北鑑 第五十三巻
(明治写本)
注言之事
此の書は他見無用、門外不出を心得て失書あるべからず。能く心得よ。
寛政六年七月
秋田孝季
一、
皇紀と曰ふ倭の建國に、その年代を丑寅日本國の史に併せんとせば、倭史筆頭の神代・天皇一世の卽位など唯古きに年代をくり延たる存在なき建國史なり。されば丑寅日本にては、如何に此の頃ありや。既にして大王あり。民の集落ありぬ。民の心を一統せる信仰ありてその神託にて國治の労をなす。道を通し橋を架け、邑を開き地産の流通をせり。
海辺の者は山の幸、山里の者は海幸を物換して衣食住の生々相睦みたり。古にして山靼と往来し、その故ありて船造り日和見の感ぞ秀腦たり。山靼より来たる渡来の民を受入れたるは古来よりの同族意識たり。依て、金銀銅鐡の𥟩鑛・造炭の業大いに振起せり。また渡島・千島・流鬼の民、流通ありてその往来居住も自在たり。
エカシ傳より
二、
佛と曰ふは
その意趣に於て異説多し。浮圖家と云ふより訛傳せる説。また解と曰ふ義にして佛陀は煩惱の繋縛をほどく、亦はほどけと曰ふ説。更には釋尊が成道せし佛陀迦耶の轉訛にしてホトは佛陀、ケは迦なると曰ふ説。または物部氏が難波の堀江に放って置けと言ふ言語よりホトケと稱すと曰ふ諸説なり。因に古来、往生に𠏹の國字を充たるものせるもあり。俗に死者の靈たるより出でしものとて未だ定かなるなし。
佛法にして能く聞くは、梵と曰ふ一字なり。
梵とは
梵摩・婆羅迦摩・没羅憾摩・梵羅摩とも譯すと曰ふ。また離欲・清淨・寂靜・清潔とも譯す。天竺にては優婆尼沙土哲學にして、婆羅門教にして宇宙最上なる原理を梵と曰ふ。一切の世界はこの無上なる梵より自から繁殖せんとの意志を發したるに依りて生じたるは差別・欲望・苦痛・虚妄の世なり。是の惡障を脱せんとせば、吾人の各々になる精神が差別の緊縛を離れ、至大の精神なる梵と合一せざれば得られずと曰ふ。吾人箇々の精神は愛著のものに惑され、苦憂の世界に沈淪せる故に其の自性は同じ精神にありても、吾人は吾人の自性を知りて眞如實相の無上精神を了知せば、茲に梵と合一し虚妄の世界を解脱し得ると曰ふは、是れ卽ち梵なり。
次には我と曰ふあり。
我とは主宰の義、自我の義。また身體の義、己我自體卽ち自己主觀とせるを曰ふなり。佛教にては實我・假我・眞我の三種に説けり。天竺在来の外道にては、凡夫の妄情に自ら存する我れその思想を曰ふ。此我は無常ならず、常住し獨一のもので並ぶもの無く、その作用は國主宰相の如く自在にして、體は亡ぶとも魂我は存在し、新生に生を換ひその運勢・運命を強くし、全能の神通力に達するまでに娑婆往来すと曰ふ。
次には因なり。
因とは物の創めて生ずるを曰ふなり。因明學外道にては宗・因・喩の三を立しる中に、因は宗卽ち断定を成立せん為の理由を曰ふなり。宇宙の創めて成れる因。その發起となれるものゝ何かある因なり。
次には果なり。
因の對は果なり。一切のものは無の因より轉じて果と成るを曰ふ。依て果とは、因の原因に無より生じたるものを成長せしめ殖せるを意趣とせるものなり。是れみな外道の哲理なるも、佛教其他の宗教にては外道をないがしろにしながらも因と果を應用せるは、倭史と丑寅日本史との古代を論ずるが如し。
