北鑑 第廿九巻


(明治写本)

注言

此の書は他見無用、門外不出也。能く心得て失書あるべからず。

秋田孝季

諸翁聞取帳 一、

稻作と曰ふは東北に於て古代を如實に示せる史證にして、稻架・三輪邑の地中より大古なる農具の出づるありて知れり。此の古代なる稻田の崩滅せるは岩木山・八甲田山の交互なる大噴火にて地位に変異あり、降灰・洪水の故に人は移り廢墟と相成れり。

古代なる稻付はホコスネ・イガスネと曰ふ稻の二種なり。両種ともに穗先に鉾の如き長き毬のありき籾にて、支那より東日流に漂着せし晋の群公子一族の水田を創むる、丑寅日本國の初なる農耕たり。然るに寒冷の東日流にては、耶靡堆より落着せし安日彦大王より地民に賜りたる粟と稗にて飢に救はれたり。東日流にては三方の海に漁ありけるも、稻田の耕作渡来人の多かることとなり、宇曽利族・津保化族・阿蘇部族の集落をなせるありて稻田を失なふるは餓死の他術あらざる大事のときたり。

二、

安東時季が入唐の時に、地論宗と曰ふ十地經論を根本とせる宗旨を知りぬ。北魏の慧光律師光統を祖とす。十地經論とは、北魏の宣武帝の勅を奉じ北天竺の菩提留支・中天竺の勒那摩提・北天竺の佛陀扇多らの共譯せしも、三聖の所見異にして三著の譯書と相成りぬ。慧光は三者同意比較なし、留支及び勒那の義を合楺して一本と成らしめたるは現なる十二巻なり。これぞ集結し地論宗興起の根元をならしめたり。爾来、慧光教を稟けたる法上・慧順・道憑・慧遠ら及び其の門下を南道師と曰ふ。菩提留支に受學せし道寵一派を北道師と曰ふ。然るに唐の玄奘・窺基の祖傳せる法相宗が興り更に法藏が華嚴宗を開くや併合されたるも、安東時季は初期なる十地經論を執着してその旧巻を得て歸郷し、是を能く讀取りて秋田なる日積寺に十地論講を設して、十地論講の要旨は無始終とは眞如にして悟に至たらんは地論宗なりとて主唱せり。

四論とは龍樹の中論四巻、十二門論一巻、大智度論百巻、提婆の百論二巻なりと曰ふ。安東時季はこの他、旭川補陀寺・土崎湊福寺・檜山西明寺にても十地經論を説きたるも、振はざりき。

三、

東日流荒覇吐神外道教に梨倶吠陀論書と曰ふあり。四部にあり。一は利倶、二は婆磨、三は夜柔、四は阿闥婆と曰ふなり。天竺古代アールヤ民族、天竺西北隅なる山嶽より五河の地に大移住し来たり。時に詠じたる讃嘆ありき。是れを集したる十巻の詩集になるは千二十八首なり。彼の民は古代のシュメール民アリヤ族の系なれば、天地自然神祈願をなしアラ・ハバキ・ルガルの神を儀禮とせしも、此の地に移りては大禮を宗教世俗にして天地自然神に婚姻・葬儀・歴史・慰安・教訓・格言・掟・哲理・神信仰に讃嘆を以て神を稱ふ。

火の神アグニ、酒の神インドラ、雷神ワーユ、風の神マルツ、嵐の神ルドラ、破壊神パルジャニヤ、雨の神スールヤ、水の神サビトリ、大河の神ビシュヌ、湖の神プシャン、海の神ミトラ、日輪の神ウシャス、暁の神マシュビン、と曰ふなり。此の神は佛教徒及ヒンズー教徒にしては外道なるも、宇宙の創造より大地の開闢を根本聖典とす。依て安東氏は、是を石塔山荒覇吐神社にこれをアールヤの神とて石像を造りて祀りたるは建治二年八月六日なり。山中西に境内あり。異様なる像、今に遺りきはそれなり。

四、

東日流・秋田の古寺に阿羅邏迦蘭仙人を祀りきあり。天竺の數論派の學者にして天竺毘舍離城の近仙に住み、釋尊が苦行中、婆迦仙人や鬱頭仙人の許を辭して阿羅邏迦蘭仙人に出離得脱の求道に教へを請ふれば、次の如くの悟道を授けたり。

