北鑑 第四十八巻


(明治写本)

注言

此の書は他見には無用とし、門外不出とせよ。一紙たりとも破除あるべからず。

秋田孝季

一、

九牛が一毛、大海の一滴と曰ふあり。歴史の事は是の如く尋史の偽に過失あるべからざるにあり。神代など信じるに足らざるものなり。丑寅日本史の事は、實に在りて强し。十五萬年乃至三十萬年に溯る歴史の實相は此の國の成果なり。凡そ人祖をして古にその因を尋ぬれば甚々深層に潜むも、奥州の地底にはその證なる遺物の永眠せるはたしかなり。

二、

六師外道の一に阿耆多翅舍欽婆羅と曰ふありぬ。舊稱は阿耆多頸舍甘婆羅と曰ふ。新しき稱は阿来多とも曰ふ。希麟音義九慧琳音義二十六には、阿耆多を無勝翅舍欽婆羅を髪衣人髪を以て作りにける衣服を装ひて五熱を以て身體を炙るといひ、註維摩經第三に阿耆多舍翅舍を字欽婆羅を麁衣幣衣を纏ひ髪を抜き五熱を以て身を炙るといふ。現世は苦行し来世は樂界を志道人といふ意なりと曰ふなり。

三、

宇宙の創より因に生ずる果の哲理にて萬有する總てを外道と號けたるは佛教徒なり。外道と曰はれるその本稱はニヤーヤブイヂャーと曰ふなり。無明・無時・無質・無動の一点に因の起るをラマヤーナと曰ふ。その起点たるは針先の如くして微細なるも、因起の力ぞや大光熱の爆烈にして、宇宙創造の如きは未だ世に復し難き化科のものなり。暗と無の時元を破りて發する大光熱の猛烈なる爆進は、その時空を擴げて留まらず宇宙は未だに膨張す。因とは是の如く化科の起点をなせるものにして、ラマヤーナと曰ふ。果とは因に生じたる質にて造られるを曰ふ。

因の起したるあとに粉状の如き微細なる物質を縮固して起動生命をもたらしめる星々の生死を以て殖しむる大宇宙に見ゆもの總ては因と果にて生じたるものなりと哲學し、理論化科の理りを解くは外道と曰はれしものなり。日輪の光熱に水を保つ地球星に、先づ第一に造れしものは生々萬有の生命體なり。因は種となり果は實となりて、諸々の生物は生死を轉生して世に絶ゆなきは現世なり。是ぞ化科の法則と曰ふなり。萬有のものは常にして生環の移候に適生進化して子孫を永代に遺せんとするは、もとより因と科の法則、果と化の法則なりと曰ふ。是の如き理總を引用して佛教にては因果の意を諸々に説きぬ。

四、

茲に古代ギリシアなる神々の神系図ありて記す。古代ギリシアとは、亡びて今はたゞ神話を遺しのみなり。信仰も絶えて一人の信徒もなきに、書置くもおくがましく存ずる處なれども、史書を進むる要ありて記を加ふなり。

ギリシア神譜

天地の創りに成りませる神にカオス神を以て祖となす。その子に天の神ガイア、地の神ウラノスありて子孫あり。クロノス・レア・コイオス・ポイペ・イアペトス・オケアノス・テテユス・ネレウス・タウマス・ポルキュス・ケトありて、此の神孫にして多し。

クルノスとレアの子にゼウス・デメテル・ヘラ・ハデス・ポセイドン・ヘステイアありき。
コイオス・ポイペの子にレトあり。オケアノス・テテユスの子にイナコス・オケニデス・クリュメネ・ドリスありぬ。
イアペトスの子にはプロメテウス・エピメテウス・アトラスあり。
ネレウスの子にアンピトリテ・ガラテイア・テテユスあり。
タウマスの子にイリス・ハルヒュイアイありぬ。
ポルキュス・ケトの子にゴルゴオ・セイレン・スキュラありぬ。

その次になるは、ゼウスにはアテナ、レトにはアポロン、プロメテウスにデウカリオン、アトラスにはマイアあり。ドリス・ネレウスにはネレイデスありぬ。神王たるゼウスは多妻にして、ヘラとにはヘベ・アレス・ヘバイストスあり。
レトにはアポロン・アルテミスあり。
ディオネとにはアプロデイテ。その子のエロス・アイネアスの孫あり。
マイアとにはヘルメスあり。
デメテルとにはペルセポネあり。
ヤメレとにはディオニュソスあり。
テミスとにはホーライ・モイライ・アデイケあり。
ムネモシュネとにはムーサイ他、學文・岐藝の女神九人あり。
エウリュノメとにはカリテス他、美の女神三人あり。
アルクメネとにはヘラクレスありぬ。

