北鑑 第卅四巻


(明治写本)

書言

此の書は他見無用にして門外不出とせよ。亦、一紙たりとも失ふべからず。

寛政七年
秋田孝季

一、

古来より荒覇吐神の信仰に一義實行とせるは一夫一妻にして、親なる老人の養老に尊命を孝するに在り。是を信仰の善行として重じたり。人の生命こそ自他倶に己れの出来得る限り救済するこそ神の救ひにあずかりし人なり、と神事毎に説くは信仰の常たり。依て掟を以て、爭ふる事・殺生・盗奪・奸通など人の生々のなかに犯すべからざるものとし、その條四十八戒にして護るべき人道とし信仰とせり。荒覇吐神はかく道理を破戒する者は罰則せり。依て、子なき老人・親なき子を神のめぐり合として不幸を造らざるにつとめたり。

二、

荒覇吐神の化身にあるは古代カルデア民の宇宙への運行に黄道・赤道の春分・秋分の接点に四季の神々を十二神とせり。アラ・ハバキ・ルガルなどの神を主尊として説く全能の理りを聖典とし、オスマントルコ・シキタイ・ギリシア・エスラエル・エジプト・アラビア・インド・チャイナ・モンゴルなどに渡るも、地神の信仰と併せてなれるは現代に遺る諸宗なり。此の世に神と信仰を創るはシュメールのグデア大王・ギルガメシュ大王の聖典に依れるに發祥せり。アラとは雄神にして、ハバキとは雌神なり。世の萬有生命は何れも雌雄をして生るゝを法則として、生物生命ありきは當然なり。

アラ・ハバキとは哲理化科に説きては因と果にして、他論のなかるべし。因と果になるその要点にあるは、無より生ずる因あり物質をして果と相成れる法則にて、萬有はなれりと曰ふ。抑々、宇宙誕生の肇より因と果なる化科に依りて阿僧祇の宇宙は成れり。吾等が地界とてその要に究むれば數億銀河の一にして、この一銀河さえも數億の星團にしてその片端に日輪を軸星として地界はその光熱を浴し、水と大地にて成れる星と誕生せる惑星なれば、擴大なる宇宙の塵の一粉如き小惑星なりと曰ふなり。天地水の化科に依りて生物生命ぞ萬有し、生死を以てその子孫を萬代に進化せしめてなれるは我等人間なり。神として祀るは、是く因と果に依りて成れる天地水の化科を神として荒覇吐神と曰ふ。

三、

此の國は民こぞりて大王を選び國を造り、日本國として丑寅に興したる國なり。民族六族にして坂東を堺に、東北にその王國を治しめせるは、倭國をはるかに先に越して成れり。北はクリル族より阿蘇辺族・宇曽利族・麁族・熟族・耶靡堆族との併合にして荒覇吐族とて、此の國を日本國と成せり。更には山靼よりの渡来民も併合し、茲に古代大王國となれるは、語部録に證せる處なり。是の深層にありき丑寅大王國を蝦夷として倭の下に伏せる世襲は、丑寅の國も住み人も魂のもたざる鮫の如き凶惡に敵視を以て討って取るべき征夷の對黨とせるは、睦みなき討伐行なり。

丑寅日本國を人とせず鬼畜の如き賊とせるは、まさに忿怒やるかたのなき永き歴史構成なり。吾が丑寅日本國は旣にして山靼とのクリルタイの盟約に列坐し民族の商易を振興せり。依て、旧唐書・新唐書に日本國は倭國と異なる國と明記遺りぬ。異土と交りたる紅毛人の歸化在住を東北地に認むは人國記に遺り、日本書紀の史傳は倭史一色に記るされしを紫式部は日本書紀などは片そばぞかしとて、造話作説なるを明白せり。吾が丑寅日本國を蝦夷と曰ふは、倭は侵魔の輩なり。

