北鑑 第廿二巻


(明治写本)

此の書は他見に無用。門外不出と心得べし。亦一書たりとも失書ある不可。

寛政五年
秋田孝季

一、

世に惡魔・邪神・魔障・妖魔などを實在せると人をあざむき、そのお祓ひとて金銭を布施強要せる輩ありぬ。なかんずく偽僧ありて諺にありつ。

〽髙野聖りに
  宿貸な
 娘盗られて
  恥かくな

奥州片田舍を姿だけの僧が加持祈祷と稱し在家の長者に訪れて、惡障あり魔障ありとて口でまかせなるを、おしなべて頃を謀らふて金品を強要して風の如く消ゆありぬ。とかく信仰を以て人々をだます輩の多くは倭人に多くして散財を被むること常なり。亦、靈仙の妙藥とて髙價に賣り歩く者。世はさながら狐狸のたぐいなる偽聖りの横行ぞ断絶なきは、昔ながらに今に尚その偽行ぞまかり通りぬ。信仰は衆済度のものなるも、かく人を惑はす者の辨に乘ずるは己が信仰の冒頭なるが故なり。

二、

奥州東日流十三湊日記と曰ふありぬ。十三湊は東日流上磯の璤瑠澗に在り。昔より安東船の發祥地とて世に知らる。古来、東日流には海を道とせるありて、山靼及び波斯の國まで旅商往来す。黒龍江を舟航し、砂漠と大草原・幾山湲を越えにし物交商なり。幾多人種に渡りて品々に流通せしは黄金にして、次には毛皮なり。また北海の干物は不老不死なる妙藥とて珍重され、その類多し。此の國より吾が國にもたらせるものは化科の書物及び神な信仰・聖書及びその神像等、珍品多し。渡島の海獸毛皮を慾望して、彼の國より寶石・金銅細工物。能くチタなるクリルタイに物交多し。依て古代オリエントの諸國信仰にまつはるゝ物大いに入り来るも、吾が國にては用ゆなくたゞコタンのヌササンに藏せる耳なり。

北屋弥一談

三、

安倍一族の藥造は人の病に常にその成果に究めたり。青木の葉・黄肌木の樹皮を煮詰めて造る膓藥をはづめとする藥草及び木皮。更には湯泉の湯治海藥及び魚貝の藥巧、鳥獸の臓藥や角藥ありぬ。依て丑寅の民は四季折々に藥となるべくを山海に求めて採集せり。藥草は四季にして巧は異り、季節を過ぎにしは藥草とてたゞの草なり。混合して妙草とせるを藥造法とて大いに用ひたり。人の病は食物にて體を強弱せる多しと曰ふなり。

四、

丑寅日本國とて國を肇むるは遡りて遠く、古代大王の證しや今に遺るゝ遺跡あり。代々の移りに明らかなる歴史の實證を今に遺すは語部録なり。西は波斯に至る人との流通ありてその道は西靼黒龍江なる航路なり。人祖の渡来に於ても然なる氷雪の道を渉り来たりぬ。爾来、渡来せる民の遠きは古代オリエントの諸國より歸化永住して成れるは丑寅日本國の祖来なる民なり。渡民それぞれに持来たる故地の文明を以て成れるものに神なる信仰あり。衣食住の暮しまた攻め人の掟や商益の算に相違是れなく、物の價を定むる智識は向上せり。山に狩猟・海に漁𢭐せるも、民は總出の労𢭐にその収穫を平等に分つは民族利權たり。

民は衣食住を集結し大王を選び、民族の掟を守り睦を以て一汁一菜をも分つ。民の衣食住に富貧を造らざる人命尊重の一義に、爭ふ事を戒めて生々の安心立命を保てり。馬を飼ひ犬を番警に習はしめ、荒覇吐神の信仰に迷信なく、人道哲理にその求道眞理に信仰の本願を求めたり。依て古代諸國の信仰に一族の信仰を破邪顯正して、誠の眞理に修正して成れるは荒覇吐神なる民族一統の信仰たり。神は因と果に於て全能なりと宇宙一切・大地の一切・大海の一切に萬有せるもの總てを神の相とし、その森羅萬象は神なるものとして本願に以て夢幻想を断て、一心不乱に神を稱名し祈るは古代信仰たりと曰ふ。

