北鑑 第卅一巻
(明治写本)
注言之事
此の書は常にして他見無用、門外不出と心得よ。亦、一紙たりとも失ふ不可。
秋田孝季
一、
人は權力を欲しままに財を満つれば己れを神と曰ふほどに、信仰にもその威慾を以てなせるおろかさありて、遂には崩壊して滅びぬるは歴史の常なり。人の造れる古話に、惡なす者は必ず滅ぶと曰ふ事に了るるも、歴史の事は惡程に世にはびこり善なるは潰さる多し。信仰に歴史に權者をして衆を従はせ、正道なると眞實なるとも權者に好まざれば圧せらるなり。黒き鴉も白と曰はしむるは世襲の權力なり。民を人と思はず税に苦しめ逆らひば刑に伏し、平等なる天秤もその重輕をまゝにせんは權力になる法なり。
二、
歴史を想ふに、人の世襲に生々せる善と惡との区を分つとも、人は理を學び法を以て裁き權を以て治政を為せるは、何れも正と邪にて輪せるあり。人の安住を犯し生命を殺戮して、是を正統とてなせる戦略の如きあり。人の為せる法にては天秤の如き神の法則により裁かるあらば、是れぞ罪は權政に猶罪ありて正統なるはなかりきと曰ふなり。天地水のなかに父母をして世に生れ、生死を輪廻せるは萬有の生命にあるものの法則なり。
神とは自然にして過去・現代・未来に於て世に去りしもの、現代に生息せるもの、そしてこれから末代に生れ来るものは一系にして生死を以て三界にありき生命にして、神の法則にして身は老ひて死すとも魂魄は不死なればやがて新生の體に甦り三界に往来せるは、人祖の創めより轉生し来たるものなり。身にある生命は期を限りに終るとも、魂魄は不死なるものなりせば新生をして世に盡るなしと覚つべし。依て神の法則に反きあるべからず。
三、
古代を妄想する勿れ。溯る古代に己れをして思うがまゝに他傳せるは偽なり。吾が丑寅日本國の史傳に實證なせるは語部録の他、世に非らざるなり。永き代々に安住を犯され北域に追はれ、歴史の證なすものを奪はれ抹消され、茲に唯一つ遺きり古代の證は五千年来の語部録のみなりとて過言ありまづく重寶たり。文字なき代の文字は波斯より古き代に傳へし古代文字なり。能く語部録に學ぶべし。
四、
大古に歴史あり。萬有の祖なる原生の成れるより人の誕生に至るゝは總ては歴史なり。何事も神を想定にして夢現せるは根原なき理趣なりと思い取るべし。神とは因と果なり。信仰に於て人の相に神像を造り是を崇拝せるは、本来空なる理趣にして誠の眞理に非らざると覚つべし。宇宙創造より久しきを過程し、因に依りて物質を造り果に依りて化科の合成萬有の生命を創りて世に成らしめたる三界の過程、今に成れるものなり。依て神とは天然にして、自然皆ながら神と悟りてあやまりのなかるべし。天然自然その天地水に化科の自生に誕生せる生命の、萬有に創まれる法則なり。
神とはかくある創造にこそ實在す。神は萬有り、人の創造に非ざるものなり。人が像を造り信仰の像とせるは何事の靈験も非らざるものと覚つべし。神とは、大自然をして皆なゝがら神々と悟るこそよけれ。丑寅日本國は日輪の光熱をして大地・大洋に萬有せる生命存程の神あり。その加護に萬有生命あるが故に、日本國と古代に國肇せるは丑寅日本國の國號たり。倭國にては此の國を蝦夷とし、化外のまつろわぬ蝦夷の住むる國とて幾度の征夷に國の安住を護らんとて幾多の生命をその侵略に殉ぜしや。歴史の實相ぞ語部録に記逑あるを知るべきなり。吾が丑寅日本の神なる信仰にこそ誠の眞理ありぬ。是ぞ神のありかたなり。
五、