四、

緑の葦河原に香る初夏の舟旅に、日髙見河を追波浦に出でむ。月の浦にぞ山路越え、伊達殿が秋田氏の船大工の岐に委せて造りきはサンパプチシタ號たる紅毛人型船なり。古来川舟とて日髙見川往来船は、秋田なる土崎・能代の船大工加へて北浦の大工衆合せて三十人なり。人夫記に記るさるは次の如くなり。
火内豊島の住人、
大丸屋組、
檜山の辰造、
鷹巣の利衛門、
相川の惣吉、
阿仁の健造、
北浦の専吉、
城之目の与介、
以下二十六人にて、
檜山城の秋田家
行丘勝之介、
山王次郎太、
旭三郎是之、
新田賴重、
小野寺小五郎、
由利佐馬之介、
小野権八郎、
二階堂与爪郎、
岩見澤忠吉、
らにして水先とて、サンパプチスタ號に乘員たりと曰ふも、伊達の家臣とて名目せるもその事一切徳川の隠密に探られ、松平重任にて秋田實季の伊勢朝熊に蟄居となりぬ。然るに伊達の反目に怖れ、その相續三春に以て今に遺りぬ。

五、

古代羽州の地は異土人の漂着せる多し。秋田の鬼とは紅毛人にして、能く漂着せる多し。秋田に多説あるは鬼傳説をして今に遺るは山靼より渡来せる波斯人多く、故地の戦乱に乱を脱して来たる人々なり。古代よりシキタイの地よりモンゴルを經て黒龍江を降り、サガリィンより渡島に入りて東日流及び飽田に漂着せるあり。是れを鬼とせるは、山に鑛石を掘り金銀銅鐡のただらをなして地民に教へたるに依りて、鬼とぞ通稱す。また、信仰にもたらせる古代オリエントの神々になる傳へにアラハバキ神を説きて、地神イシカホノリガコカムイと併合を得たるほどに丑寅の民と睦みて國を造りぬ。荒覇吐神は是して成れり。

六、

〽思ひ立つ
  外の濱より
   出羽路入る
 吾が山里の
  しばしふりかえ

安倍・安東の歴史に奥州の史跡を巡りて由来を地老に聞き綴りて、天明に失なふる史書の綴りき巡脚の旅。そぞろに赴く十和田越えて小坂に至るなり。此の地は釋迦内とて、米代川の川上にて金鑛ありて人の富となりける。古き世に山靼なる國人の採鑛傳へし寶山と、古老の傳へ。今にたゞら踏む。

〽安日嶽の
  西も東も
   金吹きの
 白がねくがね
  からめからめて

荷薩體より下閉伊に草原あり。駒のいなゝく牧ありける産馬の地に、八幡駒とて名髙く、安倍一族の財たる勢力にて日本將軍の名を天下にとどろかしむ。

〽駒駆くる
  陸奥は日の本
   牧の戸は
 十數に廣き
  若駒の里

駒嶽の麓に玉川ありて、湯泉あり。大古より生命を保つ澤とて生保内と曰ふ名になる邑あり。仙北の名處たり。安倍一族が前九年の役なる長期の戦に傷付きし者の籠城せし生保内城ありて、この湯治にて一族の者多く救はれたりと傳ふ處なり。

〽古きより
  神のいでゆと
   賜りて
 駒嶽裾に
  命救はる

仙北の神湖あり。名付けて辰湖と曰ふ神秘湖なり。北の十和田湖、仙北の辰湖、會津の萬代湖を以て丑寅三神湖と曰はれむ。奥州の三湖に各々神話、今に遺りて傳説多し。吾が旅は仙北にしばらくの湯治を決めて十日を湯宿し、同客の者より歴史の事を聞く。生保内邑に姫塚ありて哀話あり、古歌遺りぬ。

〽さくら花サァーエ
  咲へての後に
   誰折らば

〽別れるにサァーエ
  糸より細く別れます

〽恋しさにサァーエ
  空飛ぶ鳥に
   文をやる

〽この文をサァーエ
  落してたもな
   賴みおく

姫塚になれる古歌の、今に遺りぬ。姫塚に、平將門の遺姫傳説あり。

〽山吹の
  華にも似たる
   將門の
 遺姫はねぶる
  生保内の郷

歴史の事は天慶の昔に想ふる史實に綴り、吾が旅は雫石二股の仙岩峠を越えて厨川へと巡脚す。

〽忘れずな
  三途の瀬踏み
   厨川
 安倍が砦の
  片葉葦風

厨川柵に遺る掘淵に茂る片葦葉に、康平五年の壮烈なる戦の跡を心に思ひながら衣川への旅に北上川に添ふて江刺へと途宿りたり。岩手の里は何處にても盆地の地平なるに續きて、大古に想ふ歴史の跡ぞ今に遺りけるなり。