童等に語印の文字を教へるは一族長老にして、常にポロチャシにて民族生死の理りを教へたり。コタンには必ずポロチャシあり。石神の髙樓ありてヌササンとして天地水の神々に一族安泰の祈願をエカシの務めとせるは丑寅日本國かしこに一統されし國造り・人造りなり。依て信仰に學ぶは丑寅民族の責務たり。

五、

古代アラハバキ神の發祥せるはシュメール國なり。カルデア民が宇宙の運行をアラとし、大地や大海をハバキと稱し、是を併せルガル神とてヂグラトに祈りて神殿を金字塔に造りぬ。かく信仰に古代オリエントの地に渡りて成れる神はトルコ・ギリシア・エスライル・エジプトに各々神信仰を生じせしめたる要因と相成りぬ。シュメール初代王なるグデア王に依りて信仰・暦・農耕・國政・法律・文字・學習・産金らの文明を隆興せしめたるは、まさに人類最初の開化たり。

六、

古代オリエントの諸國に王國興りてよりその攻防は激しく、遠征せるあり。人をして殺伐行為を國勢とせる王國の興亡、また人世のあはれきわまれるなり。そして敗者を奴隷となし金字塔を造らしめ、または王家の墓陵を造らしめたるエジプトの石殿跡、ギリシアの神殿。そしてシュメイルのあとなるメソポタミアの砂に埋もれる遺跡を見つるに嘆かはしき興亡の歴史に感銘せるなり。吾が國は大王の陵を造らず。民と平等なる埋葬には寸分の天秤に差の非らざるを掟として古今に通ぜり。

吾が國は荒覇吐神の信仰にあり。蒙古と同じくしてブルハン神の信仰の如く、死しては土水に屍は歸るものとて墓標さえも跡に遺さざるなり。死しては魂は宇に出で、人の父母に新生の肉體を得て世に甦えるとして、生界に墓の建つるは神なる法則に反すと曰ふ掟たり。依て大王・長者たるも土深く埋め、盛土さえ跡に遺さざるは葬儀の常たり。生あるうちは死の際までもその身命を大事とし、老ふる者・病の者を一族介護の務とせり。

七、

求道とは、人生の生涯に己の安心立命を天命に安ずる無上道への命運を祈り、その本願に己れを成就せしむるの求道を曰ふなり。是を信仰道とも、行者道とも曰ふ。抑々彼の釋迦牟尼佛の解脱道も、求道より成道せり。人は世に生れてそれぞれに命運あり。生年月日の同じかるなし。天運また是の如し。因と果にて萬有は成れるも、運命の法則は宇宙阿僧祇の星の如く、人をして異りてたどる命運ありと曰ふ。

八、

東洋・西洋・南洋・北洋と船を航するは、丑寅日本國に發祥されし安東船がもとより古代船に於ても果されたりと曰ふ。通稱山靼船は巨船にして、その造船の岐は晋の流民にて成れりと曰ふ。古代より東日流より越に至る濱岸に漂着せし、故地戦を脱して来たる流民多く永住しけるに、船の構造はより昔より造営なし、その海船に往来せるは安東船にて完遂せりと曰ふなり。

近くはアカプロコに往来せしサンパプチスタ號の造法は、安東船を主要として造られたるものなり。秋田實季・伊達政宗の實航せし船とは、世に大海を横断せる例あり。羽州・陸州の船大工の誇れるところなり。山靼往来・千島往来の船は、何れも地民に造船されたるもの也。大洋に木の葉の如き船航に何事の海難なく往来を果すは、古来より潮流を意識せる試練のたまものなり。漁𢭐また然なり。北海の幸は海産を唯一の商易とせる古代よりの習にて、山靼往来こそ不可欠なる往来にして、その水先に丑寅民は馴れ染めり。

九、

安東氏に安藤と記しきあり。安倍氏に縁れるを安東とし、藤原氏に縁れるを同族乍ら安藤と曰ふ。亦、宗家筋を安東とし、庶家筋を安藤と曰ふ。建武の親政崩れ世は南北朝に相成り、宗家は南朝方に庶家は北朝方に武威を分つ。その用ゆる年號までも分つ。遺るゝは版碑らを證すところなり。丑寅日本に在り乍ら、西濱・東濱に南朝方・北朝方と相分れ、皇領・得宗領と相對しけるは諸史に遺りぬ。

