事なかりけり。生れては死への一刻もとどめ難し。依て生々のうちに人間と生ずるの善行にありて、己れの膽に銘じべし。權に惡に歴史に遺す邪道は再度に人體をして世に甦える事やなかりける。荒覇吐神を信仰せし古代人は子々孫々にかく教へを遺したるものなれば、能く心得て善道に外るべからざるを戒む。

二、

荒覇吐神の創めて像とて造りきは土版・十字の如きものより、陰陽を前後面に造り胎内に神像せるはやがて死す後、新生に甦る願をこめにして造りたるものなり。


右の如く造られたり。是れ荒覇吐神社由来なり。

三、

古来より荒覇吐の神を信仰せる丑寅日本國の民は、一途にして神の稱名を念じて、心身を天命に安じ、安心立命の誠を神に祈りける。生々とは神より六根の人體を授かりて己が魂をその人體と曰ふ衣を着せられたるものなり。依て、心と人體とは互に生々の間に求めたるものありぬ。心は體を左右に従せるとも、體は體を保つが故に心に寒さ暑を傳ふなり。亦、労𢭐してはそのつかれを傳へ、美食や子孫を遺す雌雄の結ぶる生涯の妹背と結びぬ。また心に體は眠りを傳へて眠るは、心より體の解かるゝ故なり。

依て心は知らずとも、體は常呼吸せる息と寝返り血脈は常に鼓動せり。心は常に體を通ぜざるして何事もならざるなり。依て心は常に體を己れのまゝに左右し、その生涯を死に至るまで従がはしむるも、酷使をするは體に病及び傷を負はしむなり。依て體はその心を制ふるために心に、善にあれ惡にあれ體の欲すまゝに惑はしむなり。依て人は心の弱き者は惡道に、強き者は善にして惑はざるなり。荒覇吐神の信仰の一義は、先づ以て己が身心にその調和を保つ己れに勝つこそ要とし、生々の間能くつとめよと説きぬ。

大光院導念説法より

四、

心空なる心にて私なく綴り写すも丑寅日本國史を永世に保つ故の信念なり。とかく東北の事は倭史につゝじまの合難く、世代の相違雲泥の如し。東北をしてその浅き倭史の記逑に遺るを讀みつるに、蝦夷たる、支那書物に基きて北日本を稱す權圧に以て名付たるものなり。日本國とは、もとより東北の國號なり。倭史に曰ふ如き神州とは異なる歴史の遡れる國なり。人祖の渡り・神と信仰を、人祖のまゝに成ませる國なり。永きに渡り蝦夷と稱し、まつろわぬ民とて忌む作傳を代々に造りたり。然るにや、もとより日本國大王の成りませる國なれば、その歴史の實相を照らす眞理の證灯、今に猶消ゆなく丑寅の大地に眠りぬ。

〽くりかえし
  まことのことの
   強けくは
 北に動かぬ
  星こそあらめ

いつ世にか顯はれん。丑寅日本國の大王の治め、したる往古の事。我等の國を愛しむるべし。此の地にありきすべてをも。

五、

古来、宇曽利の地に馬の放たれしは、東海の海より大筏に乘せて六頭の駒をつれ来たる津保化族の祖になる古人のつれきたるものなりと曰ふ。山靼馬と異なり、背高く駆くるに速く名馬たりと曰ふ。古来丑寅日本國の地に馬の渡り来たるは、古老に曰はしむれば三渡来に曰ふ。一は馬の雪氷渡り。二は山靼舶渡り。三は東海筏渡りと曰ふ。是れ何れも實なりと、幾古老何れに聞くも同意たり。されば古に渡来せし馬の着地にては人の古に用ひし石鏃あり。一の渡来地になるサガリイ。二の渡来地なる秋田。三の渡来地なる宇曽利。を順に地に遺れるは・・・に異なりぬ。


一は石槍、二は石鏃、三もまた石鏃なり。一はウデゲ族、二はモンゴル、三はなんとアメリカなるインディアン族のものなり。依て一は追れ馬にて、二は舶来に、三は筏渡りと相成れり。古代なるは気の候・潮流の流度ぞ今代と異なりて、その可能ありけると曰ふなり。アメリカン國の北に大森林國ありて、その巨木を筏とせるは吾が國の及ばざる大木なりと曰ふ。亦、サガリイ・渡島との海なす峽も、冬至りては馬の渡れる結氷となりて可能たりと曰ふ。さればウデゲ族の古老の曰ふは眞なり。