何れも神話に出でくる神々なり。此の他、多神ありて神話を今に遺しぬ。

五、

上磯・外濱・合浦と東日流を圍むは幸ある海なり。龍濱・砂赤・神田・潮泻・奥内・大濱・安泻・淺淵・都母、海辺の邑に遺るは尻八城を以て安東一族の古事を遺しぬ。古代にしてあらはばき神社の跡ぞ中山に遺しぬ。古代に猶溯りては耶摩堆城ありと曰ふも、その所在さだかならず。地辨にして星型の耶馬臺城と曰ふ處、飛鳥山の奥に存しと曰ふ傳ひ今に遺りぬ。合浦の大濱より中山石塔山を望む古代ハララヤ跡あり。三内と曰ふなり。戸門の山に孫内と曰ふ古邑ありて、渡島の民永住せし處なり。

中山切通しを越ゆ中山の梵珠山ありて、大古よりこの山頂に夜な靈光り降るとて山頂に正中山梵場寺ありと曰ふも、跡も無し。下の切を十三湊に至る山根道は、行丘より原子・飯積・忌良市・金木・川倉・中里・今泉・鮎内より十三湊なり。上磯の海の古き璤瑠澗入江にて十三湊と呼稱す。名の由来にてはこの入江に中島・砂島・砂瀧島・明神島・曽止女島・前島・璤瑠澗島・砂力島・三吉島・穗積島・葦島・富𦰫島・伊治島ありて、是れを十三湊と曰ふ古傳ありぬ。昔よりもろこし船やさんたん船の来舶せし處なり。この古湊は上磯の七里長濱とて、舞涛より連らなりて大里となりけるは、岩木山の噴火にて入江を底あぐ故と曰ふ。