十、

丑寅日本國に於ける因と果なる荒覇吐神への信仰に基くは、萬有は因に發し果にて成ると曰ふ。依て因にまつはる諸説ありぬ。
因縁・因位・引因・因縁依・因圓果・満因縁觀・因縁假・因縁宗・因縁生・因縁生死・因縁説周・因縁変・因果異時・因果應報・因果不二門・印願・因熏習鏡・因業・因光成佛・因源果海・因地・因成假・因體・因陀羅・因陀羅微細境界門・因陀羅網・因陀羅網界門・因陀羅網法界門・因中果宗・因中説果・因等起・因同品・因人・因曼荼羅・因明・因明正理門論・因明大疏・因明入正理論・因明八門・因門六義。

果にては五果と九果あり。更には善果・惡果ありて苦果・樂果・識果・色果・六入果・觸果・生果・老死果・未来両果・須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・四沙門果・獨覺果・妙果・無上果ありぬ。
更には果位・果果・果海・果海圓現・果海證人・果號・果後方便・果地・果頭・果相・果遂・果人・果能変・果分・果分不可説・果報・果名・果唯識・成果ら多く、因と果にてはその解譯六萬四千あり。

宇宙の誕生より宇宙の崩滅までも化科の眞理を説きて、迷信のなかりける信仰導書とて、歸化人の説法にあるを今に遺しぬ。

十一、

吾が國は太古より海國にありける衣食住の傳統を以て、海を隔つる國との交を睦みぬ。北國にては人の睦なくして生々し難く、總ては𢭐々を倶にせり。人との睦みに信仰行事ありて相和せり。舟を造り・家を造るも寄合ふて成らしめたり。亦、海の外より異人流着せしとも、救済して住家を与へたり。依て、進みたる外の國なる智識を得たるなり。農耕・牧畜・採鑛・衣織・鍛治・信仰など。その化になる多く航海の岐も古代より山靼往来を果したり。

十二、

丑寅日本國にては、古来より蝦夷とて代々に反逆の人地として征夷大將軍の赴く處とて意識されたり。和史に著はる外の國。化外地のまつろわぬ民。それは蝦夷として奥州侵討の意旨とせるは倭人の心意たり。依て、永く倭史の歴史に蝦夷として奥州の古代は綴られたり。前九年の役をして奥州討伐を果したる後は、その史は正統なる公史の相を以て世に遺れる處なり。爾来、丑寅日本國は皇化の下に造史に書塗られ、是れを實史を逑ぶるあらば圧したり。代々にして天皇を深層に奉りたる武家の政治にて政据せる者は征夷大將軍と曰ふ官位の下に、上史より日本史として丑寅の國號を倭國は引替えて、丑寅日本國を蝦夷國として公史と書染めたるは日本書紀また古事記なり。

是の作説を以て成れるにその史實を書とせるあらば反書とて是を断罪に處して禁じたる故に偽史作説は公史とて今に遺りぬ。年ふる毎に丑寅日本國の史は、たゞ蝦夷國とて無史の彼方に封ぜられたり。然るに、断圧を以て為せるとも、丑寅日本國の大王統治の先史を皆滅せるはならず。一統信仰に在りき丑寅日本國の國神は今に崇拝を欠くは地民になかりき。荒覇吐神とは今も諸國に現存す。世襲に怖れ名を異に社稱し、神名を異稱せるも、丑寅日本國の古代一統神・荒覇吐神の信仰は、今に崇拝を欠くなし。更にして、未だ正名正拝にして祀る社ありきは有難し。不死鳥なる神を讃ひよ。

十三、

代々に渡りて人の同じかるはなけれども、人の絶えざるは浮世なり。岸打つ波。川の流れ。空浮く雲。四季の景採は同じく見えて同じかるなかりき。人の手になる歴史を遺す遺物とて、建つる巨石の塔とて、歳月に重ねては砂と砕け末代久遠に遺るなきは世の無常にして、人は暮しの毎に改めゆくなり。人の智惠は、空に飛び海に潜り萬里を征く時の至るは、程ぞなく訪れん。然るに生死の理りをして延命を久遠ならしむるは能はず。たゞ生滅は續くなり。神を崇め心に安心立命を發願して信仰を求道せども、眞理をあやまりては近遠に非らず凡その道理を隔つありて苦遇す。信仰に心してあやまるべくの道にぞ入るべからずと心得よ。