抑々明白なるは、宇宙の誕生を起したるは因にして、星雲・暗黒の因の成らしめたる物質にて、阿僧祇の宇宙に銀河にまつはる星々の誕生成り、吾ら地界も成り、生々萬物の誕生とその耐生進化を得たるは果の故なるを、外道の教理として尊重しべきなり。かくの因果を以て説く外道こそ、諸宗教の因となり果となれるを覚れ。
三、
人は理趣哲學より文飾を好む。また架空なる物語を執讀す。衣道樂・食道樂・地位道樂・色道樂・權道樂・守銭道樂・豪邸道樂。他數ひては限りなく人心に潜むる煩惱のある故に、人は善と惡とを知りつゝもその自我に依りて善惡道に区に分つなり。外道の曰ふ因と果に成れるものに、草成りて草を喰むものあり、草を喰むものを喰むものありて、生命の連鎖ありて世は成れりと曰ふ。善と惡、弱肉強食とは、因と果の離れ難き不滅のものなり。
まして人心をしてその生々に見よ。總ては權謀術數なり。ひとつの惡因に連なる果ありて殖増し、權をほしいまゝに理も法も獨占せるも、末代ならず。新らたなる因起りて崩滅す。因は宇宙誕生の果に與へどもその宇宙を壊滅せる因ぞ起りつあるを知るべし。因とは種にして、果とは胎なり。人に當つれば男女なり。萬物の雌雄なり。天地の陰陽なり。外道に説かるゝは、その原理を博學し安心立命の人生を正しく保つ哲理は外道・因果の哲理の他に非らざると説きぬ。
是ぞ荒覇吐神信仰の要旨たり。外道と倶に渡来せるこの信仰を、東日流に於ては石の神殿を築き神に信仰の誠を捧げ、國を造り神のしもべとて今に遺りきは荒覇吐神なり。因と果はめぐり、世襲となりにし現世の權は必らずや崩壊ありぬ。荒覇吐神信仰になれる丑寅日本國の泰平なる日の當来は近く至らんと望みぞ捨つるべからず。心せよ。
四、
丑寅日本國に渡来せる外道の要に次の經ありぬ。序に外學講義一。天空に乾闥婆城あり。またの名を犍闥婆城・健達縛城・巘達縛城とも多稱ありて、是を尋香城と曰ふ。實體なく見え、無くも非らざるなり。是衆視の實ありぬ。外道浮遊城とも譯し海上及び沙漠、又は熱帯原野の上空、極寒荒ぶる極北に幽現す。此の城に入るは、乾闥婆外道神の健駄梨咒文を唱ふる者の他に入場を得られずと曰ふ。
その行を修する處は乾陀羅にて、更に乾陀越國・乾陀衛國・犍陀訶國・健駄羅國・乾陀婆那國を巡脚し持地・香遍・香行・香淨・香潔・香風の行を修して得らると曰ふなり。此の國に至るは、北に烏仗那國、西に那掲羅曷國・濫波國の両國を隔て迦畢試に通じ、東北に烏剌戸國を隔て迦濕弥羅國に向ひて東南に信度河を隔て、呾叉始羅國と接せる間に在りと曰ふなり。此の法行に求めて落伍せし外道師に佛教に轉じたるは無著・世親・法救・如意・脇等の論師は此の地方より出でたる人なりとありぬ。
されば乾闥城の有無は、幻想を問ひざる外道師にかく遺るゝ物語ぞ、尋ねて定かならざる謎なり。此の乾闥婆城、天喜年間に突如として丑寅日本國に上空に現れ日輪の如く發光して、その城相を見たるは安倍賴良が文にぞ遺りぬ。
五、
仏教に護摩と曰ふありき。これを護魔・呼摩とも曰ふ。火祭祀法と意趣す。焚焼・火祭・火法の義なり。火を焚き火中に物を投じ祈願す。天上の諸神に供物を捧げるに、火に投じ煙として昇天せしめ神に達すると曰ふ祈りの法たり。天竺にても山靼にても是を献火外道として行ぜられたるはさらに古代たり。丑寅日本にてもカムイノミとして同じ火法をなしけるを、外道には屋内にては焚くことなし。外道にては炊事をも外にして、火を家内に焚くは天上に火煙の昇るを妨げざるなり。