六、

奥陸羽歌草紙 一、

〽陸の奥
  限り知られず
   若紫の
 露けきまでも
  旅をし思ふ

〽寝ぬる夜の
  窓越し仰ぐ
   月影を
 まどろみ乍ら
  こもる心は

〽東日流には
  いやはかなにも
   かきくらす
 奥の果てなる
  北の潮騒

〽惜しまじな
  厭ふまでにも
   世の常の
 生としものの
  花も移らふ

〽恋わびて
  かつ散る花の
   あはれなる
 嵐にともす
  胸内の灯は

〽思ひ出は
  月日のつもる
   わが郷の
 久しく隔つ
  嫁と離れて

〽古き邑
  苔むす墓の
   戦跡
 詣でる人なき
  盆の入り日も

〽山吹の
  散らぬ先にと
   花宴
 古城の丘に
  集ふ老くら

〽岩手野や
  それとも見えず
   梅の花
 行けども春の
  奥ぞはるけき

〽春霞
  山また山の
   麓這ふ
 囀る鳥の
  聲も幽めて

〽逝く春の
  惜しむか柳
   北上の
 流れにゆらぐ
  泣こそと見ゆ

〽散る花の
  風に舞ひ飛ぶ
   みやびたる
 流れに降りて
  猶ほ舞ひ流る

〽鴨ぞ鳴く
  春の伊治沼
   水出づる
 まこもの若葉
  立先添ふる

〽丑寅の
  よろづ古こと
   そのまゝに
 久しく遺る
  遠野里かな

〽雪解けの
  霧立つ木の芽
   せきたてゝ
 春のせせらぎ
  蛙騒がし

〽あさぼらけ
  藁家の苫に
   立つ昇る
 炊焚く煙り
  のどかなりける

〽朝ぞ告ぐ
  鳴くやにはとり
   羽打音
 未だ覚めざる
  村を起しぬ

〽夜もすがら
  藁打音に
   さまされて
 言ひもあえねば
  父の夜仕事

〽たまさかに
  鴨鍋にほふ
   夕飯の
 味得ぬまゝに
  腹に喰ひ込む

〽乳の母
  汗臭き父
   われ不孝
 想ひば涙
  廻りぬるかな

〽とりどりに
  人の生き逝く
   みなゝがら
 時に別れて
  若きを去りぬ

〽丑寅の
  千尋に潮なす
   わたつみの
 歴史固楯は
  鬼神も避くる

〽神を改へ
  まことすくなし
   繪に画く
 餅見せ腹の
  満たし無かり

〽蜘蛛のい江
  荒れたる駒は
   繋ぐとも
 二道かくる
  人は賴まじ

〽貧しける
  荒れたる屋根の
   草茂り
 山賤の住居
  雨もしたゝる

〽朧なる
  月に盛るゝ
   櫻花
 まだ夜をこめて
  人は宴げむ

〽さつき雨
  老にし柱
   下宿る
 人を拂ふか
  葉雫震ひ

〽夕立に
  笠打つしげき
   旅の道
 しばしやどりの
  軒人の群れ

〽朝顔の
  旅籠に咲ける
   窓の鉢
 見みひしときに
  胡蝶舞つる

〽木の間より
  線光放つ
   朝の日に
 色もあざやか
  岩生ひの苔

〽駒走る
  岩手の牧の
   道芝に
 かげろふもゆる
  草いきれかな

〽颱風波
  巌打つしぶき
   磯香立て
 奥陸のわだつみ
  秋を告げなん

〽いたはりも
  心もとなや
   旅ゆきに
 命つれなく
  逝きにしを見つ

〽遺跡をば
  めぐりて脚の
   つかれをば
 北上川に
  洗ひすゝぎて

〽人住まぬ
  こゝも古跡と
   翁曰ふ
 安倍の夢あと
  いまさらさこそ

〽秋空を
  はや渡りくる
   白鳥の
 數ますほどに
  秋は散り逝く

〽初雪を
  樂しむ如く
   駒駆くる
 糠部の郷は
  馬ぞ肥えにし

〽ぬれてほす
  旅ゆく衣
   染散りて
 汗なるあとの
  歳月思ふ

右は何れも詠人知らざるの歌集なり。

孝季

七、

吾が國は海産の干物鹽漬の秘傳を以て永く保つ魚貝藻を山靼に通商せり。鹽なる造處は鹽竈なる産にして、渡島白老にても造りたりと曰ふなり。農耕は實果種の成れるを殖したり。冬に飢ゆなきに穀となる稗・豆など十二種を保つ。山海の干物を保食せり。鹽漬も然なり。

一、干物海産

烏賊・帆立貝・海鼠・鮫鰭・鯨肉・鮭・鰯・𩸽・赤貝・鮑鰒・鰊・鱓・鱈・昆布・和布・天草・海苔、他四十二種ありぬ。

二、獣皮

黒貂・白狐・白熊・魹・猟虎、他十六種。鷹・鷲の羽根、及び鯨骨・石器などあり。以上は通常にして千島・渡島・サガリイ・東日流に流通せり。

八、

古代より生々長寿の保つは食にありて、貧しとて信仰にありと、鳥獣肉・草菜・果實・魚貝・海草を好む好まざるを選らばず片食あるべからずと曰ふ。古にして丑寅日本にては薬草・薬物を極むるを山靼に求めたり。また女人の美となる飾り物、肌白き化相にも求めたりとも曰ふ。身の臭さ、髪・肌に蝨の殺蟲などを究め、その素藥となるものをも求めたり。

九、

蟲殺菊・蛟除油汁・矢塗毒汁・臭消香・煙香粉・香木・頭痛藥・腹痛藥・傷塗油・火傷藥・目藥・歯痛藥・峇息藥・體痛病藥・毒消藥・白髪止藥。此の他、六十五種の藥草本及び醫術本の療法三百六十に及ぶるを入れたりと曰ふ。

十、天竺いろは寅の巻

十三湊弘智法印譯

イの部

口の部

ハの部

ニの部

ホの部

ヘの部

トの部

チの部

リの部

ヌの部

ルの部

ヲの部

頭字なく、依て記ならん。

ワの部

カの部

ヨの部

タの部

レの部

ソの部

ツの部

ネの部

ナの部

ラの部

ムの部

ウの部

エの部

ノの部

オの部

クの部

ヤの部

マの部

ケの部

フの部

コの部

◎ヱの部、

頭字なし。記ならん。代ってビを記す。

テの部

アの部

サの部

キの部

ユの部

メの部

シの部

◎ヰ之部

頭字なし。代りてシの餘記を記す。

ヒの部

モの部

セの部

スの部

以上、天竺いろは寅の巻は天竺をいささかも知るべくしるべにして、能く心得べし。

原漢書なるを十三湊山王法師弘智の譯にて記す。

十一、

吾が丑寅日本國は六十餘州の東北に在れども、古代なる史證は是の東北程に實在す。倭になる史證とは古代に隔つる遺跡のみにして、權力と闘爭の慘たるものにして、泰平のなき史跡ぞ多し。大墳陵を築くも、その證なりき。大王とて死後の侵略に怖れたる築墓のさまなり。奥州に古墳の無きは泰平にして、生々に侵すものなき大王國なる故なり。古き世より日本國と稱し、山靼との流通を入れて和に睦み民族をしてその國土を襲ふなく、代々その盟約なるクリルタイに集合して、互に生々の改新に民族は先進を向上せしめたり。