十四、

吾が丑寅の國は昔より貧しき國になかりき。幸の御園たる自然の惠にありき國たり。山海の幸多き故に人は殖し、大王を以て國を肇めたるは六千年前の事に歴史を遡りぬ。國號は日本國と稱して坂東より以北を國領とし、熟族・麁族・津保化族・阿蘇辺族・久里流族を以て祖来の住民とせる山靼の渡来民たり。吾等が祖人の事は代々に子孫を西南に居住を擴げて事を為せる國造りに、人の睦を以て人造りをなせり。

天命は吾等祖人を幸の惠みに育生せしむ。山海の幸を今になせるも、世襲は茲に諸々の民を討物に伏してや民の自在を縛り、収に税し貢賦にむさぼりて民をば憂はしむるなり。坂東より出羽・奥陸に地住を侵し、遂には前九年の役を以て侵領を了りけるも、その以北なる東日流及び宇曽利・渡島に管領及ばざるなり。依て日本將軍の累代は安東氏と稱して、一族を復興して山靼往来に商益して大いに富たり。安東氏、是の天運ありて累代君座を遺す。

十五、

羽州の金、陸州の鉄と曰はれる如く丑寅日本國は西も東も鑛の山なる多し。鉄は餅鉄に鎔し、刃物鍛治なる舞草刀をして名工刀鍛冶あり。狸掘り・みよし掘りにて金鑛掘りまた古くより採鑛す。安倍金鑛秘帳に記しけるは今にして處在明らかならねど、一族の非常時に備ひて、かしこにその地底庫を造りて藏すと傳ふと曰ふ。渡島・東日流・宇曽利・飽田・閉伊・和賀・桃生とそのただら跡ぞ一族の秘の秘たり。依て未だ知れる能はず。

十六、

柳の御所とは衣川の流水を引水し掘割をして舘となせる處なり。安倍賴良が代に、柳の舟場とて櫻川の往来を検視せる舟関たり。奥州にまかるに舟往来せる數の多き處にて、武家邸軒を並べたる要處。束稻山の川渡し處を兼たり。平泉・白鳥・大田川陣場・衣川関とその八方に安倍一族の住居多き要處にて、衣川城に七柵に備へたり。安倍氏の城柵の造りにては、掘立を以て立柱し二十五年に以て解廢せる造りなり。

十七、

哲理思考にして古来より人は宇宙の運行を觀測して暦に用ひ、信仰に用ひ来たるも、宇宙化科の究明に解く者はなかりき。宇宙に創りのあるを説きたるは外道と曰はれる論理根をなせる因と果になる化科論法こそ、宇宙の創りを如實に解く化科哲理に叶ふは爾来、他論なかりき。抑々、宇宙の誕生と曰ふ星雲物質になる宇宙は、宇宙誕生の後に生じたるものにして、その誕生前は無の他に物質なく、時空なく無明の無限界たりと曰ふ。

無限に時空無ければ物質なるはなく、たゞ黒く限界なく、重力さえもなき一点に因動ありて起れる針先の如きより發したる光熱を原点に大暗黒は爆烈するが如く大熱を發し擴大にやむなく、大光熱は無限の暗黒を焼盡して去りしあとに残れる焼固の物質塵あり。それぞ物質動力を起し、自からが集縮して成るは銀河宇宙にして、阿僧祇の星となれる星の生死に殖増せしは宇宙の誕生にして、何百億年と曰ふ先なる出来事なり。塵と暗黒の星の誕生は、燃ゆる星・岩質星・集塵星・氷星などあり。

吾等の住むる水陸の星は日輪星の近くにありて、その光熱を適當に受ける萬有生命の住むる星となれり。是れを地球星とて日輪の重力に巡りて、月は地球の重力にて巡りぬ。生命の誕生にては光と熱に化科をなして生れ、その生命體を進化に以て吾等人間と曰ふは誕生せり。

