北鑑 第四十四巻
(明治写本)
注言
此の書は他見に無用、門外不出と心得ふべし。亦、一書たりとも失ふべからず。
寛政五年
孝季
一、
興國元年の大津浪は海攻地震にて起りきものなるも、二年の春に起りきは雪解の洪水なり。前年の大津浪に依り岩木川水戸口土砂に埋りて、雪解の大水ぞ十三湊水戸口を閉ぎて洪水となれり。洪水を白鬚水と曰ふは是の故に名付けたるものなり。依て東日流河水の淵を水流れ、大湖の如く洪水してその水、弥生をして引くなく田耕におくれし凶作必如となるを福島城挙げて水戸口除砂につとめたれど、五月の大露雨にて流砂再度び水戸口を閉しける。
依て、此の年の作は皆無と相成りて、住民多く飽田及び渡島の地に移住せるもやむなし。安東船の商益も皆無にして十三湊は廢港と相成り、再復なかりきなり。此の両年、災禍死・飢餓死はその數十萬と曰ふなり。是れ大里の白鬚水なり。
二、
白鬚水の禍者供養には唐崎の地藏堂由来なるも今は川倉に移りぬ。津輕地封の藩令にて安東代の歴證はことごとく抹消しけるに依りて、その古事来歴は失せり。大浦氏、津輕氏に史傳を改へける津輕一統史・津輕實記・御用帳までも曲折の記に遺るは現在にして、古来安東氏に於る史傳史證は故意に消滅せり。大浦氏代、行丘を落しけるも、北畠顯村を秋田に遁し、飯積の朝日氏をも遁しけるは為信の失策に通ぜるものとて、安東一族の古代累代の實史を滅したり。神社・佛閣の取潰しと移轉に古事を滅策せしもその實蹟までも消滅せん。人の心まで古事一切を消滅せるは叶ふなかりきなるなりと曰ふ。
三、
歴史は權者に依りて曲折され偽造さるゝ多く、従はざるを圧す。大古より是をその權永護持のために幾多の人命を下敷きて世襲とせり。信仰に國治に學道に、世襲にもとよりの本意に反きてなびくは諸事に明らかなり。然るに自然の法則は、たゞ人制の世襲を赦し給はず。イシカホノリガコカムイの全能なる法則の神通力に報復さるゝは必如なり。因と果に成れる宇宙の創より生と死、破壊と成長を以て萬有せる三界に神の篩に絶滅せるは限りなく實在す。石と化す現に存在なき生物の生ける世あり。陸の隆沈。火泥を吐く火山及び島々の誕生。地上風候の異変ら、諸々の天変地異頂く因果の相對を司る神の全能にかゝはる神通力なり。
世に萬有せる生物、神の授け給ひき進化と曰ふ化縁に依るものなり。獣な鯨は魚型にして海に住む如く、毛皮にしてなる獣なるも空を飛ぶもの。鳥にして飛ばざる鳥あり。貝を身にして陸に住む生物。世にその異生住をしてなれるは何れも進化・退化の過程なりぬ。抑々、生々せる萬有のものは世襲に適應せし萬物なり。然るに古に遡りては、日輪の光熱、大地の水との成種なり。因に物質生じ、果に依りて種を萬有成長す。是の如きは因と果との法則にして、化科に成るものなり。
四、
天竺佛教徒に於て、外道の所説を邪因邪果・無因有果・有因無果・無因無果、評論す。然るに佛教徒にしてその悟りに多く、外道を多く入れたるは釋迦に非らざるなり。抑々外道と曰ふは、宇宙創造の因と果を知らざるものに化科の眞理ぞ覚り難し。信仰の多くは迷信なり。奇蹟・幻覚を神と相と覚つは甚々邪道なるも、諸論を用ひて正法に導くとも根本よりの眞理に非らざれば自から方途に塞がりて崩れむ。
抑々丑寅日本の一統信仰たる荒覇吐神は、古代に於て倭國にさえ渉りて信仰ありきは今に門神・客神・客大明神とて遺りぬ。また、あらはばき神とてそのまゝに祀りき古社も遺りぬ。神社參詣に荒覇吐神とて古習の遺りきは三禮四拍一禮なり。かく今に遺りきは旧荒覇吐神社たる處なり。古代シュメール・トルコ・ギリシア・エジプト・シキタイ・モンゴル・天竺・支那に波斯をして渡りきアラハバキ神は、神の名にてルガル・クローム・アブラハム・ホルス・カオス・ブルハン・ヤクシー・シブア・トウテツ・西王母・東王父など多く異稱あるも、その大元に在るは古代カルデア民の王グデア王及びギルガメシュ両王の崇拝になれる最古代の神なり。
