北鑑 第六十壱巻 總集修了
(明治写本)
書意
明治己巳年より本年に至る間、家業のゆるせるいとまに書写を仕り、歳九十七を迎へたり。此の書は先代長三郎吉次より、吾を以て五代に渡り、主君秋田様の系に縁る丑寅日本國の史を綴り、是書を以て了りぬ。
世視をはばかりて世襲の至るまで永代藏書仕り、末代に遺し置くものなり。吾が一生、此の巻を以て筆を永世に留むなり。
和田末吉
綴目録
- 東日流外三郡誌
- 東日流内三郡誌
- 東日流六郡誌大要
- 丑寅日本記
- 丑寅日本紀
- 北鑑
- 林氏記 預り
- 菅江記 道中
- 髙山記 道中
- 古田記 預り
- 藤井記 傳達
- 福澤記 傳達
- 相馬記 預り
- 平等教院記 寄進
- 大光院記 預り
- 蒼龍寺記 預り
- 補陀寺記 預り
- 天台寺記 預り
- 極樂寺記 預り
- 中尊寺記 預り
- 羽賀寺記 預り
- 大光寺史 買受
- 山靼史 買受
- 紅毛國書 買受
- 伊達密録 寄進
- 渡島日記 寄進
- 人國記 買受
- 旧唐書 買受
- 新唐書 買受
- 古事記 買受
- 日本書紀 買受
- 倭記 買受
- 東鑑 買受
- 北條記 買受
- 秋田縁者記 買受
- 久米日記 買受
- 朝熊日記 買受
- 集史 買受
- 封内風土記 買受
- 德川記 買受
- 田沼手記 買受
- エカシ聞書 買受
- 乎田控 買受
- 松前藩記 買受
- 土崎船工誌 買受
- 小濱風土記 買受
- 安倍築紫記 買受
- 大島記 買受
- 伊達船日記 買受
- 竹經 買受
- 大唐史記 買受
- 朝鮮國記 買受
- 元史鑑 買受
- 金國志 買受
- 満達志 買受
- 安藤家記 買受
- 久世家記 買受
- 奈良坂記 買受
- 加賀日記 買受
- 越二國記 買受
- 築紫記 買受
- 三河記 買受
- 鎌倉記 買受
- 鳴子物語 買受
- 鹿嶋神記 買受
- 武藏記 買受
- 安倍川記 買受
- 出雲記 買受
- 南海道記 買受
- 熊野行状 買受
- 仙北記 買受
- 庄内記 買受
- 川越記 買受
- 伊那道中記 買受
- 諏訪記 買受
- 黒龍舟日記 見聞記
- 大蒙古記 見聞記
- 天山北路記 見聞記
- アルタイ平原記 見聞記
- メソポタミア記 見聞記
- オリンポス山記 見聞記
- カイロ記 見聞記
- マルコポーロ記 見聞記
- アラビア記 見聞記
- エルサレム記 見聞記
- ホーマオデッセイ記 見聞記
- 回教記 見聞記
- 摩尼教記 見聞記
- 景教記 見聞記
- ラマ教記 見聞記
- 婆羅門記 見聞記
- エジプト古記 見聞記
- オリユン十二神記 見聞記
- ギルガメシュ記 見聞記
- 紅毛國星學記 見聞記
- 天竺民族記 見聞記
- 支那三國志 見聞記
- 黄河記 見聞記
- 長江記 見聞記
- 長安記 見聞記
- 千島記 見聞記
- バグダット記 見聞記
- ギリシア記 見聞記
- キリスト記 見聞記
- ユダヤ民記 見聞記
- ゲルマン記 見聞記
- オオデン記 見聞記
- オロシヤ記 見聞記
右之諸書に考ず。
文政二年八月一日
秋田孝季
集總考
全六十一巻を以て北鑑を筆了に留むなり。歴史諸事の事は古新を問はず都度に書写また聞書す。筆記に應ぜし者三千六百人の古老亦旧家の衆也。