七、

訪地尋史の旅は時に空轉するあり。衣川の古社を訪るゝも彼の歴史に證なせるものなく徒らに尋日巡労せる耳なり。衣川合川の老翁に聞けるに、地に在る者は源氏に縁る者多く、古き安倍一族の者は後難に怖れて遠野及び仙北、遠くは東日流にぞ移り住みて歸らざるなりと曰ふ。衣の柵跡も舘跡も平泉なる武家住居の材となりて持却られ礎石さえ残らず、寺築に移らむと曰ふなり。

〽空しける
  戦の跡の
   明鴉
 敗れし者の
  跡形もなし

明の寺鐘にさそはれて中尊寺に詣でれば、金色堂の屋根朽けるまゝ平泉三代の興亡を目にとどむるも、かつての寺跡今に遺らず。奥州はたゞ京師方の手に、立つ芽を刈られ来たるなり。

〽古しをば
  語る老僧
   かたくなに
 安倍の古きに
  知らず給はず

平泉にての事は源氏の他に何事の記に認むるなく、たゞ奥陸物語ぞ寺に遺りける。藤原三代に縁るは、寺維持に他に出でて失ふると曰ふ。敗れし者は是遺らず。

八、

道芝の露にわらじのしめり、ほの感じて四方の史跡に訪れて古きの事を想なむ。伊治沼あたり。

〽まこも刈る
  盆の兆しや
   佛坐の
 草のかほりや
  伊治沼の道

〽訪ねては
  昔の都
   宮澤の
 土手垣跡に
  童たはむる

旅久しくして百日を越ゆ。山の嶮岨。草の道。ただ歴史のありか尋ね聞く。とゞのつまりに綴りきは道中に苦しけれ、郷に送りて輕く、旅また旅なり。

〽行け行けど
  身につく銭の
   とぼしけれ
 人の情けに
  遁るが如く

三春への道に入りては永旅の脚労わすれて舘登城す。留守居の招く宴げも樂しけれ。城影もなかりき城山に登りて、竹林の風に涼しくて酒うまきかな。

〽火事跡に
  炎遁れの
   竹林に
 風吹く音や
  旅に追へなむ

九、

葉のゆれる三春の瀧櫻に名残りて、越路に越ゆは山また山の道行きも、立山見つれば勇むなり。その昔、大白山よりの神降る靈山の峯ぞ神々しき。越州より加賀に入りては白山の古事に想ひせり。西王母、九頭龍に乘りて東王父の住むるこの山の天池に降りては、みめうるはしき媛神ら東王父にはべるを見つて西王母、涙してはるか波斯の天山天池に去りゆける悲恋物語。

〽恋しきに
  海山越えて
   たどりつる
 加賀の白山
  夕映隠る

金澤の犀川を登りつ處に三輪山あり。安倍の大祖なる耶靡堆氏の故地なり。想を深く山頂に詣で祠やあらん。朽堂の天井崩れ、詣とて參ずるなき荒芒に委すまゝなり。大工を賴みて方丈を建立し安倍の祖神を祀りて、古史の實に筆なせる勇を得たり。

〽神さびの
  基に社をば
   造りなす
 神を鎭しめ
  事に筆なす

十、

寄せ返し西海を小濱への若狹路に入りて羽賀寺に詣で實季、更に康季公の御尊像に拝しぬ。住職の留むるまゝに寺宿して、秋田氏諸状に見つるは筆なすこと多く五日に長き旅宿をなせり。

〽朝熊より
  記せし君の
   數便り
 古けき故事の
  手にとり覚ゆ

竹林風に鳴り後髪引く如き羽賀寺を出で、大湖の舟旅を京師通ひに乘りて山王に降り叡山に登りぬ。千古に神々しき神さびに、山王東宮・夷王神社・白山媛神社を經て西宮に至る。