十八、

奥州東日流外三郡の地は通稱、上磯と曰ふ。依て内三郡を下磯と曰ふは、鎌倉得宗領が平川なる櫻庭に曽我氏を以て定める頃の呼稱たりと曰ふ。藤崎・十三湊を以て宗とせる安東氏は、嘉吉の変よりその天地を渡島及び飽田に求めて一族の安住を謀りたり。宇曽利・金井・糠部を以て安藤氏を名乘るは庶家衆なり。宗家は京役管令にあるも、庶家は洪河の合戦より南部氏に依りて支られきも、宗家は北畠氏の威光に安東氏の威光今に遺りき。南北朝にては宗家・庶家の別を顯して遺れり。上磯・下磯の領はその遺物に年號を以て異なりて遺れりと曰ふ。

十九、東日流草歌集

〽淀む水
  しばし宿りの
   うたかたは
 巡るる流れに
  相とどめけれ

〽えめぐりて
  しばしあふ世の
   浮世をば
 空しくばかり
  光陰渡たる

〽何事の
  思ひ立つ日は
   吉日と
 想ひにこめて
  戦場に發つ

〽春またで
  流れの岸に
   猫柳
 水のしぶきを
  尚ほころばせ

〽蛙鳴く
  池水清し
   吾が庭の
 蓮の若芽に
  印連らねむ

〽けぶる見ゆ
  春の山里
   のどかなる
 はるけく髙し
  雲雀鳴くらん

〽岩木山
  霞むる裾の
   あさぼらけ
 歴史の影や
  相も変らず

〽やませ吹く
  外濱波の
   淨む崎
 大濱安泻
  うとふ鳴きける

〽三内の
  古き神の
   宵祭り
 こゝも人曰ふ
  古き跡々

〽外濱の
  浪に霞の
   立つ朝の
 中山峯は
  雲に消えなむ

〽寒立馬
  雪に草掘る
   宇曽利野に
 いつより速く
  仔馬いなゝく

〽幽かなる
  渡島の影を
   見ゆむ崎
 龍飛の海は
  潮ぞ龍巻く

〽荒ぶ神
  吾があらはばき
   國護る
 日の本一の
  信仰一途

〽大王の
  八千代に累す
   丑寅の
 日出づる光り
  代々にあまねく

〽定かなる
  光りの海に
   丑寅の
 聖りはおはす
  まことありける

〽おろがみて
  願ひに叶ふ
   あらはばき
 丑寅こそに
  光り満らん

〽はかなしな
  生としものの
   みなながら
 光陰過ぎゆ
  果を悟らめ

〽おろかなり
  末をはるかに
   今をして
 心に神の
  なきは悲しき

〽生れては
  死出の果散る
   吾れが身を
 あはれ知るべし
  若きは逝かむ

廿、

諸行諸學を心に得て求道に修せど、心に疑ひなく悟道に達する者は少なし。衆生は常にして善惡の道理に心轉倒せる多く、常に善惡は交差して絶ゆるなし。生老病死の常は覚りつも、その道理に叶ふ者はなかりき。凡そ生を受くる者、代々にして同じかるなく、道理歴念として善惡の因を隔つなり。

人に生じ、天命の法則を知らず。神の因果に己れある過去・現在・未来に渡る業報をなるがまゝにせるは、人として他生にもおとるゝ空しき光陰の渡世なり。生老病死のなかに生命を置きけるの間は少かなり。心して道に求め、凡その道理を知るべし。安心立命の無上の悟りは、自から天命に安じて成道を得ん。

廿一、

秋たそがれに、四方に染むる山里の紅葉。年毎に景色なれど、自からの年ふれば心に感覚を異なして見ゆるなり。奥州路かしこに晩秋のきはみ。戸毎に積むる稻打の音ぞ村越に聞き、吾れの未だ終らざる巡脚の遺跡めぐりは尚續き、訪ね歩く旅の途にありけり。空しく日々を越す旅籠の雨に綴る史書を記しきは、史跡に巡らでは記筆進まずや、酒などに気まみれぬ。かくして茲に綴り了たるを讀返し吾が浅學のきわみ、ほとほとに知るゝ此の頃なり。三十年の永きに旅ぐらし。國禁の異土までも漫遊して、溯る歴史の深層を知りぬ。何事も果はありけると想ひども、それは然りとはならず。未知は果しなく續き、謎は底無く深まるばかりなり。