古代荒覇吐神なる信仰に於て天地水一切のものを神とし、物質にて成れる己が身命をも神と崇むるほどになる信仰に、心して信仰の誠を完遂せるに信仰の誠ありと祖来よりの傳導たり。崇拝の念を行に顯し、禮には三禮四拍一禮なり。亦、口に稱文せるはアラハバキイシカホノリガコカムイ。以上をくり返してカムイノミを焚き、ヌササンに向ひて老若男女、天地水になる自然の相を即興に舞踊を捧ぐる後、神への使者とて空に鳥を放つ。山に獣を放つ、川や海に魚を放つことにて諸願を達すと曰ふ。
神への行事は地に依りていささか異なるも、意趣は同じく祭祀を為せり。山靼よりの歸化人より、衣食住の様を學び信仰の様も改めぬ。丑寅の民は舊習の能きは存續し惡しきを廢し、新しき益なすに進みて實踐せるは古来よりの偉風たりと曰ふ。その實を挙げたるは山靼往来・産金・産馬・海産と、民のくらしに豊けき安住の智識を得たりと曰ふは古きよりの傳統たり。依て神と信仰にても、民族一統崇拝を統治せり。丑寅日本國は民を波斯までも遣し智識を世界に求め、國運を隆興せしめたる古代を知るべし。
六、
丑寅日本の古代に民族の遠祖を尋ぬれば、渡島、流鬼島、その海峽を渡りて黒龍江を溯り、興安嶺を蒙古に越え、波斯國までも人の祖縁ありぬ。アルタイ大平原のシキタイ民・オスマントルコ民・ギリシア民・ユダヤ民・カルデア民・エジプト民・天竺民・支那民の他、ブリヤート民・オロッコ民・オロチョン民・ギリヤーク民・クリル民・ウデゲ民、他少數民五十八民の類ありぬ。吾が丑寅日本にては是の民祖をして、津保化族・阿蘇辺族・麁族・熟族あり。是れぞ先住民四祖と曰ふなり。此の國を地語にしてツパン・ヅパン・ツカリ・ルガルと古稱に遺り、古き世の遺物ぞ土中より各處に出づるありぬ。日本と號くるは安日彦大王よりの國號たりと傳ふ。
七、
白山神・白神山と曰ふ白山信仰は、三輪山信仰と同じくして阿毎氏の氏神たり。加賀の國・犀川の川上なる三輪山及び白山を神と崇めたり。白山神は支那及び高麗の白頭山及び韓國の大白山信仰たるを加賀に渡りきものなり。西王母・東王父と曰ふシャンバラ即ち桃源境を説き、吾が國にては常世國とも曰ふなり。祀らる神に九首龍・饕餮らの他、女媧・伏羲を従神とせり。茲に奥州にては白神とは、おしらと曰ふ女人の巫女に相信仰を以て古代占師たるものゝ如し。
津輕にては、この他にごみそ及びいたこと曰ふもありて信仰あり。何れも今に遺りぬ。古代信仰は人は人にして、人を越ゆる超人となるは叶はず。如何なる權者とて自からを神の如く、神を信仰を冒瀆せる行為は、神の報復に人として甦がえざる邪道とせり。依て神をして占い事のせるものは、衆に迷信の事を告げるなく、唯一向に神を稱名して無心に靈感せるを以て占をなすべきと師の導きを授くなり。
八、
奥州紫波の郷に怪奇なる古傳、今に遺りぬ。此の地は奥州の旅宿をなせるは早池嶺山石神を東に參道あり。西には和賀嶽金山ありて山師の宿と曰ふありぬ。古きより安倍一族の隠し金山その東西にありて山道に関を以て閉ぎけるも、倭人の錢買能くただら衆をして横流しあり。産馬の牧ありければ、その種馬を得んとて密買も横行せり。安倍一族をして常にその警羅に心せるも年毎に侵犯ありて、紫波に山根柵を西柵・東柵を築きその往来を偵察せり。康平元年八月、源氏の間者あり。その関を避けて軍馬を百頭を連れいださんとせしも、山師の告げにて是を知り、馬喰らを捕ふなり。安倍一族にては馬を盗むは重罪にして、卽日に斬首されたる處を首落平と曰ふなり。此の地に怪奇なる靈鬼、道行く者を驚ろかしむと曰ふ。頭は馬頭にして、體は人間なる幽靈なり。