巡跡に施したる費年毎八百両にてまかなひり。集巻茲に三千八百六十八巻にして寶なり。六十餘州に秘史のなかるべき處なく、皆藩従の制に讀む價なき作為の書多し。神社佛閣とて主の國替なる藩にては先代史傳消滅す。なかんずく安倍・安東・秋田氏にかかはる事なれば尚訪法空に惑ふなり。
依て是の如く尋史集録の労、三千八百六十三巻の玉石混合たる雑記の如く私心の選抜を赦さず綴りたり。依て是を精修せるは末代に委ぬる也。吾らの存命續きて成るを能はず。今生して唯書㝍及び聞書の纂に了りぬ。更には史實を要とせば世襲に障りあり、茲に秘に極せり。
文政五年七月一日
秋田孝季
秋田氏書状集
一、
先般の屆状しかと拝見仕り候。御要請の件承り、城代役目ら相謀り候へて議集に及び候處、御貴殿の意に叶ふ可相承り、諸請の儀皆議決仕り候故御安心候可。江戸飛脚未だ至り候はず。殿の御許御坐候はば、その旨御屆申候。三春にては前忌大姉の法要も仕り、秋亦前三十回忌の先代供養御坐候へば、御貴殿の御登城あるべく一同待はび候由、御承り下さる可申付置候。
亦、最上故事、伊達故事の文献ぞ御入手仕り候。是非御目通し仕り度く貴殿のお越あるを請願仕り候。仲秋の冷次第にいやませば、御もと身の健勝あらんをば御案じ申候。
壬辰九月三日
松本
長三郎殿
二、
昨来之寒気相加はり候。此頃貴殿の旅はいま何處に御坐候ぞ。暫絶々の飛脚に鶴首仕り居り候。檜山古城之図、先般能代なる河田利左衛門殿より御屆けあり。是れ貴殿の御請上に仕り候旨しかと膽に銘じ仕居候。紙代、美作に送り候へば指宿に立寄り仕る可。
一金五十両に御坐候故しかと御勘定仕る可。更に三百両加へ候儀は備前大刀の一腰御注文送達、江戸邸に御屆下され度願ひ仕り候。
右口上以て如件。
壬申九月七日
乙之介
秋田孝季殿
三、
御道中御健勝にて安心仕り居候。老中田沼氏よりの御言葉御坐候に付き江戸にまかり下さる可急状仕り候。卒爾乍ら秘事急用の故、長三郎を倶なへての推參仕る可。
右急達如件。
天明甲辰七月十日
乙之介
秋田孝季殿
四、
吾れ散らぬさきにと三世のよしみ、朝立つ添ふる時を得て暮せしにや、小次郎申し受け、其の際に先途を察し得ず。土崎に養縁たれば逆様なる、はてはありける。天道に叶ふ非らず。茲に於て土崎にたばかり居りし逆背の輩を討取るべく兵挙に決し、小太郎を救済仕り悲まざる成人の子とていとほし。いかにいはんやしゝむらさけばん獣の雪に吠えけん心ちなり。戦を以て是を睦むなく、兵挙のさまは阿修羅道に勝敗を決せる他なし。依て吾が一族の内に乱れの恥に申告ぐるもの也。
七月六日
愛季
五、
歴史の跡を訪れ、憂き身に積むる往古の眞ぞなき昔ながらのかげ、いざや有為生死の尚残花を乱し見みえし露の世に、權に掌据あるものの民にまともなりとて聖言せるは、仁義忠孝禮智信の七行なりきも、學に長ぜし者の曰くは、非理法權天なり。とかく力なくして失なはれん、亦無實の罪にも沈む、いとなき同じ生きてある身は唯命なれや。