諸行無常是生滅法
生滅滅己寂滅為樂

是の如きを教へたり。仙人は婆羅門にて、婆羅門・刹帝利・毘舍・首陀羅の一にて、淨行・淨志・淨裔と曰ふ。梵天觀知の理智冥想の一大哲理の優婆尼沙土書あり。婆羅門教は尼耶也・吠世史迦・僧佉・瑜伽・彌曼差・吠檀多の六派を分出し、釋尊出世時の最上教なり。就中、僧佉・吠世史迦・吠檀多の三派は婆羅門哲理を總じ瑜伽・彌曼差の二派は宗を代總す。婆羅門教の要は人我の輪廻論・外界實有論なり。また生々のしるべに、人我は絶對者たる神我の一部にして唯一時の妄念に遮せられて迷約心情となり、迷境に輪廻故に妄念を除きては人我は終に絶對靈とに合致せる。是れ究竟境にして外界は僧佉之を永劫不滅の梵天所造と説き、吠檀多は無始以来恒有の妄念なりと説きぬ。また實有論とす教條には摩拏法典と稱し要旨とせり。是、吾が安東一族も重じて奥州・奥羽に阿羅邏迦蘭仙をかく祀りきものなり。

右萬藏寺 良覚坊

ママ

安東一族の外道に六種ありと曰ふなり。その一に自餓外道と曰ふあり。飲食を断って飢餓を忍ぶと曰ふもの。その二は投淵外道とて、寒中身を淵に投じて凍苦を忍ぶと曰ふもの。その三は赴火外道とて、火にて身を炙り熱を忍ぶものを曰ふ。その四には寂默外道とて、屍林塚間に住し默して語らず。牛狗外道の如く、人世に人に非らざる世捨ての行に耐ゆるものを曰ふ。安東海士の流たり。安東氏の一族は、能く外道を行に入れて身心を鍛えたり。また外道の誠とて能く行じたり。

五、

東日流中山に大藏山と曰ふありぬ。十三湊なる璤瑠澗にこの山ぞ見ゆ處に阿弥陀川ぞ流れ、邑ありて蓬田と稱す。大舘と小舘あり。何れも平城にして堀をめぐらして圍めり。金光坊圓證、此の阿弥陀川より一躯の阿弥陀如来像、川に流るゝを拾ひり。されば此の像の安置せる寺のありきを尋ぬるも、誰れぞ知るものなし。されば大藏山なる峯六澤に隠せし大乘經の守護とて草堂に安置せし像なるかとて、その草堂に尋ぬるも、在所知ること叶はざるなり。

丑寅に渡来せし大乘經は、至元丁丑年その元本本と曰ふを安東船主・安東忠季、元帝順宗より拝賜給ふたり。大乘經とは一切經または三藏經とも曰ふなり。主部が經・律・論と重譯されし蒙古古藏經なり。これを北方藏經とて、後漢の明帝より至元録に依りては五千五百八十六巻と曰ふ。丑寅日本に賜りたるは是に添ひて小乘經の聲聞乘經・縁覺乘經を併せ六百巻。永代藏管に漆に固封せし經藏にて箱毎六個に南・無・阿・弥・陀・佛の金文字をなして安東忠季に賜れりぬ。依て忠季、黄金六十貫を禮献せりと曰ふなり。この經を大藏山に秘藏とて定かなし。

六、

天竺とはアールヤ族の付名にてシンドと曰ふが始めての國稱なり。此の國には九種の禮法あり。發言間訉・俯首示教・柔首髙揖・合掌手拱・屈膝長脆・手肘據地・五輪著地・五體投地なり。天竺には五精舍あり。鞞婆羅跋恕・薩多般那求呵・因陀羅世羅求呵・薩簸恕魂直迦鉢婆羅・耆闍崛の五寺にて、月名も異なせり。一、制怛羅月、二、舍佉月、三、逝瑟吒月、四、頞沙荼月、五、室羅伐拏月、六、婆遠羅鉢陀月、七、頞濕庾闍月、八、迦剌底迦月、九、末伽始羅月、十、報沙月、十一、磨伽月、十二、頗勒窶拏月と曰ふなり。天竺には外道多し。

七、

東日流より三陸羽後の海濱に金毘羅宮多し。されば金毘羅とは如何なる神か。また外道の神か知るべきなり。この神の別稱あり。禁毘羅、又宮毘羅とも曰ふ。また威如王、蛟龍とも譯すなり。日夜十二時を守護せる藥師十二神將の一にして多くの夜叉衆を主領し、誓って佛法を守護奉る夜叉神王の上首たり。東日流にては金刀比羅神社とて鎭宮せしなり。天竺にては禁毘羅、又軍毘羅とは鰐にことなり。天竺は恒河に産し、六尺なるを普通とし、大なるは一丈三尺。それ以上のものも生息すと曰ふ。