十二、

陸奥羽歌草紙 二、

〽照りもせず
  灰色とばる
   冬空の
 波の空方
  月にも見えざる

〽かきくらす
  苫の藁家に
   散り冠る
 櫻の花の
  いとも悲しき

〽過頃月
  朝まだ明けぬ
   殘月の
 おぼろに幽む
  下界もこめて

〽ほととぎす
  峯吹く風に
   聲幽む
 春まだ淺き
  奥陸の山里

〽枝けぶる
  松の花粉に
   せきむせて
 旅の人々
  峠越えゆく

〽湯の煙り
  見ゆとも遠き
   秋田路の
 駒の嶽なる
  あひぎ坂かな

〽山の端に
  日のかたむける
   秋の旅
 車のわだち
  足取りて落つ

〽ふりにける
  苫屋の軒に
   巣造りて
 忘れず来たる
  つばくらの旅

〽世にふれば
  うきふしごとに
   あだ波の
 うつゝ浮寝の
  渡島通ひは

〽ありがひの
  よしなかりける
   わくらはに
 何なかなかに
  しかるべくはと

〽枝さびて
  河ぞひ柳
   道のべに
 人の肩なで
  秋の河風

〽かしましく
  葦にさえずる
   よしきりの
 最上の川に
  夏は散り逝く

〽外の濱
  かひも渚の
   壺の石
 日本こその
  證しなりける

〽はるかなる
  山靼想ひ
   雲の波
 流るゝ果に
  久しきうつゝ

〽風の打つ
  鳴子の音に
   飛ぶ鳥の
 しどろもどろに
  當ぞみだれて

〽いつとなき
  心にそめし
   つらければ
 人も知りなん
  侘びしき思ひ

〽夜もすがら
  藁打つ父の
   手仕事に
 露けき外の
  松は雫る

〽蛙鳴く
  春のあぜ道
   にぎはしく
 陸奥の山里
  田打つ盛るゝ

〽あらはばき
  神と人との
   あらたかに
 日の本護る
  いやさかの國

〽世に在りし
  われ人のため
   かゝるべく
一の老體
 戦出づらむ

〽身を碎く
  命終れば
   草の下
 薄くも濃くも
  あとは土くれ

〽みちのくの
  山また山を
   越ゆほどに
 果はありける
  外濱の都母

〽ほの見ゆる
  渡島の影を
   宇曽利にて
 眺むる我は
  帆をひきつれて

〽北海の
  荒寄す浪を
   唄と聞き
 龍巻く潮路
  招くも追風

〽拝みうつ
  浪こゝもとに
   船しぶき
 定なの命
  しらまもののふ

〽よそにのみ
  春を心に
   かきくらし
 来る年の矢に
  思ひ立つ日を

〽言はずとも
  神のしめゆふ
   八重垣に
 身を捨舟に
  祈りまふさく

〽さながらに
  心許なく
   まどろめば
 夢にいでこし
  亡き人と遇ふ

〽いさり火を
  沖に眺むる
   外濱の
 時は寅過ぐ
  しのゝめきざし

〽中山の
  苔に露けき
   石神に
 歩みも積る
  荒覇吐神

〽ゆらゆらと
  かげろふ燃ゆる
   夏の朝
 面を向くべき
  敵は手にたつ

十三、

九牛が一毛、大海の一滴も漏らしまずと綴り来たる丑寅日本古代史も、時には人傳ならず、自から土中を出で人を驚す古代遺物ありて古事の證を知るあり。奥州は古き代の寶庫たり。焼米の出づるかしこの遺跡。古器ぞ出でくる山里。川辺にも古き代の住居の跡ぞ、愢ぶらん。語部文字の讀む程に古事ぞあらはに猶ぞ知りぬる。