神なる裁きの天秤、萬遇に遇ふこと難し。もる我さへに風を逐って冬迎ふるのわび暮し、天ぎる雪の巷にかかる浮世のことはり、風も嘯くに命の灯り尚しをりつる野辺人の住居。誰ぞの業因ぞ逢瀬もおなじ身なるや、さ非らず。恨みは、あらはばき神の早くも知るや、罪には罪の報復。善には心身より出づる神眼に叶ふ。人とし世に生れ来たるに日輪の照らす照らさざるの光陰なる天秤の計ぞ平等を欠くことぞなし。業因造るは人心の因果にて、神なる差別なるは露も是なく、人の三界に善惡の因縁果報ぞ生日星下に輪廻是顯はるるなり。いづくはあれど積りぞ来ぬる運命なり。
若きに進み、老いてはよるべもそぞろ、風もくれゆく夕されば絹衣をまとふも、苔の衣をまとふも暗には見えざるなり。流る水のうたかたは顯れ消ゆ。流れ絶えざるに見ても水なるはもとなる水に非らざるなり。歴史を尋ぬは是の如くなればなりける。史を偽りて作りしも、永きに渡らば誠に固傳し、眞にありきもの隠傳たれば世に顯れ難し。依て茲に眞如實相求めて我が一涯に叶はずとも審しけん。遺巻を後世にぞ委ね置くものなり。御殿の今になる史尋の費まかなひ断ぜざるを有難く、茲に御禮の事如件。
丙寅三月二日
孝季
六、
昨年に余り富雄谷の北膽駒山に古けく耶靡堆王・登美長髄彦王の宮居跡を探りなん。待はびし春訪れぬ。白谷の里に宿りて十六日を過ぐること飛箭の如く、未だ古跡の一に達せず。今日より磐舟ヶ澤・石切ヶ澤を登山仕り、富雄寺・振部鈴の古傳に由来を地の翁に尋む。彼の翁、白谷の住なれば長髄彦王の傳能く話せり。然乍らその仕細に欠くるありて、事なる話みな後稱なる多し。
只、神話に説く翁ありて一夜、その聞書を以て長髄彦王の傳に決せる處は討死を以て決せる多し。然るに眞弓寺の傳や、長髄彦王傷負ひて奈古に落つ。舍兄安日彦王に援けらるまゝ坂東に落行くと文献あり。そのいで處ぞ石切神社の振部鈴由来にて、耶靡堆族ことごとく東北に落つ行きぬを覚りたり。膽駒山麓邑かしこにトミの祠多く、今に祭りありきは有難し。耶靡堆三輪山、浪速膽駒山に祖王の縁り古習のありきに尋史の労も亦樂しからずや。累暦の重ぬる故祖の跡々ぞ遇せる程に心𨄌りなむ。謹みて天地水の神々におろがみ奉る。
丙辰二月七日
和田長三郎吉次
七、
波打濱に磯香鼻突く道中。三陸亦羽濱の古跡に遺したる吾等が旅道中も喜憂ありてこそ、幾十年の放浪も想へば永き定なき人生の道行たり。行き會へし人々の士農工商に業ふ諸國の風習。寺社の僧印。神職になる古跡の談。何れも歴史に汲むを得られず。只縁起の奇談多し。古文献の見せ惜しみ亦、布施次第にていだすは何處にても人心同じけるなり。旅行きてこそ知る情け哉。今日は信州諏訪のあたりぞ宿ならん。
庚申十二年
孝季
八、
永き冬期の寒気も日長に和ぎ、春陽目にまぶしかる此の頃。土崎の翁にては如何な健勝の程と御推察仕り、先着の御状に安心仕つれり。かねて先度の御尋に御答申度、此の状を參らせ仕り、暫しおくれたる段、平に御容赦下され度し。
拙者、御翁の申せる巌手なる石神の所在ある處に先般赴きて巡拝仕り誠に實在し、先は閉伊なる五葉山・早池峯山・姫神山・七時雨山・中岳・白地山・櫛ヶ峯・梵珠山・魔岳・石塔山・大倉岳・四ツ瀧山。此の連峯一線に在り、越喜来なる首崎の東海より東日流上磯なる龍飛崎なる西海に抜くること串に刺たる如く一直なりせば、是れ石神なる信仰の秘なる靈気在りと存じ仕りたり。