金毘羅もひとつの説にては劫賓那また劫庀那・劫譬那・劫比拏・迦賓菟・金毘羅とも書きぬ。憣薩羅國の人に釋尊の弟子にて房宿と名ある所以は、父母が房星に祷りて生みたる故にて、能く天文暦數に通じ佛弟子中知星宿第一と稱さる。金毘羅または金刀比羅神なるか。安東船にては船神または龍神・海神に祭祀せるぞ多し。然るに能くぞ審しては、以上の多説あるを知るべし。

八、

山靼を別稱せるに波斯シキタイ國・波紫ペルシャとも曰ふ。更には波嘶ギリシア波刺私シュメール波刺斯トルコ波囉悉エジプトらを曰ふなり。紅毛人國・黒人國・黄人國と曰ひとも、一稱にして山靼と書くは語部録なりと覚つべし。丑寅日本史は山靼を知らずして太古なる人祖の故事を得ること難きなり。代々の移りに世界は変り民族の入替り、戦なる廢虚となれるもありて歴史の古事は留めがたし。依て、山靼とて總稱せしものと曰ふなり。太古より変らざるはクリルタイの盟約にて、商隊を襲ふことは如何なる國々にても破ることぞなかりき。

彼の元國とてクリルタイの盟約は護りたりと曰ふ。卽ち、商隊の至らざる國は世襲に消ゆるのみたり。クリルタイとは山靼諸國を自在に商ふ者にして、世の文明を報ずるの使者なりき。若し商隊を襲ふてその物品ぞ盗るあらば、まづ放たれるは傳達鳩にて知らさるなり。それを受けにし者は、その事起りき地位にありき地主及び商隊らに急報され、如何に遁隠せるも賊は誅されたり。この盟約をクリルタイと曰ふなり。商隊は山靼にて三萬人を越ゆる組ありて、シュメールのグデア王が民族を越えたる商人の權を、このクリルタイの盟約にて國の出入り自在とせるにぞ創まりたるものと能く心得ふべきなり。

九、

語部録に曰く、世界を見ずして語る勿れ。亦、風聞にて史書とする勿れ。と曰ふ。誠に然なる警鐘なり。亦、他書にあさり自加にして史書を造る勿れ、とも注告せり。求め知るべくの要は、生命を賭にして身心を以て探求ありて然るべくの實相史に遇せんとも訓ぜり。抑々世に多きは、まだ聞きの外史ぞ多きは、来たらずして記せるマルコポーロの東方見聞録にて吾が國を記せるが如し。山靼の商隊は何事も商の事になる外は、國と國との間諜をせず同處に駐まることなし。ましてや國情を探りて賄をなせる者は商隊の掟に誅さるゝなり。

國を脱し戦に落行く者は、商隊は救世主たり。古代シュメール民が東方に遁住せるに至るもその救ひに導かれたるものなり。かく落人の安住は商隊傳達の鳩にて達せられしより、鳩は泰平をもたらせる聖鳥とて山靼民族は神鳥とせり。依て、山靼諸民は鳩を飼ふあり。能く傳達に用ひたり。その故に文字を知り文字を書くるの智識に至れるは古代シュメール民の智慧たり。宇宙に北極星を見當にして一族の幾千里に惑ふなく故ある地への當着。また、暦を知りて子孫に傳へたり。吾が國の語部文字の起原なるは、古代シュメール民の傳達せる因源にあるを能く知るべし。今に用ふるめくら暦を見よ。

十、

私記

見ずして語る勿れ。聞きてのみ書く勿れ。触らずして感触を言ふ勿れ。他書に自己に評する勿れ。自記に自讃する勿れ。机上記より巡脚記なり。知らざれば知得努めよ。是の如く常に曰ふは秋田孝季翁なり。由ある橘氏に生じ、母の復縁にて秋田氏となり中年の後期、公私ともに世界に渡りて國禁に秘し幕費を以て山靼を巡脚せし仁は、前代未聞の成果たり。然るに田沼氏の失脚にて、總ては水泡となりにしも茲に丑寅日本の史を完遂す。生々流轉、たゞ旅の夜風に臥して筆なせる六十餘州の地に、安倍・安東・秋田氏に縁るを訪れ、記せし數のそのまゝに未だ世に出でざるは空しくとも、何時代にか大翼をせんと我は今日も書㝍に暮れ行きぬ。