十四、

奥州の果つる外濱の泻丘に古代ハララヤ跡ぞありけると古老の曰ふ。彼の處に大王の座す立宮ありてイシカホノリガコカムイを祀りきヌササンの焚火ぞ、宇曽利・東日流・上磯の地までも屆きたり。皮内・平内・入内・孫内・三内・奥内のエカシの集ふオテナの髙殿に神祭るさま各地のコタンに告ぐ日より、人の集ふるクリルタイなりき。エカシの舞。メノコの踊り。ヌササンに献ぐるカムイノミぞ夜を更けなして燃ゆるなり。

〽オーオホホー
  フッタレチュイ
 イシヤホイシシヤホー

男女の卽興の舞になるは、總ては暮しの題目に舞ひ唄ふなり。ヌササンに神降るエカシの祭文には、くりかえし
アラハバキイシカカムイアラハバキホノリカムイアラハバキガコカムイ
とぞ稱なはれり。曲木に張りし一枚鼓・弓絃・木鼓・木炭の打琴・石笛・竹笛。樂になるは多種多様なり。祭事のために身を飾る玉造り、カッペタの織物、男女を倶に着飾るは荘嚴たり。オテナの塔にエカシ登りてカムイノミを壺爐に灾りて神を迎へ、消して送る。行事の了りしに集ふる老若男女、ことごとく北斗の極星に冥福す。かくして後に宴ぐ果酒ぞ、幾百の甕ぞ、酒盡きるまで大祝せるは満月の宵なり。

十五、

東日流上磯なるにカムイの丘、石神の丘とて神を祀る處ぞありける。古老代々に傳へて曰ふは、アラハバキイシカホノリガコカムイのヌササン跡たりと曰ふなり。天と地と水の神を祀りきこの跡ぞ語部録にぞ詳しき。アソベホノリの神、ツボケホノリの神、東西南北に聖地ありて祀りき。三輪邑の石神。阿闍羅の石神。坪毛の石神。宇曽利の石神。その數を併せたれば百八十處ありぬ。太古にして、一年に春は東の集ひあり。夏は南に集ひあり。秋は西に集ひあり。冬は北に集ひて神の行事ありぬ。依て是れに通ずる道ぞ、古代より施したり。

中山切通し・山根道・下切道・上磯道・濱道・下磯道・行来川往来ありて、人の交りぞ身近かたり。海の幸・山の幸、豊かにして相換えて商ふも睦みなり。山靼人も来るクリルタイの集ひこそ、三年に一度なる盟約にて盛大たり。人の祖の来る國・山靼は嚝し。その奥は波斯に至る國よりアラハバキカムイ渡来すと曰ふ。ブルハンの神はモンゴルより渡来し、水火の神とて祀りぬ。天竺古代神とその神なる論も渡りき。語部文字の多き數にアリヤ文字ありきも、文字を書き讀むる語部ありて今に傳ふる古史ぞ由来せるなり。語部録こそ信じべくの要をなせり。

十六、

東日流古代語に曰ふ、

十七、

秋田の雄物川ぞ地民を育める母なる川なり。その分水嶺ぞ多峯にして水量あり。河辺に住人多し。萬山に金鑛を含むるこの羽後にては古来、鬼を神とて祀りき風習是ありぬ。安倍一族、この萬に秘を固くして産金し、茲にその成果を得たりぬ。米代川と二つの流れ能く洪水起し、水神の祀りきも何れも山靼神にて祀祖とせり。金山に鬼傳説を造りて人を峯に入るを断じたり。マタギの神を安日王となせるも、その故なりと曰ふ。

秋田地に湧くる出湯の功ぞ人命を延命せしむは、何れも荒覇吐神の護りたり。神通力全能にして、山靼哲理に人ぞ神をして惑ふなし。女人の美形たるは、山靼波斯の人の混血に成れるものなり。肌白く、女人の餅程にやはき肌に倭人は好みて女人を掠む。故に鬼神を祀るは邑落かしこに見らるなり。學に長じ、歌詠む才とて大宮人の及ばざる處なり。いつ代からは定かならねども、詠人の知られざる古歌ぞ今に遺りきは、數ぞや知らざる程に多くして、本巻にも集記せり。小野小町の出世せる秋田の古事は、倭の萬葉集に然るべく小町の歌ぞ遺り、知らざるはなかりきなり。