六、

夕づけの旅ゆきに宿隔つれば心は野宿と決めて、あたりにこゝぞとなりき露忍び處を一宇の草堂ありて脚留とむ。先宿より持參ありき餘食のにぎりめし。火處に火焚きて鹽を肴に夕食す。春なれば蚊のなやみ是れなく、夜明くるを早々に旅立つは、みちのく路なり。岩手山麓在に澁民の貧邑ありて、稗三升を買ひたる農屋の老婆に、此の地の古になる由来を聞取り、刻を昼に盡して長話と相成れり。その由は、岩手山とは荒覇吐神の山とぞ曰ふ由来なり。此の地に姿よき山あり。これぞ姫神山と曰ふなり。依て、岩手の山ぞ男神と奉りぬ。

古話あり。老婆の曰く、岩手の山は西も東も黄金の産ずる山々を従ひて、湯湧き處を富なむるなり。古来より湯處になりき跡ぞ、湧き湯ぞ絶ゆともその地層に黄金を遺すと曰ふなり。岩手山に連らなむ嶺々に金のただら今に盛んたるあり。安倍一族、丑寅日本國の神とて岩手の頂に荒覇吐神を祀りき。以来、黄金各處に産鑛ありて國富めり。安倍國治と曰ふ大王の継君。日本將軍と相成り、和賀岳より鹿角岳に至る金山六十ヶ處を秘山とし、その産金を得たり。是みな荒覇吐神なる導とて、岩手山登山參来迎にその信仰しきりたり。

話ようやく聞書に昼を過にして、いとまいでしに禮一朱を老婆に施しぬ。道辺にかげろう燃が如く、草いきれ鼻を突く。その夕は空灰色とばりて雨とならむ。道に暗きに至る春の日長に六ツを過ぎにしてようやく二戸に至り、小笠はたごに宿りぬ。客六人同宿し、いづれ東日流の人達らとて、明日は道中同じうせる鹿角への旅なりき。我が旅は東日流に入りせば終りぬ。さながら諸國に巡りて書綴る百八巻にて了れるに、未だ至らぬ里ぞありきも、旣に三十年の歳月道中旅暮したり。省りみれば永くもあり、短くもありぬ。丑寅日本國史の事は能く記に遺すを得たるは我もまた満足たりぬ。

日記より。

七、

旅の景筆執り㝍すも、画の心得なければ紙面に著すこと難し。まして墨一色なれば猶のことなり。名もなき山湲に入りて見付くる秋の紅葉も價千金の絶景あり。なかんずく丑寅日本國の西海濱・東海濱・山脈・山湲。人の工築なきはまったく幸いなり。天然の造景ほど人の及ばざる壮大さ。風雨に水波にそして年月に彫刻さるゝ自然の創造こそ二つ無き美なり。まして余の旅は尋跡の旅なれば、諸國の景に見取らるゝなり。はるか先の世に死せる者になる墓の苔むせる程に、草むす程に、土に埋むる程に自然に歸りなん。美しきを見ゆは我れのみか。

今こそ石塔山に見ゆかしむ安倍氏重代の陵。今外濱に湧く霧に繁るあすなろの香に苔に草に。土に埋む古陵のほどに。天照らす北極星の不動なるを、天然の美に無上たるは、はるか宇宙の星間に美を見ゆこそ類なき大天然と覚えたり。旅の數々に見つ来たる諸國に心なく、此の地にぞありぬ。

日記了より。

八、

久しくして黒龍の流れに降る船に乘りて、故郷へと心ぞおどりぬ。山靼の旅はさるほどに久しく年月を經て、我が年歳をも重ねたり。頭髪霜に満つ。異土の語言しきりに混話せるを、今更にその歳月の永きを旅にかきくらせり。水に渡り、陸に歩き、果なき地平の砂漠にさまよひてたどるカナアトの水も、今は生命ある己が身の今にあるを覚つなり。砂漠にて人とあふるはまれなり。

それぞ、商隊なり。商隊何れの者とて旅に難あるを救ふるは掟なり。月の美しきは砂漠ならではの青さにして、神々しきなり。夏の暑さを避けて夜旅する商隊。砂嵐に急設せるゲール。常に北極星に計る定木にて途あやまるなし。商にこそ人に種を問はざるなり。亦、國を境に通れざるなし。まさに空を渡る鳥の如く、死すともそこなるは墓なり。人の渡りかくなればその信仰なる神も各々異なるとも荒覇吐神の、墓にありきは吾等シュメールにて知りぬ。信仰になる神の肇めは宇宙にして、人を世に産ましむ大地と大海に神を相に造り、名に造るともその哲理は皆同じなり。