蟲喰ひのうらめしき續書の叶はざるも多ければ、徒らに時を渡りぬ。恥し乍ら語部文字の譯讀叶はず、元字にて記せる多し。また難しきは佛語にして、今更に祖々の勞を愢ぶものなり。吾れも老たり。細字を記すも叶はず、貴重なる紙面ぞ大書に満せり。眼鏡ぞ欲せるも髙價にして得たれず。夜書に灯の菜油もまた、まゝならざる貧窮なり。古紙に以てようやく記せるも、吾が餘命幾ばくぞ。老逝くに起筆もまゝならざるは恨めしきなり。今はたゞ祖遺の書物を遺しきに、朝夕の神に祈りつ今年も暮れんとす。想へば永き歳月なり。然して命脈のある限り、歴史の㝍に盡さんは吾が想なり。

十一、

安東一族の菩提寺をして書に遺るは、十大弟子像と十六羅漢像の事なり。先づ十三湊阿吽寺に納むと曰ふは、

以上が十大弟子なり。更に次は十六羅漢ありぬ。

右は十六羅漢にて何れも等身と曰ふ。十三宗寺にてはこの他に次の像ありき。

右は王子十六像也。次には十六善神像ありぬ。

右は十六善神と曰ふ。更には十三佛在す。

右、十三佛也。次に十王ありき。

右、十一王にして成れり。更には十二神將在りぬ。

右以て本尊の三方に安置ありと曰ふは十三湊弘智日記なり。

十二、

安倍一族はもとより佛法たるに歸依せるは世襲の例に仮信せしものにして、心中に荒覇吐神の信仰を棄つるはなかりきなり。依て外道の教を入れて大いに荒覇吐神への併説を以て、信仰の求道に衆をして荒覇吐神の信仰を深妙を不動とせり。外道とは佛教徒の曰ふ言葉にて、佛法の他ぞ皆外道とぞ曰ふなん。安倍一族にして外道を學ぶは誰れとて自在なりせば、世界に通ぜる海に求めて旅立つ者多し。以十三湊にては安東船の長航に耐ふる造船なれりと曰ふなり。佛法に深く歸依せるは十三左衛秀榮・秀寿・秀元・秀直の四代にして、北の佛都とまでにその信仰三陸及び羽州までに渡れりと曰ふなり。
秀栄の曰く、

佛道の三寶に厚く歸依せる事は三界所造の魔障を断って佛の無上道に引導さるゝのしるべなり。佛の大慈悲は衆生して母の如く、父の如し。依て一人とて攝取に見落せるはなし。三寶とは佛法僧にして求めて苦行に非らず、山王坊精舍に十三宗門を開き置けり。求めて己れに心の安らぐ法門に入るは何人とも自在にして、何れの法門とて衆生に出入るは自在たり。心の選譯成れる道門に己が住生までに禅定あるべし。佛は人を救ふべくに存し、外道にぞ心轉倒せざれば浂は救済に達せん。唯一向に佛を念じ、經讀を強ふるに非らず。唯稱ふるは佛の稱名にて叶ふなり。云々。

十三、

弘智法印は奥州栗原の出なり。僧となりけるは三十六歳にして、京師に眞言宗を學び北嶺に四年、三井寺に宿行す。十三湊津浪とぞ聞きて、若狹の小濱より安東船にて東日流に入れり。時、興國元年七月なり。山王坊に入りて阿吽寺を宿坊とし、十三湊より江留間郡を巡脚す。まさに津浪の跡ぞ慘たりぬ。人馬の死臭ぞ四辺に漂ひ、破船材残海濱をはるけき處に流着し、郷至る處に水吹あぐる土穴かしこたり。鴉のつひばむを見ゆれば人屍なり。東日流板乃木に逆流せし海潮の浪災ぞ死者十萬とぞ、人は曰ふなり。弘智法印、浪殉せる災者供養に唐崎に地藏堂を建立して、千體佛を死者の殉地に埋めて供養せる後、京師に歸りて何處に在るや知る人もなかりきも、東日流に遺せし十三往来の文、今に遺りき。更に、弘智法印の地藏延命記の遺せるを茲に記せん。

夫れ往生の理りは佛陀の諸經に心赴かざれば外道の理趣に古因を脱せざるなり。佛道とて諸處に法門あれども、是の浪災ありては參寺の衆もなし。尋ぬるに、荒覇吐神なる忿怒ぞと怖る多し。依て茲に延命地藏を以て往生の六道の輪廻を説きなん。とて三巻を遺しぬ。云々。