兼て御翁の申せし通り、吾が目測のたがはざるなし。依て御安心下され度く、巡路三十七日を以て脚巡仕り、茲に一報の明細を屆け申しけり。此の山嶽道中亦は山頂に見ゆ石神にては地民の古き名付ありて續石、円空舟石またの名を笠石・剣石・神坐石・石門石塔。石垣あり、以て人工手刻跡あり。巨なること誠に心膽を抜くばかりなり。依て石神㝍景仕り、本状に添へ仕りるなり。御翁も春冷の段、御身體大切に御心かけ下さるべく。
右條如件。
丁巳九年四月八日
長三郎吉次
九、
作今、生保内にて念願なる湯浴を仕り、久方振りにて妻倶々旅を仕りたり。りくも旣に歳五十一年。七日間の留宿にて歸郷仕り、取急ぎ御翁に書状を奉りぬ。翁との生保内に同道せるは甲寅の七月と覚いたり。生保内にては史跡知りつも明らさまならず、人目を忍びて先つ生保内柵・狐隠柵・辰子柵・荒覇吐神社跡・將門遺姫塚、巡り景㝍仕り本状に添へたり。隠軍資洞も人目にあばかるなく御安心下さるべく見屆けたり。先づは御翁に旅歸の段如件。
庚申十二年九月二日
吉次
十、
一筆啓上仕つる。去る土崎拙宅の火事に遭遇しける折の見舞に来參仕り余の身辺を案じ下さる段、誠に以て有難く禮を申す。亦、妹りくの言上なる余の身柄、飯積に赴むかしむの段、時に卽答を避けにしも、余老令盡してもはや尋史の旅もおぼつかず。餘生の末程だにあらねど、貴宅ならず出来得れば石塔山の古社に終世を望み度御願ひ申す。今、旭川なる補陀寺に身寄せつゝも、大事たる四十年に相渡るる史書を焼失せるは我が命にも替へたるとて如何ならざれば、今生のある限り貴殿に預かりし控を以て我が命脈の限り方丈に入りて書㝍仕らんとて心に決めたり。
依て、石塔山荒覇吐社の一遇ある處に入峯仕り度く、茲に書状を以て願ひ入りぬ。出来得れば吾がもとに仕ふる者あらば住居建方心得て、今なる月より二月後に移りたく、茲に金子添ひ申して願ひの段、聞屆け下され度し。火難ありとは露知る由も想はざりしに、貴殿の案じ申通りと相成り、今にして思いば神の導き、歴史を末に遺す大事を叶いたり。茲に一刻を速やかに右の件を依賴仕る。尚以て金子の事は補陀寺への寄金の他、懐に残るは六百両御坐れば此の状に添へたる送金の他、三春よりの金子見舞五百両。余の終生迄の費に餘りし金子なれば、その方に費わづらふ事勿れ。以上は吾れ死出に至るまでになる心の安らぎなれば必ず事良き返事あるべくを老婆心乍ら急状如件。
享和壬戌六月十日
孝季
十一、
山靼之旅、無事相果し候事、誠に奇慶至極に御坐候。吾ら丑寅の西海なる彼岸に續く大陸の横断に至るオリエントの開化にある國々の候は、吾が國禁断國交なる制政の故に、自在なる渡航あらざるに萬機の幸運に得てこそ果したる段、吾等オリエントに志す者、貴運の旅状に學び得たく候。
近日に御訪ね申し度く御坐候へば如何候。否、御咲合の候をうかがひ申候。エーゲ及び地中海の紅毛人國、船々に如何なる造程に候事々。拝聞に預り度く御坐候。若し御在宅の日時を一報下れて候へば、合せて御施講に訪れ度く、重ねて願ひ申し候。草々。
天明乙巳年十月二日
氏平
十二、
一筆奏上仕り候。一別以来、御舘様の病床御案じ申候處、御書状の由に候へば、御全治申候事の由を拝讀仕り悦慶至極に御坐候。先般をして久方振りにて石塔山祭事を挙行申候砌り、丑満秘行も無事祭了仕り居り候。一族四百五十人。諸國より密集い、鎧装束にて迎靈送靈の儀、誠に壮巌に挙行致し候事の由を申上置候。