十八、

神の名を消滅せざるは荒覇吐神に於て倭にても存在せり。坂東もまた然りなり。天なる宇宙・大地なる山河・水なる大海の一滴までも、みなゝがら神とて崇拝せる信仰のあやまりなきは、神話と異なりて信仰の永代に保つ哲理の秀たる導きなり。何なる國の神も是を極め、理に叶ふるものを攝取せるは信仰の誠にして、因と果にぞなれる波斯の渡来せる誠に創りなり。

天竺より支那を經にして三韓に渡り、かくして百済の聖明王をして得たる倭の佛法より、猶先に丑寅日本に渡来せる天竺諸教ありき。外道こそ人の先進を速しめりと曰ふなり。佛道の者、外道を好まざるが故に外道と惡聞に心を戒むるも、外道にこそ天竺に於る哲理の大事を得るべく要ありぬ。宇宙の肇より現在・未来になる化科の理學あり。迷信に類得るは何事もなかるべし。萬有せる生々の一切に對するの哲理に見ゆ實論。因と果になる總ての現象こそ外道に要とせん眞理なり。因ありて起り、果ありて分岐しそして進化せし自然の篩には、人間と久遠のならざるを餘言せるものなり。

十九、

凡そ丑寅日本の史を世に當ては、障り大にして現襲に睦ぶるなし。古代にしてその歴史をくらぶれば、倭になる神代史ぞ何事の眞理なき夢幻の作説なり。丑寅日本國こそ古に通じて偽を大海の一滴、九牛が一毛にも眞理を欠くるなし。凡そ我が國の史は、山靼に通じてあやまらず。世界を知り、民族各々になる歴史の的をそこなふるなく集縮して信仰の大樹をなせり。その根源は萬端に張りて信仰の度を固修せる故に、何事にも動ぜぬ北極星の如きなり。荒覇吐神の信仰はかくして成れるものなればなり。

因と果、何れも不可欠なる哲論にして、外道の論を併せて成るは化科の眞理なり。史に空虚を盡す作説は造らず。諸證の實を現るまでに空白せるこそよけれ。急ぎては仕損ずるなり。史の空は風空を閉ぐより心勞なり。己が一代に成らずとも、四苦諦を心得て次代の聖にその課題を遺し置くべくは學道なり。神代の如きは、後世のやがては消滅せる史談なり。依て外道の哲理も、後世に第を一にせん眞理となりにけん兆ぞ濃々と吾は感ぜり。ともあれ、哲理は急ぎて成らざるを覚るべし。

廿、

そもそも歴史の理は、萬學何れも離して成らざるなりと覚つべし。己が好むと好まざるにて成るは、何事にも成らざるなり。因と果を非理屈に論ずるが如し。能く己れの智と愚をわきまふべし。此の北鑑に記せし數々に、己れの頭意を以て改たる條は一行もなかりき。無學乍らも、筆なす毎々に心戒むる吾が不断なる處なり。いつなる世にか、これを讀みける者にぞ吾はたゞ相なき世界に見給ふや。日々に老まさり、重ぬる貧さ。今更に心苦しきなり。

若きより丑寅日本國の朝幕藩の弾圧や、赦せるものならず。いつ代にかこの書の出世あらんを心に念じて、今日も暮れにけり。さあれ、祖々の遺せしも残り少なく、吾れはこのまゝに筆絶ゆるも悔ぞなかりける。玉石混合乍ら、以後に浅學の者とて讀得るに遺したり。茲に天なる神ぞ、吾が生命を未だに召し給はざるは幸にして、書了も夢ならず。今宵は神佛に祈りを献げん。なかなかに身の自在を損ふて、眠りぞ常にしてまどろむ。時ぞ惜しとも、詮なき生身の老體なり。かくさまなるをこの行に一筆遺し置くものなり。

廿一、

閉伊の國、魹ヶ崎は我が日本の東端の地にして日の出の速き地位なり。神を祀るは十二神にて、地人の崇拝を今に存續せり。山田の入江には女島・男島ありて海神を祀り、何れも荒覇吐神を祀りぬ。日本國と號けたる奥州の古代國號のなしたるは、此の地なる長老の芝久羅雄と曰ふエカシたりと傳ふなり。地民は山海の幸にその暮しを豊かに、此の地を日章の國とて、東海の漁神とて地神とせり。

荒覇吐神社は今も村史に在りて、講を以て村社とせり。祀れる神は十二尊にして、毎月なる月の守護ありぬ。社は安倍一族にて建立されしを、今に遺しぬ。古代より通念せる神の境域を護治せるさまは、今もいかなるも不変なり。

和田末吉 印