十四、

外道論より

都度に説く荒覇吐神信仰に行に於て何事の難しきはなけれども、此の神の本體は天然自然なれば神像を造りて祭るは元来無ける神事なり。また家中に祀ることもなかりき。家中に祀るは汚れの祀るが如しと曰ふなり。されば神像なく神棚も無くば、どこに拝むるやと曰ふありて、説かん。神は常に外にあり。天然自然みなゝがら神なり。神は、人の造れる金銀にて造る像とて靈の入ることなけん。神は自然の相そのものなり。

依て人の生死も、神なる肌に生れその肌に死して逝く運命なり。何故か人は死を怖れ心轉倒す。神の肌とは大地なり。生命を保つは水と餌なり。さればその餌となるも生命なり。その生命とて人と同じく神の天地に誕生せしは人に同じけるなり。一日生きる人の生命を保つ餌とぞなりぬ他生の生命を想ふべし。水のみに生々は叶はず。水なくしても叶ふなかりき。虚空を吸ひ餌を食して保つ生命こそ荒覇吐なり。

十五、

外道論より

宇宙創造の神は荒覇吐神にて、外道の大要にても證すなり。信仰に非らず、迷信に非らず。因と果にそのなるべくしてなれる宇宙の創めは、無𫞫より有質となれる哲理の果にて宇宙は大光熱に暗を焼き、その焼跡に残りき宇宙塵より永き時を經て集縮し星雲となり、猶濃縮し星々の誕生となれり。暗黒に光る恒星。かしこに宇宙ぞ星の廻遊せる銀河の輝きぞ絶ゆなきなり。宇宙誕生よりはるかに時を降り成れる日輪とその軌道星たり。日輪第三惑星地星の誕生は、日輪の餘質にて誕生せりと曰ふなり。

かく因と果の有無より、外道にては是を理學せるは誠に以て信仰に宗教に越えにして説きたるぞ、外道の大成果たり。因の無か有なるか、果の有か無なるか。空しき理論と思ひども、因と果に哲理を化と科とせば、無は無ならず、質は質ならざるの量子なる力學と相成りて、無より質の誕生せるありとせるは外道の理學たり。かくある外道の想ひぞ、はるかなる古代に人の心髄に生じたるは賞むべき哲理なり。されば宗を立して支派、暗に釋尊の一法を分離せる宗派の如きは信じるに足らんとぞ安倍・安東氏は察せり。

十六、

外道論より

大地に生々萬物の生命體の誕生し、子孫耐生の進化を自から心身にその化身に生々を求むれば、代々生死を經たる後代に於て成れるは進化の奇なるところなり。翼なきに空を飛ぶ獸。翼ありきに飛ばざる鳥あり。更には、魚に非ずして海泳せる鯨の如きは生々に子孫を遺すべく進化と退化を以て萬物は今も世襲、地界風土に生々せり。追はれるものは追ふものに、小なるは大に進退の化は今も萬物をしてなせる中に人間ほどに萬物の先端にあるべきはなかりけり。外道にして是を曰ひたれば、因と果の奇併成長と曰ふ。

動かざる石土にもその因と果に分岐せば、その質に金銀銅鐡あり。大爆發質前含むありぬ。秋田の地湧油。渡島にては燃ゆる石あり。人の智は土石を以て刃を作り諸器を究造せるは、久遠に子孫をして大空に飛び水潜に大洋を渡りて生々の便とせる世の来たらむを、外道にては説けり。喇嘛耶那とは、人類の滅亡を餘言しその末路にては鐡をも溶かせる大光熱と、海ぞ凍り波立つなき大暗黒冷に死滅せると曰ふ。はたせるかな、是の世を招くは人間なりと餘言せり。喇嘛耶那とは何か。外道の聖りの他に知る人もなかりき。人の智は大自然力に一瞬刻も無能たり。云々。

十七、

外道論より

抑々外道とは、釋尊が世に在る頃より六種の外道ありぬ。外教・外學・外法とて支那に渡りたる頃にては九十六種となりて神聖なる隠遁者の奥義たり。然るに、佛教徒はこれを邪説外道として世に惡評を遺しぬ。然るに外道は絶ゆなく、外道四執義・外法九十六書、また外學因果論・外教無因果論を遺したり。丑寅日本國に渡らしめたるは外道十六宗の論師・蒙古のブルヤト族長の傳へし外道の北魏菩提流支譯なる提婆菩薩釋楞伽經中外道小乘四宗論及び、外道小乘涅槃論・楞伽外道論・釋外道淺近錯謬論・外道二十種論らの諸書を佛典として渡来せしものなるも、是を大事とせしは安東太郎貞季なり。常にして是を讀みて、佛法の夢幻よりこれぞ實成たりとて臣の者に學ばしむを、外法學とて大いに流盛せり。もとより安東一族は佛法を得べくを信仰の象とせず。外道の哲理に一心不乱たりと曰ふ。