モンゴルのゲルも然なり。丑寅にてもハッポとて、屋上に昇煙の空穴を施しぬ。仏教にして護摩行を入れたるは外道の後なるべし。外道にて因陀羅神を因達羅・因提梨・因提・因坻と曰ふ。蒼穹を主宰し、雷電を駆使し、至誠を以て讃歌。蘇摩酒の力に由て常にブリトラ及び火仙神をして祈祷供物を天上界に屆けむと曰ふ。火は因にして、火に燃ゆる一切は果なり。外道の火を以て神事となせる。是の如き趣に法を修さるは、吾が丑寅日本國の荒覇吐神へのカムイノミそのものなりと考じべし。
六、
洛陽は
支那・河南省河南府の古都なり。古くは洛・洛邑・雒陽等と稱し、南は洛水に臨み、北は遥か黄河を控へて、支那王朝の周・後漢・魏・晋・元魏・梁・唐代に都となり、長安と共に北方二大都たり。殊に後漢朝の永平年代に攝摩騰・竺法蘭らの經巻・佛像を携へて来たり。以来、佛法に明記せる地となれり。明帝は雍門外に白馬寺を建立し、攝摩騰・竺法蘭を住はしめ、尋で桓帝・靈帝の頃、支婁迦讖を住はしめ、更に安世髙らは魏の嘉平二年天竺の曇摩加羅が来たりて僧祗戒を翻譯し、晋代の永嘉四年西域より佛圖澄来たりて轉讀持律・咒願のみなりし佛法をして義學沙門を輩出せしめ洛陽の佛教に劃せしめたり。
後、北魏の孝文帝は都を洛陽に定め、佛・儒二教に振興し菩提流支・勒那摩提の布教に譯經家の来朝を得て義學・譯經共に盛大に赴きたり。後、永煕の兵乱と武帝の排佛に依りて寺宇は烏有に歸す。然るに隋に至りて再度び舊態に復し、煬帝の大業三年に翻譯舘を立て長安より名徳を招致し翻譯に従はしめ、唐代には則天武后は大いに佛教外護の任に當り嗣聖十六年難陀・菩提流をして大遍空寺華嚴經八十巻を翻譯し、法藏をして大遍空寺・佛授記寺に講じ、又禅宗も武后の庇護に盡し、唐末の武宗の破佛に遇し纔かに四寺を残すだになる悲運に至りぬ。今は少室山に少林寺あり。洛陽こそ東日流十三湊に傳来せし佛典物渡り来たる有縁の地なりと曰ふ。洛陽かくの如き支那の古都たり。
七、
喇嘛教
と曰ふあり。西藏の佛教なり。蒙古・満達・西金・不丹・尼波羅らに渡り、吾が丑寅國の閉伊にも渡りぬ。蓮華上座師を祖とせるなり。蓮華座師は那爛陀寺に於て密教を修め瑜伽系の佛法を學び、唐の垂拱六年西藏王の招に應じて入國し、西藏固有の宗にて梵教を佛法に攝。更に外道の要旨も加へたる混成を佛教に案出せり。その崇拝せる諸神は佛菩なる化身として巧に新舊二教を融合し、教條を制布しサムムヤース寺を建立し、善海大師を初代となし喇嘛宗を結したり。更に梵漢の經典を譯して喇嘛教の經藏を編成す。その後百餘年、達磨王の時に至り寺を破壊され經論を焼かれ衰へたるも、二年を經ずして再舊位し、北宋の寶元年にベンガル州の阿通抄来りて宗門を一新して戒律を復興せり。後に元の世祖・忽必烈の保護にあり蒙古大帝國の國教と相成り、歴朝の外護にて隆盛す。丑寅に渡るは此の頃也。
八、丑寅歌選集
一、長歌
〽まどろめば
こもる心に
夜の雨
降るとも見えで
時をりに
軒垂る音は
絶えだえに聞く
〽日の光り
傾く嶺の
朝景色
霞に包む
山川の
今は昔の
目路もなきかな
〽ふるさとの
夢にいでこし
山川の
瞼に映る
藁家あり
老ひにし父母の
無きありがほを
二、混本
〽やごとなく