吉次

廿二、

人生にして護るべきは、生々のなかに心して掟を犯すべからざる事なり。鳥獣魚貝蟲とて生々のなかに掟あり、子孫を世に遺すと曰ふ。まして人間として生を世に受く者は、四衆に敵なす掟破りを犯すべからず。能くわきまふべし。大自然のなかに見らる、鳥獣の巣立てるまでの親たるものゝ育生を見よ。蟲の生々にも生命を次代に遺すべく、神よりの萬有生存の営あり。人間たるの道に反く不可。

廿三、

神と曰ふを世にある人師を祀る神社のあるは、おぞましき行為なり。人は如何なる善生を遺すとも、神とはなれざる法則あるを知るべきなり。神とは、宇宙をも誕生せる全能に在り。亦、宇宙を消滅せるの神通力に在りて、人たる如何なる進化の智識にも及ぶなかりき、未知の彼方に存す。神を人の相に造り、信仰の教祖をして奉る神位を造営し神とて拝むは、何事の靈力・靈験の非らざるを知るべきなり。

天与の大地に大墓を造り、大王の墓なせるも然なり。古代モンゴルの民は、大王に在るとも己が墓陵を誇るなく、墓標だにも人視に見遺す事なく、埋葬の跡を馬蹄に踏ましめて平地とし、後世にぞ所在を密とせり。吾が祖・丑寅日本の民とて然なり。倭王の如き大墓陵の誇示せるはなかりき。荒覇吐神なる信仰は、死しては屍を地水に歸し、魂魄を天に昇らしむと曰ふ宗旨の立前にしてなれり。

廿四、

吾が奥州の國は古来、人をして上下の級を造らず。一切平等なるを人の道として睦を保てり。人の生々、天秤の水平なるを以て神なる善道心と心得て、天命の尊重を一義とし、荒覇吐神の一統信仰を主旨とせり。北極星を神聖とせるは、宇宙にて不動なるが故なり。古代より宇宙の運行を觀じ神を想定して成るは、荒覇吐神信仰の基たる故因なり。イシカのカムイを天なる一切神とし、ホノリのカムイを大地なる一切の神とし、ガコのカムイを水なる一切の神として、併せてアラハバキカムイと稱ふなり。

依て神なるは相ありて相無く、全能化科の神通力を保つと曰ふ理解に信仰の立前を説き、骨格・肉體・血潮は地水に依りて成れるものとし、魂は天なる無常の因縁にて成れるものと理解せり。諸行は無常なれども、生命は子孫にくりかえして萬代に盡るなく、今より未来に成長せんと説くは信仰の本願たる由因なり。前生に吾れあり、現世に吾れあり、未来に吾れ在りて、新生は生と死の明暗を轉生して世に甦え来たるものと説きぬ。肉體は老い、また世襲の運命に依りて在世に生死し、何事も生命の義は神の掌に在りて、生涯ありと曰ふ。信仰に他説ありとも、眞理は生と死に依りて明らかなり。

廿五、

閉伊なる淨法寺・西法寺の建立は、安倍安國が丑寅の泰平を發心して、和賀の極樂寺・飽田の山王神社と倶に地民の同意を求めたり。古きより荒覇吐神信仰に一統にありて佛道を入るるに反論の多く、その佛場ならざるなり。然るに日本將軍安倍頻良の代に至りて茲に極樂寺・淨法寺ら、寛弘丁未四年両寺倶に落慶す。佛僧を山靼の波斯より入れて、因明果成の法論に荒覇吐信仰に結びて道場とせり。然るに永く道場に詣ずる者なく、長久辛巳二年に安倍次郎良昭が自から入道して一族に布教し、ようやくにして信徒を得たり。丑寅に佛法の法鐘ひびきたるは、是れを以て始とす。

廿六、

天暦己酉三年。羽州仙北郡生保内邑に太郎權現・荒脛巾神社建立せるは、日本將軍安倍國東なり。羽州と陸州に境なせる駒岳の麓邑にして、和賀分水の流れ・生保内辰湖の流水に、稻作の古きより創まれる古邑なり。亦、山靼駒の産地にして名付くる駒岳の麓原に駒飼の適産を得たるより、民富めり。駒岳の湯泉に民の病を癒しめ、遠近人の湯治あり。古くより生命を保てる澤とて、邑の名を生保内とす。