時に安倍三郎、是れを退治せんとて矢巾次郎と倶に淨法寺傳来の寶剣を奉じて、此の地に赴き幽靈のいでくるを待ちければ、夜丑の刻をして霧の立つこむや顯れたるを、間赦さず摩利支天の寶剣にてこの幽鬼に襲へ斬りければ、断末の絶叫にて幽鬼倒れたり。さればこの幽鬼の體、朝風に當りてたつまちにして老狐に変相し、胴體眞二つに斬断れ三尾になる白狐となりぬ。馬頭幽鬼の正體見屆けたる三郎及び次郎。是れを焼拂ひてその遺骨を埋めし處を、今に狐森と稱したり。此の狐を退治しより安倍一族の武運なく、康平五年厨川の合戦を末期に一族滅亡せりと曰ふ。安東氏の代にこの狐骨を中山に葬して供養。以来隆盛す。
九、
荒覇吐神信仰の要は、人をして人の以上になれざるを心して、神への信仰は人生の安心立命に精進せるを一義とし、人師論師の達辨及び達行に惑ふべからずと説けり。一宗を立してなる宗祖を神と佛と、心に人の上にありとぞ思ふべからず。あくまで人にして導師として心せよと説きたり。無中に信仰の善惡を選らばず、己れも理の解さざるを信じべからずとも曰ふ。人の生々は歳命を經る毎に善惡の選抜をせずして至るゝによりて、代々に善惡の盡るなき世襲にくりかえしぬ。童心・育成心・報恩心・慈悲心・成心へと達するは誠なるも、その間に伴ふは慾心・邪心・破戒心・怨心・威心・己心より抜けざるが故に人生にその運命ありぬと曰ふ。信仰とは人と人との睦みなり。能く保つべし。
十、
時々に想ひの事をつれづれがなるまゝに書き遺せる故人の文書を記すは北鑑なり。貧さに百姓を一途に、日夜に更けて書きつる一文にも、私に非らず。諸人に聞く故人の傳を古今にして綴るは余の祖命にして、今や逝き近き浅學の頭脳にて筆なすはおこまし乍らも、續け居りぬ。故人の傳へきものは大事なる歴史の一片なるも、代々に綴りては、その歴史に偽のなき傳となりぬ。丑寅日本國は未だに蝦夷とぞ曰はれむ古史に封じ居るも、古史にして人祖の國たるを知るべきなり。
古歌ありて曰す、
〽人はみな
あありのよなく
産にける
あありに出づる
かむいのしもべ
あありとは東方にして、よなくとは女神なり。丑寅に土焼にて造れる神像あり。何れも古語にして、あありのよなくかむいとぞ曰ふなり。古き靈媒いたこの祭文に遺れる古語の一説なり。あありのかむいとは、東の神と曰ふ意にして、日輪はかむいと曰ふ意なり。
十一、
丑寅日本國の古代に於て人祖の創めより、天に仰ぎ宇宙の運行に神の靈感を心に授けて、宇宙の一切をイシカとせる神に哲理し猶求めて宇宙の肇めを無因より起る有果の化科なる物質誕生を究めたり。宇宙の暗黒より、大光熱の一点より無限の暗を焼きて跡に残れる塵の集縮にて阿僧祇の星の銀河誕生せる。因と果に化科せる法則にて成れるもの、是ぞ銀河宇宙界なり。その阿僧祇星界の一銀河に、日輪を中央にして九星あり。その第三惑星なるは地球星なり。
古代人は常にして日輪の運行を見つめ諸々の哲理を覚り、哲理より化科に因と果なるより成れる星の死と誕生せるを、生と死に廻る不滅の續く銀河に地界は一塵の粒星なるを覚り、その命運は日輪と倶にありけると悟りぬ。地界に生命の成れるは日輪の光熱適當し、地なるホノリ・水なるガコの三要に依りて生命誕生しける原始より成長の進化あり。萬有の生命は増減を防がむが故にその生命體を相喰むる生命存續を連鎖し更進化を以て生命生死の轉生を以て今に存續す。是れを丑寅日本國に居住せる古代人は遠く波斯の諸人よりその知識を入れて成れるは、荒覇吐神と修成す。