歳幼なきに
別れゆく
母子の涙
〽春の夜を
渡るかりがね
月さして
おぼろかすむる
三、旋頭
〽湲水の
瀬音合せに
奏でる如く
蛙鳴き
日長き春の
山菜とりかな
〽わけ迷ふ
心の奥の
もる我さへに
かけまくは
げにや祈りつ
荒覇吐神
四、短歌
〽夏はつる
うきふし繁き
夕ぐれの
竹林風に
枕涼しき
〽われはしも
子を先だてゝ
今更に
生きてある身の
老いぞ悲しき
〽翁さび
古きながめの
松島に
風もくれゆく
月のみ満てり
〽出羽もよい
山のかせぎに
黄金掘る
久しく渡り
今尚更に
〽會津野の
山めぐらして
聞こえくる
春を呼ぶ音
彼岸獅子かな
〽盛る夏
火祭る鬼の
舞の太刀
和賀野に出でる
惡魔の祓ひ
〽笛太鼓
糠部里の
えんぶりに
今年も兆し
福の神々
〽東日流野に
煙りたなびく
爐火消えて
大里かしこ
田打の盛り
〽若駒の
裾野いなゝく
岩手山
姫神山も
霞裾引く
九、
東日流奥法郡飯積大坊の大光院は、開山に定かなるはなけれども、役小角が浪着せし處にて、諸書に觀ずれば大寶年間に大光院草堂の建立を見えしあり。地の史書にてもその寺院の地を大坊とて遺り法印の住居存續せり。宗は修験道にして無格にあれども、寺藏の多くは十三湊山王坊及び東日流三千坊の中山千坊なる山門寺院たり。世襲に盛衰をくりかえして修行坊の行願に憂あり。移行のまゝになれるも大光院にては住僧の絶えたるはなかりけり。中山に石塔山あり。大光院の奥坊あり。小角堂と曰ふありきも今は跡だにも不祥なり。
此の山は古代の石神神殿の石塔遺りて荒覇吐神神社ありけるも、安東一族東日流を去りてより參宮の道を閉じ、代々和田一族に聖地の護持を委任し来たりぬ。依て此の社守とて和田一族宗家にして、秋田・宍戸・三春と移封せし主家・安東一族と秘に祀行せし處なり。荒覇吐神をして諸國に遺りき本山の由来ありて、その遺物大なり。代々に献ぜられしは、さながら世襲に放棄されにし神佛像及びその寶藏物にて、今に和田氏の保つ處なり。和田氏は常にして三春藩江戸邸にて藩主との對面にありきは當前の秘義たり。安倍・安東・秋田氏と移姓にても、世襲の都合に合せしものなり。今にして尚秘にあるは、蝦夷大名と家系図に證すも一族安泰を祈る主家の御心なり。
十、
安倍氏古代の事は何事にも秘の多きに、謎の蝦夷大名とて今にして不祥の系譜を用ひり。依て是を下の系図と稱し、上の系図なるは世視に秘し主家の他に見得叶はざる處なり。史に溯りては倭史を遥かに、遠祖明白にして古代に名残れる遺跡・遺物の多し實證あり。秘藏の費資また大なり。秋田藩とは即面の事にて、世襲の陰にありき忍びなり。覚めて世界に見つむれば、文明開化に朝幕のおくれ久しきの相違にありて、追従せるにも鷲と雀の隔てなり。世界と交りを断つは己が亡國の無算にして、何事の益もなかりける。
外道の聖典に曰く、因を以て果ぞなり、果を以て因なし。因の辺は無辺にして、因は無より起るなり。依て果は、因の起に依りて成る他非らざるなり。因の起とは如何なる哲理もなりたゝざる特異なる起点なり。特異なる起点とは、無に密むる因の原なり。はかり知れざる萬能の力原を含み、起るべくして起る阿僧祇の膨脹は粉末粒の一にも足らざる起点たり。無の如くして□□□るを因と曰ふ。是の起点より宇宙を成らしめたる果卽ち物質を知るべし。依て、世界交□□□□□。