廿七、

北辰の果なる國カムイチャッカとは、火の神の眠れる國と曰ふ意なり。安東船が此の地を國領とせしは、久安戊辰の四年なりと曰ふ。地に住むる民はコリヤーク族にして古き祖来の民なり。生々に幸多く山は火を吐きて、地民はこれをカムイとせり。地に大獣住み、赤毛の大熊なり。一萬に數ふる川に登りくる鮭・鱒の群に飢ゆなき幸に、熊の生息ありて數多し。地民は熊を狩り、冬の敷物とせり。此の國を角陽國とも名付くあり。

廿八、

山靼を通じて丑寅に渡来せし神像・神具の數多し。古鏡になるは天池神・白山神に多く用いらるなり。湖を鏡とて信仰のあるは支那山峽省白山神・髙麗白頭山神・大白山神の信仰ぞ、吾が國に渡りて加賀の白山・越中立山・津輕の白神山・渡島の白神西岸濱に渡りて、その由来多し。西王母・東王父にまつはる女媧・伏羲の神話になるは支那より吾が國に渡るは古代信仰の原なり。

廿九、

北海の大陸・海峽を極北に至れば、白夜にして日輪の沈まざる極地ありて、洋上氷にぞ閉ざせる氷凍白色の界ぞありて氷上の大獣・白熊生息す。海凍らざる處に鯨群廻泳して壮觀たり。極北の夜に至りては夜光虹、大空にゆらぎて神秘なり。

住人は是を神の衣と曰ふ。極寒に住むる人を護りなんカムイの御衣の惠光なりと曰ふ。住民は皆、吾等と民祖を同じくこの大陸海峽を渡りて住むる民なり。此の國は南に果しなく國土を連らね、民の渡りきありてエスキモウ・コリヤーク・インデイアン・インデイオ・アステカなど住むる國に至ると曰ふなり。

卅、

北辰の民は飢ゆなき民にして、海獣なる多種の狩猟になに事の不猟ぞなかりき。毛皮を以て衣とし、舟とし、住家ともせり。肉は寒干にして長時の保存し、更に採草して干葉とせるを倶に食して飢ゆなし。野草の干物また海草をも保食として越冬食とす。雪を積みて狩の住居とせるは地民の祖来なる千惠にして、如何なる吹雪にも凍死せるなかりき。古来より北を人の渡り道とせるはこの海峽をして近きが故なり。此の地をアメリカンと曰ふは後世の名付にして、古くはクリル國と曰ふなり。南に國續きて人の多殖に叶いたる國なるも、白人の渡来にて常に住民と戦ふありぬ。

卅一、

東海の果に大陸國ありとは太古の昔より丑寅の住民に知れることなり。その傳へに曰はしむれば、此の國は南北に夜光虹の見ゆに續きける大國にして、國の中央を赤道・黄道ありて、四季南北にめぐれる國と曰ふ。チャコとアステカ・インカ・メリケンと曰ふ大國の彼方に更に東海ありて、それを渡りてはオリエントに至ると曰ふなり。されば地界は球にして圓なるを知るべきなり。地軸、斜に廻り北極星を廻芯とせるを以て知るべしと曰ふ。人の渡り海をして着住せしは後世の事にて、先なる住民は北を道とて渡りたる山靼の諸族なり。信仰あり。日輪を神とて祀る石の金字塔、今に遺れり。

卅二、

天上影は常にして同じからず。宇宙の暗を走る流星は、異光を放って地に降り落るあり。宇宙の創より天上には常に星の生死ありぬ。星の末期は大爆烈して塵となると曰ふ。その塵は暗に散りぬるもやがては集縮し、新星となりて再甦すると曰ふなり。大地にありての萬有せる生物とてみなゝがら生死を輪廻し世に甦えりぬ。是は因と果なる自然の法則にして成れる化科の眞理なり。依て、やがて来る己が末期に心轉倒せず、生死の理りをわきまふべし。常に生々は流轉して、しばらくも光陰の移りにとどまるなかりき。丑寅の一統信仰たる荒覇吐神の信仰は、如何なる人とて願ふる者を救済をたまはざるなし。