〽神殿の
  霧に探りて
   坂道を
 石橋渡り
  山王大社

大津の潮を岸道に京師へとたどりてより堺にたどり、膽駒山・葛城山・奈良路に入りて三輪山に詣でし後、伊勢朝熊の雲松寺に寺宿す。三春の先なる君・秋田城之介實季公の墓に拝し、寺に遺せし遺品數々に拝しぬ。

以上は秋田孝季に道行せし長三郎の略日記なり。寛政四年の記帳にして遺りぬ。安倍・安東・秋田氏の實録を遺せんと、その尋歴記集の數や旣にして一千巻に越ゆと曰ふ長期の尋歴なり。

十一、

年ふれば明日をも在世に在りきを案ずるに、病にかゝりては猶も心に不審なり。死出の覚悟に不断に轉倒せず心しあるも、死への期に安らけくと祈る昨今なり。生々六十を過ぎ、親を葬り子を育み来たれる歳月の速きは光陰矢の如し。常に歴史を想ひてかきくらし、他國の風に身を巡らして得ること多かりしも、吾は常にして筆なす付添なり。古代の事はみなながら暗の彼方にして、至らずば書留むを得られず。旅また旅の長きに渡りぬ。

丑寅より西南に知り人もなく、たゞ人の情にかきくらす旅の想ひや、やるかたもなき淋しきあり。夢にいでこし故郷の山川を似たる他國にて想は飛びぬ。妻子はそくさいか、旅に隔つほどに案ぜらるなり。さなきだに思ひを改め、今日も史跡にめぐりて筆執りきては心も空なり。佛の曰ふ、諸行無常是生滅法生滅々己寂滅為樂との悟道も、吾が志には無用なり。淨土宗法然源空の歌に、

〽月影の
  至らぬ里は
   なけれども
 ながむる人の
  心にぞ澄む

また善信坊の歌に曰く、

〽明日ありと
  思ふ心の
   仇ざくら
 夜半に嵐の
  吹かぬものかは

故人の遺せし歌の心ぞ能ぞ知りつゝ、此のごろなり。

〽死にざまは
  なづか知らねど
   旅衣
 色あせ汗む
  旅のたそがれ

史集旣に一千巻に越ゆを郷に送りて、妻りくに正書を賴まん。

十二、

河岸の葦はたをりてやはけれど、芯は強く自然に強し。流れに溺るとも死せず。芯を立って秋に穗をいだす。人生もかくありて生々安しきことなし。此の生々流轉にぞ喜憂あり、善惡ありて生死は廻轉せるなり。荒覇吐神の信仰は無上の道理を眞理に導く信仰なり。凡そ生を世に受くる者は、皆ながら諸行の無常に惑ひて救済なき信仰に安心立命のかたしくも得る事を得ずして逝く多し。

世にありてある限り十惡五逆の罪を犯さざるものなし。此の道は如何に善行の相を造りても、生ある限りは飢をせざる己が生命を保つが故に他生餌食とせる自身に生物殺生のなかるなし。一日の食膳に盛らる食物の一食にも生命のなかるものはなかりきなり。依て信仰はかくあることまでも、心に悔拝して萬有の生命を大事として、己が罪のある身を神に祈赦の念を忘却すべからずと戒しむ。求道はかくためのものなればなり。生々は一刻の光陰も空しゆうなき生々の大事なり。心して信仰せよ。

十三、

倭稱にして客神、亦は客大明神と曰ふ神は荒覇吐神の事なり。拝禮は三禮四拍一禮にして、門神亦は門客神と號す處もあり。更には荒神・荒磯神と祀らるあり。古代のまゝにアラハバキと曰ふは少かなり。坂東の武藏の地に多く遺りぬ。當字にして荒脛巾。岩手山にては藁脛巾と稱すもありぬ。何れも世襲に怖れて神號を改ひたるものなり。