石塔山に於て秘事の候は、古来吾が一族の他に知ることぞなかりける秘行に御坐候。吾れ先代より承り候へてより三年一度びの秘行を旣にして十二回祭を仕り候。依て是を次代に継累を賜り度く、お舘様の御許容を願ひ奉りし旨御請如件。
文化庚午年八月十日
長三郎
北鑑筆了之辭
日本將軍永代史の諸記集むる史傳の數、一萬二千に及ぶる諸史談。更には口傳の聞書、史跡の㝍景筆記入の數多くして、その旅費また大なり。山靼の旅程徒らに歳月を空過し、亦三度び旅程と相成こそ明細至極也。荒覇吐神の故事を以て、古代丑寅日本國なる栄ある古代を覚得し、その共通せる世界の渡り。その史は輝くばかりなり。石刻になる古代神殿の遺跡こそ及ばざりしも、丑寅にも亦石神のあらんをば、是ぞ根元な古事の史跡なり。
アメンラア神・エスシ神・アスピス神・ソカアル神、他多數なる神々を奉りしエジプトファラオの信仰。諸々の神話に満ちるギリシアの神々はカオス神に創まれり。古代なるシュメールの神こそアラハバキ神にして、はるか東大陸を横断し吾が丑寅の神とて祀らるる奇遇の信仰道ぞ、想ふるに亦奇なり。ギルガメシュの叙事詩こぞりて丑寅日本國の證明たり。爾来久遠に奉りて日本國の再興を等しく甦しなん。
文政己丑
長三郎權七
道奥歌枕
賴良
〽まがはしき
いづくはあれど
山吹の
心かかるる
日髙見の國
良照
〽春の日の
山賤も花に
いこい見る
おかしとこそは
心なきかも
貞任
〽あかねさす
み山がくれの
山櫻
誰にか見せん
知る人ぞ知る
宗任
〽かきくらす
厭ふまでこそ
闇まどひ
心に花は
咲きかけも見ず
重任
〽山の端に
月影冷ゆる
衣川
栗駒颪
秋風ぞ呼ぶ
家任
〽あとけなき
童の頃の
想い更け
巣伏の村も
秋は便らむ
正任
〽われをして
恨みありとは
思はねど
白旗波に
寄手討なん
井殿
〽盲目の
娑婆景見ざる
悲しさに
手探り想ふ
いましらの顔
則任
〽月落て
昴も消えて
朝日立つ
歳の行方に
嵐立つなん
右は安倍一族の遺歌なり。日本將軍、傾國を思ひ多年に求むれど、深閨に泰平未だ識らず。眸を回し馬乗に死す。
甲辰二月一日
鳴瀬賢祐
終章之譜
書㝍亦は加筆の文献を以て永き修成の間、本巻をして筆了仕つる。老令盡して大正六年に至る。紅顔の若かりし頃より父に申付けらるまゝ今日に至るなり。目のおとろふまま細字につかれ、亦右肩の痛み治せず。白昼ならでは文字の讀めざるさま。以上に以て尚書事の労續くに難し。作年暮なるより酒を断つ、草煙を禁じたれど寄る歳に気力覚付かず。本書北鑑六十一巻にて拙者の役目了りぬ。
亦藏中の遺物、殿より預りし品々多ければ、是を他に賣却を赦さず。石塔山の御遺物とて一族の奉納になるもの多し。古き物・新らしきものとて、古物商ならざれば大事に。何れも神の御手に捧げしもの耳なり。能く護り私事の勝手たるべからず。人視に至すこと勿れ。
世は泰平に見ゆれども所詮、白川以北は一山百文と夷蝦地の念は、文明開化とて世襲は叫べども繪にぞ画いたる餅にして、奥州は未だに陽光の當るに遠し。依て先代より五代に渡る史書一切は不開の箱に封じ、世の公明なる世襲の至るまで秘とす。何事ありとも護り置くべし。石塔山洞は探すべからず。幾千年の安眠せる祖先靈を起すこと勿れ。能く心得べきを、この巻末に申付け置くものなり。