以上越野文書より

十八、

諸々の理論にも成り立たざる領域より生じたるは宇宙誕生の實體なり。無界たゞ暗と冷なる、時も無き因か果か何れにも明解に及ばざる眞空の一点より起爆し、その冷暗を瞬時に光と熱にて焼盡くされたる跡に残れし粉塵が宇宙構造の物質となり、外道理論の因の無より生じたる有の果なる理論の成立なり。卽ち、無因より有果となりにし宇宙誕生論の事は外道の因と果になる哲理にて化科の成立相成りきは、彼の釋尊が在の生死の離脱論より萬論に決し難きを決したる宇宙誕生論理たり。大光熱に依りて無盡の冷暗を焼き去りし跡に幽かに残りし焼残物質こそ、化科の因果にして無有の因果なり。

かゝる實成哲理を以て、衆生に生死の因と果を説きける外道の眞理を、佛陀の無常論は諸々の事は無常にして生死は生老病死の四苦諦に決し、四苦諦こそ解脱なる悟道の赴く極樂世界なりとせる佛陀論に、外道の聖者は因と果は一連にして創り宇宙も星の誕生も死も、地にある萬物の生死も因と果に化科せる無と有の輪轉にして、生死の事も解脱を悟とせるに眞理なく、因と果は不滅に在續すと説きたり。卽ち生は死への赴きにして、死は生への赴きなりと解くは外道の人界よりはるかに溯る宇宙誕生時の瞬より創り、因は起にして生なれば、果は滅にして死なるも生死は久遠に不滅にしてたゞ生死の輪廻轉生なり、と説ける外道の無上理論たり。然るに佛陀の門徒は夢幻の如き説話に求道の當達を無疑の解脱とし、外道をそしるは今に遺りぬ。

越野記書より

十九、

外道に定まる要旨に萬論の覚ひ難きは無にして、一論に覚ひ得る理論こそ人とし生れ死に至るゝ安心立命の不滅なる眞理なりとて、吾が丑寅日本國の國神信仰の如く、天に仰ぎ地に伏し水に沐浴して清め、摩訶喇嘛耶那と稱ふのみにて他一切は無かりけり。まさにアラハバキイシカホノリガコカムイと稱ふが如し。

越野文書より

廿、

十三湊・湊迎寺及び東日流諸寺に地獄繪を正月十五日に十軸をかけて説く習ひあり。その地獄説に曰く、地獄とはその別稱を那落迦・泥犁・不樂・可厭・無有・無幸處などありぬ。地獄とは意譯なり。三途・三惡道・六趣の一にして衆生が自ら造れる惡業に由りて趣くべく地底牢獄。閻浮州の下二萬由旬を過ぎ、無間地獄があると曰ふなり。縦廣並に深さ二萬由旬の中に重層して大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄らの七地獄あり。之を八熱地獄と曰ふ。此の八熱地獄の各々四面に四門あり。その門外に各々四小地獄ありぬ。

これを併して十六遊増地獄と曰ふなり。八熱地獄と併して百三十六と相成りぬ。又、八熱地獄の周圍を見れば、横に頞部陀・尼刺部陀・頞哳吒・臛々婆・摩訶鉢特摩・虎虎婆・嗢鉢羅・鉢特摩ありぬ。また山間嚝野に散在せる地獄を孤獨地獄と曰ふ。地獄道は六道の地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の一なり。罪惡衆生が死後に生きるを地獄と曰ふ。蓋し、道とは因に名付くものの名にて善惡の業が人をして惡處に趣かしむる意にて道といひ、此の道の詣る處の意であたかも地獄道と曰ふなり。

廿一、

餓鬼道と曰ふありて、是もまた東日流の諸寺に存す。是を薛茘多とぞ稱し閉戻多・閉黎多・鞞禮多・卑利多・辟茘多・弥茘多・茘辟と曰ふ。巴利語にては閉多、西藏語にてはイーダと曰ひり。これは逝者の義にて鬼と譯し、支那にては死者の靈を鬼と曰ふ。天竺にては嗣子なく父母祖の靈を祀らざれば、其靈魂は鬼界に堕して苦痛を受けるとぞ信ぜらるに基きぬ。而して人間最初の死者にて、劫初に冥土の路を開いた者は閻魔大王。卽ち吠陀の代なるとヤマ王で、其世界を閻魔五界と曰ふ。これを餓鬼の世界とも曰ふ。