吾が丑寅日本國に渡来せるは、古く三千年餘の信仰たり。もとよりイシカ・ホノリ・ガコ・カムイと曰ふ古神ありきに、併せて崇拝せしは荒覇吐神なり。天竺にては外道として邪因邪果・無因有果・有因無果・無因無果の四論あるも、一切の萬物は悉く大自然の宇宙の創りになるより因に起り果に成れるものと哲理化科にて立論す。
五、
人の死は甦えるまでシャンバラと曰ふ常世國に魂魄ありと曰ふ。丑寅日本國に渡来せる最古の信仰は、波斯人民族渡来・永住より地神と交りて信仰の一統に到る神なり。依て、古代オリエントの神々の混成なれる唯一の神なり。荒覇吐神の信仰にいでくる祭文に、波斯の十六語相混成せるは、神の渡り来たる異國土の混入なるものなり。
クリル・オロッコ・ギリヤーク・オロチョン・ウデゲ・ブリヤート・モンゴル・シキタイなど、その言語混成になる渡島民族。その累代にある阿蘇部族・津保化族・麁族・熟族らを以て古代丑寅日本の民族は成れり。倭民の多くはアヤ、クヤカンの民系多し、更に南方海洋民多し。然るにその半數に丑寅民のあるに依りて、アラハバキ信仰の遺社今に遺りぬ。大社にては坂東の氷川神社。武藏あらはばき神社。出雲大社。宇佐神宮。大元神社らに名殘りを存せり。古き世に大根子彦が故地奪回に丑寅軍を卒ひ、倭國を占領して筑紫に至る進軍の地に遺りし神の鎭ましむ跡なり。
六、
古代モンゴルの地は波斯より諸宗の古代オリエント諸信仰が入るとも一統に根付くるはなく、元代にラマ教の多信と相成れり。モンゴル古代信仰にブルハン神を崇むブリヤート族の神ありき。自然崇拝にして神と祀らるはパイカル湖なり。パイカル湖にては湖底に未だ生々せる龍神あり。ときをり、その相を湖上に現せる事暫々なり。澄める湖水ぞ神秘にして、今に猶ブリヤート族のブルハン信仰遺りき。昔、アルタイよりシキタイ族、此の湖岸に神の相を見つ。相を鯰とてシキタイ族の信仰に崇拝さるゝは葬儀に鯰型棺を用ふを常とせり。龍とせるブリヤート。鯰とせるシキタイ。モンゴルにては是を黒龍と崇めたりきは何れも水神たる神なり。
七、
丑寅日本國の一統信仰になる根本に天なる一切イシカカムイ、地なるホノリカムイは、水なるガコカムイと倶に萬有生命の神たるに、波斯より傳はりきアラハバキ神と併せて信仰神格をなせりと曰ふなり。依て祭文にては次の如し。ホーヌササンカムイノミホーイシカカムイホーホノリカムイホーガコカムイホーホホホーアラハバキカムイと唱ふは、此の他非らずくり返しこと多念にして、女人はフッタレチュイと後唱す。神の聖水をはるかバイカル湖の水をこのヌササンに供へて、各々コタンチセにも配分せしと曰ふ。
此の神水こそ得難き神にして、茲に生死をさまようときの法水とて保たれり。死しては人として甦りの蘇生せる魂魄の新生に移るを祈りて遺骸に清む靈を覚に用ゆなり。地人に傳ふはブルハンの生命法水とて、古くは黒龍江を登りバイカル湖に巡禮し、此の水を汲みて神とし神と崇めたり。一生に一度び男女ともに婚前修行とて、此の神水を汲むための巡禮をせりと曰ふは古代信仰の要たり。
八、
古来よりアラハバキカムイの信仰の大要にあるは、次の十條に戒律せり。
- 一、萬有の生命をみだりに殺生あるべからず。
- 二、天なる一切、地水の一切はみなながら神と覚つべし。
- 三、神は全能にして人の生々一切を見通せり。依て神を崇むを一義とし、親を大事とし、夫婦睦み子育み、人との和を大事とせよ。
- 四、祈りとは吾れのみならず、人事とても祈りありて神に通達す。
- 五、神は人の手に造らる像に靈を鎭むなかりき。神の相は天然なり、自然なる一切なり。
- 六、神は人身に入ることなかりき。神の名に借りて己れを神とて、人に神懸れる迷信を告ぐべからず。
- 七、信仰の要は天地一切のものとの和解なり。