九、

安東一族とはもとなる大祖は、阿毎氏にして耶靡堆の大王たり。故地は加州犀川の三輪山にして、倭の蘇我郷に移り地の豪族を降し耶靡堆大王とて君臨せり。地の箸香山を三輪山と稱し、耶靡堆大王とて倭國の地に群ぐる王族を従ひて成せる大王たり。その次代たるに二子ありて長子を三輪山に、次子を膽駒山に知行を委ねたり。時に築紫に一統せる佐怒王ありて、玆に山陰・山陽・南海道の諸氏族と勢を併せ東征し来襲しけるを、難波の堀江に向ひ討けるは膽駒山富雄郷白谷にありき長髄彦王。是れ撃退せしむ。

然るに執拗にもこの勢、東に熊野よりその背後に挟討を画策し三年の戦を以て遂には此の國を征伐を叶へたり。耶靡堆を東に落つ行きたり。坂東より東北に大挙して遁ぐるが如く落忍びたり。安日彦王、地の住民と併せて玆に丑寅日本國を肇國したりと語部録に記ありぬ。是れ丑寅王國の創りなりとも曰ふ。然るに丑寅日本國はその以前に以て渡島族・宇曽利族・東日流族とて阿曽部族・津保化族・麁族・熟族らの先住の民は旣にしてそれぞれに國を創り居りたりと曰ふなり。古歌に曰く、

〽國栄ゆ
  東の北の
   民四ぞく
 わが日の本の
  王つ造りて

十、

東日流大里。岩木山の靈峯を中央に三方に海をなす幸ある國とて、人の古き世に山靼より人祖の渡来あり。その子孫集ひて國を肇め王を立て、賊ありせば是を討ちてしやまむ。民飢ゆあらば、是れに當りて相互の救済に、人命を一義に民を新天地に移しめ安住を先とせり。ましてや丑寅日本國の地は飢えを忍ぶる海幸あり。命脈ありせばいつしか立命の地を開くとて、古来より阿蘇辺族・津保化族・麁族・熟族のいづれかの地に民移り、また住居にあるともこれを因にして爭ふる事露もなかりき。

丑寅の民はかく睦みありてこそ、代々に命脈を保つ来たりぬ。飢ある年に備へてぞ常に保食の郷藏あり。その急を、救済能く渡れり。山海常にして人の生々に継ぐる幸ありて、不断に保存の糧を保つぬ。干物はかくして作られたる千惠になせる民の習ひたり。飢ありせば一汁のものさえ相分つは、古来よりの睦みたり。丑寅日本國大王第一世安日彦王が肇國以来、人命の尊重を一義に民一人とて輕んぜず。凶作・飢饉に、亦は侵略の敵に兵挙せる戦にも利ありて進軍し、利非らずしては退くと曰ふ戦法たり。依て、北斗や山靼の地にその安住地を事の前に地理を知りて、民の安泰を常に備ひて憂あるべからずと、渡島・千島及び樺太との住民と睦みたり。倭國の如く民を下敷きて國勢とせるはなかりけり。死を以て國を護る先に以て、人命の避難を先とせるは國治の基たり。人命ありてこそ國を復し、侵魔の輩に報復の叶ふありとて民との睦みを常に欠かざるこそ、丑寅日本國代々に成ませる政の誠たり。

十一、

古来より丑寅の地を忌み、住み人を夷衆とて人の種を異にせし、倭人の史になるを讀むる限りに、丑寅は倭國の鬼門に當れる忌むる地とて、住むる民をまつろはざる蝦夷とて記逑あり。永きに渡りて民に説き、國賊意識に洗腦せしめ来たりぬ。征夷大將軍とて無上の賜位を軍を司る將に賜るは、倭の大王がなせる代々の治勢にて今も保たれり。かくある限り丑寅日本國は遺恨久遠に遺す報復の機に幾千年に過しとも子孫に遺り傳ふる一義の要を欠くことなかりける。人の種・國の連らね・海の連らねを同じうして、是の如く對せる倭宮の謀事こそ、偽にぞ作れる古事記や日本書紀なり。

彼の書中にある如きは世に無かりける非實にして夢幻空想の書程なり。抑々歴史の要は世にある事の實を以て記すこそよけれ。如何に故事の史實丑寅に在りきを消滅せんも、永遠に葬り去るは難く實證は必ず顯はるゝなり。是報復の軍挙に非らず。民心なり。王ありとて民是に従がはざれば王に非らず。漂浪民なり。史を造るとも實證に敗り難し。その世遠からず民の意にまかり通る世とならむも近からんや。今にぞ必ならず至るなり。心して荒覇吐神に安らぎなき現世の窮りを断固として討破り、民に安らぎある安心立命の國たる國造り・人造りに祈りあるべし。もとより日本國は丑寅なる國號なりき。

和田末吉 印

 

制作:F_kikaku