或は餓鬼所住の世界とも曰ふなり。是を茘多世界と曰ふ餓鬼世界にて閻魔大王が主たり。餓鬼に就ては次の教典ありぬ。大毘婆沙論・大智度論・瑜伽師地論・順正理論・正法念處經・業報差別經。是の如在書遺りぬ。餓鬼道とは六道の修羅をも加ふなり。その道とは道路の意にて、餓鬼となるべき業因を造りし者の行くべき道にて、位地は閻浮提洲の下五百由旬にあり。廣さ三萬六千由旬なりと曰ふ。七月一日より十五日の間、惡趣に堕し飢餓に苦しむ無縁の亡者の靈を弔ふ為に飲食を廻施する法會あり。之を布施する者は災難に短命に免がれると曰ふ。

廿二、

東日流にては金木なる川倉と曰ふ處に西(賽)院地藏あり。宇曽利にては恐山に西院ありて地藏を祀るありぬ。此の地の他、十三湊の湊迎寺・唐崎なる西(賽)院に安置さるゝ地藏尊は幼くして逝きたる童の靈・婚禮を前に逝きたる若き男女・また亡き親の靈を祀り、生前の顔に似せて石工に賴みその亡者の用いし遺物も添へて安置せる數ぞ幾千躯。地藏乍らも參人は亡き亡者の名を呼びて供養す。石に猶ほ叫ばん母の聲、父の聲。是れに靈媒せるイタコの告げに涙せる人々。宇曽利と東日流の風物詩たり。

地藏和讃を稱へ乍ら石を積むる母の亡き子への慈悲ぞ、ずんと胸を突く想ひに誰しも合掌す。地藏尊を祀るは、賽河原と稱しぬ。佐比河原・佐井河原とも曰ふなり。小兒の赴く地獄の名とも曰ふ。中古来、行はれし俗説にして、母胎の受けた苦痛に對せる恩に報いず、幼にして死せる幼兒は其處に来りて種々の苦痛を受くといふ。詳細は地藏和讃・賽の河原和歌にありき如くなり。名稱の起原は柱川・鴨川の合する京師の鳥羽村大字大字塔の森の南佐比の河原ありて起因すと曰ふも、宇曽利の佐井なる岩佛に由来すとも曰ふ。