世に生々の過却に善にあれまた惡にあれ、發願して信仰に悔ふる者は一子の如く来世再甦の引導を平等に攝取せんと曰ふ信仰の契を固く、神の御心は常にして天秤の如く平等たり。天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコのカムイは人をして救ひ、救ひ給はずと曰ふことぞなかりけるなり。なかんずく、死後界に地獄・極樂のあるべからず。己が魂魄はまた世に再生のあることを信じべきなり。是の如き化科の法則を疑ふ者は魂魄、宇に惑ひて再生なく人間の新生に異なる生を得て世に至るなり。死の一刻の際までも人心を失なはず、後生の人たるの再甦を願ふべし。心冒頭にして徒らに信仰の諸行に心移さず、北極星の如く不動たるべきなり。生れては死への道に刻を一刻たりとも休刻なかりき。限られたる生涯に己が本願に道を求めて不動たれ。一心不乱たるべし。

卅三、

古来、安倍一族は耶靡堆に在りし頃より大王の坐に在りきを知るべきなり。その始めは加賀に在り。犀川郷三輪山の地王たり。信仰は白山神・九頭龍・西王母・女媧・伏羲神を祈願せる多神信仰にありけるも、安日彦大王・長髄彦大王の代に丑寅に落着以来、荒覇吐神信仰に求道を改めたり。爾来、君民一統の信仰として、その神なる信仰を今に遺せる處多きは古にして民の信仰深きが故因なり。

荒覇吐神とは遠く波斯の國より丑寅日本國にたどりたる神なり。西の大陸をなべて山靼と稱し、黒龍江を道として大古より人の渡来ありて波斯の文化を此の國に傳へ、産金産馬及び稻作及び信仰を布したるたまものなり。丑寅の地は山海の幸多く、住みて飢ゆなき國たれば、神と信仰のいとまありき。安泰の日々ありきこと永く、その信仰ぞ國造り人造りに應用されたるものにして、信仰をして人との睦みを和し、安住のなかに神の祭祀やその行事に總出たり。渡島地民に遺るイオマンテにはカムイノミを焚き、そのヌササンにチセより持寄りの供物を捧げ舞ふるは年毎の神事たり。

卅四、

丑寅日本國の故事は語部にて能く傳へられたり。山靼より渡来せる民の用ひしより習へしものと曰ふ。石を並べ置くより砂に書き、更に己が持物に記し遺せることとなり、その種七類にも文字をなせり。宇宙の運行を日毎に記して暦を知り、月の満欠をみつめて海濱の干満を知りたるも、かく文字の知る故の智能進化たりと曰ふ。山靼より土着せる民を人祖として丑寅の民は殖しける故に、その傳を入れざるなし。もとより信仰の深き民なりせば、歴史の事もその古事を遺せり。

依て山靼の古事、更には波斯・古代オリエントの古事までも遺しきは、民族渡来の由を知るべくの古事来歴の史實なり。語部録と倭史とくらぶれば、古事の事ぞ雲泥の如く相違ありぬ。丑寅の史書にて山靼に遺れる史と同じうして、古代オリエントの史にも相違のあるべきはなかりき。相違のありけるは近き倭國の史とのみの相違なり。世になかりける神代の事は歴史とせざる丑寅日本史にして、世にあること耳を記しき事實こそ眞の史書なり。今も用ゆるめくら暦になる文字の引用ぞ、漢字とは異なる丑寅日本國文字と知るべし。

卅五、

本巻は北鑑二十二巻にして、記載せる總ては諸國諸老の聞取りにして、一行の私考に非らざるを茲に誓示せん。もとより文筆の徳非ざる余の儀を恥入り仕つる。ましてや本書は漢書を讀解ける綴方にして、意味異るあらば平に御容赦下さるべく願ひ奉る。百姓の仕事にいとまあるときに書き入り、蟲喰の原書再筆仕り、急筆にては脱字・誤字のあらんは付書を願ひ奉りて然るべきなり。

思へば余も年ふりて目もよろしからず。ただ信念に手探りし書なり。依て徒らに字を大ならしむに依り、大事なる紙面を枚數に多からしむ段、老婆心乍らくれぐれも御容赦あるべくを幾重にも詫び曰して、此の巻の末編に申添へ仕るなり。世はまさに維新来、一途に倭史の一色に丑寅日本の古事は塗り漬され、神代たる史頭を以て倭の紀元とせるも、丑寅日本紀元はその上に溯る。

八月了

和田末吉 印