十二、
佛法に阿耨多羅三藐三菩提と曰ふ解脱の求道をして無上とす。支那神仙の成道に桃源境シャンバラあり。波斯の外道には因と果論ありて、人の安心立命を説く。人の道とし信仰とせる中に、世界諸國其の他の國々に信仰あり。その遺跡を今にせるも、古来の信仰の絶えたるもの成道修成に遺るものあり。亦、新興の宗立せるもの多し。人の生々に衣食住の他に、心の安らぎなる信仰は人生に不可欠なるものなり。信仰を立し、神を感得して新興せるなかに邪道の黨侶あり。修善のものは陞り造惡のものは堕ち、衆の信仰にあやまりのなき教へのみ、永く遺りぬ。
吾が丑寅日本國の信仰なる荒覇吐神の元なる發祥の地シュメール及びギリシア・トルコ・エスラエル・エジプトにては一人の信者も非ず。人の移り変るゝ世襲に神仰も併せて移りぬ。丑寅日本國の古代信仰とてイシカホノリガコカムイより荒覇吐神に併せたるは一度にして、今に永續しけるはまれなり。抑々信仰は人心にして、救済道の正しきは遺りぬ。依て生々を安らけく、死を怖く想ふなく生死とは老脱新生の輪廻と悟り、死して極樂・地獄のあるべからず、人は人以上に成るを能はずと覚るべきなり。信仰とは迷信に堕ひざる修善道場とて、徒らに邪神邪道の邪教に赴くべからずと、荒覇吐神の信仰は大要とせり。古代波斯國より渡来せる五千年前の教理こそ眞理なり。
十三、
シキタイの民は馬を駆しアルタイ草原を更にモンゴルに至るゝ大擴野を横断、征馬の域を擴むるに、その民族信仰の神はギリシアの神々を崇拝せる者、またはシュメールのルガル神及びアラ・ハバキ神を信仰せる多く、その故縁にて吾が丑寅日本國に渡らしむるに至りぬ。世に騎馬民と曰ふ族はモンゴル更に満達の興安嶺に至る世襲もありぬと曰ふなり。彼の民はギリシア神ヘラクルスの神孫と曰ふほどに勇猛果敢たり。大群馬及び羊を引連れて大陸を横断せる跡に草の喰筋、萬里の長城が如く擴續せりと曰ふなり。此の民族はブルハン神をも祀り、此の神なる使者鯰を型に棺を造り死者も葬せり。
十四、
丑寅日本國の民は北極星を神聖として、彼の星を不動なる常世國の常在せる星とて殊に崇拝せるありき。神の常世國とは佛法に曰ふ極樂、キリシタンやパテレンの曰ふ天國を曰ふ。北極星を軸に廻る小熊・大熊座の四季に廻るを卍と卐とせる神の印とせるあり。佛法にても是を佛印とせり。北極星をイシカカムイのオテナとせる丑寅の民は、北極星を宇宙の窓としイオマンテの祭事は常にしてヌササンを北極星に向けてイナウを捧立せり。日輪は昼の眼にして、北極星は夜の眼なりとて古来より北民の信じるところなり。
北極星を仰ぐ山頂信仰をホノリタンネと曰ふなり。昔よりコタンエカシの祀る神にて、北民が司るアラハバキカムイの神事の常に祀らる神なり。古代丑寅の民は北極星の位方は昼夜雨天にしても見ゆほどに信仰を積めりと曰ふなり。此の神の使者とて白鳥・丹頂鶴などを神鳥とせり。卽鳥以陸水為神と曰ふ意なり。語部録に曰く。
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十五、