十一、
古代より丑寅日本國にては地の神イシカホノリガコカムイに波斯の國シュメールになるアラ・ハバキ・ルガルの神を併せ信仰の道理に入れたるは、外道の因と果になる聖典たり。此の信仰に迷信の非らざるは是の如き次第たり。信仰の一義に天なる一切の因を説き、その果を説ぬ。次には大地の一切、水の一切になる生々萬物の哲理を説きて信仰の意義を説きぬ。荒覇吐神とは是の如く天の一切、地水の一切を説き生命の尊重しべきを説きぬ。
生と死・陰と陽・因と果。外道の教理は總てに渉りて用ひらる。仮えて曰ふ、病に於ても因あり起り果を以て治す如く、世にあることの一切は因と果にて終始なき一切の連鎖にありきを信仰に説きぬ。此の國を能なき蝦夷とて来たれる權襲の命重なき代々の渡りに、幾々となく生命の殉ぜしを思ひては非理法權天の誅にあるも神は天秤の如く善惡の裁きぞ平等なりと曰ふなり。
十二、
信仰に諸々の行法ありと曰ふも、その多くありけるは迷信になる巧術にして衆の信を得るは古来より傳統せり。恐ろしきは神佛を以て靈告と神託のたぐいなり。かゝる元の大祖チンギスハンの討伐行は一人の自放言なる卜部にて殺戮され、次なる代々もまた然なりき。かゝる迷信にて吾が國の坂東に起りし平將門もまた然なりき。弓削道鏡また語部の夢幻なるを聞きて編されし神代史。紅毛人の國にてはエジプトの王モーゼのシナイ山なる神の神託十戒。ギリシアの神話。天竺の諸信仰。みなゝがら迷信の信仰にて多くの流血と生命の殉没を下敷にせるは歴史に遺りぬ。
人とは國王に坐すものとて運命の吉凶を神に占ふるは心の弱きが故なり。かゝる信仰の迷信にて丑刻參り・降魔調伏など諸行ありて迷信の過度に信仰の誠を毀損せるは今に尚以て存續ありき。是必ず天誅の降伐あらん事を餘言す。人の行法にて大自然なる因と果の自在なるは叶ふべく非らざるは如何なる信仰にても、運命の交差非ざるなり。能く覚るべし。人力に叶ふは生々の限りにて、神を祈りその果報ぞ叶ふはなかりけり。
十三、
佛傳に曰く、・とは遏・懷・㫊・婀・噁・惡と書きぬ。意趣は不破壊・不流・無来・無去・無行・無住・無本性にして更に四轉あり。發心・修行・菩提・涅槃。更には菩提心・行・成菩提・大寂涅槃・法方便の五轉も意趣せり。
・とは諸佛・諸天の總種子なり。佛・菩薩又は水火らを表し、諸々の功徳を現はす。卽ち烏𤙖・呼𤙖・虎𤙖・戸合・吻らこの一字に収まれりと曰ふなり。咒に於ては次の如し。阿鼻羅吽欠祖波迦または阿尾羅呴欠とも曰ふ。詳しく申せば次の如くなり。唵・阿鼻羅吽欠・莎婆訶。是の如く曰ふなり。この意趣には即身成佛義にて地・水・火・空・風の一切萬象を形成せる六大法なり。此の一呪にて一切萬法を網羅し、之を稱ふるとき一切諸法悉く具備すと曰ふなり。
十四、
石塔山荒覇吐神の荒行秘法とては本来は無けるも、役小角の修験に行を修せばその行ありぬ。とかく荒行秘法と曰ふ修業の實態は、身心の一統に侵入せる諸々の煩惱を身に戒め、その苦しみに心に依って願行破るもの少なからず。行者として諸障に誘れしも心身一統に己れを験すを苦行と曰ふ。修行中、食事の一切自給自足にて、賄うは石塔山修行の行者たり。
- 一、造藥六種の卆。
- 二、法衣織縫の卆。
- 三、食炊一切の卆。
- 四、誦經暗讀の卆。