吾が子孫よ。我れは常にして、死すとも永代に是を魂魄となっても藏品一品たりとて欠す事を赦さず。亦これを他に移すとも、それには修羅の報復あるべし。能く保つべし。必ず能く保つべし。拙者の命脈も晩秋までに逝くを感じ、思い付くまま此の一紙に至極せり。日に追って腹痛やまず。亦、左肩は根腕に痛し。能くぞ今日迄に書染めたるものぞ。是れぞ石塔山の荒覇吐神なる御加護ぞと、夏至らば拙者の末期なる石塔山の秘行を一族に授傳仕るに依て、能く心して覚得をすべし。
つたなけれど、歌を遺し置くもの也。
〽とこしなへ
石塔山の
神垣は
よろず世こめし
日の本の楯
〽えめぐるも
命期文爻の
蘇命路に
往復ならねば
いふこそ程も
〽護るとは
心の侵魔
入れずして
世をば片瀬に
荒び備へて
〽上見れば
限りなかるる
うつつ世の
覚つ無常の
逝ける身を知れ
〽逝く運命
怖しくいとう
死に水の
越えて心に
極樂を知れ
〽親しとも
銭の貸借
心せよ
言語一舌
仇を作らず
吾が筆がままなる歌の遺し置くを能覚つべし。今日は晴天にして心地よし。
大正丁巳六年八月三日
和田長三郎末吉
遺言之事
我れ逝く跡にしるしあるべからず。三世の御値遇三界は所なし。昔より聖人、人にまみえずと曰ふよし。我れ、自も五體意動自在たる内に、山なす先代四代に渉るる歴史書を染㝍せる日々の學びぞ、世に萬端の師習より尚學得を身心に覚つたり。生れ乍らにして父母の手習へになる他、師あらず。亦學び舍に習ふるいとまなかりき。百姓の労々ぞ、先代自から文武を捨てたる子に生れ、名のみの士族。何事の學得やあらん。遺すべくの言葉ありぬ。
我が家系は朝夷の三郎義秀にして、祖にありては雲居なる天應御宇桓武天皇の流胤なり。依て子孫にして、生々に世襲に表を欠く勿れ。亦、頭立不禮あるべからず。亦、文武は身心に以て心得よ。常にして油断あるべからず。貧に甚々なるとも身心は常にして、渇すると盗泉の水を呑ざるべし。己が事、大事を以て他人に委ぬ不可。凶因を自から自他倶に作るべからず。まして祖先の遺せしは、石砂に至るまで他に放つるべからずと、固く言付け置くものなり。
丁巳六年仲秋
和田長三郎末吉
不忘事
- 一、藏屋根
- 雨もりに心得、修理朽前に行ふ事。
- 二、藏物土用干
- 刀剣手入
- 古着虫除
- 三、石塔山行之事
- 目録検調
- 式部選行
- 武義式
- 誦義式
- 武術行義式
- 供物七式
- 神樂三昧
- 誦舞三昧
- 歌詠三部
- 天舞
- 地舞
- 水舞
- 奏曲之儀
- 祭文義祈義
- 願義
- 請義
- 占義
- 判断義
- 送靈義
- 迎神諸義
- 四、秘行密事
- 丑満行
- 焚踊行
- 抜刀祈行
- 天行招誦
- 地行招誦
- 水行招誦
- 護摩降伏
- 山頂焚祈
- 海濱焚祈
- 除魔障伏
- 生靈誅滅
- 死靈退除
- 五、五行極秘密行
- 一、波羅密
- 一、修羅行
- 一、誅行奥義
- 一、代贄行法
- 一、火梵祈術
- 六、神事行法具
- 帯刀両刃
- 直刀
- 反刀居合
- 薙刀三術
- 貝法羅
- 槍五突
- 念珠五式
- 七、石塔山佛事法具
- 佛式
- 法式
- 三寶式
- 葬式
- 八、秘洞中行禮
- 火焚三昧
- 棺靈法誦
- 法水取
- 金數改定
- 閉戸義
右之一切能く心得、おこたるべからず。
六十九代 和田壱岐守
長三郎末吉
大正六年十月一日
和田末吉 印