古代にては倭の地に出雲大社・築紫宇佐や國東の大元神社は荒覇吐神たる由にて、その拝禮に遺りぬ。本来に異るも二禮四拍一禮にして今も拝禮す。本来なるは三禮なるも、二禮なり。出雲に荒神谷と曰ふあり。元なる荒覇吐神殿の所在せし處なり。荒神と今に遺るは何れも荒覇吐神を祀りし處なり。康平年間より朝令にて倭神と神替をせる多くして門神・門客神・客神・客大明神とて外神とせり。

十四、

東日流の大里を東西に古代の遺跡は存在せる。古き世の信仰に語り傳はる要には、日輪の昇没の運行を四季に北極星との近遠にその古代觀念あり。神を祀るゝ聖地は定まれりと曰ふ。東日流・宇曽利・糠部・飽田・巌手に聖地の多くは石圓積敷立主に遺さる跡、及び大巨石の安置にあるは石塔山・三輪聖地ありき。また素焼なる器の盛塚及び髙樓を三階に天地水の神を神事せるコタンをポロに造りチャシを以て人の集むるヌササンとせし跡もかしこに存在す。

イシカカムイを髙き處に、ホノリカムイをその中位に、ガコカムイを川や海辺に祀るは通常たりと曰ふ。神事の事はコタンのエカシに依りて選抜されたるオテナ是を司りぬ。此の三神を併合せるをアラハバキカムイとせるは、丑寅日本國の一統されたる神格なり。神事の一はヌササン、その二はカムイノミに、その三はイオマンテなり。神と曰ふ像を造ることなくイナウが神の降魂せるものとして、必らず三股の大老木を神木としてヌササンをなせるは天の神イシカ・地の神ホノリ・水の神ガコの三神を祀る神を降臨せしむ古代神聖地の大事の條たり。

宇宙に大熊座・仔熊座の巴にめぐる中心に北極星あり。宇宙の軸と仰ぎ、弓の舞と剣の舞がオテナとエカシにて舞を奉納されるは通例なり。カムイノミのまわりをメノコらが卽興に舞ふはフツタレチュイと唱ひ乍ら自然の相を舞に興す。光々と燃えあがるカムイノミ。やがては神への贄に献ぐは、その祭りにて異なりぬと曰ふ。鳥贄・獣物贄・魚贄の三贄なり。その多くは熊を贄として、その魂を神に走らせるイナウに飾られヌササンに供え、カムイノミの煙として天なるカムイ・イシカのもとに昇天さるゝを以て、祭りのカムイノミは炎を消されて通夜の祀事一切は終るなり。

天地水の神々を三年毎にイオマンテは古来より丑寅日本國の神事とて、樺太・渡島・千島・東日流・宇曽利・糠部・飽田の地に行ぜられるをクリルタイとも曰ふなり。祭をして人との睦みあり。交流あり婚縁ありて人との和を保つは丑寅日本國の美風なり。

十五、

東日流にはカムイ丘・イシカミ・オセドウ・ウテツ・トコシナイ・サンナイ・サンワ・オオネコ・マゴナイ・オクナイ・ニュウナイ・アイナイ・ヌカンヌップ・イジョナイと曰ふ聖地あり。是ら何れも土中に古代の道具及び人葬の跡ありぬ。メノコオテナとは女大王のことにて、古代に女人の大王をなせるは多きなり。大王とて大なる陵を造るなく、死してはコタンのヤントラに普通人と同じく葬むらるなり。大古より神の天秤は人をして神となれざるの故を、子孫に平等たるの睦みを遺したり。大王は一人に非らず。中央・東西南北に五王を以て國治せるは古代日本たり。

樺太なる對河に黒龍江ありて、古代より人の渡来ありて是を山靼往来と曰ふ。人との睦をなせるクリルタイを、ブルハンの神に祭りあり。是をナアダムと曰ふ。集むる民族、波斯及びクヤカンよりも八十六族の祭りなり。何れも大黒龍江のチタ及びブルハン神のバイカル湖畔に集ふありて商益も兼ねたり。市は十日にして續き、品切れては去り行きぬ。その行来に荷のなかるなく物交にて成れり。ホルチと曰ふ旅食にて飢ゆなきは古代よりの傳統にして、掟はきびしく商人を襲う者は誅せられ、その布令は速かなり。