- 五、諸行儀の卆。
- 六、咒術得傳の卆。
- 七、護身得傳の卆。
- 八、語部譯得の卆。
- 九、木火土三遁の卆。
- 十、渡島一週の卆。
以上、役者心得の卆たり。凡そ石塔山に行ずるは外道聖典九十六巻の修學、役小角本垂論六巻の修學たり。是を卆してぞ石塔山修了の度諜とす。大光院にて古き代は、安東一族の一生に修行を試して修了せるは生涯に一度の精進たる習ひたり。この行は六十日に全教を了し、十六にして男子は入峯せりと曰ふ。
十五、
世の創むる因の起りより世に現はれ出でたる物質の果に成れるもの、宇宙の總てなりと曰ふ。宇宙に星生れ、日輪生れ、大地は月を伴ひて世の創とし、地水中に萬物の生命生れて今になる世のありきは外道聖典の古にして旣在せし哲理なり。人心に信仰の起り、天変地異の禍にて知れる因の起りにて世々に果は成れり。凡そ人の世に顯はれ出づるも因の法則、果の法則にて萬物中より世に出でたるものと曰ふなり。而して人の世成りても生々安しき事なく、また人が人を狩る如き戦の起すも因の故果の現なり。神と曰ふを感得し信仰を以て救済を祈るの起りぞ、常にして世の創めより萬事因と果とのなせる法則なりと曰ふは道教に説かるゝ世の總て渉るなり。雌雄より子生れ、子にまた雌雄の別あるが如し。人また各々心ありて同じからず。世襲また然なり。神ぞ世にありとせば、因と果の一に結ぶる生長一切なり。
十六、
丑寅日本國の古事を傳ふる倭史の傳は、古き代の事一切は神にて連らね人皇に至るなり。對して吾らの古事は神を以て歴史の實とせず。因と果になる哲を以て世の創めに起りしを博學せり。神を創めとし信仰に以て世の成れるを史頭にせるは、人間史の創めより降りての世なり。實に伴なはざればたゞの架空にして、歴史に何事の實ありや。能く想ふべし。生々萬物はみなゝがら心身世に同じかるなし。常にして世の環に耐生の進化を以て今に至りぬ。萬物は各々子孫を遺すがためにかく進化を以て次世に生態を変化するも、因の起り果の成れる法則の故なり。
神と信仰も亦然なり。因を神とせば、信仰は果なり。依て信仰の先に神あり。その後に信仰ありぬ。哲理にも割りきれざるは、先と後とになるを、卵が先なるか鳥が先なるかの論に盡ざるが如し。佛法にては梵と我、または阿と吽に説き、やたら永き説を加へたる。凡そ道理は同じなり。因無くして果あらずと覚るは的當し、果を因の先とせば無なり。佛法にして因果と曰ふを能く應用せども、その眞實の答ぞ未だなかるゝなり。是の如く道理の因を解かじして詮なく、悟道を諦とせる他非らざるなり。
十七、
奥各所に祀らる毘沙門天は吠室羅摩拏・鞞室羅満囊・毘舍羅婆拏とも曰ふ。多門・晋門と譯し、一名を倶吠羅とも曰ふなり。須弥山の半腹第四層の水精埵に住し、夜叉・羅刹の二鬼を領して北方の守護と、世人に福徳を與ふるを主る故に北方天とも曰ふ。又、常に佛の道場を護り、故に多聞天とも曰ふなり。毘沙門天は七福神の神としても祀らる多し。吾が丑寅にては東北に戦乱なく永く泰平を祈り、是れを布教せしめたるは坂上田村麻呂なりと曰ふ。
安倍一族にては地領のかしこに毘沙門堂を建て厚く信仰せり。依て、今に遺れる奥州毘沙門は越にも渡りぬ。廢虚の跡も多く遺れる像ぞ貴重たり。なかんづく閉伊の淨法寺・和賀なる極樂寺に遺るを安倍毘沙門と曰ふなり。
和田末吉 印