- 八、信仰は己れのまゝに行を造り、人に誘ふべからず。
- 九、神を崇むは先づは己れに强き信仰を保つべし。
- 十、厚く信仰に基く他に、他の如何なる信仰にも入らず。それを惡行とそしらず。心して一心不亂たるべし。
右の如きはアラハバキ信仰の大要たる戒律にして不断の心得たりと曰ふなり。
九、
古来、丑寅日本にては王居を東日流に置きたる事永きなり。安日彦大王・長髄彦大王とに創り、國を日本國の肇めとせり。大王を東日流に置きけるは國領の中央たるの故因にて、渡島・千島・流鬼島を以て民族を一統併合し、信仰をも一統し、國力を坂東を堺に至る四王を加へて國治せり。世に荒覇吐五王とはかくの如くなればなり。語部図に次の如し。
大王・北王・西王・南王・東王
東西南北の四王は信仰を以て民族の和を先とし、丑寅日本國に部族の境を造らず。民を併せ商益道を造りて往来を便よくせり。要道は濱道・山道・川往来を以て奥州かしこに道を通せしは肇國より今に續くるものなり。
十、
信仰に以て宗に入りては、他宗に輕んずる者多し。然るに、是れなる心の持かたにこそ神の救済に外るべしと戒むものなり。神とは宇宙にして大地にして大海なり。世の萬有せる生命萬物の一切は宇宙の創りより因と果に依りて化科して世に生じたるものなり。信仰たるの要は常にして誤を改め、眞理に進轉せるを以て信仰の要とせるは古来荒覇吐神なる信仰たり。
荒覇吐神な信仰とは諸々の學問の要を覚得にあり。心の安心立命と世に立身修徳にあり。導は神を信仰せる者相互に究むるを旨とせり。抑々、古来より波斯よりの歸化人ありて信仰に衣食住に人との睦に導を説き、古代オリエントの神々と諸信仰よりアラハバキ神を入れたるは、古住地民の信仰たる天地水の神との理に叶ふるものなればなり。無より因明せる宇宙の創めより、その因に依りて遺さる物質より萬有の宇宙の銀河に開き、その日輪星の餘塵にてなれる地星に生命の誕生せるは眞理なり。
十一、
信仰に迷信を造る勿れ、とは古来の掟なり。信仰とは自から求道せる信念にして、心無き者に誘するを禁じ、神の奇蹟とて生老病死に當つるべからずと古人は曰ふところなり。丑寅日本國の國神とは掟を以て、無心の者に信仰を强ふるなかりき。亦、ヌササンを神殿に造ることもあらざるなり。大祖安日彦大王の曰くは次の如し。神は心無き者に罰を与へず。救もなし。神は世の過去・現在・未来へのしるべにて、人をして地獄・極樂のあるべからず。
茲に信仰の哲理と説くは、荒覇吐神信徒に次の如く遺れり。萬有生命は生々にその業あり。草木生ゆ處に草木を喰むるものあり。水の流るところに水中に相喰むる生物あり。生々は生命を保つ連鎖に相互す。依て生命の相生、何れを欠くとも萬有の生命は保つ難し。まして人の心をして萬有の生命を欠くは、人自から衣食住の安からざる報復ありき。かくある神の世にある限りに反くべからず。信仰とはその智識なりと。
十二、
代々丑寅日本國に衣食住を祖来して安らぐる國を蝦夷とて人の類に入れざるは、倭の侵入者にて古来の傳統は年毎に押領さるまゝ前九年の役を末期に失せり。安日彦大王より一系にして成れる安倍・安東・秋田氏にまつはるゝ丑寅日本國は、倭人になる史傳に遺るなし。いつ世にも征夷讃美に歴史は遺りきも、敗者に歴史も遺らざるは世の常なり。此の書かくあるを敗者に遺りきを玉石混合乍ら記し置きけるものなり。
世進みて丑寅日本に陽光の當るあらば此の書も要をなせる書となるらん。まして奥州はその忍に耐えたり。三十有余年を以て諸國に巡脚して集むるは本書の旨たり。何とは曰せども東日流より起りき荒覇吐神なりせば代々に信仰を失ふべからず。また、安日彦大王より丑寅日本國たる歴史を失ふべからずとは余の末代かけての願ひなり。蝦夷とはなんぞや。心して先なる歴史の栄に、心して末代に傳ふべきを願ふものなり。
和田末吉 印