依て、古代より商人は如何なる國に巡りても安全たり。信仰は自在にして忌み嫌ふはなかりき。依て商人の布教になるは、古代オリエントの神々とその崇拝、各處に多く傳はりぬ。外道の信仰も多く、商人より聖者も出でムハメットなるはその一人なり。アルタイ平原よりモンゴル平原・大興安嶺及び満達や山靼の黒龍江の河岸平原をして住むる人々の傳へにて渡来せる信仰の數々ありぬ。オーデン信仰・ゲルマン信仰・アブラハム信仰・アラハバキ信仰・ギリシア信仰・エジプト信仰。その數は三十に越ゆと曰ふなり。その古き神々にては、今に一人の信仰になきもありぬもありて、世襲は人をして隆亡せり。

敗れし者はその難に避けて、安全なる新天地を求めて大陸を横断して子孫を今に遺しぬ。極北を經てメリケンに渡りインディアン・インディオ・アステカ・インカと曰ふ東洋の彼方に安住せる民はみな山靼をして移住せる民族にして、祖累を同じゆうせる民なり。然るに人は文明に先進し、その安住を犯したる殺伐は今に續きて、その原住民を追討して國を奪ふさまおぞましき。人は心に惡魔あり。大野望慾あり。文明に先進せる程に侵略魔とて亡ぶるの日に進めり。

十六、

いつ世にも惡のなき世はなかりけり。戦とて人の命を輕んじて人道針路にあやまるるを、讃め軍神とて奉るは生命を世に造り為たる神への反逆にして、必ずや神の報復あらん。權力にあるべく獨断に生命を下敷に戦を以てなせるは、まさに惡魔にて人たるの心なきものなれば、天誅にして何事の罪ありや。生命とは、かゝるべく愚境に置くべきに非ず。尊重すべきものなり。

人は法を定むるも、時の權者にて作らる多し。されば、世襲にて定まれる法とは神の裁きに似たるなく、人の權政に成れる多く、神の天秤にては罰なき法はなかりけるなり。古来より、國政を戦に以て國權を得る者多し。然るに、戦を以て得たるは子孫萬代に累するなく、その累代は無縁となる多し。人を戦に狩立てたる者は、再び人身を以て世に甦るなし。人たるの魂を失ふは、生々に在る内に定まりて、次世は弱肉強食の類に甦り長時の過罪に苦しむると曰ふ。人の生涯にありて罪に悔なき者は、死後の甦えりに相を生前の造惡に再生を蒙ると曰ふ。

生死の轉生は、身を魂に着替ふ新生への大事の際なり。魂は自在にして、生ある業にて生相を異なして生るあり。生々の内に人道にありき者は人身をして甦りけるも、殺生をして悔なき者はその業に神の報復ありて人身得ること難く、他生の相にて世に生を甦えすなり。信仰とはかくある業障に、人道をあやまらず人間として世に永世せるために求道し、心に不動なる人間魂魄を維持せんために存す。人に在り、人に非らざる行為を以て人道をあやまるべからずと、荒覇吐神の信仰ぞ世に示現せしものなり。

丑寅日本國の民は祖来より、信仰は死して甦える来世の事に今の生涯を大事として、人の道に邪心を除き一心不乱に荒覇吐神を信仰し、人の睦みに生々欠く事なかりきなり。世界に人類をして、睦みの好まざるはなく安住を願はざる者はなしと、山靼往来をしてクリルタイ集合に欠く事ぞなかりきなり。佛法は大乘・小乘ありて説けども、衆のために渡り難し。諸行は余多にありて聖言を説くも、衆をして生死のしるべとなるはなく、たゞ大佛造営大伽藍の科税に、落慶散財に苦労を負さるとも救済の事や明らむなく、求道は貴なるものゝ道場たり。