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ツパン・ジパンと古稱されし丑寅日本國の民に、神を信仰し人の睦みを保って生々せる衣食住の事は、春夏秋冬に山海より保食を採し、飢餓に備へて憂を避け、互に餓死を脱して安泰せり。冬寒にもめげず山海に狩漁しける北民の千惠こそまさに安住の國造り・人造りに向上せしめたり。干物にして長期の保食ホツルチセと曰ふなり。卽ち、永く保てる家の食物と曰ふ意なり。衣の多くは獣皮にして更に草木の皮を以て織なせるカッペタと曰ふありぬ。住家はチセ・コタン・チャシ・ポロチャシの造法あり。夏に涼しく冬に暖き葦屋なりと曰ふなり。
十六、
丑寅日本の古代史をして、山靼及び波斯の國なる古史に遡らでは、明解得られずと曰ふなり。荒覇吐神の信仰はシュメール國を抜きては為らず。その渡りなるエジプト・エスライル・トルコ・ギリシア・シキタイ・モンゴルの信仰に抜きてこの國に至れるものなり。アラは天にして、ハバキは地水を意趣す。丑寅日本國はかく古代に於ける深層に在りて渡来せる信仰なり。人を睦むは文字の渡来なり。丑寅の民は爭ふを避けて人命尊重を一義とせり。古きより一夫一妻に掟を固くせる民なり。親を大切に孝し、衆は倶に交りぬるはカムイの信仰をして、相互に和を深く一族一身同體の如く國造り人造りをせり。神を荒覇吐神信仰の一統に外る者なく、安心立命を神と人との和に以て生死の事は一切天命に安じたり。
十七、
〽わが國の
四季の移りは
採深く
海や陸にも
幸やあふるゝ
古代より丑寅の國は、幸の御園たりぬ。山靼より異土人の歸化せる知識をも渡りて倭國をはるかに遡る歴史の深層たりぬ古層に在りぬ。丑寅日本國に渡来せる帰化人にして、古代オリエントの國々より多大なる文明の渡り来たるなかに信仰あり。文字を以て通ぜる學道あり。金銀銅鐡の採鑛あり。倭をはるかに先なる世の史實なり。地に大王を國主として國肇とし人造りとせるは一萬年前より民族の風俗にして、変らざる史實なるも、後世に西南に起りき國盗りの勢に丑寅日本國はいつしか化外地・蝦夷地とて侵略をまゝにせる世襲は未だに此の國史に遺るまゝ改むるなかりき。黒き鴉を白と曰はしむる如く、丑寅日本國は元よりの國號までも奪はれたまゝ歴史の事は倭史に染しむる信仰にて、吾が國の古事を抹消しけるは現なり。
十八、
〽年ふれば
露と消えにし
みなながら
歴史の誠
人の傳へも
菅江眞澄が外濱の荒覇吐神社に詣でし遺歌ありぬ。古きの人跡ぞ宇鐡に至る間、由来地住の民に遺りきも是を法度とせしは世襲なり。荒覇吐神社の遺りき跡は東日流より坂東に至る間に消滅せるもの參百八十三社にして、名稱改たる社は七百八十九社たり。幸にして現存せるは二十六社にして未だに息吹きぬ。なかんずく多賀城に遺りき天宮・地宮・水宮の遺りきは幸なり。とかく奥州の歴史は倭國史に添はざるものは排斥さるゝなりきも、史實は強く今に遺るも多きなり。丑寅日本史は倭史に染むなくたゞ眞實に通し、世襲にさらさずに遺るゝは常なりき。世襲をして古来傳統のものの優れたる舞草刀鍛錬岐術も、鎌倉に捕引され相州刀とて遺るゝも、舞草刀の如きは一刀も遺らざるは奥州鍛治の秘たり。
十九、
元寇とは倭人の武士に敵はざるの異土戦法たり。西は筑紫より北は樺太に上陸されし元寇のとき、北方のみは東日流安東氏の請願にて不戦と相成り、大量の兵糧を戴きて和解せり。此の年、奥州は凶作にして諸民この兵糧の援によりて飢餓を免れ、その報恩とて奥州の寺社にフビライハン像や揚州知事たるマルコポーロの像を安置せるに至りて、今に猶以て崇拝さる。元寇にて樺太に上陸せしものは六萬四千人と曰ふ。