廿四、

日髙見歌暦 上、

〽なれはしも
  無異の義あらば
   もんだはず
 虎の尾を踏む
  心なくれそ

〽立ちすがり
  袂にうくる
   秋の風
 ありつる人の
  心うつろふ

〽東日流野に
  骨を埋めん
   心得も
 風に任する
  眞如朽ず

〽はま梨の
  香る砂山
   崩れ越ゆ
 海の磯波
  かつささそむる

〽片そぎの
  春を盛りに
   水芭蕉
 眞白に楯を
  花に護らん

〽打火焚く
  虎伏す時の
   暗らあけに
 たゝみ重ねて
  炊事いそがし

〽嬲つて
  宵の宴も
   久しけれ
 戦に雨は
  はしたの浮かれ

〽よどればや
  千方といひし
   よそにのみ
 名は枯れたるも
  八千代にこめて

〽失なはれ
  とてもの憂身
   ありがひの
 別れは悲し
  白河の関

〽亡き妻の
  聲をあやなす
   子守唄
 今もうつゝに
  なじとも盡ず

〽みとしろに
  詣でる毎に
   枝さびて
 秋な通ふらし
  冬空の風

〽かこちこめ
  うはなり妻に
   からまりて
 今さらこそに
  いかにいはんや

〽忘れずの
  渡島めのこに
   歌添へて
 着物をおくる
  涙の別れ

〽とりどりに
  今を盛りに
   咲く花の
 げにも盡きぬは
  春霞みかな

〽鳴る神の
  近くに走る
   稻妻の
 胆膽碎く
  わだつみを征く

〽巣をいだく
  蘆の若葉を
   楯として
 鳴くやよしきり
  川のさゞ波

〽心だに
  世を秋風に
   夏は散る
 しばし枕に
  聞くや蟲聲

〽萩の花
  こぼるゝ程に
   咲きそめし
 秋のみちのく
  軒ばにぞ見る

〽冴ゆ月に
  云ひもあへねば
   我れからに
 此の詩を詠ぜば
  想ふのみこそ

右全歌詠人知らず。

廿四、

日髙見歌暦 下、

〽北上の
  川面に映る
   月影を
 睦みてゆれる
  蘆の波風

〽水月を
  手に汲みとらん
   心地にぞ
 手桶の水に
  忍ぶもおかし

〽もどかしや
  太鼓下手打つ
   音聞かば
 うたての人の
  明しかねたり

〽まさうずる
  月かりがねの
   聲なして
 見上げておぼろ
  木隠れの空

〽ひま手間に
  しのぎを削り
   仕上げたる
 菩薩の相に
  いつをいつまで

〽道芝の
  露にかゝりて
   わらぢ漏れ
 朝早發つの
  脚も輕けき

〽やごとなき
  仙家に入りし
   思子を
 不覚の涙
  何かつゝまん

〽うつせみの
  きのふの花は
   けふの夢
 梓の弓の
  つとなきつらさ

〽いさゝかも
  変らぬものゝ
   あるはなき
 降りにし歳の
  つらき身の果

〽思ひかけ
  また忘するゝの
   われをして
 身を知る程の
  かゝるべきとは

〽さながらに
  廻りあふべき
   まぎれにも
 夕べの空は
  心もとなと

〽一つ世の
  日も暮れ逝きて
   是非もなく
 大事の渡り
  心にくしや

〽雨乞に
  露もたまらん
   旱魃の
 祈りぞ捧ぐ
  雨池の淵

〽鬼神の
  祀りし宮に
   童等の
 なまはげいでゝ
  だまり泣きする

廿五、

丑寅日本國の神事に三職ありて一をイタコ、二をゴミソ、三をオシラと曰ふ。イタコはもと荒覇吐神のヌササンに神託せる靈媒師たるをイタコと曰ひり。ゴミソは神に贄を献ぐるイオマンテの司にして祭文を神に稱へ、弓舞・剣舞・メノコ舞を導き、素焼くる神に魂入せる祈祷師たり。オシラは一族のチセに子孫の繁栄、災難を除くる占師たり。何れのコタンにも常在し、人々の病及び家運を吉祥ならしむる三師たり。何れも山靼渡来の藥治法・祈祷法を習へて修せり。

コタンにはポロコタンとて大邑あり。オテナは居住して各々のコタンに主たるエカシに傳達せり。イオの大祭に遠く山靼よりクリルタイの要人を招き、その盛大なること五千人または一萬人と集ふたり。女人らは大いに着飾りてイオマンテの宵は七日七夜に祭るなり。各々のコタンの長老、卽ちエカシらは此のとき大王を選びて、神のヌササン・カムイノミに授位され、マギリの舞を献ぜる習ひたり。祭の終日には熊を靈使として神のもとに贄とせる神事ありてこれをイオマンテと稱せり。カムイノミの火に焼かれし神像は各々造りし者に渡りて、イナウに清聖水を満たし洗靈入魂さるは素焼に造りし神像なり。

廿六、

古き世の事は語部録にて古老の譯にて書取りぬ。古代語多くしてその意趣の解けざる故にあり。依て、本書に奉仕下されたるエカシの御助力を永世に書留むを得たり。茲に御芳名を記して永代に傳へ遺しぬ。

ネコタン
エカシサムシュ
ネップコタン
エカシオロスコ
サロマコタン
エカシオショロ

右御芳名如件。

廿七、

安東一族が十三湊に山王十三宗寺、藤崎城に平等教院萬藏寺、右二寺院に山靼より入れたる佛經典及び佛像の舶来ありて、各寺に納めたるは大量にしてその多くは嘉吉の変にて全く失ひり。本巻に記されしは目録にして書取れり。安東船に依れるは波斯よりの遺物多し。幸にして石・銅・金の材にて失ふはなかりき。波斯よりのものは古代オリエントの實地より地王より献ぜられし品多し。然るに東日流にて信仰の要を為さざるに、石塔山に秘藏せしも今いさゝか遺りぬ。何れも貴重なれば社寶と保存す。

廿八、

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語部録は北の鏡なり。永代に渉りて諸國の諸翁に聞取り、また秘藏書々に㝍しぬ。依て史實の要を永代に保つことを成就せり。丑寅日本國はまさに古代の寶庫なり。アラハバキ大王國の古代こそ眞實なる日本史にして、永代に忘ることはなかりき。

秋田孝季
和田長三郎吉次

廿四ママ巻了す。本巻の一項に私心に發見なさしめて加筆せるありきは外道の一部なり。

和田末吉

和田末吉 印