衆になる求済は平等ならざる教は烏合の集なり。誠の求済とは常に安心立命に在りて、生死のしるべをば平等に説きて眞理の聖道に不轉倒なるを曰ふ。荒覇吐神の信仰にして信徒の階級を造らず。戒名段階を造らず。平等攝取にして生死の遭遇にも理りを解難とせず、生死卽新甦として、人生を末代に信ずるの精心にぞ達成あるべきの成道に、信仰を以て是を悟りては怖るゝなく悲しみなし。とかく信仰にして迷信に堕ひずして精進あるべく一心不乱たるべし。人生に色々ありて、心願に冒頭あるべからず。他宗に誘はれず能く信仰の大旨を悟り、不滅なる魂魄の轉倒あるべからず。不動たれ。先世の善行盡したるに依りて神は汝を世に人として生れ給はりたるを夢々疑ふべからず。荒覇吐神の不滅なる人魂の不動たるを信仰せよ。

十七、

北鑑第卅四巻に記るしける諸記は、同項あるべきと除くべからず。何れも奥老翁の言なり。丑寅日本國は荒覇吐神一統信仰の國なり。肇國五千年の歴史に遡りて、倭をはるかに越えて成れる國なり。吾が國は丑寅を日本中央として、北方に渡島・千島・神威津耶津加國・樺太島を以て領國とせる古代民族、クリルタイに盟約せる國なり。古代より山靼諸國と流通し、人の往来しきりにて、茲に日本國とて世に國を肇む國土にして成れり。

〽丑寅の
  國を肇むる
   日の本の
 旭日の昇る
  幸明けの國

人と睦み、身命を尊重し、山靼との諸民族の往来を自在とせるに當り、此の國を日本國と曰ふ。

十八、

東の日出づる國日の本に日輪が西より昇るが如き、歴史の作造せる神代とは架空想定にして史頭にせる大野安麻呂・稗田阿禮の如き語部の胸三寸に漢字を當たるに過ざるものなり。神話なる諸國の傳へを聞き語る語部の者はかく話題を古代に流行せしは、何事の娯樂もなける代の話家にして成れる旅役者の如きものなるを、綴りたるは神代たる物語りにして本来はおとぎ話なり。

地方、至る處に神や惡魔の古話ある如く、歴史に實在の塵ほどもなかるを作説して語りしに、代々ふりて尚それに枝葉を加へ花實の成らしむるが如き説話になりき古話には何事の實證もなかりけり。古事記・日本書紀の如くは、神代と曰ふを重じてなせる史頭に古代を綴りきも、その記行何れも信じべく根處のなきものなり。東日流語部録は大古より口傳ならず、語り印卽ち文字を以て子孫に世にありきを傳へたる實録なり。依て古事来歴の根處あり實在せし史傳なりせば、架空想定なる夢幻の神代神話よりは尚實證そのものなり。

丑寅の國は氷雪極寒の候に人の生々あり。人との睦ぞなくして生々保つ難ければ、かく歴史の事も、神がかる迷信の事もなかりけると曰ふ。阿蘇部族・津保化族・麁族・熟族とは古来の順次を以て名付けたるものなり。何れも山靼渡来の祖累をして同じける民なり。丑寅日本國には古代文字を今に傳へる、めくら暦ぞありて遺れり。數字と主要なる文字の傳統は、今にして讀むるありぬ。古代語部の用ひたるはその字行七種あり。古き器など能く記さるもの遺りきも、代々降る毎に失ふに依りて東日流には語部録と曰ふ史書ぞ遺りたり。

十九、

大光院は奥法郡飯積の郷大坊に存す。古来より修験を以て宗旨をせるも、祈祷にして名髙し。東日流中山道場の總詰處とて諸國より、人の修行を求め来たる處なり。東日流にはこの他、三世寺・大光寺・極樂寺・大円寺・不動寺などありて、阿闍羅千坊・中山千坊・十三千坊の道場ありて、中山道場は大光院たり。

廿、

吾等が奥州の史書は世に障り多く、保つ置くも秘とせる他に術なきは無念のきはみなり。世の変る時ぞ必ず至るゝを信じて遺す此の書も、いつまで保つかは知らねども、失はれ逝く丑寅の歴史に於ての實證を遺したき一念にて、本書の他に多くの地の古老に聞書を綴りたり。是を必ず世にいだしべくは吾等の悲願なり。

和田末吉 印

 

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