蒙古軍の崇拝せる信仰にラマ教多く、ブルハン信仰の佛教徒たるも多し。天竺・支那の佛法と異なりて土民信仰と混合せるものなり。吾が丑寅日本國と同通にせるはクリルタイにして、アラハバキ信仰のブルハン及び古代オリエントの各宗様々なり。何れを崇むとも自在にして多宗たり。一統せしはクリルタイの集いにて、商人をしては越境も科あらず何れも自在に商行せり。モンゴルより吾が國に到る信仰に荒覇吐神ありつるなり。
廿、
荒覇吐神の古代なるはイシカ・ホノリ・ガコ三神にて成れるも、地民のなかにオシラ・イタコ・ゴミソと曰ふありてコタンの人々に祈祷・靈媒・占と曰ふ神をして神事せるありぬ。オシラとは女人にして、イタコは盲目の女人なり。ゴミソとは男女何れともその神事に當りて人々の病疾や運勢吉凶の判断・葬儀らをなせり。イタコのみは死者の靈媒をして遺族に告げたり。何れも荒覇吐神を主導として、
- 一、イジナ
- 二、コクリ
- 三、スイコ
- 四、トロロ
- 五、ブルハン
- 六、ムロ
と曰ふ六法にてなせるも、今は古代なるはなく、何れも倭神及び佛法にて神事をなせるも、昔法の如く衆に事々の靈験や非ずと曰ふなり。今は名のみ遺れり。
廿一、
古代の占法にては、流星占・カムイノミ占・水占の三法にして神事とせり。占とは荒覇吐神の神事の外にありて、正拝行事に非らざるなり。その神事に於ては神像を造らず、占事の一切を行せず。人をして靈媒などは、人は人より上なく如何なる者も神をして神に親近叶はずと戒しむ。ヌササン・カムイノミ・イナウを以て神事の要としてなるはアラハバキ神のイオマンテとせり。神は天然にして自然なり。見えざる空風や宇宙の遠きにも神の相なり。日輪は光熱、大地はその化に依りて萬有の生命存續す。生死の事は、子孫をして甦える新生への道は、死を越えその眞理あり。死なくして新生なしと心得たり。かくある魂魄の生命不滅と物質なる生命體致死の理を解脱せずば久遠の死境にさまようものとて、人と生れそして死す後の新生への甦りの必至を、人として再来せん一途を天に仰ぎ地に伏して信仰の誠とせよ。
廿二、
北方を丑寅日本國土とせしは安倍・安東一族の代にして、極北の地より角陽國・白夜國・神威茶塚國・千島・樺太・渡島を以ての治世を、朝幕をして北に追ふが如く丑寅日本國侵略してとどまらず、ただ蝦夷とて化外のまつろわぬ蕃人とてそのくらしを乱奪せる耳ならず、永きに渡りぬ。かくある朝幕に、氷雪極寒にて護りたるは天然の神荒覇吐族として、蝦夷と曰はれし丑寅日本國民の永きに渡る現今に猶續くる世の相なり。諸々の奸計謀略に丑寅日本國を仮想敵國とて征夷大將軍とて今に猶朝庭に存續す。是くある世襲も必ずや神の報復に屈せるあらんを今に至らんや。
廿三、
此の書は各々に丑寅日本史の要を記したるものなり。諸國を巡じて古跡・地人に尋ねて記逑を綴り後世に遺すは、古き世の實相を遺す唯一の手段たり。北鑑は庶民の口傳なり。依て六十餘州に安倍・安東・秋田氏、和田氏の在住ある處、その神社佛閣のある縁りのところに巡脚して、一切の故事を集綴に記せしものなり。依て、丑寅日本國に秘めたるの歴史の解明に至りぬ。蝦夷と忌はしく今猶改めざる實偽史の事は、久遠に續くるなく必ず歴史の報復あり。世襲の權政の作説の事はあばかれ、次世の當来は今に来りなん時に於て本書は眞理の誠を連らねんものと念ずる。
和田末吉 印